自ら仕掛けた罠にはまった菅首相の醜態ぶり、(菅政権は「新ファシズム」のまえぶれか、その4)

 参院選の終盤になってからの菅首相の醜態ぶりは、見るに堪えないものがある。「消費税10%」の公約が大反響・大反対を呼び、それが民主党議席減にまで及びそうになってくると、にわかに前言を翻し始めたのだ。「やるといった覚えはない。議論するといっただけだ!」と選挙演説で絶叫する。見苦しいことこのうえもない。

 まともな政治家なら言葉が命だろうが、鉄面皮の菅首相にはこの原則は通用しないらしい。情勢次第で言うことが変わってもなんら恥じらうことがないのが、この人物の本質だ。「目的(政権維持)のためには、手段(政権公約)を選ばない」で、首相の地位を維持するためには、「どんなウソでもいうよ」というところだろう。

 マスメディアも現金なものだ。出だしの一声のときは、朝日や読売は、菅首相の消費税発言を「責任ある政治家の責任ある言葉」とあれほど褒めたたえていたくせに、国民世論が「総スカン」状態になってくると、自らの主張はどこへやら、最近は「消費税増税」をトンと言わなくなった。

それどころか自らの責任は棚に上げて、「菅首相は国民世論を甘く見た」とか、「政治経験が足りない」とか、好き放題のことを論評する始末。「手に負えない連中」、「懲りない面々」とはこんなマスメディアのことを指すのだろう。

 それにしても、こんな奇妙キテレツな政治情勢をいったいどうみたらよいのか。「消費税10%増税」を真っ先に掲げた自民党が、それに抱きついた民主党を「自民党の10%と民主党の10%では使い道が違う」といった理屈にならない理屈で攻撃し、その結果、自民党が「健闘」しているというのである。

本来なら、「自民も自民なら、民主も民主だ」という「同じ穴のムジナ」論になって、両党がともに総スカンを食って然るべきなのに、自民も民主も支持率に大きな変動がなく、また議席を大幅に減らす気配もない。「いったいどうなっているの?」といいたいところだが、適当な答えが見つからない。

おそらく国民は「消費税には反対」だが、民主と自民の「政権たらい回しは仕方がない」と思っているのではないか。消費税を当分上げなければ、民主であれ自民であれ、政権を委ねる他はないと考えている(諦めている)のだろう。そうは思いたくはないが、政権政党(権力)におそろしく弱いのが、この国の有権者の体質なのかもしれない。

だが見方を変えてみれば、鳩山前首相の最大の「功績」は、反面教師として沖縄の米軍普天間基地問題の重要性を国民に教えたように、今回の菅首相の一連の消費税増税発言は、この国の財政と税制のあり方を国民に考えさせる一大契機になったことは間違いない。その意味で、菅首相もまた「立派な反面教師」の役割を果たしているのである。

沖縄普天間基地問題は、日米軍事同盟を機軸とする日本の外交・軍事政策の要だ。同様に消費税増税問題は、わが国の内政を支える財政・税制政策の要である。この外交・内政の2大問題をめぐって、鳩山・菅首相が「政権交代」にもかかわらず「政策継承」を打ち出したのだから、自民から民主への「政権交代」はなんら中身の変わらないものであることを証明したことになる。

多くの国民は、まだこの事態を正確に理解していない。「表紙をかえただけの政権交代」なのに、「中身が全然変わらない」ことに気づいていないのだろう。だから、鳩山・菅政権への失望が大きいにもかかわらず、まだ「何かあるのではないか」とついつい期待してしまうのだ。

とはいえ、参院選の結果次第では民主党内の勢力争いが激しくなって、菅首相の政治生命が危うくなるような事態もあり得ないわけではない。このような状況になると、さすがに善良な有権者も少しは民主党の本質がわかるようになるのではないか。そのときはまた、自民と民主が「同じ穴のムジナ」であることが多くの国民を理解されるときでもある。

結局のところ、「菅首相は国民世論を甘く見た」というのが正確な状況認識だろう。謀略を駆使する権力者は、「往々にして自らの謀略に溺れる」というのが世の鉄則だ。国民を騙して「消費税増税の約束」を取り付け、そのことで「本格政権への道」を付けようというのが菅首相の腹づもりだった。だから自ら率先して「消費税増税」を打ち出し、一挙にケリを付けようと企んだのである。

菅首相は、自ら仕掛けた「罠」にはまってしまった。そこが謀略を常とする者の陥りやすい陥穽である。この先、曲者であり強か者(したたかもの)の菅首相がどのような手を披露するか、観客は目を凝らして見守っている。(つづく)