『日本共産党の百年』が語らない〝長期にわたる党勢後退〟の原因、数の拡大を至上目的とする拡大運動が多数の離党者を生み出し、硬直的な組織体質が若者を遠ざけて党組織の高齢化を引き起こした、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その16)、岸田内閣と野党共闘(81)

 『日本共産党の百年』の「むすび――党創立百周年を迎えて」は、それ以前の五十年史や八十年史には見られなかった悲壮な言葉で綴られている。とはいえ、党の危機を訴える一方、なぜ〝長期にわたる党勢後退〟が継続しているかについては十分な説明がされていない。

 ――全国各地で奮闘が続けられてきたものの、党はなお長期にわたる党勢の後退から前進に転ずることに成功していません。ここに党の最大の弱点があり、党の現状は、いま抜本的な前進に転じなければ情勢が求める任務を果たせなくなる危機に直面しています。いま党は、この弱点を根本的に打開し、強く大きな党をつくる事業、とりわけ世代的継承――党の事業を若い世代に継承する取り組みに新たな決意で取り組んでいます。

 

 そこには、支配勢力の反共攻撃や反動的政界再編などの外部要因は数々挙げられているものの、党自体が抱えている内部要因についてはほとんど説明らしい説明がない。拙ブログではこの内部要因として、第1に「数の拡大」を至上目的とする拡大運動が多数の離党者を生み出したこと、第2に党の硬直的な体質が若者を遠ざけて党組織の著しい「高齢化」を招いたことを挙げたい。

 

 日本共産党の1960年代から80年代初頭にかけての20年余の党勢拡大方針を概観すると、第8回党大会(1961年7月)が当面の課題として提起した「数十万の大衆的前衛党」の建設が大きな成果を挙げたことから、70年代後半には「百万の党」の建設を展望しつつ、当面「五十万の党、四百万の読者」を実現する――との壮大な展望が語られるようになった。そのことを象徴するのが、第15回党大会(1980年2月)における不破書記局長の結語である。不破氏は、第11回党大会(1970年7月)で書記局長(40歳)に抜擢され、第16回党大会(1982年7月)で委員長に就任している。

 

 不破書記局長は、拡大運動の絶頂期において「百万の党」の拡大方針を次のように提起した。

――60年代初頭の4万2千余の党員、10万余の機関紙読者から、60年代を通じて28万余の党員、180万の読者へ(70年代初頭)、さらに70年代を通じて今日の44万の党員、355万を超える読者へ、これがこの20年来の党勢拡大の大まかな足取りであります。第14回大会決定(1977年10月)は「百万の党」の建設を展望しつつ、当面「五十万の党、四百万の読者」の実現という課題を提起しました。80年代には、わが党が戦後、党の再建以来目標としてきた「百万の党」の建設を必ずやりとげなければなりません。「百万の党」とは決して手の届かない、遠い目標ではありません。日本の人口は1億1千万、「百万の党」といえば、人口比で1%弱の党員であります。私たちは、大都市はもちろん遅れたといわれる農村でも、少なくとも人口の1%を超える党組織をもち、こうして全国に「百万の党」をつくりあげることは、必ずできる目標だということに深い確信をもつわけであります。

 

 不破書記局長によって定式化された拡大方針は、委員長就任後はさらに精緻化され、第19回党大会(1990年7月)で書記局長に抜擢された志位氏(35歳)に引き継がれた。だが志位氏は、書記局長就任直後から「実態のない党員」問題に直面しなければならなかった。「数の拡大」を至上目的とする拡大運動が数合わせのための「実態のない党員」を大量に生み出し、もはや放置できなくなっていたからである。この事態は、不破委員長のもとで推進されてきた拡大方針に重大な誤りがあり、「実態のない党員」を大量に生み出す原因になっていることは明らかだった。だが、第20回党大会(1994年7月)は、事態の原因を究明することもなければ、本格的な討論を行うこともなかった。志位書記局長は、「実態のない党員」を整理したことは「前衛党らしい党の質的水準を高めるうえでの重要な前進だ」との詭弁で、事態の幕引きを図ったのである。以下は、志位書記局長の発言である。

 ――まず党勢の現状です。1990年11月の第2回中央委員会総会で、「実態のない党員」の問題の正しい解決に勇気をもってあたるという問題を提起しました。その結果、現在の党員数は約36万人となっています。「実態のない党員」の問題の解決が基本的に図られたことは、前衛党らしい党の質的水準を高めるうえで重要な前進でありました。同時にソ連・東欧の崩壊などの情勢の急激な変化を、科学的につかみきれずに落後していった者が一部に生まれました。いかなる情勢でも揺るがない思想建設の重要性、同志愛あふれる党づくりの重要性を痛切な教訓として汲み取らなければなりません。

 

 信じられないことだが、「実態のない党員」問題が提起された2中総(1990年11月)の僅か4カ月前の第19回党大会の冒頭発言で、不破委員長はこのような深刻な問題には全く触れずに、拡大運動の楽天的な見通しを強調していた。不破氏がこの時点で膨大な「実態のない党員」の存在を知らなかったはずがない。それでいながら「50万近い党」を誇示し、拡大方針の正しさを強調したのである。

 ――わが党は綱領が確定した第8回党大会以来、歴史的に大きく前進いたしました。党員は8万8千人から50万近い党へ、「赤旗」読者が34万余から300万、国会議員が6名から30名、地方議員が818名から3954名へと前進しております。これは綱領の方向で党組織と多くの支持者が奮闘された結果であります。

 

 それからの4年間で党員48万人の4分の1に当たる12万人が「離党者」として整理され、党員現勢が36万人に激減するという事態が起こった。このことは、不破発言の虚構を白日のもとに曝すものであり、党組織の根幹を揺るがす大問題に発展してもおかしくなかった。しかし、志位書記局長は「こうした現状をふまえて、いまこそ党員拡大を本格的前進の軌道にのせていく必要があります」と、まるで何事もなかったかのようにこれまで通り拡大運動を続けていく方針を強調した。このことは、「民主集中制」の組織原則の下では、下位の書記局長が上位の委員長に対して異を唱えられない党組織の硬直性をまざまざと示すものであった。

 

 もう少し説明を加えよう。志位氏は上記の報告で「実態のない党員」問題に対しては「正しい解決に勇気をもってあたる」と発言している。このことは、彼がこの問題を「正しくない」と認識し、「勇気をもって」当たらなければ解決できない問題だと考えていたことを示している。そうしなければ、「実態のない党員」を大量に生み出す拡大運動の誤りを是正できないし、持続的な拡大方針を提起することもできない。にもかかわらず志位氏は、そのことが不破委員長に対する批判に波及することを忖度して「臭い物にフタをする」道を選んだのである。

 

 それ以降、第22回党大会(2000年11月)で委員長に就任した志位氏のもとで、以前にも勝る勢いで拡大運動が展開されるようになった。とりわけ党大会直前の期間は「特別拡大月間」が設けられ、それまでの遅れを取り戻すためとして党中央から地方機関に大号令が下されて「拡大競争」が大々的に組織されるようになった。赤旗で連日報道される「拡大実績」を目の前に突きつけられた地方機関は、遮二無二拡大運動に追い立てられ、こうした中で数合わせのための「実態のない党員」が大量に生み出される素地が再び形づくられていったのである。

 

 その結果、20年前と同じことが第26回党大会(2014年1月)で起こった。志位委員長は、「実態のない党員」問題が発生したこの間の党建設の取り組みを(淡々と)報告している。

 ――私たちはこの4年間、第25回党大会決定にもとづき、また2010年の参院選を総括した同年9月の2中総決定で、「党の自力の問題」にこそ、わが党の最大の弱点があることを深く明らかにし、強く大きな党づくりに一貫して力を注いできました(略)。党員については拡大のための努力が重ねられてきましたが、2中総決定が呼びかけた「実態のない党員」問題の解決に取り組んだ結果、1月1日の党員現勢は、約30万5千人となっています。「実態のない党員」問題を解決したことは、全党員が参加する党をつくろうという新たな意欲と機運を呼び起こしています。

 

 志位氏は、「実態のない党員」の規模があまりにも大きかった所為か、正確な数字を公表していない(大会決議にもない)。ただ90年代後半から党大会間の死亡者数が公表されるようになったので、「前党大会党員現勢+入党者-死亡者-離党者=今党大会党員現勢」の計算式で、離党者数を算出することができる。この計算式で算出すると、20年前と同じく12万人もの大量の「実態のない党員」が整理されたことになる。

  〇40万6千人(2010年1月現勢)+入党者3万7千人-死亡者1万8593人-離党者=30万5千人(2014年1月現勢)、離党者11万9407人(約12万人)

 

 20年前には、党員現勢48万人の4分の1に当たる12万人もの大量の離党者が生まれた。この時に「数の拡大」を至上目的とする拡大方針の誤りが是正され、持続的拡大を目指す新たな方針が提起されていれば、党の発展は別の道をたどったかもしれない。しかし、今回も40万6千人の3割に当たる12万人が離党者として整理されるということが再び起こった。そして、志位氏は今回も「『実態のない党員』問題を解決したことは、全党員が参加する党をつくろうという新たな意欲と機運を呼び起こしています」と強弁したのである。これでは、前衛党としての質的水準を上げ、全党員が参加する党をつくろうと思えば、「離党者が増えるほどいい」といった荒唐無稽な理屈になりかねない。だが、さすがの志位氏も「これだけでは拙い」と思ったのか、以下のコメントを付け加えた。

 ――「実態のない党員」を生み出した原因は、十数年に及ぶ「二大政党づくり」など日本共産党抑え込みという客観的条件の困難だけに解消できるものではありません。それは「支部を主役」に全ての党員が参加し成長する党づくりに弱点があることを示すものと言わねばなりません。「二度と『実態のない党員』をつくらない」決意で、革命政党らしい支部づくり、〝温かい党〟づくりへの努力を訴えるものであります。

 

 志位委員長は、上記の発言からもわかるように、依然として「数の拡大」を至上目的とする党中央主導の方針の誤りを認めていない。逆にその責任を支部活動に転化し、支部活動が活発になれば「実態のない党員」は生まれないとして、離党者が発生する原因を末端組織に押し付けている。「民主集中制」を基本とする党活動は、上級の指示に下級が従うことが組織原則になっている以上、この組織原則を是正することなく「実態のない党員」問題の責任を支部に押し付けることは、本末転倒の議論だと言わなければならない。しかも、それが「大会決議」として正当化されるのだからなおさらのことである。

 

 念のため、志位委員長の在任期間(2000年11月~2023年12月)の入党者数、死亡者数、離党者数と年平均(いずれも筆者算出)を挙げておこう。本来ならば、この種の資料は党自身が公表して然るべきものであるが、都合の悪い数字は曖昧にされるという長年の慣行のため、そのまま利用できる確たる資料がない。拙ブログの計算式に基づく算出は、老眼を酷使した作業の結果であるため誤りがあるかもしれないが、それでも大まかな傾向はつかめるので参考にしてほしい。

 

 第22回党大会(2000年11月)から第29回党大会(2024年1月)までの23年2カ月間の党員現勢の変化は、38万6517人(2000年11月現勢)+入党者18万3895人-死亡者9万8989人-離党者22万1602人=24万9821人(2024年1月現勢)であり、第29回党大会で公表された党員現勢25万人とほぼ一致している。驚くのは、離党者22万1千人が入党者18万4千人を大きく上回っていることであり、死亡者が10万人近く(9万9千人)に達していることである。以下は、党大会ごとの計算式を示そう。

 〇第23回大会(2004年1月)

38万6517人(2000年11月現勢)+入党者4万3千人-死亡者9699人-離党者=40万3793人(2004年1月現勢)、離党者1万6025人

 〇第24回党大会(2006年1月)

40万3793人(2004年1月現勢)+入党者9655人-死亡者7396人-離党者=40万4299人(2006年1月現勢)、離党者数1753人

 〇第25回党大会(2010年1月)

40万4298人(2006年1月現勢)+入党者3万4千人-死亡者1万6347人-離党者=40万6千人(2010年1月現勢)、離党者1万5951人

 〇第26回党大会(2014年1月)

40万6千人(2010年1月現勢)+入党者3万7千人-死亡者1万8593人-離党者=30万5千人(2014年1月現勢)、離党者11万9407人

 〇第27回党大会(2017年1月)

30万5千人(2014年1月現勢)+入党者2万3千人-死亡者1万3132人-離党者=30万人(2017年現勢)、離党者1万4868人

 〇第28回党大会(2020年1月)

30万人(2017年1月現勢)+入党者(無記載、暫定2万1240人)-死亡者1万3828人-離党者=27万人(2020年1月現勢)、離党者3万7412人

党大会記録に入党者数が記載されていないので、2017年1月から2019年12月までの赤旗(各月党勢報告)を調べたところ、3年(36カ月)のうち入党者数が掲載されていたのは26カ月、計1万5354人、月平均590人だったので、590人×36カ月=2万1240人を暫定値として離党者3万7412人を算出した。

 〇第29回党大会(2024年1月)

27万人(2020年1月現勢)+入党者1万6千人-死亡者1万9814人-離党者=25万人(2024年1月現勢)、離党者1万6186人

 

 2000年11月~2023年12月(23年2カ月)の合計は、入党者18万3895人(年平均7937人)、死亡者9万8809人(同4264人)、離党者22万1602人(同9564人)であり、党員数は13万6517人減(同5892人減)となった。次回は、若者離れがもたらした「超高齢化」の実態を分析する。(つづく)