表紙は変わっても中身が変わらない〝志位体制〟の抜き差しならない矛盾、「政治路線も組織路線も間違っていない」の言明にもかかわらず、「長期にわたる党勢後退」を克服できないのはなぜか、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その18)、岸田内閣と野党共闘(83)

 歴史的な京都市長選が終わった翌々日(2月6日)、日本共産党の全国都道府県委員長会議が開かれた。その模様は、赤旗(2月7~9日)で詳しく報道されている。驚いたのは、田村委員長の「問題提起」が前座として取り扱われ、志位議長の「中間発言」が本番に位置づけられていたことだ。率直に言って、田村委員長の「問題提起」は大会決議の党勢拡大方針の単なる解説に過ぎず、全ての内容は志位議長の「中間発言」に託されていたのである。

 

 志位委員長時代の赤旗紙面は、重要会議の記事は悉く「志位発言」で埋め尽くされていた。ところが、田村委員長になって初めての今回の全国都道府県委員長会議では、田村発言は脇役に追いやられ、質量ともに志位議長の「中間発言」がど真ん中に位置しているではないか(紙面の分量でも田村発言は志位発言の6割にすぎない)。志位議長の発言は、「中間発言」と言いながらも事実上の「最終発言」であり、大会決議の実行を全国都道府県委員長に指示する「結語」として位置づけられているのである。

 

 志位議長は「党建設の歴史的教訓と大局的展望」に関する発言のなかで、「『なぜ長期にわたって党勢の後退が続いてきたのか』『なぜ私たちはこの問題でこれだけ苦労しているのか』『現状を打開する展望はどこにあるのか』――これは全党のみなさんが答えを求めていた問いだったと思います」と前口上を述べ、「実は、私自身もこの問題については十分な回答を持てないでいた問題でした」と思わせぶりな言い回しをしている。そして、その原因を「私たちはこれまで党員の現状をみる際に主に党員の現勢がどう推移したかで見ていくという傾向がありました」と述べ、「しかし、その角度からだけでは問題点がはっきりと見えてきません。角度を変えて、その年に新しい党員を何人増やしたかという目で見てみると、はっきりと弱点が浮かび上がってきました」というのである。

 

 しかしながら、志位議長が「長期にわたる党勢後退」の原因を、新入党者の動向に注目することなく、党員現勢(総数)の推移だけに気を取られていたためだと説明した「薄っぺらな理由」は、会場の都道府県委員長たちをしてさぞかし仰天させたに違いない。会場の面々は、赤旗が毎月初めに前月分の入党者数、赤旗読者増減数を掲載していることを百も承知しており、そのために四苦八苦してきた人たちばかりだからである。考えてもみたい。党組織運営の原則からして、党員の「フロー(出入り)」と「ストック(現勢)」の両方を知らなければ、その現状を把握することはできない。こんな組織運営のイロハを指導部が知らなかったというのでは、もうそれだけで「一発アウト!」だと言われても仕方がないだろう。

 

 とはいえ、志位議長が党組織の現状を党員現勢の推移(だけ)で見てきたと説明したのは、それなりの原因と背景があるのだろう。そこには党指導部にとって党員の「フロー(出入り)」を公表できない事情、すなわち〝離党者〟が余りも多いという現実が横たわっているからである。言うまでもなく、党員の「フロー(出入り)」を正確に把握しようとすれば、入党者のみならず離党者と死亡者の実数を合わせて公表しなければならない。しかし、死亡者数は辛うじて党大会ごとにまとめて公表されるようになったが(年単位では未公表)、離党者数はこれまで公表されたことがない。離党は党規約で認められているのだから公表されて当然の数字だが、現実には統計として公表されたことがないのである。

 

 党員拡大を持続的に追及しようとすれば、その前提として入党者と離党者の実態を正確に把握しなければならない。入党者の動機や背景を知ることはもちろん重要だが、それにも増して離党者がなぜ出るのか、その原因と背景を明らかにしなければ「長期にわたる党勢後退」を止めることはできない。民間企業においても、社員がどんどん辞めていくような会社は慢性的な「人手不足」に陥り、優れた新入社員を迎えるのが難しいのと同じ理由である。

 

 不破委員長時代に定式化された党勢拡大方針は、第19回党大会(1990年7月)で書記局長に抜擢された志位氏に引き継がれ、現在までの30年有余年間一貫して踏襲されてきた(これからも踏襲されようとしている)。この間、「数の拡大」を至上目的とする大運動によって「実態のない党員」が大量に生み出され、それら党員が離党処分の対象になって大量の離党者が発生したことは周知の事実である。具体的に言えば、第19回党大会から第20回党大会までの4年間に実に党員48万人の4分の1に当たる12万人が整理され(党員現勢が36万人に激減)、第25回党大会(2010年1月)から第26回党大会までの4年間に同じく党員40万6千人の3割に当たる12万人が整理された(党員現勢が30万5千人に激減)。逆説的に言えば、「長期にわたる党勢後退」の原因は「数の拡大」を至上目的とする党勢拡大方針が生み出したと言えなくもない。しかし、上記のいずれの場合も離党者の大量発生の原因について本格的な討論もなければ、党としての総活が行われたこともなかった。大会決議にも正式の議題として取り上げられたことがなかったのである。

 

 それでも、志位議長はへこたれずに自画自賛している。「私は、1990年の第19回党大会以降、数えて見ましたら11回の党大会の決議案の作成にかかわってきました。そういう経験に照らしても、私は、今回の党大会決定ほど多面的で豊かで充実した決定はそうない、と言っても過言ではないと思います」――。志位氏が書記局長・委員長在任中に11回の大会決議案の作成に関わったことは事実だが、そこで発生した党組織の存亡に関わる大量の「実態のない党員」問題すなわち離党者問題を真正面から取り上げたことはなかった。それでいて「長期にわたる党勢後退」の最大原因である離党者問題を意図的にスルーした大会決議案・大会決定を、「非常に内容の充実したまさに歴史的決定であり、綱領路線をふまえ、それを発展させた社会科学の文献」と天まで持ち上げるのだから、志位氏の理論水準がどの程度か分かるというものである。

 

 「失敗は成功の母」というが、「失敗=大量の離党者」の原因を究明し、これまでの拡大方針を総括しなければ、「成功=党勢の持続的発展」は得られない。「党勢の持続的発展」(サステイナブル・デベロップメント)とは、「数の拡大」を至上目的とする拡大運動に疲弊した党員が党を離れていくような事態を避け、党員数の大小にかかわらず政策の影響力が大きく、国民に信頼される「数にこだわらない」党勢の発展のことである。だから「数の拡大」に失敗した志位氏は、委員長退任と同時に最高権力者の座から退くべきだったのだが、「政治路線も組織路線も間違っていない」と公言する志位議長は、こんな自明の理を無視して依然として「数の拡大」を目指して号令をかけ続けるのである。

 ――残念ながら、現勢では後退が続いている。つまり党建設の根幹が後退していることが、読者拡大も含めてすべての党活動の隘路となり、制約になっている。これが私たちの運動の現状であります。ここを私たちは直視し、ここをこの2月からどうしても突破しよう、これが今度の方針です。党員拡大で現勢を前進に転ずるには、全国で少なくとも1万人以上に働きかけ、1000人以上の新入党者を迎える必要がある。規模でいえば1月の運動の規模の約3~4倍の規模のとりくみをやろう、というのが今度の提起であります。

 

 それでは、今後の見通しはどうか。第29回党大会を目指しての拡大大運動の最後の月は2024年1月だったが、結果は入党者447人、日刊紙1605人減、日曜版5381人減、電子版94人増である(赤旗2月2日)。赤旗掲載死亡者数は183人、掲載率を38%とすると推計死亡者数481人(183人×100/38)、党員増減数は34人減となる。党大会終了を以て大量の減紙が発生するのはいつものことであるが、今回もまたその例に漏れず赤旗読者数は7000人近く減っている。これでは、志位議長が幾ら大号令を掛けても、「第30回党大会までに、第28回党大会現勢――27万人の党員・100万人の赤旗読者を必ず回復・突破する。党員と赤旗読者の第28回党大会時比『3割増』――35万人の党員、130万の「赤旗」読者の実現を、2028年末までに達成する」への道は程遠いと言わなければならない。

 

 もうそろそろ方針転換の時期ではないか。「数の拡大」を至上目的とする党勢拡大方針から、「数にこだわらない」党勢の発展を目指すべき時がやってきているのである。マルクス主義の経済思想を研究する斎藤幸平東大准教授は、毎日新聞の論点「複合危機への処方箋、2024年にのぞんで」(2024年2月9日)の中で〝脱成長コミュニズムを実現し価値観転換を〟を唱えている。斎藤氏は共産党のことを直接に論じているわけではないが、この言葉は「数にこだわらない」党勢の発展にも通じるものがある。

 ――強いリーダーが社会を変えていく20世紀型のトップダウン的運動ではトップダウン的社会しかつくれません。そうでない社会を目指すには、そうでない社会の萌芽を自分たちの運動のなかで示していく必要があります。リーダーを固定するのではなく、いろいろな人がそれぞれの専門や能力をその時々で発揮する「リーダーフル」な運動のあり方を模索していますし、提唱したいのです。

 

 「民主集中制」の組織原則のもとで党中央の下に一糸乱れることなく団結し、社会革命を実現するといった「20世紀社会」はもはや終わったのではないか。同時に、20世紀型の強いリーダーの下でのトップダウン的運動も歴史的終焉の時を迎えている。党首公選制一つですら実現できないような「20世紀型政党」が21世紀にも生き残れるとは思えない。今からでも遅くない。志位議長は辞任して若い世代に座を譲るべきではないか。「表紙」だけでなく「中身」を変えるためにも。(つづく)