「政策協定」はするが「連立政権」は組まない、立憲民主党枝野代表の思惑はいったどこにあるのか(その2)、菅内閣と野党共闘の行方(44)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(269)

 

立憲民主党枝野代表の連立政権否定論の本質は、9月1日の共同通信インタビューや9月9日の日経新聞インタビューにもよくあらわれている。キーワードは「考えられない」という言葉だろう。枝野氏は、共産党との連立政権は「考えられない」と何度も明言している。「考えられない」という言葉を類語辞典で引いてみると、「全くありそうもない」「想像不可能」「あり得ない」「とんでもない」と言った意味が並んでいる。要するに、枝野氏は共産党との連立政権を原理的に否定しているわけで「考える余地はない」というものである。交渉用語でいえば、いわゆる「ゼロ回答」だということだ。

 

意味深長なのは、枝野氏が「考えられない」という言葉に続いて、「この点は共産党も理解いただいていると思う」と言っていることだろう。「と思う」という表現は、枝野氏の個人的意向をあらわすものだが、言わんとするところは「共産党もこの点は分かっているはずだ」ということだ。言い換えれば、連立政権は原理的に無理だから、「いくら言っても無駄ですよ!」と念を押しているのである。これが「最終的には選挙までに説明する」ことの意味であり、政策協定によって「パーシャル(部分的な)な連携」はするが、連立政権は絶対に組まないと宣言しているのである。

 

枝野氏は「本物の保守」「保守本流」だと自称しているように、おそらくは革新勢力とは縁もゆかりもない人物なのだろう。「非自民・非共産」を掲げる日本新党に参加したことが政治家としての出発点だったように、枝野氏の「非共産」は遺伝子レベルの体質であり〝母斑〟と言ってもいい。一方、枝野氏にとって「非自民」は必ずしも「非保守」を意味しない。現在の自民党のような古い体質の「旧保守」は批判の対象になるが、「新保守」に生まれ変われば、明日にでも手を組む相手になると考えているのである。枝野氏自身も最終的には「保守新党」の結成を目指しているように、現在の立憲民主党は「仮の宿」にすぎない。

 

一方、共産党の方はどうか。『AERA』2021年9月13日号に掲載された志位委員長のインタビュー記事の概要は以下の通りだ(AERAdot.9月12日、抜粋)。

――衆院選では、共産党は「野党共闘」を強くアピールしています。特に立憲民主党にはかねて「野党連合政権」を呼び掛けてきました。菅自公政権への批判が国民からこれだけ広がっていたわけですから、野党の姿勢も問われていると思います。

 「わが党は、新自由主義からの転換、気候危機の打開、ジェンダー平等、憲法9条を生かした平和外交、立憲主義の回復などを争点として訴えていきます。他の野党とかなりの部分で方向性は一致すると思います」

── 一致できない部分はどうしますか。特に日米安保条約に関しては共産党は「廃棄」ですが、立憲民主党は「日米同盟を外交の基本」としています。天皇制についても共産党は「天皇制のない民主共和制」を目指し、一方の立憲民主党は「象徴天皇の維持」を掲げています。

 「政党が違うのだから、政策が異なるのは当たり前です。不一致点は共闘には持ち込みません。共闘は一致点を大切にして前進させるという立場を堅持します。天皇の制度については、天皇条項も含め『現憲法の前文をふくむ全条項を守る』ということがわが党の立場であり、この点では一致するでしょう。野党が共通で掲げる政策を大切にしながら、党独自の政策も大いに訴えていく。二段構えで進むというイメージです」

──政権交代をしたら、共産党は連立政権に加わりますか。

「『閣内協力』か『閣外協力』か、どちらもありうると一貫して言ってきました。話しあって決めていけばいいと思っています」

──それにしても、2009年に民主党が野党から与党になった時、ここまで共産党は柔軟な姿勢ではなかったと思います。

 「私たちが変わったことは間違いありません。今までは独自の道をゆくやり方でやっていましたから。しかしそれでは、あまりにひどくなった今の政治に対応できないと考えました。特に15年の安保法制の強行成立は、日本の政治にとって非常に大きな分水嶺でした。憲法9条のもとでは集団的自衛権は行使できないという憲法解釈を一夜にしてひっくり返し、自衛隊を米軍と一緒に海外で戦争できるようにするという、立憲主義の根本からの破壊でした。破壊された立憲主義を回復することは、国政一般の問題とは違う次元の問題として捉え、この年に共闘路線に舵を切ったのです」

──とは言え、立憲民主党は「保守」を自認しています。その保守と「筋金入りのリベラル」の共産党とが共闘を組むのは水と油のようにも映ります。

 「1960年代から70年代の統一戦線は、共産党と社会党の統一戦線、革新統一戦線でした。今回は保守の方々と共産党との共闘が当たり前になっている。これは現政権がまともな保守ともよべない反動政権に堕していることを示していると思います」

──野党共闘で戦う上で不安材料はないのでしょうか。

 「共闘を成功させるには、『対等平等』『相互尊重』が大事だと考えています。今年4月に広島、北海道、長野で行われた国政選挙でも、8月の横浜市長選でも勝利を勝ち取ったことは大きな成果ですが、『対等平等』『相互尊重』は今後の課題となりました。衆院選は、この二つの基本姿勢をしっかり踏まえてこそ一番力ある共闘になるし、成功すると考えています」

──対等平等でもなく相互尊重もされていなかったら、共闘はやめるのでしょうか。

 「そう単純なものじゃありません。ただ、本当に力を出すには『対等平等』『相互尊重』はどうしても必要だということです」

──枝野代表との信頼関係は。

 「私は信頼感を持っています」

 

志位委員長の発言の核心部分を要約すると、以下のような注目すべき内容が浮かび上がる。

(1)2015年の安保法制の強行成立による立憲主義破壊(集団的自衛権は行使できないという憲法9条の解釈変更)を、国政一般の問題とは違う次元の問題として捉え、この年に(自共対決路線から)野党共闘路線に舵を切った。

(2)1960年代から70年代の統一戦線は、共産党と社会党の統一戦線すなわち「革新統一戦線」だったが、今回の野党共闘は反動政権に対する「保革連携戦線」ともいうべきものであり、「保守」を自認する立憲民主党との共闘に違和感はない。

(3)野党共闘を成功させるには「対等平等」「相互尊重」が大事だが、それが無視されたからと言って共闘を止めるほど政治は単純なものではない。枝野代表には信頼感を持っている。

 

志位発言をどう分析するか、残念なことに私にはそれだけの蓄積がない。国民一般(共産党支持者を含めて)の印象から言えば、これだけ立憲民主党にコケにされながら、なぜ共産党はおめおめと付いていくのか――といったことになるが、志位発言がこのような国民の素朴な疑問に対して納得できる回答になっているかどうか、私には判断できないのである。とはいえ、私なりの幾つかの感想を述べれば、次のようなことになる。

(1)2015年の安保法制の強行成立による立憲主義破壊を契機にして「野党共闘路線」に転換したとあるが、すでにそれ以前から「独自の道を行くやり方」(自共対決路線)は国民感覚から遊離しており、破綻していたのではないか。弱小政党の共産党が幾ら自民党批判を試みても国民の共感を呼ぶことができず、政治的実行力を伴わない政治批判は宙を舞うだけだった。

(2)1960年代、70年代の「革新統一戦線」の相手である社会党が消滅したことも大きかった。社会党が「自社さ連立政権」を組むことで革新統一戦線から離脱した結果、国民の前から国政革新勢力の姿が見えなくなった。加えて、革新統一戦線の中核を担った世代の高齢化が進み、その後の世代交代が進まなかったこともあって、共産党が独自で事態を打開していく力も衰えた。小なりといえども共産党が政治的存在感を発揮するには、反動政権に対する「保守連携戦線」を構築する以外に道がなかったのだろう。

(3)野党共闘における「対等平等」「相互尊重」を強調しながらも、立憲民主党がそれを守らなかった場合の対応があいまいなのは、野党共闘から決別した場合の痛手が大きいからだ。この曖昧さは、曖昧な妥協を重ねるしかない弱小政党の共産党の苦しい内部事情を反映している。機関紙「しんぶん赤旗」では、連日悲鳴とも聞こえる読者拡大、党勢拡大の掛け声が続いているが、私の周辺では「もはや身体が動かない」支持者が多数派となっている。こんな旧態依然のやり方では、党勢拡大の掛け声が宙に舞うだけで共産党の再生は難しい。

(4)志位委員長が党首に就任してからはや20年余を数えるが、この間、党首交代は一度も実現していない。そして、日を増すごとに志位委員長の一言で党の方針が決まるような傾向が強まっている(そう見える)。自民党が総裁選で華々しく党首を選んでいるにもかかわらず、共産党は党員や支持者による党首直接選挙を一度も実施していない。これではどちらが国民に「開かれた政党」なのか、一目瞭然ではないか。国民は敏感だ。国民の前で共産党幹部が党首選挙をめぐって論争する――、こんな光景が日常的に展開するようにならなければ、共産党がどんな政策や方針を出しても国民には信頼されない。透明性のあるプロセスのなかで政策や方針が議論され、決定されていくのでなければ国民は政党を信頼しないのである。共産党の政党支持率が数パーセントを越えないのは、このあたりに根本原因があるのではないか。

 (5)野党共闘の「政策合意」を「政権協力」「選挙協力」にステップアップする道は限りなく遠い――、これが私の率直な感想だ。しかし、志位委員長は「枝野代表には信頼感を持っている」のだそうだ。信頼感は個人的な好き嫌いで生まれるものではない。政党間の信頼関係は「約束を守る」という政党間の行動によって担保される。枝野代表が共産党との「連立政権は考えられない」と言っているにもかかわらず、志位委員長が枝野代表に「信頼感」を持つのはいったいどうしてなのか、志位氏はその根拠を示さなければならない。そうでなければ、志位委員長は国民や党支持者には「ウソ」の情報を流したことになり、その政治責任を問われることになる。(つづく)

「政策協定」はするが「連立政権」は組まない、立憲民主党枝野代表の思惑はいったどこにあるのか(その1)、菅内閣と野党共闘の行方(43)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(268)

立憲民主党枝野代表の共産党との連立政権否定論は筋金入りだ。枝野氏は、事あるごとに共産党との「連立政権は組まない」と言明してきた。にもかかわらず、共産党の方は志位委員長が「よく話し合っていきたい」「門戸が閉ざされたと考えていない」などと曖昧な反応を繰り返し、いっこうに態度をはっきりさせない。この背景にはいったいどんな思惑が渦巻いているのか。まずは、枝野発言の流れと共産党の反応をみよう。

 

〇2021年6月17日(朝日デジタル)

 立憲民主党の枝野幸男代表は今年6月17日、最大の支持団体「連合」の幹部会合に出席した席上で、次期衆院選で政権交代を実現した場合でも、共産党とは「(日米安保廃棄や自衛隊解消など)理念に違う部分があり、連立政権は考えていない」と明言した。ただし選挙協力などは進めると言い、「共有する政策でのパーシャル(部分的)な連携や(衆院選の)候補者一本化に努力したい」とした。連合は「共産党の政権入り」に絶対反対の立場で、国民民主党の玉木雄一郎代表も「共産党が入る政権であれば(連立政権に)入れない」と、関係を明確にするよう枝野氏に要求していた。

連合神津会長は記者会見で「連合の立場としては、もともと立憲民主党と共産党との連立政権はないと思っていたが、疑義が生じないように枝野代表があえて踏み込んで明確に発言したことは、積極的に受け止めたい。立憲民主党と国民民主党が連立政権の構想を打ち出すことになれば、多くの有権者の期待に応えうると思う」と述べた。会合では、立憲民主党と国民民主党それに連合の3者で、衆議院選挙に向けた政策協議や候補者調整などを加速させることで一致した。

一方、共産党の志位和夫委員長は、これまで立憲民主党との選挙協力(野党共闘)について、自身が提唱する「野党連合政権」樹立に合意するのが条件という趣旨の発信をしてきたが、17日の記者会見では「よく話し合っていきたい」「門戸が閉ざされたと考えていない」と述べ、野党共闘に含みを残した。

 

〇2021年8月28日(日経電子版)

立憲民主党の枝野幸男代表は8月28日放送のラジオ日本番組で、次期衆院選を巡り「十分に政権が代わる可能性がある」と述べた。同党による情勢調査の結果に触れ「ちゃんと地域で活動している仲間には追い風が間違いなく吹いている」と強調した。立憲民主党を中心とする野党候補の一本化について、全ての小選挙区ではできないと説明し、選挙区のすみ分けなど共産党との事実上の協力体制に関し「地域ごとの事情がある。47都道府県の3分の2くらいはほぼできつつある」と話した。

 

〇2021年9月2日(共同通信)

 立憲民主党の枝野幸男代表は9月1日、共同通信のインタビューに応じ、次期衆院選について「単独過半数の獲得を目指す」と述べ、政権交代の実現に意欲を示した。目指す政権の在り方として「共産党とは日米安全保障条約や天皇制といった長期的に目指す社会像に違いがあり、連立政権は考えられない」と明言。「どういう連携ができるか公示までに具体的に示したい」とした。289ある選挙区での野党共闘について「共産との競合区は約70しかない。200を超える選挙区で野党候補は一本化されており、与野党一騎打ちの構図が事実上できている。既に大きな到達点を越えている」と語った。

 

〇2021年9月9日(朝日、毎日)

 立憲民主、共産、社民、れいわ新選組の野党4党と共闘を支援する市民連合は9月8日、国会内で衆院選に向けた政策に合意した。立憲枝野代表は市民連合に対し、「網羅的かつ重要な政策テーマについて、市民連合のみなさんの尽力によって各党とも共有できたことを大変うれしく思っている」と感謝の言葉を述べた。枝野代表は記者団に「事実上一本化が進んでいるところは加速し、それ以外も努力を重ねていきたい」と述べて候補者調整の加速に意欲を示した。共産が求めている政権構想を含めた政党間合意についても「選挙が始まるまでには必ず皆さんに安心してもらえる形をお示しできる」と自信を見せた。

 共産の志位委員長は、「この政策を高く掲げ、結束して選挙を戦い、選挙に勝ち、新しい政権をつくるために頑張りぬくことを約束したい」と調印式で力を込めた。この後、次期衆院選の方針を決める党中央委員会総会で、志位氏は「政党間の協議を速やかに行い、政権協力、選挙協力について前向きの合意を作り上げ、本気の共闘の体制をつくる」「政権を争う総選挙で選挙協力を行う以上、政権協力についての合意は不可欠だ」と演説した。

 

〇2021年9月10日(日経電子版)

立憲民主党の枝野幸男代表は9月9日、日本経済新聞のインタビューにおいて、次期衆院選で勝利した場合、共産党と連立政権を組む可能性について「考えられない」と再び否定した。以下は、具体的な発言内容である。

「(問)15日に新しい立憲民主党が誕生して1年になります。(枝野)次期衆院選の候補者の数が小選挙区で210強とほぼ過半数になった。比例代表まで合わせれば間違いなく総定数(465議席)の半分の候補者を立てられる状況になった。合流と時間の効果だ」

「(問)衆院選に勝利した場合、共産党との関係はどうなりますか。(枝野)連立政権は考えられない。この点は共産党も理解いただいていると思う。最終的には選挙までに説明する」

「(問)立民が衆院選で勝っても衆参で多数派の異なる『ねじれ国会』になります。(枝野)ねじれ国会は私自身が官房長官として経験した。ねじれの現実を踏まえ、想定しながら政権政策も作っている」

 

枝野発言の一連の流れをたどると、9月1日の共同通信インタビューまでは、枝野氏は衆院選で立憲が「単独過半数」を取れると本気で考えていたことがわかる。8月28日のラジオ番組で党独自の情勢調査分析を示し、情勢が極めて有利に展開していることを誇示していたからだ。菅政権の失政続きで内閣支持率が20%台に落ち込み、このまま衆院選に突入すれば野党第一党の立憲に票が自動的に集まると確信していたのである。

 

しかし、菅首相が9月3日、突如退陣を表明したことで情勢はガラリと変わった。菅政権の「敵失」で議席を伸ばそうとする枝野氏の戦略が根元から崩れた瞬間だった。朝日新聞(9月8日)は、その背景を次のように分析している。

――4日前に菅首相が自民党総裁選への不出馬を表明し、自民党総裁選一色の報道になり、党内では動揺が広がっている。立憲幹部の一人は「自民党が河野太郎首相、石破茂幹事長になったら、発信力のない枝野氏では全く太刀打ちできない。立憲は壊滅だ」と危機感を募らせる。若手からも「『次の内閣』(ネキストキャビネット)をつくり、党執行部に新しい人を入れないとまずい」と「刷新」を求める声が上がる。

――立憲は昨年9月、国民民主党の一部と合流して衆参約150人規模の政党になったが、直近の朝日新聞の世論調査でも政党支持率は6%と低迷している。枝野氏はこれまで、「日本のバイデンをめざす」と周囲に語ってきた。昨年の米大統領選挙で民主党のバイデン氏が共和党のトランプ大統領(当時)を破ったのは、「バイデン人気」ではなく、「トランプ不人気」という見立てからだ。コロナ対策で国民から批判を受ける菅政権の「敵失」を待ち続け、「批判の受け皿」となって立憲の議席数を伸ばすという戦略を描いてきた。枝野氏は、国民に向けて政権を取ったら何をするのか、というビジョンや政策を丁寧に説明してきたとは言いがたい。

――選挙を控えた衆院議員の秘書はこうこぼす。「枝野氏はこれまで『待ち』の戦略で曲りなりにうまくやってきたが、菅氏の退陣ですべてが逆回転している。自民党総裁選で政策的にも埋没していくだろう。一気に右往左往している感じだ。

 

この分析は的を射ている。立憲民主党が衆参約150人の議員を擁する野党第一党になったことで胡坐(あぐら)をかき、枝野氏らが菅政権の「敵失」でやがて政権が転がり込むとの甘い夢に浸っていた情景が活写されている。枝野氏の傲慢ともいえる言動はその象徴であり、野党共闘に対する不誠実極まりない対応もそのあらわれであろう。だが、事態は変わり、枝野氏も野党間の政策協定に応じざるを得なくなった。それでも枝野氏の連立政権否定論は変わらない。なぜかくも枝野氏は頑なに連立政権を拒むのか、次回はその意図について考えてみたい。(つづく)

安部政治のコピーでは日本は救われない、自民党総裁選の候補者は「拡大コピー」(高市早苗)と「縮小コピー」(岸田文雄、河野太郎)ばかりだ、菅内閣と野党共闘の行方(42)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(267)

 「菅おろし」が一段落したと思ったら、今度は自民党総裁選の前宣伝が始まった。テレビ各社は総裁選に名乗りを上げた候補者を連日露出させ、これでもかこれでもかとばかり退屈な画像を流し続けている。最近ではもう言うことがなくなったのか、同じことを二度三度繰り返すようになった。そのうち飽きられて視聴率も激減することだろう。

 

 それにしても一から十まで安倍前首相のお膳立てで出馬した高市氏は、「国の究極の使命は国民の生命と財産を守り抜くこと。領土、領海、領空、資源を守り抜くこと。そして国家の主権と名誉を守り抜くことだ」と(戦闘)右翼丸出しの勇ましい決意表明となった。安部政治の「拡大コピー」を標榜することで、自民右派票を総ざらえする魂胆だ。掲げた政策も、軍事予算拡大、敵基地攻撃を可能にするための法改正など、憲法9条などまるで眼中にない進撃ぶりだ。無人機や極超音速兵器の登場に危機感を示し、「迅速に敵基地を無力化するということを早くできた国が、自分の国を守れると思う。安倍内閣では敵基地先制攻撃と呼ばれていたが、私は迅速な敵基地の無力化と呼ぶ。これをするためにも法整備が必要だ」とまで踏み込んでいる(各紙9月9日)。

 

勇ましい安保・防衛政策に比べて、高市氏の経済政策は貧弱の一言に尽きる。実態は失敗続きのアベノミクスの名前を変えただけで(サナエノミクス?)、表紙を変えれば景気浮揚が図れるとでも思っているらしい。経済音痴もいいところだが、豪華政策はズラリと並んでいる「選択制夫婦別姓制度反対」「男系天皇制死守」「靖国神社参拝」など戦前復古型の保守政策だ。一方では、国際情勢の変化を強調して軍事費増大や兵器近代化などを叫びながら、他方では世界的なジェンダーフリーの流れなどは無視して戦前からの家族制度を死守するというのだから、ご都合主義も甚だしい。要するに、この人物は安倍前首相の影響力を維持するためのマシーンの1つに過ぎないのである。

 

 高市氏の出馬で慌てたのが岸田氏だ。安倍前首相にただひたすら従うことで政権移譲を期待してきた岸田氏は、「トンビに油揚げをさらわれる」事態に直面して目下右往左往している。当初は「新自由主義経済政策の再検討」などと耳障りのいいことを言っていたが、アベノミクスのどこをどう変えるのか――具体的なことは何一つ言わないのでいっこうに人気が出ない。それに、安部政治のアキレス腱である「森友・桜の会」については、当初は国民が求めれば説明が必要だと言明していたにもかかわらず、安倍前首相が高市氏を担ぎ出すと、今度は「再調査はしない」と突如態度を豹変させた。国民の声には耳を傾けず、権力欲しさに安倍前首相にゴマをするだけの小心者ではないか――、岸田氏にはいま、こんな風評が広まっている。

 

これまでの政治経験によれば、新政権は前政権の批判の上に成り立つものと相場が決まっている。前政権に問題がなければ政権交代の必要もなければ、新政権の出番もない。菅首相が退陣表明をしたのは、自らも片棒を担いできた安部政治に対する国民の批判に耐えられなくなったためであり、コロナ対策の不備だけではないだろう。安倍前首相が「持病」を理由に政権を投げ出し、後始末をまかされた菅暫定政権は安倍政権とは一心同体であり、安部政治を批判することは「天に唾(つば)する」ことになるので不可能だった。菅政権は安倍政権を継承するだけで一切の批判を許されず、退場する以外に道がなかったのである。

 

安倍政権を正面から批判できない岸田氏は、今後どのような戦略で総裁選に臨むのか見当がつかない。保守右派の高市氏には付いていけない保守層をまとめるだけでは当選の道はおぼつかない。安部政治の「縮小コピー」路線では、自民保守派の支持を得ることもできないし、国民世論の支持を得ることもできない。安倍前首相に対して果たして「反旗」を翻すことができるのか、それともこのまま野垂れ死にするのか、岸田氏の選択肢は限られている。

 

一方、何に対しての「実行力」か「突破力」かわからないが、それが〝持ち前〟だとされてきた河野氏はどうか。河野氏は9月10日、総裁選への出馬を表明した記者会見の席上で、「脱原発」や「女性・女系天皇の検討」などこれまでの持論を封印して次のように述べた。エネルギー政策については、「将来原発ゼロにするにしてもカーボンニュートラル政策を実行するためには、安全が確認された原発の再稼働が現実的だ」との認識を示し、皇位継承問題に関しては「日本を日本たらしめているのは、長い歴史と文化に裏付けられた皇室と日本語だ。そういうものに何かを加えるのが保守主義だ」とわけのわからない言葉を並べ、「現皇室で男系を維持していくにはかなりのリスクがあると言わざるを得ない(女性・女系天皇の検討が必要)」(2020年8月)との考えを撤回した。おまけに、森友学園を巡る財務省の決裁文書改ざん問題の再調査に関しては、「必要ない」と否定するサービスぶりだ(毎日9月11日)。

 

どうやら、「原発再稼働容認」「女性・女系天皇否定」「森友問題再調査拒否」が安倍前首相の支持を得るための三本柱らしい。河野氏がこれまで「改革者」としての実行力や突破力を売り物にしてきたのは、これらの問題について(多少なりとも)改革方向の発言をしてきたからだ。だが今となっては、それらは総裁選に勝つ見込みのない時代のデモンストレーションでありパフォーマンスに過ぎなかったことが明らかになった。河野氏にとっては、それらは権力の座が近くなればいとも簡単に投げ捨ててしまう「キャッチコピー」の類にすぎないのだろう。河野氏もまた、安部政治の「縮小コピー」(現実主義者)となったのである。

 

日経新聞は菅首相の退陣表明を受けて9月9~11日、緊急世論調査を実施した。自民党総裁に「ふさわしい人」(自民党の政治家10人から1人だけの選択)は、河野27%、石破17%、岸田14%、高市7%の順番だった。次の自民党総裁に求める資質(8つの選択肢から複数回答)は、「国民への説明能力がある」51%、「指導力がある」49%、「国際感覚がある」32%、「人柄が信頼できる」「政策に理解がある」が26%だった。上位2回答はいずれも菅首相に欠けていたものであり、国民世論は次の指導者に菅首相とは対照的な資質を求めていることがわかる。高市、岸田、河野3候補がいずれも安部政治のコピーにすぎないことが分かったとき、国民世論はいったいどんな反応を示すのだろうか。

 

日経世論調査のなかで、私が最も注目したのは次期衆院選で投票したい政党についての結果だった。首位は自民党53%(前回8月調査から10ポイント上昇)、2位は立憲民主党12%(2ポイント減)、3位は共産党5%(1ポイント減)、4位は日本維新の会4%(2ポイント減)だった。自民党総裁選の前宣伝は次期衆院選の「事前運動」として着実に効果を挙げている。これに対して立憲民主党など野党各党の方は悲惨だ(日経9月12日)。

 

枝野立憲民主党代表は9月9日、市民と野党共闘の政策協定を結んだばかりの翌日、日経新聞の単独インタビューに応じ、次期衆院選で勝利した場合、共産党との関係について「連立政権は考えられない。この点は共産党も理解いただいていると思う。最終的には選挙までに説明する」と明確に否定した(日経9月11日)。共産党の方は政策協定を「本物の政権協力」につなげると息巻いているが、その谷間は底知れず深い。枝野氏の思惑はいったいどこにあるのか、次回はその意図について考えてみたい。(つづく)

最後の最後まで「わけのわからない」首相だった、退陣理由も意味不明なら、コロナ対策への「専念」を「せんにん」としか読めない情景も哀れだった、菅内閣と野党共闘の行方(41)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(266)

 昨日9月3日、菅首相が突如、自民総裁選に出馬しないと表明した。咄嗟に四面楚歌、八方塞がり、雪隠詰め...などの四文字熟語が頭に浮かんだが、その退陣理由を聞いてさらに驚いた。「コロナ対策に『せんにん(専念)』したいので退陣する」というのである。新型コロナ対策は、世界の専門家の誰もが「長期戦」になると言明している。WHO(世界保健機関)もCDC(米疾病対策センター)も、これまでに経験したことのないようなパンデミック(世界的大流行)だと認識しているからだ。

 

 しかし、菅氏の言い分は「総裁選に莫大なエネルギーを必要とするので、出馬するとコロナ対策が疎かになる(両立しない)」「国民への公約を果たすため、コロナ対策に専念する」というものだ。新型コロナがこの1ヶ月で収束する見通しがあるのであればまだしも、9月明けの緊急事態宣言解除の見通しもないなかで「コロナ対策に専念する」といっても国民には何のことかさっぱりわからない。菅氏が自民総裁選への出馬を止め、首相の座から退いても新型コロナをめぐる感染状況は何も変わらないからだ。こんな意味不明の理由で退陣表明する菅氏の頭の構造はいったいどうなっているのか、いつもテレビ出演している「脳科学者」に聞いてみたいものだ。

 

 メディアはこれから自民総裁選一色に染まるだろう。情報もなく政局分析もできない私には、その報道の行方を見守る以外に術(すべ)がない。ただし、申し訳程度に出てくる枝野立憲民主党代表などの野党の動きに関しては、少しばかりコメントしなければならないと思う。自公政治を倒して「政権交代」を実現することが野党共闘の大義名分だったからであり、この政変に臨んで野党各党がどのような戦略戦術で対応するかが注目されるからだ。

 

 日頃から意見交換している神戸のジャーナリストが昨夜、こんなメールを送ってきた。

「それにしても、一番驚いたのは枝野や共産党ではないでしょうか。『敵失選挙』による『勝利』を見込んでいたのが崩れ、総裁選後の『ご祝儀相場』の支持率で選挙になり、選挙結果は様変わりでしょう。まあ野党惨敗とはいかないまでも、河野や大穴の石破で自民が意外と持ち直し、野党の目論見が崩れるのは必至でしょう。この1年、無策の政権が感染爆発をもたらし、亡くなった人や後遺症を引きずる人たち、廃業、失業、貧困のどん底に押しやられた人たちが犠牲になりました。 せめて家族や遺族、150万を超える罹患者は、その恨みの一票を投じることになりませんかね」

 

 全く同感だ。菅退陣など予想もできなかった枝野代表は9月1日、共同通信のインタビューに応じ、次のように語っていた。重要な発言なので、共同通信の配信記事をそのまま再掲しよう(共同9月1日)。

「(枝野代表は)次期衆院選について『単独過半数の獲得を目指す』と述べ、政権交代の実現に意欲を示した。目指す政権の在り方として『共産党とは日米安全保障条約や天皇制といった長期的に目指す社会像に違いがあり、連立政権は考えられない』と明言。『どういう連携ができるか公示までに具体的に示したい』とした。289ある小選挙区での野党共闘について『共産との競合区は約70しかない。200を超える選挙区で野党候補は一本化されており、与野党一騎打ちの構図が事実上できている。既に大きな到達点を越えている』と語った」

 

 ここで枝野氏が言っていることは、共産党との間におけるこれまでの野党共闘の話し合いや取り決めをすべて〝ご破算〟にするということだ。立憲民主党が単独で過半数を目指すのであれば、そもそも選挙協力の必要もなければ、政策協定の必要もない。すでに200を超える選挙区で野党候補(国民民主党など)が一本化されているので、与野党一騎打ちの構図はすでに出来上がっている。共産党との競合区70などは問題にならず、それぞれの選挙区の情勢に応じて水面下の裏取引をすればいいというのである。枝野氏は菅内閣の継続を前提に政局を読み、立憲民主党の「単独過半数」も不可能ではないとの見通しの下で、本性をあらわして強気に出たのである。

 

 これに対して、共産党は依然として沈黙を強いられている。志位委員長が百年一日のごとく「政権交代」の必要性を声高に叫んでいるだけで、枝野発言に対しては一言も反論していない。しかし、情勢は激変している。それは自民党内部のことだけではなく、野党各陣営の間でも情勢は激変したことを意味する。自民内部の政変はもはや「コップの中の嵐」などではなく、野党間も含めて「バケツの水をぶちまける」ような台風並みの大嵐になったと考えなければならない。

 

野党各党はこの期に及んでいかに戦うのか。これまで「市民と野党の共闘」に真摯に努力してきた人たちを含めて、心ある国民の多くが注目している。野党のふりをしながら「保守新党」を目指すような政党は「化けの皮」が剝がれてもいい。いまこそ「本物の革新」をめざす野党がイニシアティブを取るべき時なのである。(つづく)

菅政権に「明かり」は見えない、「菅おろし」を見ているだけの野党共闘は仕切り直しが必要だ、菅内閣と野党共闘の行方(40)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(265)、

 

「菅おろし」の動きが自民各派で始まっている。それを加速しているのが止まることのない内閣支持率の低下だ。8月28日実施の毎日新聞世論調査では、菅内閣の支持率は26%、7月17日の前回調査の30%から4ポイント下落した。1年前の政権発足以降、内閣支持率は初めて30%を切り、「過去最低」を更新している。一方、不支持率は66%、前回の62%から4ポイント増えて「過去最悪」の水準となった。要するに、菅内閣を支持している有権者はいまや4分の1に過ぎず、有権者の大多数の3分の2が「ノー」を突き付けているのである。

 

菅首相は、8月25日の記者会見で新型コロナウイルス対策に関し、「明かりははっきりと見え始めている」といつもながらの楽観論を振り撒いた。これまで厳しい規制をかけてきた地域を解除するための記者会見なら話はわかるが、これから北海道や愛知など8道県に緊急事態宣言地域を拡大しようとする矢先の記者会見の席上で、こともあろうに「明かりははっきりと見え始めている」というのだから、この人物は言葉の意味がわかっていないか、状況判断ができないかのどっちかだろう。あるいは、その両方かもしれない。

 

 だが、現実は日に日に厳しさを増している。厚生労働省によると、全国の新規感染者は2万人を超えて最悪レベルになり、各地で病床は逼迫している。その結果、「自宅療養者」という名の病院で治療を受けられない患者数は急増している。8月23日時点での療養中の感染者に占める入院者の割合を示す「入院率」は、東京都9.5%、埼玉県4.9%というのだから、東京では10人に1人、埼玉では20人に1人しか病院で治療を受けられない状況だ(毎日8月26日)。

 

 世論調査は正直だ。菅首相がいくら楽観論を振り撒いても国民はもはやその言葉を信用しない。今回の調査でも、菅政権の新型コロナウイルス対策を「評価する」14%で前回19%から5ポイント減少し、「評価しない」70%で前回63%から7ポイント跳ね上がった。日本の医療が崩壊する不安を感じるかとの問いには、「不安だ」70%、「不安はない」15%を数倍上回った。感染拡大で患者が急増し、入院できない自宅療養者が増え、療養中に死亡するケースが相次いでいることが国民の不安を掻き立てている。政府のコロナ対応の不備や医療体制の逼迫(ひっぱく)が改善されないことへの不満が、内閣支持率の低下につながっているのである。

 

 こんな世論状況の激変を受けて、自民各派では「菅おろし」の動きが加速している。近く予想を超える候補者が名乗りを上げることは必至であり、メディア報道も総裁選一色となり雪崩を打つのではないか。これに対して、野党はいったい何をしているのだろうか。自民党総裁選よりも臨時国会を開けというばかりで、実質的には何もしていない。これでは野党の影はますます薄くなり、政権交代など「夢のまた夢」の状況が続くことになる。

 

 野党共闘に動きがないのは、それを妨害する強固な勢力がいるからだ。言うまでもなく、立憲民主党や国民民主党に大きな影響力をもつ連合の存在である。神津連合会長は「共産党との共闘はあり得ない」と端から野党共闘を拒否しているし、それに同調する連合幹部も各地の選挙ではことあるごとに妨害に動いている。今回の横浜市長選でも、連合は共産党や社民党に推薦を求めない、応援演説は一緒にしない、候補者には近づかないなど、信じられないような注文をつけたという。それでいて勝利したのだから、連合はこのやり方を次期総選挙でも踏襲するつもりなのだろう。

 

 最大の問題は、立憲民主党の枝野代表や福山幹事長がこんな連合の方針に同調していることだ。もともと枝野代表は「本物の保守主義者」だと公言しているし、京都選出の福山幹事長は、「死んでも共産党とは共闘しない」ことを信条とする前原国民民主党代表代行と政治生活をともにしてきた間柄だ。京都では「野党共闘」などもはや死語同様の存在であり、誰一人その可能性を信じていない。枝野・福山ラインが続く限り、本格的な野党共闘は「望み薄」というのが大多数の意見なのである。

 

 毎日新聞世論調査によれば、政党支持率は自民26%(前回28%)、立憲民主10%(同10%)▽日本維新8%(同6%)、共産5%(同7%)、公明3%(同4%)、れいわ2%(同1%)、国民民主1%(同1%)、「支持政党なし」42%(同39%)となっている。また、次期衆院選の比例代表で投票したい政党は、自民24%、立憲民主14%、日本維新8%、共産6%、公明4%、国民民主2%、れいわ新選組2%、「まだ決めていない」37%だった。これを見る限り、政党間の支持率や投票率には構造的な変化が生じていない。したがって、「菅おろし」が成功して新しい自民首相が誕生すれば、これまでと同じ政治が続くことになる。

 

 枝野代表や福山幹事長はおそらくこのことを前提にして行動しているのであろう。もし「政権交代」を本気で考えているのであれば、連合との間で話に決着をつけて共産との政策協定や組織協定に踏み切り、無党派層の獲得に本腰を入れるはずだからである。しかし、そのような気配が露ほどもないところをみると、自民の議席を若干減らし、その分立憲民主の議席を上積みして「野党第一党」を維持することが当面の目標なのではないか。そして、そのうちに自民の中の「本物の保守」に働きかけて「保守新党」を結成し、政権を握ることを考えているのであろう。これが枝野構想であり、枝野代表の政治戦略である以上、枝野・福山ラインが続く限り、それ以外の政権構想を期待しても幻滅に終わるだけだ。

 

 もっとも志位共産党委員長も「保守」を頭から否定していない。8月4日の党本部で党創立99周年を記念して講演し、「自民党政治はまともな保守政治と言えない」と批判する一方、「野党共闘は広大な保守の人々と共産党を含む共闘に発展している」と述べたのである。志位委員長は講演後、記者団に保守層との共闘の例を問われ、「立憲民主党は自らのことを保守と言っており、そういう野党との協力になってくる。自民党出身で保守本流でやってきた亡くなった翁長(雄志前沖縄県知事)さんと共産党が『オール沖縄』の旗のもと協力した経験もある」と説明した。また、「保守の人々」との共闘について「(日本)共産党の歴史の中でもあまりなく、世界でも(各国の)共産党が保守のグループと協力して政治を変えようということはあまりない。まったくユニークな取り組みだ」と意義を強調したという(毎日8月5日)。

 

 こうなってくると、私のようなオールドリベラリストはもはや付いていけない。「まともな保守政治」と「まともでない保守政治」を見分ける基準は何か、自民の中に「まともな保守政治家」がどれぐらいいるのか、立憲民主は「本物の保守」なのか―などなど、次から次へと疑問が湧いてくる。志位委員長が保守グループと協力して政治を変えようというのであれば、今までの野党共闘の枠組みは根本から変えなくてはならない。「菅おろし」が一段落して新首相が誕生し、次期総選挙が始まれば、いやでも野党共闘の内実が問われることになる。百年一日のごとく古びた「野党共闘」のメロディーを繰り返すのか、それとも「まともな保守政治」を実現するため、新しい政党再編に踏み切るのか、いまはその分岐点に差し掛かっているような気がする。(つづく)

日本列島が新型コロナウイルスで〝真っ赤(過去最多)〟に染まっても、菅首相は「自粛」と「宣言」を繰り返すだけ、国民の命を守れない菅内閣は下野しなければならない、菅内閣と野党共闘の行方(39)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その264)

東京五輪が開幕してから今日8月20日で1か月近く(29日)、閉幕してから12日が経過した。国内の新型コロナウイルス新規感染者数の推移をみると、7月23日(開幕)4349人、8月8日(閉幕)1万166人、8月20日(現在)2万5156人と感染拡大は日に日に勢いを増している。五輪開催中に約1万人、閉幕から現在まで約1万人、合わせて2万人余りが増えた勘定だ。開幕時の国内感染者数4349人を基準にすると、閉幕時は3.3倍、現在は5.8倍に達している。

 

菅首相やJOCは、五輪開催と新型コロナ感染者数の増加は「関係ない!」と火消しに必死だが、国民は誰一人そんなゴマカシを信じていない。菅首相は本当のことを言っていない、菅首相の言うことは当てにならない、との評価が行き渡っているからだ。国民には「自粛」を求めながら、その一方、国際的な人の大移動を伴う東京五輪は開催する――、こんな言行不一致な人間の言うことは信用できないと誰もが思っているのである。だから緊急事態宣言をいくら発出しても国民には「馬の耳に念仏」程度にしか届かない。

 

五輪閉幕後、さすがのNHKも連日新型コロナの感染状況を伝えるようになった。夜の「ニュース9」でも、トップでその日の感染状況を伝えるようになったのである。感染状況を示す日本列島地図が大写しになり、「過去最多」を記録した地域が真っ赤に塗られ、それが日に日に拡大していく様子が手に取るように分かるようになった。最初のころは首都圏を中心にした「点」だったが、最近では首都圏と関西圏を結ぶ「線」となった。都市計画研究者の端くれである私には、それが高度成長時代の「太平洋ベルト地帯構想図」に重なって見える。

 

1964年の東京五輪開催当時、日本は「国土開発ブーム」「都市開発ブーム」に沸いていた。1964年東京五輪開催の2年前、1962年に戦後初の「全国総合開発計画」(全総)が閣議決定され、5年後の1969年にはさらにバージョンアップされた「新全国総合開発計画」(新全総)が登場した。京浜工業地帯、阪神工業地帯、北九州工業地帯を結ぶ国土幹線(高速道路、新幹線、通信網など)の建設が急ピッチで進められ、太平洋沿岸の至る所に巨大臨海コンビナートが造成された。日本列島の山という山が削られ、海という海は埋め立てられていったのである。

 

当時は、公害問題が最大の政治課題だった。工場廃液の垂れ流しによる海や河川の汚染が激化して水質汚染が限界に達し、火力発電所や工場からの排気ガスによる大気汚染が都市の上空を分厚く覆っていた。水俣病(熊本、新潟)、イタイイタイ病(富山)、四日市喘息(三重)など地域住民の生命と健康を脅かしていた深刻な公害問題に対して訴訟が始まり、「4大公害訴訟」として一気に国民の最大関心事に浮上した。これを機に全国各地に公害反対住民運動が広まり、山を削って海を埋め立てる開発計画への抗議運動が激化したのである。

 

いま、全国に広がろうとしている新型コロナウイルスの感染状況は、当時の公害問題による凄まじい環境破壊、国土荒廃のあり様を想起させる。新型コロナウイルスは、太平洋ベルト地帯に沿って感染爆発が「点」から「線」へと拡大し、さらには国土全体の「面」にまで広がろうとしている。〝真っ赤(過去最多)〟に塗られた感染地図が全土を覆う日もそう遠くはない。それにもかかわらず、菅首相はパラリンピックを予定通り開催する方針を変えず、「無観客」を掲げながら学校児童生徒の参加を認めようとしている。専門家が「この状況では誰が考えても無理」だと思うことを強行しようとしているのである。

 

菅首相には、政治家に必須の〝歴史観〟や〝科学的想像力〟が決定的に欠落しているように思える。科学や学問に対する最低限のリスペクトすらないことは、学術会議会員候補の任命拒否で明らかになった。任命拒否の理由も説明できず、ただ(政治的に)気に食わないという理由だけで拒否するのは、どこかの「田舎政治」と同じことだ。また、歴史観がないことは、「沖縄のことは戦後生まれの自分は知らない」と沖縄県知事に公言したことで明らかになった。歴史は過去の事実や教訓を深く学んで現在の行動を律するものだから、生まれてくる以前のことは知らなくても平気だというのでは話にならない。

 

横浜市議の政治経験を基に伸し上がった「叩き上げ」の菅氏には、政治家としての基礎教養をつける機会がなかったのではないか。それが安倍内閣で官房長官になり、さらには後継首相になったのがそもそもの間違いだった。こんな不幸な事態は一刻も早く是正しなければならない。燃え盛る新型コロナウイルスの感染爆発を目前にして「打つ手がない」と立ちすくんでいるような人物は、首相の責に耐えることができないからだ。

 

 8月11日の朝日新聞社説は、「コロナ下の首相、菅氏に任せて大丈夫か」と論じた。事実上の退陣要求である。メディア各紙は、全国紙も地方紙もこのことを真剣に考えてほしい。国民の間ではもはや内閣支持率が底を打っているように、早くから菅内閣を見放している。新型コロナウイルスが「燎原の火」のように広がる前に、菅首相を退陣させることが最大の「感染防止対策」なのであるから。(つづく)

 

菅政権の〝1億総動員計画〟は成功しなかった、やり場のない苦痛と徒労感にさいなまれた東京五輪の17日間、菅内閣と野党共闘の行方(38)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その263)

 

東京五輪がようやく終わった。日本が史上最多のメダルを獲得したとかで、多くの国民は勇気と感動を与えられたとメディアは伝えている。テレビに登場するメダリストたちの顔は誰もが輝いていた。この日のために懸命の努力を傾けてきたアスリートにとっては、東京五輪が最高の「晴れの舞台」だったことは間違いない。学生時代にはアスリートの端くれだった私からも心からの祝福を送りたい。

 

彼・彼女らへの気持ちはいささかも変わらない。といって、東京五輪そのものを賛美する気にはさらさらなれない。むしろ東京五輪の17日間は、私にとってはやり場のない苦痛と徒労感にさいなまれた17日間だったといってよい。新型コロナをめぐる国内外の感染状況が刻々と悪化し、それにともなう医療問題や社会問題が噴出しているにもかかわらず、ありとあらゆるメディア空間が「五輪一色」に染められ、それ以外の情報は全く得られない「報道管制」状態が続いていたからだ。これでは「本土決戦」「1億玉砕」のスローガンとともに、連日軍艦マーチが鳴り響いていた終戦時のラジオ放送と同じでないか(私は終戦当時、国民学校1年生だった)。

 

菅政権が政権浮揚のために、東京五輪の開催強行という「賭け」に出たことは誰もが知っている。国民の命と健康を守ることが大前提だと言いながら、実際やったことは「安心安全東京五輪」を百回念仏のように繰り返しただけ。東京を中心に首都圏一帯に感染爆発が広がっても、緊急事態宣言がもはや「お題目」化して見向きされなくなっても、安心安全一本やりの「菅念仏」はいっこうに変わらない。この状態は、もはや「ボキャ貧」というレベルをはるかに超えて「ボキャ欠」の域に達している。「見ていられない!」というのが、われわれシニア層の感想だ。

 

それにしても、漢字も満足に読めない麻生元首相の登場以来(彼は、未曽有を「ミゾユー」と読んだ)、森友問題や桜を見る会疑惑に絡んで118回もの国会虚偽答弁を重ねた恥知らずの安倍前首相、そして官僚が用意した原稿をまともに読めず、読み飛ばしてもそれに気づかない程度の低学力の菅首相など、とにかく最近のわが国の首相は「粒」がそろっている。こんな連中が東京五輪の誘致に血道を上げ、海千山千のIOC幹部を相手にするのだから、手玉に取られても仕方がない。費用対効果分析からいえば、「利益はすべてIOC」「費用はすべて日本国民」ということになり、東京五輪を強行すればするほど、日本国民の負担は級数的に膨らむことになる。

 

東京五輪は日本の恥部をすべてさらけ出した。数々の不祥事は挙げればきりがないが、そんなことは些末なことだ。最大の問題は、日本の首相や東京都知事が国際的イベントを開催するだけの資質も力量もなく、それが国際的に広く知れ渡ったということだ。1国のガバナンスも満足にできないような人物が、その失点を挽回しようとして東京五輪の開催に固執したことがことの始まりだった。足元を見たIOCに徹底的に付け込まれ、時にはおだてられ、そして、骨までしゃぶられた。そのツケは、すべて日本国民が背負うことになるのである。

 

IOCに体よく利用された(だけの)ことは、東京五輪の熱気が冷めるにつれて日に日に明らかになるだろう。「宴」の後の現実を目の当たりにして、日本国民は今更のごとく事態の深刻さに慄然とするのではないか。そして、誰がこんな事態を引き起こしたのか、誰が「五輪囃子」を打ち鳴らしたのか、結果の責任を誰が取るのかなどなど――、そんな怒りと批判が燎原の火のごとく日に日に広がっていくだろう。

 

菅政権は、東京五輪という〝1億総動員計画〟を実行に移した。だが、この計画は成功しなかった。菅首相は「未曽有の困難のなかで成功を収めた」と自画自賛しているが、東京五輪終盤時に実施された各種の世論調査結果は「ノー」を突き付けている。朝日新聞(8月7、8日実施)、読売新聞(8月7~9日実施)、NHK(同)の結果を要約すると、国民世論の所在がクリアーに浮かび上がる。

結論から言えば、(1)国民の3分の1は東京五輪の開催に反対であり、(2)3分の2が「安心安全な大会」になったとは思わず、(3)その原因がこれまでの政府の対応の不備にあると考え、(4)結果として、菅内閣に不支持を突き付けたのである(それも「危険水域」と言われる20%台にまで)。以下はその数字である。(つづく)

 

【東京五輪が開催されてよかったか】

 朝日:よかった56%、よくなかった32%

 読売:よかったと思う64%、思わない28%

 NHK:よかった26%、まあよかった36%、あまりよくなかった18%、

よくなかった16%

 

【東京五輪は菅首相の掲げた「安心安全な大会」にできたか、なったか】

 朝日:できた32%、できなかった54%

 読売:そう思う38%、思わない55%

 NHK:なった31%、ならなかった57%

 

【新型コロナウイルスを巡るこれまでの政府対応を評価できるか】

 朝日:評価する23%、評価しない66%

 読売:評価する38%、評価しない58%

 NHK:大いに評価する3%、ある程度評価する32%、あまり評価しない40%、

まったく評価しない21%

 

【菅内閣を支持するか】

 朝日:支持する28%(前回31%)、支持しない53%(同49%)

 読売:支持する35%(同37%)、支持しない54%(同53%)

 NHK:支持する29%(同33%)、支持しない52%(同46%)