東京で〝感染爆発〟過去最多3865人、全国でも感染者数1万人を超える、「元栓」を全開しながら「蛇口」をいくら閉めても「漏水」は止まらない、菅内閣と野党共闘の行方(37)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その262)

 

新型コロナウイルスの感染拡大がいよいよ全国的に本格化してきた。東京では3日連続で「過去最多」を記録、7月29日には3865人に達した。新型コロナウイルス感染者は東京五輪開催中の首都圏で爆発的に広がり、神奈川1164人(過去最多)、埼玉864人(過去2番目)、千葉576人(同)となった。首都圏(1都3県)全体では6469人となり、全国1万693人の60.5%を占める。

 

首都圏と結びつきの強い西日本での感染拡大も凄まじい。大阪932人、福岡366人、沖縄392人(過去最多)と、先週に比較して1.5倍前後も増えている。これまでの予想では、東京で3000人を超えるのは8月3日ごろだとされてきた。しかし、インド株の変異ウイルスの感染力が強いこともあって、感染拡大のスピードは著しく速い。西浦京大教授の予測では、前週比1.5倍で感染が続くと、都内の1日新規感染者数は8月中旬以降1日1万人前後、同1.3倍でも5000人になるとの試算が出されている(NHKニュース7月29日)。

 

政府は7月30日にも新型コロナウイルス対応の緊急事態宣言(8月2~31日)を神奈川、埼玉、千葉、大阪の4府県に出す方針だという。また、これに合わせて東京、沖縄の緊急事態宣言を8月31日まで延長する。だが、問題は「緊急事態宣言」が感染拡大防止の「決め手」になりうるかどうかということだ。現に、東京では4回目の緊急事態宣言(7月12日)が発令されてから2週間以上も経つのに、その効果はまったくあらわれていない。逆に過去最多の〝感染爆発〟状態が発生しているのである。

 

原因は明らかだろう。菅政権が国民の反対を押し切って五輪開催を強行し、根拠のない「安心・安全神話」を振りまいてきたことが、国民の間に新型コロナウイルスへの「楽観バイアス」を生み出し、それが「自粛ムード」の低下につながっているためだ。この間の事情を毎日新聞(2021年7月30日)は、次のように分析している。

 

「東京都に4回目の緊急事態宣言が発令されてから2週間(7月12~25日)の人出は、過去3回の宣言時と比べて大幅に増えている。若者が集う東京・渋谷では初めて宣言が発令された2020年4月の3倍に迫る人出となっている。(略)度重なる宣言の発令に閉口する人は多く、五輪が自粛の雰囲気をかき消す」

「4回目の宣言について、筑波大の原田隆之教授(臨床心理学)は人々が宣誓に慣れたことや、五輪開催と自粛要請という矛盾するメッセージが併存する点を指摘し、効果を疑問視する。『人間は矛盾を感じて不安定な心理状態になると、自分の都合の良いことだけを受け入れる傾向がある。五輪の熱狂に共感しても、自粛要請は受け流している人が多い』と語る。その上で『1回目の宣言から変わらず、外出自粛を求めるスローガンを繰り返しているだけ。高速道路料金や鉄道運賃を倍増させるなど、国や自治体は実効性を高める対策を早急に検討すべきだ』と提言する」

 

この分析には同感するところが多い。原田教授の指摘も的を射ている。しかし、毎日新聞にとっては「五輪中止」を掲げることはタブーなのか、そこまでは踏み込んでいない。政党の間でも「五輪中止」を主張しているのは共産党だけで、立憲民主党は「五輪中止は却って混乱を大きくする」(枝野代表発言、時事通信7月29日)との立場だ。また、何が何でも五輪開催にこだわるIOCは、アダムス広報部長が7月29日の記者会見で、新型コロナの感染拡大について「パラレルワールド(並行世界)みたいなものだ。私たちから東京に対して感染を広げていることはない」と述べ、東京五輪開催と感染拡大は無関係との認識を示したという。すでに大会関係者の陽性者は7月29日現在198人に達し、29日には1日当たり最大の24人の陽性者が発生しているというのに―、である(毎日7月30日)。

 

私は、「楽観バイアス」にとらわれているのは日本国民ではなく、菅政権とIOCだと思う。正確に言えば、彼らは「楽観バイアスにとらわれている」のでなく、「楽観バイアスを振りまいている」のである。菅政権にとっては政権維持のために、IOCは利権確保のために、いまや「五輪続行」が至上命題になっており、「五輪中止」は彼らの命運を断つ恐れがあるからである。

 

拙ブログのサブタイトルにも掲げたように、「元栓」を全開しながら「蛇口」をいくら閉めても「漏水」は止まらない。東京五輪と感染拡大の関係は、IOCが言うような「並行世界」ではなく、両者は緊密に結ばれた「共存世界」なのである。「元栓=五輪開催」を閉めない限り、「蛇口=自粛」をいくら閉めても「漏水=感染拡大」は止まらない。この自明の法則は、パラリンピック開催時までに証明されるだろう。それは、パラリンピック中止という大事件に発展するかもしれない。(つづく)

米紙ワシントン・ポスト、東京五輪は「完全な失敗」、五輪への期待は「熱気から敵意に」と論評、菅内閣と野党共闘の行方(36)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その261)

7月18日付の共同通信をネットで見て驚いた。東京五輪の現状についてこれほど的確な論評が出されるとは思いもしなかったからだ。ワシントン共同によると、米紙ワシントン・ポスト電子版は17日、開幕を23日に控えた東京五輪について、これまでのところ「完全な失敗に見える」と指摘し、1964年の東京五輪のように日本に誇りをもたらすことは期待できないと指摘した。新型コロナウイルス流行の影響で国民に懐疑論が広がり、当初の五輪への「熱気は敵意に」すら変わっていると報じたのである。

 

翌日7月19日には、時事通信がより詳しい内容を伝えた。米紙ワシントン・ポスト(電子版)は17日、今週開幕の東京五輪について「完全な失敗に向かっているように見える」と論評するコラムを掲載し、五輪招致の理念だった「おもてなし」の精神は後退し、外国人への警戒に取って代わられたと記した。新型コロナウイルス禍の中で開催を強行する国際オリンピック委員会(IOC)や政府の姿勢に国民の反発が強まり、「熱気は不満、無関心、ついには敵意に変わった」と論じた。敗戦からの復興を象徴した1964年の東京五輪と異なり、国家の誇りや経済効果は期待できないとも指摘。周囲と遮断された会場や納税者の負担となる膨大な請求書を見るにつけ「東京都民はなぜ、誰のためにこの犠牲を払うのかを自問自答している」と指摘した。

 

 もう一つ、私を驚かせた記事があった。それは毎日新聞が7月19日、「トヨタ、五輪関連CMの放送取りやめ」「社長の会場応援も見送り」と伝えたことだ。東京五輪の最高位スポンサーを務めるトヨタ自動車は、国内で予定していた五輪関連のテレビCMの放送を取りやめ、豊田章男社長ら関係者の開会式などへの出席も見送るというのである。毎日は、新型コロナウイルスの感染拡大で大会開催に慎重な世論が根強い中、自社のブランドにマイナスイメージが広がるリスクを避けたと分析している。

 

 続いて7月20日、今度は朝日新聞が「五輪最高位スポンサー、パナソニック社長も開会式見送り」と伝えた。パナソニックは最高位のスポンサー契約を国際オリンピック委員会(IOC)と結び、映像用の機材などを納入している。同社によると、業務上必要な幹部は会場に入るが、楠見雄規社長は開会式に出席しない方針だという。五輪に関しては、トヨタ以外にも協賛企業として「ゴールドパートナー」となっているNTTも幹部の開会式への出席を見送る考えだといい、五輪への対応を見直す動きが広がっている。もはや、東京五輪は企業にとっても「マイナスイメージ」に転化したのである。

 

 その一方、IOCバッハ会長は来日以来、連日「進軍ラッパ」を吹き鳴らしている。国際オリンピック委員会(IOC)総会が7月20日、都内のホテルで開かれ、トーマス・バッハ会長、菅義偉首相、五輪組織委の橋本聖子会長、JOCの山下泰裕会長らが出席した。バッハ会長は冒頭のあいさつに立ち、「世界中のアスリートが自分たちの五輪の夢を実現するのを楽しみにしてきた。アスリートは、日本国民の忍耐強さを共有する。今、舞台が整った。感動、涙、喜びがアスリートによって作り出される。それが五輪のマジックとなる。まさに日本も輝く時だ」「世界中の何十億という人々が五輪を楽しみ、日本の国民を称賛する」と滔々と述べたという。「日本はIOCのためにあるの!」「世界はIOCのためにあるの!」と高らかに歌い上げたのである。

 

IOCバッハ会長は先週、菅首相に対し「日本人に対する感染リスクはゼロ」「日本人は大会が始まれば歓迎する」と手前勝手なことを吹聴し、あまつさえ感染状況が改善すれば「有観客」を検討してほしいとまで要求している。東京都民や首都圏住民が感染爆発の危機に直面しているというのに、東京五輪さえ開催できれば、「後は野となれ山となれ!」の態度丸出しだ。それを黙って聞いている菅首相は馬鹿にされているとしか思えないが、本人はそれを自覚していないのだから仕方がない。これが日本の宰相だというのだから、国民は怒りを通り越して悲しくなる。

 

では、開催前の現実はどうか。五輪関係者や選手の中からすでに50人を超える感染者が出ており、濃厚接触者はそれを倍する勢いで広がっている。ところが、IOCは感染の実態を明らかにしない。「個人情報保護」と言って屁理屈で、感染の原因や実態を覆い隠し、「調整」とか何とか言ってとにかく競技をスタートさせることに必死なのだ。大会が中止になりあるいは途中で打ち切られることになれば、巨額の放映権料の返却が派生するので、犠牲者などは横目に競技を続行する以外に選択肢が残されていないのだ。

 

菅内閣はもはや国民の信頼を失っており、政権担当能力が疑われている。直近の世論調査によれば、全てのメディアで内閣支持率が政権発足以来の最低水準を記録している。不支持が最高水準に達しているのはいうまでもない。菅政権にとって誤算だったのは、ワシントン・ポストが指摘するように、東京五輪に対する国見感情が「熱気から敵意に」変化したことだ。菅首相は、国民が日本人選手の金メダルラッシュに狂喜乱舞すれば全ての暗雲が吹っ飛び、菅政権の将来が開けると期待していた。しかし、そこにはこれまで培ってきた政治経験と強権的手法があっただけで、政治哲学も科学的思考もなかった。

 

トヨタ自動車やパナソニックの態度は象徴的だ。東京五輪の最高位スポンサーが東京五輪から身を引くというのである。国民はもとより大企業からも見放された菅政権に未来はない。「叩き上げ者」の限界であり、終末である。(つづく)

野党共闘、最大の障害は枝野立憲民主党代表ではないのか、相次ぐ共闘否定の発言の裏にあるもの、菅内閣と野党共闘の行方(35)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その260)

 2021年7月4日投開票の東京都議選では、定数1~2人の選挙区を中心に立憲、共産両党が候補者をすみ分けし、野党共闘の成果を挙げた。一方、自民党は議席を伸ばしたものの、自公で過半数という目標には届かず、事実上敗北した。ところが、枝野立憲代表は7月6日の党執行役員会で、「自民党に代わる選択肢は我々しかないんだ、ということが十分に届ききっていない選挙になってしまった」と述べただけで、野党共闘については何ら触れなかった(朝日7月6日)。背景には、立憲は共産党と1~3人区で候補者を一本化して7議席伸ばしたものの、都民ファースト(31議席)や共産(19議席)などに及ばず、政権批判票の受け皿として存在感が発揮できなかったことがあるとみられる。

 

 枝野代表の野党共闘に対する否定的発言はこれにとどまらない。都議選最中の6月30日、枝野代表は記者会見で「わが党の公認・推薦候補の当選のために全力で仕事をするのが当然。それをやっていない議員らがいるとすれば信じられないし、許されない」と述べ、立民候補がいる選挙区への応援入りを求めた。その一方、立民候補不在の選挙区での共産候補への応援については、「そうはいっても都内各地で仲間が必死の戦いをしている」と否定的な考えを示す有様(産経6月30日)。要するに、枝野代表の本音は、表向きは野党共闘と言っていても、実質的には共産党との選挙協力はしないということだろう。

 

 決定的なのは、枝野代表が6月17日、連合中央執行委員会に出席し、次期衆院選に向けた共産党との協力について「理念で違う部分があるので共産党との連立政権は考えていない。共有政策でのパーシャル(部分的)な連携や候補者一本化に努力したい」と述べたことだ。会合は非公開だったが、枝野代表は終了後記者団にわざわざ発言内容を明らかにし、「私は従来、神津(里季生)会長などには話をしていたが、改めて連合の皆さんにお伝えをした」と説明した(毎日6月18日)。

 

 これを受けた連合の神津会長は6月17日、記者会見で「理念の違う共産との連立政権はないということを枝野代表が踏み込んで明確に言ったことは積極的に受け止めたい」と応じ、「立憲と国民民主が連立して、政権構想を打ち出すのは、多くの有権者の期待に応えるものだ」と評価した。また、中央執行委員会に同席した国民民主党の玉木雄一郎代表は、記者団に「共産党と連立政権を組まないと(枝野氏が)おっしゃったのは一歩前進だ。ほっとした」と歓迎した(同上)。

 

 一方、コケにされた共産党は枝野発言については「だんまり」を決め込んでいる。枝野発言は赤旗しんぶんでは一切報道されないし、紙面に溢れているのは楽観的な「野党共闘賛歌」一点張りだ。これでは赤旗だけを読んでいる読者は、今すぐにでも野党共闘が実現するかのような印象を抱くだろうし、一般紙を読んでいる読者は「先行き不透明」「五里霧中」との感を一層深くするだろう。自民党議員や閣僚がこれだけ「政治とカネ」の問題で腐敗しきっているというのに、政党支持率で立憲や共産の支持率が依然として低迷しているのは、野党共闘の行く先が見えないためだ。

 

 この動きに右からの一石を投じたのは、国民民主党の榛葉幹事長(参院議員)だ。国民民主党は7月7日、役員会で次期衆院選に向けて連合が求めていた立憲民主党との政策協定を拒否する方針を決めた。連合は当初、連合、立憲、国民民主の3者で結ぶ形を求めてきたが、榛葉幹事長は終了後の記者会見で、立憲とは「主義主張、政策、運動論が異なる」としてこれを拒否、むしろ都民ファーストとの連携に期待を示した。2017年の衆院選では、玉木代表を含む国民民主の多くの議員が、小池氏の率いる「希望の党」の候補として選挙戦に臨んだ。都民ファーストには連合東京の組織内議員もいて、親和性は高いという(朝日7月8日)。

 

 私は国民民主のこの動きを見て、2017年衆院選における前原民進党代表、小池知事、神津連合会長の3者共謀による「民進党解体劇」を思い出した。自民党と希望の党による保守2大政党制を形成して政権を安定させるため、前原氏と小池氏が神津連合会長の後押しで(おそらくは政権中枢幹部の承認のもとに)、野党第一党の民進党を解体してリベラル派を追い出すという〝クーデター〟が決行されたのである。この時、枝野氏はただ単に前原氏との権力闘争に敗れただけで、特に思想上の対決や政策上の違いがあったわけではない。小池氏の手法が余りにも強引で有権者の反発を招き、その結果として枝野氏が「少数派=リベラル派」と見なされたにすぎない。枝野氏はもともと「保守」を自認する政治家であって、民主党政権時代の官房長官としての言動を見れば、その主義主張の所在は明らかだ。

 

 ところが、その後の事の成り行きで、いつの間にか枝野氏が立憲民主党代表となり、野党共闘論議が盛んになる中で、共産党までが首班指名選挙で枝野氏に投票するという事態に発展した。こうして、枝野氏には「野党共闘の要=リベラルの星」というイメージが作られ、野党共闘の行方があたかも枝野代表の手中にあるかのような幻想が広がったのである。しかし、私は枝野氏が立憲民主党を代表しているとも思わないし、枝野代表が「野党共闘の要」だとも思っていない。むしろ、枝野氏が立憲民主代表の座にある限り、野党共闘は永遠に進まないと考えている。野党共闘の最大の障害は枝野氏自身であり、枝野氏が代表の座から降りない限り野党共闘は実現しない。立憲民主党や共産党がそのことに気付くのはいったい何時の日であろうか。(つづく)

 

京都市は京都弁護士会の意見書を尊重しなければならない、理を尽くした意見書を無視すれば、さらに市民の反発を招くだろう(その2)、コロナ禍でも突き進む京都観光(番外編7)

 

 京都弁護士会は、京都市、京都市建築審査会、京都市美観風致審査会に対して、仁和寺前ホテル建設計画の「特例許可」は行うべきでないと意見書で述べている。建築基準法は、第48条第5項ただし書において「特定行政庁(京都市)は、周辺市街地環境を害するおそれがない場合又は公益上やむを得ないと認められる場合に限って許可(特例許可)を与えることができる」とあるが、本計画は特例許可に該当しないとしている。

 

 また、当該ホテル計画は世界文化遺産御室仁和寺の門前であり、同計画の敷地は世界文化遺産のバッファゾーン(緩衝地帯)に含まれていることから、世界遺産の「真正性」「完全性」の保障のために、世界遺産委員会に対して反対意見や公聴会の状況も含めて正確に報告し、その意見を求める手続きを取ることも求めている。

 

 だが、問題なのは、京都市がこの特例許可についての基準を定めていないことから、その時々の市当局の意向によって融通無碍に解釈されることであろう。この点、意見書は、和歌山市の「建築基準法第48条ただし書許可に伴う建築審査会付議基準及び事務要領」を参考事例に挙げている。同要領には、以下のような基準が示されている。

 「法第48条に規定する用途規制は、都市計画における土地利用の実現を図るとともに、市街地の環境を保全するためのもっとも基本的な制限であり、建築物の密度、形態等の制限とあわせて、健康的で文化的な都市生活を実現させ、都市活動をより機能的なものにするため定められたルールである。これにより、市街地を構成する各建築物、各用途相互の悪影響を防止するとともに、それぞれの用途に応じ十分な機能を発揮させようとしている」

 「例外許可は、この基本となる用途規制を補完して、地域の実情に合わせ、より柔軟な規制をするための緩和措置として行われるが、その濫用は基本制度の形骸化を招くおそれがあるため、やむを得ない場合に限り、周辺の土地利用状況を考慮し、かつ利害関係を有する者の意見を尊重し適切に運用するものとする」

 

 この基準からすれば、仁和寺前ホテル建設計画は、建築基準法(第一種住居専用地域)のみならず各種の歴史的景観規制(世界文化遺産仁和寺の緩衝地帯、古都保存法に基づく歴史的風土保存区域、京都市風致条例に基づく風致地区第3種地域及び仁和寺・龍安寺周辺特別修景地域)が二重三重にかけられている保全地域において、まるで「殴り込み」をかけるような暴挙(環境破壊、景観破壊)であることがわかる。

 

 このような世界でも稀な貴重な歴史景観地域(だからこそ、世界文化遺産に登録された)に、「上質」であろうがなかろうが、観光施設である宿泊施設などを建設することはもっての外であって、良識ある市民であれば即座に却下して然るべき代物である。それをこともあろうに、「上質宿泊施設候補選定のための有識者会議」なる業界関係者が、「京都、御室仁和寺門前に固有の伝統と文化を理解し、その門前に立地することをよく理解した上で、地域の伝統的特質の継承を目指す姿勢は上質な宿泊施設として期待できる」として、ホテル計画にゴーサインを出すのだから、呆れてものが言えない。

 

 しかし、問題はそれだけでない。「上質宿泊施設」事業者の「共立メンテナンス」(東京都)が、実は数々の不当労働行為やパワーハラスメントを繰り返している悪質な企業であることが判明してきた。『京都民報』(2021年6月6日付)によれば、その悪行は枚挙の暇もない。

 (1)2018年7月30日、共立メンテナンスが経営するホテルにおいて、ホテル従業員が上司からパワハラを受けたとして上司と同社を相手取り損害賠償を請求したところ、東京地裁が両者に損害賠償の支払いを命ずる判決を言い渡した。

 (2)2020年4月26日、共立メンテナンスが大阪府守口市から児童クラブの運営を委託したが、同社は2020年3月末に指導員13人を雇い止めにしながら労組との団体交渉を拒否。中央労働委員会は4月26日、不当労働行為に当たるとして団体交渉を命じた。

 (3)これらの法令違反によって、大阪府は2020年6月12日までの1カ月、守口市は8月20日までの3カ月、共立メンテナンスの入札参加を停止した。また、京都市も2021年5月18日、別件の法令等違反で共立メンテナンスに「違反が是正されるまで」(2カ月以上)の入札参加を停止している。

 (4)京都市は、これらの事実を把握しながら「有識者会議」には一部しか報告をせず、「有識者会議では計画が評価されており、市としては雇用創出の面など『総合的に判断して』候補に選定した」と市議会で答弁している。

 

 門川市長は、2016年に宿泊施設誘致拡充政策に乗り出したころ、富裕層観光の意義を正規雇用増加の面から強調していた。

 「今、京都では観光がとても活況なのに、市の税収が全く伸びていません。その理由は、宿泊施設や飲食店といった観光業で働く人の75%は非正規雇用であることと無関係ではないと考えています。製造業は非正規雇用の比率が30%です。観光業の非正規雇用の比率がこのままだと、持続可能な産業ではなくなるような気がします。対策の一つが付加価値の高いサービスを提供する宿泊施設を増やし、富裕層に来てもらうことです。金持ち向けのホテルを作りたいというのは、観光業に従事する人の収入を増やし、正規雇用を増やすためです」(『日経ビジネス』2016年5月9日号)。

 

 このため、2017年には「上質宿泊施設誘致制度」を設け、デービッド・アトキンソン(菅内閣成長戦略会議委員)の指南を受けて、「富裕層観光=5つ星ホテル」の誘致に狂奔してきた。2018年末の記者会見では、すでに市内宿泊施設が誘致目標の2020年4万室を大きく超え、5万室を超える勢いになっていたにもかかわらず、「市中心部での宿泊施設の増加抑制は、市場原理と個人の権利を最大限尊重する政治経済や現在の法律では困難」と平然と述べ、「周辺部などで高級施設を増やすことが抑制策になる」とうそぶいていた。要するに、ラグジュアリーホテルを誘致することが目的であり、そのためにはその時々の思い付きを理由に並べてきただけなの話なのである。

 

 「正規雇用」を増やし、「質の高いサービスを提供する高級宿泊施設を増やす」ためと称して、従業員にパワハラと不当労働行為、法令等違反を繰り返す悪質業者を「上質宿泊施設候補」に選定する――、こんなブラックジョークにもならない門川市政は徹底的に糾弾されなければならない。4期目の任期完了を待たず、大々的なリコール運動を始める準備をしなければならない。今がその時である。(つづく)

京都市は京都弁護士会の意見書を尊重しなければならない、理を尽くした意見書を無視すれば、さらに市民の反発を招くだろう(その1)、コロナ禍でも突き進む京都観光(番外編6)

 

2021年6月25日付けの京都弁護士会意見書、「仁和寺門前の『(仮称)京都御室花伝抄計画』についての意見書」(以下「意見書」という)を読んで、改めて京都弁護士会は立派な仕事をしていると思った。京都弁護士会は、これまでも京都のまちや景観を守るうえで数多くの意見書を提出し、また個々の弁護士たちが市民のまちづくり運動を積極的に支援するなど、その存在感には目を見張るものがある。

 

京都市の審議会や委員会には数多くの専門家が名を連ねているが、弁護士の数はそれほど多くない。法律上どうしても意見を求めなければならない場合を除いて(建築審査会など)、市当局が弁護士を起用するケースが少ないからである。学者の中には専門領域を超えてまで多数の審議会・委員会を渡り歩く人物が見られるが、市の顧問弁護士ならともかく、弁護士の場合はそのようなケースは見られない。

 

 意見書の内容について入る前に、京都市から公開されている「広報資料、上質宿泊施設候補の選定について」(2021年4月19日)を見よう。まず第1に注目されるのは、「上質宿泊施設候補選定のための有識者会議」5人の顔ぶれである。座長は市観光振興審議会常連の大学教授、副座長はホテルプロジェクトアドバイザー、その他は市観光協会幹部などすべてが業界関連メンバーで占められている。当然のことだが、「上質宿泊施設」は旅館業法に基づく宿泊施設の一種であり、それを建築基準法などにより宿泊施設の立地や建設が規制(禁止)されている地域にも広げようとする〝規制緩和〟の産物にすぎないからだ。

 

この選定会議は「有識者会議」などという尤もらしい名前が付けられているが、は、その中身は、宿泊施設の立地規制や建築規制などを緩和するための御用会議にすぎない。要するに、市民には学術的検討をしたように見せかけるため「有識者会議」などと称して会議を開催するが、結局はあれこれ理屈を並べて「ゴーサイン」を出すための仕組みなのである。つまり「有識者会議」が組織される段階で、すでに市当局の方針は決まっており、それをオウム返しに追認する「有識者」を揃えれば、それでことは終わりなのである。

 

 「京都市上質宿泊施設誘致制度要綱」には、もっぱら観光振興の視点から次のような要件が記されている(要約)。

 (1)市は、宿泊施設の立地が制限されている区域(住居専用地域、工業地域、市街化調整区域)において、地域活性化、京都経済の発展に貢献する宿泊施設を「上質宿泊施設」として誘致する。

 (2)上質宿泊施設候補要件(共通要件)は以下の通り。

・山間地域など周辺地域の魅力を最大限に活用した計画であること

・長期の事業計画であり,安定した雇用の創出など地域経済や活性化に寄与するものであること

・地域住民との意見交換・合意形成がなされた地域と調和した計画であること

・市内産品・サービス(伝統産業製品,市場流通・市内産食材,市内産木材等)を活用した計画であること

・その他市の方針や政策(防災,福祉,環境対策)に寄与する計画であること

(3)各施設タイプの主な要件

・ラグジュアリータイプ、上質な宿泊体験やサービスを提供し,京都の奥深い魅力や文化を堪能できる宿泊施設

・MICEタイプ、MICE機能をはじめ,地域産業活性化に寄与する機能を持った宿泊施設

・地域資源活用タイプ(オーベルジュタイプ,歴史的建築物タイプ)、特にその場所や建物の特性などの地域資源を活用したサービスを提供する施設

 

ここには、「上質宿泊施設」が歴史的文化財や世界文化遺産の保護政策に抵触することはまったく想定されていない。関連する市の方針や政策として取り上げられているのは、防災、福祉、環境対策だけであって、歴史的文化財や世界文化遺産との関係については一切触れていないのである。このことは、「上質宿泊施設」が文化財保護政策には抵触しないことを条件に、規制緩和される宿泊施設であることを意味している。

 

 ところが、「上質宿泊施設候補選定のための有識者会議」は、京都市上質宿泊施設誘致制度要綱の規定に反して、世界文化遺産緩衝地における「上質宿泊施設候補選定」の協議を行った。歴史的文化財や世界文化遺産に関して協議する資格のない「有識者会議」が、世界文化遺産緩衝地における上質宿泊施設選定に関する協議を行い、あまつさえゴーサインを出したことは、越権行為そのものであって行政上の正統性は何ら担保されていない。以下、その不当極まる協議内容を紹介しよう(要約)。

 

 (1)今回の計画は、周辺住民の理解と協力を得るため、事業者が2017年10月に仁和寺門前まちづくり協議会と協議を始め、2018年5月の協議会総会で承認された。事業者は、周辺住民から示された住環境や景観等の保全に関する意見に対して計画を変更するなどの意見調整を重ねた。

(2)一方、世界文化遺産仁和寺の環境を考える会から京都市長宛に「世界文化遺産仁和寺周辺地域の景観と住民の生活環境を守る要望書」が2019年9月に提出された。また、2019年12月には京都・まちづくり市民会議から市長宛に「世界文化遺産仁和寺門前のホテル計画に関する公開質問書」が出される等,ホテル計画の中止への賛同を募る活動が続けられた。

(3)懸案だった計画地の利用を巡って長年活動してきた仁和寺門前まちづくり協議会の努力を思うと、今回,計画中止を求める意見がでていることはたいへん残念である。事業者の努力だけでは乗り越えるのは難しいが,周辺住民に対して説明と意見調整を粘り強く重ねてきたこれまでの努力と、上質宿泊施設候補の選定後も説明を続け、意見を聴き、地域貢献に取り組んでいくと宣言した姿勢は評価できる。

(4)事業者は、この計画において真言宗御室派総本山仁和寺門前に建つがゆえに総本山への敬意を払うとともに、御寺の支援の下、参拝等を通じて宿泊客の崇仏の念に応える取組を提案している。京都、御室仁和寺門前に固有の伝統と文化を理解し、その門前に立地することをよく理解した上で、地域の伝統的特質の継承を目指す姿勢は上質な宿泊施設として期待できる。

(5)この計画では,事業者と設計者が京都市の定める「京都市優良デザイン促進制度」による専門家のアドバイスを受け,「事前協議(景観デザインレビュー)制度」の歴史的景観アドバイザーと協議し,建物デザインを検証し,世界文化遺産・仁和寺とその周辺への影響を抑え,優れた景観を創出する努力を続けてきた。これらの制度は,1994年の世界文化遺産登録後,京都市が1995年の市街地景観整備条例制定,2007年の新しい景観政策として,全国で初となる眺望景観創生条例を制定し,2018年に同条例を改正するなど発展させ,市民・関連事業者と協議を重ね,進化させた制度であり,世界遺産の緩衝地帯にふさわしい建築デザインを実現する制度である。この計画の事業者は,その点を理解し,再三にわたり計画変更を重ねている。

(6)とは言え,この計画建物は3階建ながら,用途地域の制限の3千㎡を上回る,建築基準法の用途の許可が必要となる建築物であり,周辺に長く住む住民に懸念があることは確かである。また,市内では,この間急激に増加した観光客が,新型コロナウイルス感染症の拡大により急減し,ホテル建設の是非を巡る意見がでている。しかしながら,世界文化遺産・古都京都の文化財は,適切に保存しつつも,周辺住民と京都市民が独占すべきではなく,日本人はもとより世界人類にも広く公開すべきものである。古都京都の文化財の公開を通じて,世界の人々が京都に集い,文化や習慣の多様性を認め合いながら自由に交流することは,世界人類の相互理解,ひいては世界平和につながる。このことは十分理解されていると考える。

 

 まるで、事業者の「お抱え有識者会議」ともいうべきズブズブの内容であるが、これに対して京都弁護士会は如何なる意見表明をしたか、次回はその内容を紹介しよう。(つづく)

イタリアのベネチアがオーバツーリズム(観光公害)で「世界危機遺産」に登録勧告、京都の世界文化遺産も仁和寺前ホテル建設計画で同様の運命に、コロナ禍でも突き進む京都観光(番外編5)

 1987年に世界文化遺産に登録されたイタリアの「ベネチアとその潟」に対し、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の諮問委員会は2021年6月21日、同地域を危機にさらされている世界遺産「危機遺産」のリストへの登録を勧告した。危機遺産とは、武力紛争、自然災害、観光開発などにより「普遍的価値を損なう重大な危機」にさらされている世界遺産のことを指すが、イタリアの「ベネチアとその潟」が遂にその仲間入りをしたのである(TBSニュース、6月23日)。

 

ベネチアは、かねてから観光目的のための建物改造や大規模なインフラ整備など、「人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例」(世界文化遺産登録基準4)の破壊が急速に進んでいた。住宅を宿泊施設に改築するいわゆる「民泊ホテル」の激増、大型クルーズ船の就航にともなうレジャー施設の開発、潟一帯の生態環境の破壊など、往年のベネチアの面影が日に日に壊されていくと多くの市民は嘆いていたのである。

 

この状態に対してユネスコの諮問委員会は、ベネチアはもはやその限界に達したと判断し、今回「危機遺産リスト」(現状が改善されなければ世界文化遺産登録が取り消される)に加えることを勧告した。諮問委員会は、調査報告書の中でその理由を「極度に多い数の観光客が街の収容力や住民の生活の質と密接に関係し(その容量を超え)、この土地の『普遍的価値』を脅かす主な要因となっている」と指摘し、「いくつかの問題は改善されてきたが、重大な問題が未解決のままだ」として勧告に踏み切った。「危機遺産リスト」への登録は、来月の世界遺産委員会で議論される予定になっている。

 

私がこのニュースを知ったのは、中京区の登録会館で開かれたシンポジウム「京都の歴史遺産、過去・現在・未来―京都にはもうホテルはいらない」の翌日のことだった。6月27日朝8時からのテレビ番組「サンデーモーニング」を見ていると、その中でベネチアの世界危機遺産入りのニュースが紹介され、あまりの偶然に驚いたのだった。なぜかというと、前日のシンポジウムでは仁和寺前ホテル建設計画に関連して、数多くの世界危機遺産の事例が報告されていたからである。

 

当日のシンポジウムの様子をもう少し詳しく紹介しよう。「歴史的文化財と観光公害―仁和寺前ホテル計画の中止を―」と題して講演されたのは、環境政策の泰斗であり学士院会員の宮本憲一先生。宮本先生は91歳のご高齢でありながら、京都の現状と未来を案ずるあまり、「仁和寺前ホテル計画の見直しを求めるアピール」の呼びかけ人になられ、今回のシンポジウムでも講演を引き受けられた。

 

講演の中で、宮本先生は「歴史的文化遺産は現状維持保存が原則」とする視点からこう訴えられた。

「歴史的文化遺産は保蔵文化財・建築物の歴史的な文化財としての価値によって決まるだけでなく、緩衝地の自然・景観・周辺のたたずまい・町並みとの調和=原風景によって選定されている。歴史的文化遺産の環境アセスメントは緩衝地の価値が中心である。文化遺産の本体と緩衝地域は一体となって選定されている。したがって、原則として、建造物などの文化財の保存と同時に緩衝地の重大な変更を禁じ、原則は選定時の形状維持である。例えば彦根城が歴史的遺産に選定されなかったのは、緩衝地が城下町の街並みを破壊していたためである。それほど歴史的文化遺産にとっては緩衝地と一体化した原風景が貴重なのである」

 

「今回の門前ホテルの建設計画は後述のように歴史的文化遺産とは全くかかわりのない現代的宿泊施設であり、仁和寺が選定された時の原風景維持にそぐわないものである。後述のように京都市の「上質宿泊施設候補の選定について」などの市当局の審議過程は、歴史的文化遺産の保持を主とした理念ではなく、京都市の観光宿泊客増加、富裕層観光客の優先誘致、外国観光客の増加誘導という観光収入増大の目的を主体として、これまでの規制を緩和したのである。このためにこの門前ホテル計画は千年の古都を保存し、歴史的文化遺産を世界に誇るという崇高な政策理念ではなく、経済主義の観光事業に偏していると言わざるを得ない」

 

短い文章ながら、ここには世界文化遺産における緩衝地の重大な役割が端的に指摘されており、その緩衝地を破壊して建設計画を強行しようとする民間業者及びこれと結託している市当局の不当性が余すところなく暴露されている。いわば、世界文化遺産を食い物にして観光事業を展開しようとする民間業者の企みを「上質宿泊施設誘致制度」という政策で覆い隠し、市当局が率先して緩衝地の破壊に手を貸している有様がここでは鋭く告発されている。

 

加えて、注目すべきはシンポジウムの前日(6月25日)、京都弁護士会の機関決定として、弁護士会長名で「仁和寺門前の『(仮称)京都御室花伝抄計画』についての意見書」が出されたことである。宛先は京都市長、京都市建築審査会会長、京都市美観風致地区審議会会長の3人である。次回は、その内容を報告する。(つづく)

ポストコロナ戦略のない観光政策ではこの難局を乗り切れない、コロナ禍でも突き進む京都観光(番外編4)

 

観光学者でもなく経営学者でもない私が、京都の観光需要の落ち込みについてあれこれ言うのは慎まなければならないと思う。ところがその一方、京都市の観光政策について物言う研究者がいないのはおかしい―とも思うのである。市の観光関係の審議会や有識者会議に出ている常連メンバーは、市役所のなかでは活発に議論するが市民の前には滅多に出てこない。「市民に対する発言は謹んでほしい」とでも言われているのだろうか。

 

門川市政(2008年~)がスタートしてから今年で13年目、新型コロナパンデミックが発生してから2年目になる。門川市政は4期目(2024年)で終わるが、このままでは晩節を全うするのは難しい(できそうにない)。同じ状況にありながら、1期目の西脇京都府知事にはなんとなく余裕が感じられるのに対して、後のない門川市長の顔はいつも引きつっている。よほどストレスが強いのだろう。

 

門川市政は、第2次安倍政権(2012年~2020年)の「観光立国政策」とともに歩いてきた(というよりは、そのお先棒を担いで突っ走て来た)。官房長官時代の菅氏ともよしみを通じ、門川市政は観光立国政策の表舞台に立ち続けてきたのである。この上意下達の構造が、京都の観光政策を縛っている。国の方針が変わらない限り、市の観光政策も変更できない仕組みが出来上がっているからである。

 

菅政権は、今回発表した「骨太の方針」においても「2030年6000万人」のインバウンド目標は変えていない。最近閣議決定された「観光白書」においても、この目標は金科玉条のごとく掲げられている。だとすれば、門川市政が国の意に反してインバウンド目標のダウンサイジングに繋がるような政策を打ち出すことができない。具体的な数字目標を挙げることは避けているものの、観光政策の基調が依然として国の「2030年6000万人」に合わせて設定されているので、観光客の制限や宿泊施設の縮小を大胆に打ち出すことができないのである。

 

門川市政が国の「下請け」になる中で、市の審議会や有識者会議の顔ぶれも劇的に変わってきた。かっては学識豊かな碩学が審議会会長や有識者会議座長を務めるのが習わしだったが、最近はコンサルタントまがいの研究者がその座に就くようになった。もはや市独自の政策を考える必要がなくなったため、国から降りてくる政策を都合よくこなすキャラクターが求められるようになったのである。国や市の意向を素早く察知し(忖度し)、それを外国語にまぶして粉飾し、見た目をきれいに仕上げる「ケーキ職人」まがいの研究者が持てはされるようになったのである。

 

しかも、この種の研究者が「専門分野」を超えて多用されるようになったことも最近の門川市政の特徴だろう。御用学者といえども、かっては一応「専門分野」の縛りがあった。学識経験者はそれぞれの専門分野に応じて起用され、専門外の分野にまで口を出すことはなかった。それが最近では市長の「お気に入り」となると、観光研究者でありながら総合計画や財政運営にも口を出すようになり、市長の意向を代弁するような人物があらわれてきたのである。このような事態は「側近政治」ともいわれ、菅政権における竹中平蔵氏やデービッド・アトキンソン氏、あるいは先日暴言で辞任した高橋洋一氏などの顔が目に浮かぶ。いずれも「学者」の範疇には収まらない個性的な人たちであるが、それだけに権力の後ろ盾がなければ人生を全うできない人たちでもある。

 

門川市長はかって宿泊施設の増加は、「資本経済の流れであり、規制できない」というのが身上だった。それが市民からの観光公害、オーバツーリズム批判を受けて一時的には「宿泊施設お断り」の宣言を出すところにまで追い込まれたが、それを実現するための方策は皆無だった。かくして、京都はホテルも民泊(簡易宿所)も満杯状態になり、それがいまコロナ禍のもとで逆境に喘いでいるのである。

 

だが、菅政権がそうであるように、門川市政もこの難局を打開しようとする戦略もなければ政策も持っていない。端的に言えば「成り行き任せ」であり、これからも時の流れに身を委ねるだけの姿勢に終始するだろう。資本経済の流れは、観光バブル期に爆発的に増えた宿泊施設は、コロナ禍にあっては容赦なく淘汰されるというものである。門川市政はこの経済法則に則り、過剰になった京都のホテルや民泊施設が廃業に追い込まれるのを放置するだろう。そこに政策的に介入し、時の流れに「掉さす」ようなことはしたくないからである。

 

だが、そこに一つだけ政策らしいものがあるとすれば、それは低質な宿泊施設の淘汰はこのまま放置するが、「上質宿泊施設」の誘致は継続するというものである。仁和寺前のホテル建設計画はその一環であり、あらゆる口実を設けて推進する姿勢は変わらない。そこには、おそらく「観光マフィア」といった闇の組織が介在しているのだろうが、今のところはまだわからない。

 

それにしても、この事態は「オリンピックマフィア」ともいうべきIOCの下で強行される東京五輪の構図と酷似している。日本国民の生命の安心安全に何等考慮することなく、「国際興行師」の本性を丸出しにして利権や興行収入の確保だけに突っ走るIOCの姿勢は、もはや誰に目にも明らかではないか。菅政権もスポンサーの利権を確認するため、国民の生命を犠牲にして「成り行き」に身を任せている。そこには、インド株への置き換えにともなう再感染の危険やリバウンドの可能性には目をつぶり、政策転換の可能性を検討しようともしない無能さがあるだけだ。

 

コロナ禍によって淘汰される京都の宿泊施設は膨大な数に上るだろう。それだけではない。宿泊施設が廃業した後の地域はそれ以上の打撃を受けるだろう。歴史ある京都の「まち」が食い荒らされてゴースト化し、京都のまちの品格が失われて心ある観光客は寄り付かなくなるだろう。こんな事態を避けるためにも、門川市政の「側近政治」には終止符を打たなければならない。それが、京都が世界のなかで生き残る唯一の道である。