不人気で魅力のない野党党首が〝野党共闘不発〟の引き金を引いた、「能面ロボットスピーチ」(枝野立憲代表)や「強面(こわもて)演説」(志位共産党委員長)では有権者を引き付けることができない、岸田内閣と野党共闘(その3)

2021年総選挙が終わった。今回の衆院選で立憲民主、共産、国民民主、れいわ、社民の野党5党は、全国289ある小選挙区の4分の3に当たる213選挙区で候補者を一本化して選挙に臨んだ。しかし、予想に反して、野党5党が勝利したのは59選挙区(立憲54、国民3,共産1,社民1、勝率28%)にとどまった。213選挙区のうち、立民候補者に一本化された160選挙区で立憲が勝利したのは54選挙区(勝率34%)、国民民主は3選挙区、共産は39選挙区のうちたった1区(沖縄1区、勝率3%)でしか勝てなかった(読売11月2日)。

 

立憲が狙ったのは選挙区だけの勝利ではなかった。野党共闘の効果で比例代表区でも議席を大幅に伸ばし、あわよくば「政権交代」を目指していたのである。しかし、立憲は比例代表得票数で1149万票(得票率19.9%)にとどまり、議席数は公示前の62議席から23議席減の39議席へ大幅に後退した。共産は、目標850万票(得票率15%)に対して得票数は僅か半分以下の416万票(得票率7.2%)、しかも前回440万票(得票率7.9%)から更に減少して議席数も11議席から9議席へ2議席後退した。その結果、立憲は公示前の110議席から14議席を失って96議席となり、共産は12議席から2議席減の10議席となった。共産は、国民(8議席から11議席へ増加)の後塵を拝することになり、野党の末席に追いやられることになった。いずれも散々な結果としか言いようがない。

 

立憲や共産の不振に比べて、目を見張るような成果を挙げたのが日本維新の会である。維新は地盤の大阪で19選挙区のうち(公明前職がいる4選挙区を除いて)15選挙区に候補者を立てて全員が当選し、自民10議席(前回)を「ゼロ」に追い込んだ。通常、選挙区選挙において自民が「ゼロ」になるなんてことは凡そ考えられないが、大阪ではそれが実際に起こったのだから〝驚天動地〟の出来事だと言うほかない。そればかりではない。維新は比例代表区においても得票数805万票(得票率14.0%)を獲得し、前回得票数338万票(得票率6.0%)から一挙に倍増(2.4倍)させた。それとともに比例代表議席数を8議席から25議席へ3倍増させ、全体として公示前の11議席から4倍弱の41議席へ(公明32議席を抜いて)第3党に躍進した。

 

かくなる大変動が生じた原因は何か。メディア各紙では、そもそも「野党共闘」に無理があったとの論調が広がっている。朝日、毎日、日経などは、立憲と共産の共闘にかねてより異論を唱えてきた連合の動きに焦点を当て、次のような解説記事を掲載している(11月2日、要約)。

――立憲枝野代表は1日、支援団体である連合の本部を訪れ、芳野友子会長に衆院選敗北を詫びた。芳野氏は選挙期間中に共産との「野党共闘」で組合員が混乱した選挙区があったことを指摘。『来年の参院選に向けてしっかりやってほしい』と敗因の総括を求めた。連合本部には立憲に反発し、各地の組合が立憲候補の応援に動いていない状況が報告されており、参院選に向けて支援体制を見直すべきだとの見方が広がっている(朝日)。

――敗因を巡り、(立憲)党内では政策が異なる共産との協力が支持層の離反を招いたとの見方が大勢だ。あるベテランは「与党側が配る『立憲共産党』のビラの影響は大きく、中盤以降はきつかった」と指摘した。党関係者は「共産党と組むべきではなかった」と執行部の判断を批判した。立憲と候補者調整を行う一方、共産と距離を置いた国民民主党が3議席増の11議席となったことで、連合も立憲執行部への不信感を強めている。1日には「国民は健闘した一方、立憲は大きな課題を残した」と指摘した芳野友子会長は、記者会見で立憲と共産の共闘を「現場が混乱し、連合が戦いづらかった」と批判し、2020年夏の参院選での、立憲、共産両党の協力は「認められない」と釘をさした(毎日)。

――衆院選の結果は小選挙区で候補者を一本化する共闘態勢をとれば野党に勝機が生まれるという定説を崩した。安全保障政策などで隔たりのある共産党との連携は有権者の理解を得にくいという実態が露呈した。立民は2019年参院選でも市民団体を介して共産と政策協定を締結した。今回が異なるのは政権交代が実現した場合、共産が「限定的な閣外からの協力」をすることで合意した点だ。共産が他党の政権に協力することを表明したのは初めてだった。立民執行部には共産との閣内協力を含む連立政権はつくらないという「歯止め」という認識があった。それでも政権のあり方まで踏み込んだことで与党から格好の批判材料になった。立民の支援団体である連合も警戒を強め、選挙協力に支障が出た。野党5党の共闘と一線を画す姿勢をとった日本維新の会は躍進した。与党にも立民にも不満をもつ層の受け皿になった(日経)。

 

こうした批判を受けて立憲枝野代表は11月2日、国会内で開いた党執行役員会で、衆院選で敗北した責任を取り、代表を辞任する意向を表明した。枝野氏は執行役員会の冒頭、「ひとえに私の力不足。政権の選択肢として次のステップを踏み出すことが役割で、新しい代表のもと、新しい体制を構えて、来年の参院選、次の政権選択選挙に向かっていかなければならないと決断をした」と語った。首相指名選挙が行われる特別国会の閉会日に枝野氏が辞任し、代表選はその後、党員やパートナーズなどが参加した形で行う考えも示した(各紙)。

 

 一方、共産党の志位和夫委員長は1日、党本部で記者会見し、衆院選で共産が議席と得票数を減らしたことに対する引責辞任の可能性を問われ、「責任はないと考える」と否定した。理由として「我が党は、政治責任を取らなければならないのは間違った政治方針を取った場合だ。今度の選挙では、党の対応でも(野党)共闘でも政策でも、方針そのものは正確だったと確信を持っている」と説明した(毎日11月2日)。共産党機関紙赤旗によれば、中央委員会常任幹部会発表の「総選挙の結果について」の骨子は以下の通りである(要約)。

 ――この選挙での野党共闘は、共通政策、政権協力の合意という大義を掲げてたたかったものであり、一定の効果をあげたことは間違いありません。同時に、野党共闘は今後の課題も残しました。とくに、野党が力をあわせて共通政策、政権協力の合意という共闘の大義、共闘によって生まれうる新しい政治の魅力をさまざまな攻撃を打ち破って広い国民に伝えきる点で、十分とは言えなかったと考えます。共闘の大義・魅力を伝えきれなかったことが、自公の補完勢力=「日本維新の会」の伸長という事態を招いた一因にもなりました。全国の支持者、後援会員、党員のみなさんには懸命の奮闘をしていただきましたが、それを結果に結びつけられなかったのは、わが党の力不足によるものだと考えています。私たちはこの間、党の地力をつける活動、党の世代的継承の活動にとりくんできましたが、このとりくみは途上にあります。地力をつける活動を必ず成功させ、次の機会で必ず捲土重来を期したいと固く決意しています。

 

 興味深いことは、枝野、志位両氏とも野党共闘の敗因を抽象的な「力不足」という一言で片付けていることだ。この言葉は「一億総懺悔(ざんげ)」という言葉にも似て、全てを語っているようで実は何も語っていない。「力不足」とは党全体の力量を測る言葉であって、選挙で敗北した原因を具体的に解明する言葉ではあるまい。野党共闘の敗因をこのような言葉でしか語れないことは、枝野、志位両氏が野党共闘敗因の総括にまともに取り組む気がないことを示している。

 

 私は、今回の野党共闘の敗因は、枝野、志位両氏の党首としての魅力の欠如や不人気さが大きな比重を占めていると考えている。「能面ロボット」のように早口で喋りまくる枝野代表や、仁王立ちで聴衆を見下ろして「強面(こわもて)演説」を繰り返す志位委員長からは〝政治の魅力〟がいっこうに伝わってこない。日本維新の会の吉村副代表(大阪府知事)の演説には多くの聴衆が集まり、熱気あふれる集会になったのとは対照的だ。

 

 志位委員長は「政策や政治方針に誤りがなければ責任はとる必要がない」と広言したという。だが、政策や政治方針が独り歩きをしているわけではない。それなら、ビラやチラシ、スピーチロボットだけでも十分ではないか。なぜ、政治家は聴衆に直接語りかけるのか。それは、自らの口を通して〝政治の魅力〟を伝え、有権者の支持と共感を得るためだろう。それには、政治家自身が何よりも〝魅力ある存在〟でなければならない。党首にとっての必要な資質は、人間としての魅力があることだ。長年同一人物が党首の座に居座り、同じ顔と同じ口調で選挙演説を繰り返す――このような光景にもう支持者はうんざりしているのではないか。枝野代表と同じく、志位委員長にも「ひとえに私の力不足」を自覚してほしい。(つづく)

立憲民主党と共産党が奇妙な取り引き(?)、京都は〝魑魅魍魎〟の世界なのか、岸田内閣と野党共闘(その2)

国会が10月14日に解散され、衆院選告示が19日と間近に迫った。自民党は11日、小選挙区と比例区の1次公認295人を発表し、残る5選挙区でも候補者調整の目途をほぼつけたとされる。野党共闘の方は立憲民主党と共産党の選挙協力態勢が固まり、競合していた選挙区で立憲民主党は3小選挙区、共産党は22小選挙区で候補予定者を取り下げた。この結果、全国289の小選挙区のうち、立憲、共産、国民、社民、れいわの5党の候補者が一本化される選挙区は200以上になる見通しとなった(朝日10月14日)。

 

ところが...である。京都では立憲民主党幹部からの共産党との共闘を否定する発言が相次いでいる。立憲民主党京都府連は10月9日、役員会と常任幹事会を開き、公認候補を擁立していない京都の1区、2区、4区についての対応を協議した。その結果、共産党の穀田国対委員長が立候補を予定している1区では(あくまでも)独自候補の擁立を追求し、その一方国民民主党が前原氏を擁立する2区と、無所属の北神氏が立候補予定の4区については、両氏がいずれも連合の推薦候補であることから独自候補を立てないという方針を表明した。党政調会長の要職にありかつ京都府連会長も務める泉氏は、終了後の記者会見において共産党から協議の申し入れのあった共闘については、「京都は自民、共産両党とは議席を争った地。これまでも非自民・非共産の立場で支持されてきた」と説明し、「『野党統一候補』という考えは取らないし、共産との選挙協力はない」と改めて強調した(毎日10月10日)。

 

また、京都新聞は10月12日、福山立憲民主党幹事長および田中京都府連幹事長の衆院選に関するインタビュー記事を掲載し、両氏が共産党との選挙協力を明確に否定したことを紹介している。

【福山幹事長】

 ―共産党とは「限定的な閣外協力」で合意したが、京都では共闘しない。福山幹事長、泉健太政調会長の地元で共闘しないことを有権者にどう説明するか。

「私も共産党と20年以上、選挙を含めて争っている。一方、全国的には自公を倒すために共産を含めて他の野党と選挙区調整をして戦う機運がすごく高まっている。今回は『市民連合』が仲介した常識的な政策を実現する限定的な閣外からの協力であり、日米安保や天皇制、自衛隊の存在では以前から変わらない距離で共産党と向き合う」

―京都1区は独自候補の擁立をまだ検討するのか。

「ぎりぎりまで府連の努力を見守りたい。1区は(自民党の)伊吹さんが議席を守ってきた。候補者を立てるのならしっかりとした候補者をという思いも泉府連会長にはあるようだ」

―京都で、共産党とは1、3、6区で「すみ分け」しているようにも見える。

「京都で話し合いの場があるわけでもなく我々は関知していない。すみ分けしているつもりは全くない」

【田中府連幹事長】

 「京都3区と5区、6区の3人はいずれも現職(比例復活含む)であり、必勝を期す。現在空白の1区は候補者を見つけられるよう最後まで努力したい。2、4区は独自候補の擁立は見送るが、近畿ブロックでの当選者を増やすため、街宣活動を強化して比例票を伸ばす」

 「連携を重視するのは、党本部が選挙協力で覚書を結んだ国民民主党だ。2区は国民現職、4区には無所属元職とかって共に活動した仲間がいる。信頼関係を維持したい。共産党とは地方選挙で対立してきた過去の経緯から京都府内では選挙協力できない」

 

 驚くのは、福山幹事長と泉政調会長がいずれも共産党と選挙協力を結んだ立憲民主党の幹部(当事者)でありながら、京都ではこれまで共産党と選挙戦を戦ってきたという理由にならない理由で「共闘しない」「選挙協力しない」と言い切っていることである。こんな(屁)理屈が全国に適用することになると、野党各党はこれまで互いに選挙戦を激しく戦ってきたのだから、野党共闘や選挙協力などは永久にできないことになる。要するに、福山幹事長も泉政調会長も田中府連幹事長も、政党としての政策協議などはそっちのけで、「共産党とは死んでも一緒にやらない」と言っているだけのことなのである。

 

 ところが、さらに驚くべきことが起こった。共産党京都府委員会は10月14日記者会見を開き、渡辺委員長が立憲民主党府連に対し1区で穀田国対委員長を野党の統一候補にすることを前提に、立憲前職がいる3区と6区は自主投票とし、共産党が候補者擁立を見送る方針を明らかにしたのである。共産党は過去の衆院選では全6選挙区に候補者を擁立してきたにもかかわらず、今回候補者擁立を見送る理由として渡辺委員長が挙げたのは、「中央では共通政策・政権合意・選挙協力という3つの合意が成立した意味は大きい。政権交代のために全力を尽くす」、「その代わり3区、6区については、比例での大幅得票増を狙う」との説明だった(毎日・京都10月15日)。

 

 6区の山井氏はともかく、3区の泉氏がおよそ野党共闘の対象たり得ない人物であることは、今回の立憲府連会長としての行動をみれば即座にわかることだ。それがあろうことか共産党が候補者擁立を見送るというのだから、呆れてものが言えない。京都新聞はこの事態を「実質的には京都3区と6区で立憲民主党の前職を応援することになる」と書いている(10月15日)。

 

かくいう私は京都3区の有権者である。2016年衆院補選でも共産党は全国での野党共闘を推進するためと称して京都3区で候補者を擁立せず、泉氏を「革新統一候補」として応援するという間違いを犯した。「二度あることは三度ある」というが、今回の方針はこれまでとは比較にならないほど(悪)影響が大きい。前回の衆院補選では、こんな有権者を馬鹿にした選挙には行かないとばかり、私の周辺では大量の棄権者が続出した。私自身も選挙権を持って以来、初めて棄権したのがこの選挙だった。

 

京都3区の有権者は猛烈に怒っている。泉氏に投票するぐらいなら死んだ方がましだと本気で思っている有権者が数多くいるのである。共産党は有権者を馬鹿にしてはいけない。渡辺委員長が候補者擁立を取り下げる代わりに比例の大幅得票増を狙うと言ったらしいが、こんな計算がどうしてできるのか不思議でならない。第一野党共闘の支持者が投票に行かないのだから、共産党の比例票が増えるわけがないのである。

 

こんなことは考えたくないが、立憲民主党が京都1区に擁立できる候補者が見つからないのを見越して、共産党が3区と6区の候補者を降ろしたのだとしたら、これは「密約」以外の何物でもないことになる。これでは、京都はまるで〝魑魅魍魎〟の世界ではないか。市民と野党共闘の政策を踏みにじり、理由にもならない理由で共産党との選挙協力を拒否してきた福山幹事長や泉政調会長を応援することは、野党共闘の大義を否定することになる。共産党は遠からずして京都3区の有権者の厳しい審判を受けることになるだろう。(つづく)

〝ポスト菅政権〟の自民党戦略、自民党は総裁選挙、新政権樹立、解散・総選挙で局面打開を図った、岸田内閣と野党共闘(その1)

岸田新首相は10月4日、新内閣発足後の記者会見で、大規模なコロナ・経済対策を打ち出すためにも早期に国民の信任を得たいとして、今月21日に任期満了を迎える衆議院の解散・総選挙に関して、14日解散、19日公示、31日投開票との日程を示した。菅首相が退陣表明をしたのは僅か1カ月前の9月3日のこと、それから2週間後の17日には自民総裁選が始まり、29日には岸田文雄氏を新総裁に選出。10月4日召集の臨時国会で第100代首相に選出された岸田氏はその日、10日後に衆院を解散し、次期衆院選の投開票日を9月31日にすることを明らかにしたのである。

 

日経新聞(10月5日)は、「衆院選 異例の短期決戦、高い支持率保ち投開票狙う」との見出しで、「首相就任から1カ月弱の異例の短期決戦になる。政権発足時に期待する高支持率を維持したまま投票日を迎える狙いだ」と指摘する。過去の首相指名から解散までの日数は、第1次鳩山内閣46日、第1次森内閣58日、第2次吉田内閣70日などだったが、岸田内閣は僅か10日と格段に短い。野党各派からは「奇襲」「乱暴」「選挙優先」などの批判の声が渦巻いている。

 

しかし私は、この日程は練りに練った自民党の〝ポスト菅戦略〟の一環だと考えている。内閣支持率が20%台にまで落ちた菅首相が、総裁選前の解散・総選挙で事態の打開を図り、政権維持を画策したのに対して、自民各派は結束して手も足も出ない状態に追い込んだ。そこから衆院議員の任期切れを目前にした〝ポスト菅戦略〟がスタートしたのである。その要諦は、総裁選と新政権づくりをお祭り騒ぎにしてイベント化し、国民の眼を釘付けにして菅内閣の陰鬱なイメージを払拭することだった。

 

マスメディアとりわけテレビ各社の果たした役割は絶大だった。オリンピックの時もそうだったが、テレビ番組は自民総裁選に独占され、候補者4人は一躍「時の人」になった。彼・彼女らが朝から晩までテレビに露出することで、菅首相はまだ「現役」であるにもかかわらず急速に影が薄くなっていった。菅首相は、退陣表明したその日から事実上「過去の人」となり、もはや誰にも顧みられることのない存在になったのだ。世襲議員でないため派閥を持たず(持てず)、危機に際しても支えてくれる側近がいなかった「たたき上げ」の政治家は、こうして政治の表舞台から跡形もなく姿を消すことになった。菅氏は、選挙地盤の横浜においても今後議席を維持できるかどうかわからない。秋田の田舎に帰る日もそう遠くない――と囁かれているのはそのためだ。

 

これに対して、立憲枝野代表をはじめとする野党陣営の構えはどうか。私はこれまでも繰り返し指摘してきたように、枝野氏には〝ポスト菅戦略〟がなかったと思う。彼はコロナ禍の進行とともに日々低下していく内閣支持率を横目で見ながら、次期衆院選での勝利(単独過半数)を夢見ていた。国民民主党や社民党との合併によって百数十人の国会議員を擁する「最大野党」に伸し上がった立憲民主党は、「夢よもう一度」とばかり、政権交代が近づきつつあるとの情勢分析に凝り固まっていた。枝野氏は、菅氏の官房長官時代の凄腕を長年にわたって見てきただけに、菅政権がかくも脆く崩壊するとは想像すらできなかった。枝野氏は、菅首相が最期まで政権にしがみついて総選挙に突入し、有権者の総スカンを食らってタナボタ式に政権が転がり込むと期待(楽観)していたのである。

 

このため、枝野氏は立憲など野党各党の政党支持率が地を這っているにもかかわらず、総選挙対策としての政策づくりの準備をすることもなければ、野党共闘を実現するために政策協定や選挙協力の準備をすることもなかった。今年4月以来、野党各党との協議は事実上放置され、連合や国民民主党などとの話し合いは進めても、共産党や社民党との協議はいっこうに進まなかった。そこにきて菅首相の突如の退陣表明によって事態は一変した。「驚天動地」ともいうべき世論の変化が起こり、菅政権に代わる自民新政権への期待が高まり、野党各党の影は一層薄くなったのである。

 

岸田内閣が安倍・麻生の「丸抱え政権」であることは、新聞をまともに読む人なら誰でも知っている。しかし、国民の多くはそれほど新聞を熱心に読まないし、若い人たちも最近ではテレビ番組も見ない人が多くなったと聞く。イベント化された情報が飛び交い、その中で派手なパフォーマンスとともにこれまで見たこともない政治家が露出するようになれば、自民政治が刷新されたと錯覚しても不思議ではない。岸田内閣が「初入閣」のメンバーを数多く揃えたのも、その「表紙効果」を期待してのことだ。中身は旧態依然でも構わない。表紙を変えれば中身まで新しくなったように見える。自民党にとってはそれだけでよいのである。

 

しかし、時間を経過してくると読者は頁をめくるかもしれない。表紙と目次が新しくても中身が古ければすぐに飽きられる。「表紙効果」がさめないうちに総選挙を実施しなければならない――。これが、自民党の〝ポスト菅戦略〟である。これから解散まで僅か10日足らず、そして総選挙は今月末に行われる。有権者は果たして新内閣の中身に興味を持つのか、それとも表紙だけで満足するのか、野党各党はこれまでにない選挙対策を迫られている。(つづく)

立憲民主党と共産党の党首合意は「対等平等・相互尊重」の原則からは程遠い、これが〝野党連合政権〟だと言えるのか(その2)、菅内閣と野党共闘の行方(最終回)

 立憲民主党と共産党の党首合意について、メディア各紙の評価が低い原因と背景を考えてみたい。最大の要因は、党首合意に同意した立憲枝野代表に対する政治家としての信頼度が著しく低いことだ。一般的に、枝野氏は「発信力がない、乏しい」などと言われているが、それはコミュニケーション能力の問題ではなく、「言うことが信頼できない」という政治家の本質に関わることなのである。

 

枝野氏はこれまで事あるごとに、共産党と「連立政権は組まない」と明言してきた。共産党との連立など根本的に「考えられない」と言明してきたのである。ただその一方、選挙協力だけは進めると言い、「共有する政策でのパーシャル(部分的)な連携や(衆院選の)候補者一本化に努力したい」とは言っていた。共産に立憲の票を取られたくないので、部分的な政策連携で共産に候補者擁立を断念させ、その票を掠め取ろうとする身勝手極まりない党利党略戦術だ。

 

政権の枠組みについてはこれまで協議に上ったこともなかった。政権交代など「夢のまた夢」でそんなことを考える必要がなかったからだろう。「野党第1党」としての地位だけはとにもかくも確保したい、そのためには「パーシャルな連携」を進めてできるだけ多くの議席を確保する、しかし選挙後は活動の自由を束縛されたくないので政権枠組みの話は一切しない――、これが枝野氏の政治戦略であり、政治ビジョンとされてきた。こんな不当な要求に屈して、事実上の「下駄の雪」になってきたどこかの政党も情けないこと限りない。

 

それが一転して、今回は立憲・共産間で「限定的な閣外からの協力」の党首合意が成立した。菅首相の突然の退陣表明で世論状況がガラリと変わり、枝野氏が描いていたタナボタ式の〝立憲単独過半数〟の夢が一瞬にして崩れたからだ。もともと「保守本流」を自称する枝野氏には、自公政権に代わる政策転換のモチベーションが働かない。「旧自民」に代わる「新保守」の政策は、日米安保体制や天皇制など「国のかたち」を基本的に継承することが使命であり、これに少し改革的な要素を付け加えれば「それでよし」と考えてきたからだ。枝野氏ら少数幹部が政策づくりを独占し、立憲全体の政策論争を許さないのはそのためだ。

 

だが、菅首相の退陣表明を契機に情勢は一変した。自民が総力を挙げて「新政権」づくりを演出するため自民党総裁選挙の大キャンペーンに乗り出し、マスメディアが挙げて支援する一大イベントとなった。自民党内の「コップの嵐」を「巨大台風」並みに仕立て上げ、全国民を巻き込んで次期総選挙に雪崩れ込むという策謀が、見事大成功を収めたのである。この大嵐の中で「野党第1党」の立憲の姿は見えなくなった。そして、枝野代表の姿も見えなくなったのである。

 

慌てたのは、これまで「野党第1党」の座に胡坐をかいていた枝野代表だ。このままでは次期総選挙で立憲は埋没する、今更のごとく「新政策」を打ち上げても自民党の1派閥程度にしか扱われない、怒涛の如く襲い掛かる自民総裁選の前では何を言っても相手にされない――、こんな追い詰められた状況のなかでたどり着いたのが〝党首合意〟だったというわけだ。

 

立憲内部では野党共闘に踏み切らない枝野代表への批判が高まり、このまま枝野氏が既成路線に固執して総選挙で敗北した場合、代表の座を失うとまで言われている。「新保守政党」の設立を目指す枝野氏にとっては、その踏み台としての「立憲」を去ることは避けなければならない。あくまでの代表の座にとどまり、「次の次」あるいは「次の次の次」を狙うためには、その土台を失うわけにはいかないのである。これが、志位委員長が「枝野代表の決断に心から敬意を表する」と皮肉った立憲の内幕であろう。

 

だが、今回の党首合意に関するメディア各紙の評価が低いのはそればかりではない。「限定的な閣外からの協力」が果たして新政権で機能するかどうか、その確信が得られていないからだ。合意第2項では、「立憲民主党と日本共産党は、『新政権』において市民連合と合意した政策を着実に推進するために協力する。その際、日本共産党は合意した政策を実現する範囲での限定的な閣外からの協力とする」となっているが、ここには枝野代表の二重三重の罠が仕掛けられている。次期総選挙で自公政権が勝利することは確実なので、「新政権」は現実の課題にならないこと、また「閣外からの協力」は政権運営のチエックは果たせてもその原動力にはなり得ないからだ。

 

こんなことは、おそらく共産も「百も承知」のことだろう。しかし、共産にも「限定的な閣外からの協力」に応じざるを得ない内部事情がある。それは、志位委員長が「自共対決」から「野党共闘」に舵を切ってから以降も党勢の後退が依然として止まらないことだ。この党勢後退は人口学的な法則に基づくもので、必ずしも政治路線上の誤りを意味するものではない。しかし、1960年から70年代にかけて入党した党員が半世紀後のいま一斉に引退しており、赤旗の死亡欄には連日数名を下らない人たちの経歴が紹介されている。一方、党勢拡大の方は時々報告されるだけでその数も知れている。年間千数百名を下らない党員が死亡しているにもかかわらず、それに見合う新しい党員の拡大は進んでいないのである。

 

共産党には「前衛党」意識がまだ払拭されていない。我こそが日本の革命を担う先進分子であるとの「前衛意識」がその活動を支えているのであろうが、その前衛意識が国内政治勢力の「少数部分」であるにもかかわらず、過大な政治使命(例えば比例投票数800万票目標など)を実現しようとするため政治活動の自由を奪っている。志位委員長を筆頭とする幹部の固定化と高齢化(90歳を越える幹部もいる)、「使命」ばかりを強調されて日々疲労困憊していく高齢党員、共産の周囲にはいまや〝死屍累々〟ともいうべき状況が積みあがってきている。

 

今回の党首合意は、かねてから共産が主張してきた「対等平等」「相互尊重」からは程遠いものだ。しかし、共産がもはや「弱小政党」に過ぎないという現実を見つめなおし、それに見合う自由で活発な政治活動を展開するのであれば、「限定的な閣外からの協力」も党再生の1つのきっかけになるかもしれない。(つづく)

立憲民主党と共産党は「限定的な閣外からの協力」で合意、これが〝野党連合政権〟だと言えるのか(その1)、菅内閣と野党共闘の行方(46)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(271)

2021年10月1日の「しんぶん赤旗」は、1面トップで「政権協力で合意、共産・志位委員長と立民・枝野代表が会談」と大きく報じた。2面でもほぼ全紙を使って、志位委員長の記者会見を特集している。この記者会見の小見出しを拾ってみると、共産党が「限定的な閣外からの協力」をどう評価しているかがわかる仕組みになっている。以下は小見出しとその内容である(要約)。

 

(1)枝野代表から総裁選にのぞむ基本的立場についての提案

 冒頭、枝野代表からどういう形で総選挙に臨むかについて提案があった。その基本的内容は以下の3点である。

 ①次の総裁選において自公政権を倒し、新しい政治を実現する。

 ②立憲民主党と日本共産党は、「新政権」において市民連合と合意した政策を着実に推進するために協力する。その際、日本共産党は合意した政策を実現する範囲での限定的な閣外からの協力とする。

 ③次の総選挙において、両党で候補者を一本化した選挙区については双方の立場や事情の違いを互いに理解・尊重しながら、小選挙区での勝利を目指す。

 

(2)市民と野党の共闘を大きく発展させる画期的な内容

 志位委員長は、この提案に対して「全面的に賛同する」「枝野代表の決断に敬意を表する」と述べ、野党が協力して新しい政権へ向かう大きな一歩を踏み出す合意が得られたことを歓迎し、この合意を力に協力して選挙に勝ち、政権交代を実現し、新しい政権をつくるために全力を挙げると決意表明した。

 

(3)首相指名選挙、臨時国会での予算委開催でも協力を確認

 枝野代表の要請に応じて、共産党は10月4日に行われる首相指名選挙では枝野代表に投票する。臨時国会では本会議での代表質問にとどめず、予算委員会で国政の争点を議論していくことにも賛成する。

 

(4)選挙協力をどのように進めていくのか

 次の総選挙で、両党が候補者一本化で合意した選挙区において勝つために協力するという合意が成立したことは、選挙協力の上でも非常な前進だ。一本化する選挙区を増やしていくための協議にも積極的に取り組んでいく。

 

(5)「新政権」における協力の中身――「市民連合と合意」した政策と具体的に確認

 市民連合と合意した政策にもとづき政治の中身を変えることが一番大事で、協力の形は閣内でも閣外でも構わない。今回は協議の結果、「限定的な閣外協力」ということになった。これで十分に満足している。

 

(6)画期的とはどういう意味か――政権協力の合意ははじめてのこと

 市民連合とは共通政策を「共有して戦い」、その政策を実行する「政権の実現をめざす」ことを合意した。しかし、新政権のもとで日本共産党の協力がどういう形態になるかについての合意はなかった。画期的ということは、日本共産党も協力する新しい政権をめざすことで合意した点にある。

 

(7)「新政権」ができた場合の日本共産党の対応はどうなるのか

 市民連合と合意した政策以外の法案や政策については、党独自の判断にもとづき協力できるものは最大限協力する。

 

(8)候補者の一本化――与野党が競り合っているところを中心に行う

 候補者の一本化については、全ての選挙区で一本化しようというのではなく、与野党が競り合っている選挙区、一本化すれば勝てる選挙区を中心に一本化しようというのが合意だ。

 

(9)今回の党首合意と野党連合政権について

 今回合意された内容は、日本共産党が提唱してきた野党連合政権の一つの形態だと考えている。これまでは立憲民主党に対して政権構想のあり方を明らかにすることが選挙協力の条件だと言ってきたが、今回の党首合意をもって政権協力についての前向きの合意が得られたと考えている。

 

 以上が立憲民主党と日本共産党の党首会談に関する志位委員長の見解だが、次に、メディア各紙(2021年10月1日)がどのように論評しているかを見よう。

読売新聞は、「立共『限定的な閣外協力』、『連合政権』共産取り下げ」との見出しで、「限定的な閣外協力=野党連合政権の共産取り下げ」との見方を示した。

「立憲民主党の枝野代表は30日、共産党の志位委員長と国会内で会談し、次期衆院選で政権交代が実現した場合の枠組みについて、共産は『限定的な閣外協力』とすることなどで合意した。共産は『野党連合政権』の合意要求を事実上取り下げた。『政権を獲得できた場合の共産との枠組みはこれで明確になった』。枝野氏は会談後、記者団を前に胸を張った。(略)共産との協力に対しては、立民の最大の支持団体の連合や、同様に連合の支持を受ける国民民主党が強く反発していた。枝野氏としては、共産党との『連合政権』構想を否定することで、懸念を払拭する思惑がある」

 

産経新聞は、枝野氏の提案は、立民、共産、社民、れいわの4党が「市民連合」と合意した共通政策の実現に協力するのは当然のことにすぎないとして、これを「画期的だ」とする志位委員長の発言を冷ややかに見ている。

「立憲民主党の枝野幸男代表と共産党の志位和夫委員長は30日、国会内で会談し、立民が次期衆院選で政権交代を実現した場合、両党が安全保障関連法廃止を求めるグループ『市民連合』と結んだ共通政策を推進するため、共産が限定的に閣外から協力することで合意した。枝野氏は会談後、国会内で記者団に共産との協力について『限定的』『閣外から』と強調。志位氏は記者団に『政策実現のための協力が合意された意義は大変大きいと考えると(会談で)表明した』と語った」

 

朝日新聞は、「立憲と共産が党首会談、政権枠組み初の合意、あいまいさ残るも折り合い」との見出しで、党首合意が両党の言葉のうえで折り合った妥協の産物であることを示唆している。

「立憲民主党と共産党が9月30日の党首会談で、立憲が衆院選で政権を取った場合、『限定的な閣外からの協力』をめざすことで一致した。『野党共闘』で選挙後の政権の枠組みに関して、野党第1党と共産が合意して戦うのは初めて。ただ、両者の思惑の違いもあり、あいまいな表現で折り合った面もあるようだ。(略)枝野氏は今年6月、連合会長との会談後、『共産党との関係は、理念が違っている部分があるので連立政権は考えていない』と記者団に明言した。立憲の赤松広隆衆院副議長も志位氏らと会談を重ね、『共産がどうしても賛成できない法案もある。《連立与党》ではなく《協力勢力》になり、納得できない法案は党の理念から反対することがあってもいい』など説得。両党幹部が調整し、『限定的』『からの』という言葉を盛り込んで折り合った形だ。ただ、『限定的な閣外からの協力』にはあいまいさも残る。具体的なイメージを問われた枝野氏は『まさに文字通りの合意をさせていただいたということだ』と述べるにとどめた」

 

毎日新聞は今回の党首会談をそれほど大きく取り上げず、見出しも「立憲、共産と連携強化、政権交代時『閣外から協力』」と控えめだ。要するに、今回の党首合意を「連携強化」レベルで見ているということだろう。

「立憲民主党の枝野幸男代表は30日、国会内で共産党の志位和夫委員長と会談し、次期衆院選で政権交代が実現した場合、共産が連立に入らず、『限定的な閣外から協力』をする方針で一致した。自民党の岸田文雄総裁の選出を受け、野党が結束して対抗する狙いがある。両党が将来的な閣外協力で合意するのは初めて。共産は立憲と競合する小選挙区で候補者を取り下げるなど候補者調整を進める方針。立憲はこれまで、共産が連立に入ることはないと説明し、共産は『閣内・閣外協力ともにありうる』と述べるなど、政権交代後の枠組みが不明確だった。立憲の支持団体の連合の神津里季生会長は、共産の閣外協力への反対を表明しているが、枝野30日、『神津氏は、あらゆる法案の事前審査や内閣提出法案への賛成を前提とした狭い意味の閣外協力を言っており、それとはまったく違う』と理解を求めた」

 

 以上、今回の立憲・共産の党首合意に関するメディア各紙の評価は、共産党のまるで「鬼の首でも取った」喜び方に比べて著しく冷めている。なぜ、これほどの落差が生じるのか。次回はその分析をしよう。(つづく)

立憲民主党枝野代表の野党共闘に対する態度は本気なのか、京都1区への対応がその試金石だ、菅内閣と野党共闘の行方(45)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(270)

 今年9月6日の京都新聞は、「衆院選京都1区、独自候補か 野党共闘か、立民、あいまい態度」との見出しで次のように伝えている。

「次期衆院選で野党共闘の成否が注目を集める京都1区で、立憲民主党が独自候補の擁立を巡り、あいまいな態度を続けている。『最終決定権は党本部だが、京都府連などとよく相談して最終的な判断をしないといけない。(候補を)立てないという方針を決めているわけではない』。枝野幸男代表は8月31日の定例記者会見で京都1区の対応を問われ、『白紙』と説明した」

「京都1区は、これまで多くの当選を重ねてきた自民党の伊吹文明元衆院議長が今期限りで引退を表明し、新人で元総務官僚の勝目康氏(47)が議席継承を狙う。日本維新の会も新人の堀場幸子氏(42)が立候補を予定。京都1区初勝利へ意気上がる共産党は、10選を目指す穀田氏を野党統一候補とするよう立民などに求めている」

「小選挙区制となった1996年以降の計8回の衆院選で、京都1区に旧民主党系の候補が立たなかったのは2014年だけ。立民の福山哲郎幹事長(参院京都選挙区)は、旧民主系が非自民・非共産のスタンスで存在感を発揮してきた京都の事情を踏まえ、『共闘は難しい』とするが、独自候補の擁立や野党共闘については言葉を濁す。立民に共闘を呼びかける共産は早期の協議開始を求める」

 

京都1区では、これまで伊吹文明氏が安定した得票で議席を獲得してきたこともあって、共産党の穀田恵二国対委員長(74)=比例近畿=は、常に次点に甘んじてきた。両氏の票差はおよそ2万票余りでそれほど大きな差ではないが、穀田氏はどうしても伊吹氏の厚い壁を破れなかった。それが今回、伊吹氏の引退で大きなチャンスが訪れたというわけだ。ちなみに過去2回の京都1区での得票数は以下の通りである。

    〇第47回衆院選(2014年) 伊吹文明73684票 穀田恵時53353票

    〇第48回衆院選(2017年) 伊吹文明88106票 穀田恵二61938票

 

京都1区のような固定票が大半を占める市内激戦区では、新人候補が大量得票することは極めて難しい。勝目氏が伊吹氏の後継候補であり、伊吹氏が全力を挙げて支援することは間違いないが、それでもこれまで伊吹氏との個人的つながりで投票してきた多くの有権者をそのまま引き留めることはできない。かなりの票が浮動票となり、これを誰が獲得するかが勝負の分かれ目になるとみられている。

 

立憲民主党枝野代表は、菅首相の退任でタナボタの「単独過半数」の夢が消え、目下自民党総裁選の波間でもがいている。今頃になって連日「新政策」を打ち出してももう遅いが、それでも諦めきれないのかメディアに露出することに懸命だ。立憲民主党が自民党総裁選の中に埋没してしまうことへの危機感から、野党共闘に向かって地道な努力を続けることなどは眼中になく(ほったらかしにして)、とにもかくにも立憲民主党が目立つことだけに終始している有様は見苦しいことこの上ない。

 

9月8日に野党共闘に関する政策合意が成立して以来、実質的な選挙協力は全国レベルでは何も進んでいない。それどころか、京都では野党共闘に逆行する動きが強まっている。福山幹事長は、野党共闘の政策合意を誠実に実行しなければならない党の要職にあるにもかかわらず、「京都は共産党と共闘できるような地域情勢ではない」と言い切る有様だ(産経7月30日)。京都は「独立王国」であり、公党間の約束が通用しない「無番地」とでも思っているのであろうか。

 

京都1区での立憲民主党に残された道はただ1つしかない。それは穀田氏を野党統一候補と認めて選挙協力することであり、それがどうしても嫌だというのなら、せめても独自候補の擁立を見送り、自由投票にして実質的に穀田氏を支援することだ。しかし、そうはすんなりといかないところに、謀略が渦巻く「千年の古都・京都」特有の複雑な政治事情がある。ならば、立憲民主党が独自候補の擁立に踏み切った場合のことを考えてみよう。

 

およそ当選の見込みのない立憲民主党の独自候補を擁立することは、自民党勝目氏と共産党穀田氏の一騎打ち戦において穀田票を削ることを意味する。僅差で勝負が決まる接戦において「第3候補」を擁立することは、選挙戦の常識では「敵の回し者」とみられ、この場合は事実上勝目氏の「別働隊」としての役割を果たすことになる。しかし、このことは不思議でもなんでもない。これまでの京都での数多くの選挙では、旧民主系政党が自民など保守系政党と強固な連合軍を組み、共産党の進出を阻んできた長い歴史があるからだ。

 

しかし、「今回は別だ」という見方もある。それは立憲民主党が野党共闘の旗を掲げて衆院選に臨むことを公約している以上、それに反する行動をとったときは公党としての存在意義を疑われることになるからである。枝野代表が「最終決定権は党本部にある」と言っている以上、これ以上のあいまいな態度は許されない。「京都府連などとよく相談して最終的な判断をする」ということになれば、立憲民主党は地域政党の連合体となり、政権政党としての資格を失う。枝野・福山ラインは最終的にどんな決定を下すのだろう。京都の有権者のみならず多くの国民がその決定を見守っている。(つづく)

 

 

「政策協定」はするが「連立政権」は組まない、立憲民主党枝野代表の思惑はいったどこにあるのか(その2)、菅内閣と野党共闘の行方(44)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(269)

 

立憲民主党枝野代表の連立政権否定論の本質は、9月1日の共同通信インタビューや9月9日の日経新聞インタビューにもよくあらわれている。キーワードは「考えられない」という言葉だろう。枝野氏は、共産党との連立政権は「考えられない」と何度も明言している。「考えられない」という言葉を類語辞典で引いてみると、「全くありそうもない」「想像不可能」「あり得ない」「とんでもない」と言った意味が並んでいる。要するに、枝野氏は共産党との連立政権を原理的に否定しているわけで「考える余地はない」というものである。交渉用語でいえば、いわゆる「ゼロ回答」だということだ。

 

意味深長なのは、枝野氏が「考えられない」という言葉に続いて、「この点は共産党も理解いただいていると思う」と言っていることだろう。「と思う」という表現は、枝野氏の個人的意向をあらわすものだが、言わんとするところは「共産党もこの点は分かっているはずだ」ということだ。言い換えれば、連立政権は原理的に無理だから、「いくら言っても無駄ですよ!」と念を押しているのである。これが「最終的には選挙までに説明する」ことの意味であり、政策協定によって「パーシャル(部分的な)な連携」はするが、連立政権は絶対に組まないと宣言しているのである。

 

枝野氏は「本物の保守」「保守本流」だと自称しているように、おそらくは革新勢力とは縁もゆかりもない人物なのだろう。「非自民・非共産」を掲げる日本新党に参加したことが政治家としての出発点だったように、枝野氏の「非共産」は遺伝子レベルの体質であり〝母斑〟と言ってもいい。一方、枝野氏にとって「非自民」は必ずしも「非保守」を意味しない。現在の自民党のような古い体質の「旧保守」は批判の対象になるが、「新保守」に生まれ変われば、明日にでも手を組む相手になると考えているのである。枝野氏自身も最終的には「保守新党」の結成を目指しているように、現在の立憲民主党は「仮の宿」にすぎない。

 

一方、共産党の方はどうか。『AERA』2021年9月13日号に掲載された志位委員長のインタビュー記事の概要は以下の通りだ(AERAdot.9月12日、抜粋)。

――衆院選では、共産党は「野党共闘」を強くアピールしています。特に立憲民主党にはかねて「野党連合政権」を呼び掛けてきました。菅自公政権への批判が国民からこれだけ広がっていたわけですから、野党の姿勢も問われていると思います。

 「わが党は、新自由主義からの転換、気候危機の打開、ジェンダー平等、憲法9条を生かした平和外交、立憲主義の回復などを争点として訴えていきます。他の野党とかなりの部分で方向性は一致すると思います」

── 一致できない部分はどうしますか。特に日米安保条約に関しては共産党は「廃棄」ですが、立憲民主党は「日米同盟を外交の基本」としています。天皇制についても共産党は「天皇制のない民主共和制」を目指し、一方の立憲民主党は「象徴天皇の維持」を掲げています。

 「政党が違うのだから、政策が異なるのは当たり前です。不一致点は共闘には持ち込みません。共闘は一致点を大切にして前進させるという立場を堅持します。天皇の制度については、天皇条項も含め『現憲法の前文をふくむ全条項を守る』ということがわが党の立場であり、この点では一致するでしょう。野党が共通で掲げる政策を大切にしながら、党独自の政策も大いに訴えていく。二段構えで進むというイメージです」

──政権交代をしたら、共産党は連立政権に加わりますか。

「『閣内協力』か『閣外協力』か、どちらもありうると一貫して言ってきました。話しあって決めていけばいいと思っています」

──それにしても、2009年に民主党が野党から与党になった時、ここまで共産党は柔軟な姿勢ではなかったと思います。

 「私たちが変わったことは間違いありません。今までは独自の道をゆくやり方でやっていましたから。しかしそれでは、あまりにひどくなった今の政治に対応できないと考えました。特に15年の安保法制の強行成立は、日本の政治にとって非常に大きな分水嶺でした。憲法9条のもとでは集団的自衛権は行使できないという憲法解釈を一夜にしてひっくり返し、自衛隊を米軍と一緒に海外で戦争できるようにするという、立憲主義の根本からの破壊でした。破壊された立憲主義を回復することは、国政一般の問題とは違う次元の問題として捉え、この年に共闘路線に舵を切ったのです」

──とは言え、立憲民主党は「保守」を自認しています。その保守と「筋金入りのリベラル」の共産党とが共闘を組むのは水と油のようにも映ります。

 「1960年代から70年代の統一戦線は、共産党と社会党の統一戦線、革新統一戦線でした。今回は保守の方々と共産党との共闘が当たり前になっている。これは現政権がまともな保守ともよべない反動政権に堕していることを示していると思います」

──野党共闘で戦う上で不安材料はないのでしょうか。

 「共闘を成功させるには、『対等平等』『相互尊重』が大事だと考えています。今年4月に広島、北海道、長野で行われた国政選挙でも、8月の横浜市長選でも勝利を勝ち取ったことは大きな成果ですが、『対等平等』『相互尊重』は今後の課題となりました。衆院選は、この二つの基本姿勢をしっかり踏まえてこそ一番力ある共闘になるし、成功すると考えています」

──対等平等でもなく相互尊重もされていなかったら、共闘はやめるのでしょうか。

 「そう単純なものじゃありません。ただ、本当に力を出すには『対等平等』『相互尊重』はどうしても必要だということです」

──枝野代表との信頼関係は。

 「私は信頼感を持っています」

 

志位委員長の発言の核心部分を要約すると、以下のような注目すべき内容が浮かび上がる。

(1)2015年の安保法制の強行成立による立憲主義破壊(集団的自衛権は行使できないという憲法9条の解釈変更)を、国政一般の問題とは違う次元の問題として捉え、この年に(自共対決路線から)野党共闘路線に舵を切った。

(2)1960年代から70年代の統一戦線は、共産党と社会党の統一戦線すなわち「革新統一戦線」だったが、今回の野党共闘は反動政権に対する「保革連携戦線」ともいうべきものであり、「保守」を自認する立憲民主党との共闘に違和感はない。

(3)野党共闘を成功させるには「対等平等」「相互尊重」が大事だが、それが無視されたからと言って共闘を止めるほど政治は単純なものではない。枝野代表には信頼感を持っている。

 

志位発言をどう分析するか、残念なことに私にはそれだけの蓄積がない。国民一般(共産党支持者を含めて)の印象から言えば、これだけ立憲民主党にコケにされながら、なぜ共産党はおめおめと付いていくのか――といったことになるが、志位発言がこのような国民の素朴な疑問に対して納得できる回答になっているかどうか、私には判断できないのである。とはいえ、私なりの幾つかの感想を述べれば、次のようなことになる。

(1)2015年の安保法制の強行成立による立憲主義破壊を契機にして「野党共闘路線」に転換したとあるが、すでにそれ以前から「独自の道を行くやり方」(自共対決路線)は国民感覚から遊離しており、破綻していたのではないか。弱小政党の共産党が幾ら自民党批判を試みても国民の共感を呼ぶことができず、政治的実行力を伴わない政治批判は宙を舞うだけだった。

(2)1960年代、70年代の「革新統一戦線」の相手である社会党が消滅したことも大きかった。社会党が「自社さ連立政権」を組むことで革新統一戦線から離脱した結果、国民の前から国政革新勢力の姿が見えなくなった。加えて、革新統一戦線の中核を担った世代の高齢化が進み、その後の世代交代が進まなかったこともあって、共産党が独自で事態を打開していく力も衰えた。小なりといえども共産党が政治的存在感を発揮するには、反動政権に対する「保守連携戦線」を構築する以外に道がなかったのだろう。

(3)野党共闘における「対等平等」「相互尊重」を強調しながらも、立憲民主党がそれを守らなかった場合の対応があいまいなのは、野党共闘から決別した場合の痛手が大きいからだ。この曖昧さは、曖昧な妥協を重ねるしかない弱小政党の共産党の苦しい内部事情を反映している。機関紙「しんぶん赤旗」では、連日悲鳴とも聞こえる読者拡大、党勢拡大の掛け声が続いているが、私の周辺では「もはや身体が動かない」支持者が多数派となっている。こんな旧態依然のやり方では、党勢拡大の掛け声が宙に舞うだけで共産党の再生は難しい。

(4)志位委員長が党首に就任してからはや20年余を数えるが、この間、党首交代は一度も実現していない。そして、日を増すごとに志位委員長の一言で党の方針が決まるような傾向が強まっている(そう見える)。自民党が総裁選で華々しく党首を選んでいるにもかかわらず、共産党は党員や支持者による党首直接選挙を一度も実施していない。これではどちらが国民に「開かれた政党」なのか、一目瞭然ではないか。国民は敏感だ。国民の前で共産党幹部が党首選挙をめぐって論争する――、こんな光景が日常的に展開するようにならなければ、共産党がどんな政策や方針を出しても国民には信頼されない。透明性のあるプロセスのなかで政策や方針が議論され、決定されていくのでなければ国民は政党を信頼しないのである。共産党の政党支持率が数パーセントを越えないのは、このあたりに根本原因があるのではないか。

 (5)野党共闘の「政策合意」を「政権協力」「選挙協力」にステップアップする道は限りなく遠い――、これが私の率直な感想だ。しかし、志位委員長は「枝野代表には信頼感を持っている」のだそうだ。信頼感は個人的な好き嫌いで生まれるものではない。政党間の信頼関係は「約束を守る」という政党間の行動によって担保される。枝野代表が共産党との「連立政権は考えられない」と言っているにもかかわらず、志位委員長が枝野代表に「信頼感」を持つのはいったいどうしてなのか、志位氏はその根拠を示さなければならない。そうでなければ、志位委員長は国民や党支持者には「ウソ」の情報を流したことになり、その政治責任を問われることになる。(つづく)