「曲者」(くせもの)の正体がばれ始めた菅首相、(菅政権は「新ファシズム」のまえぶれか、その3)

 参院選も中盤にさしかかって、にわかに消費税問題がクローズアップされてきた。菅首相参院選を直前にして狙いをさだめて撃った「消費税10%増税」の策略(計略)が、思わぬ国民世論の大反撃にあい、民主党がその対応に右往左往しているためだ。

しかも状況がより複雑化して見えるのは、消費税問題が単なる「政策問題」だけではなく、これに民主党内の「小沢・反小沢」の権力闘争までが加わって、「政局問題」としての様相を深めてきているからだろう。幹事長をおろされたはずの小沢氏が公然と選挙運動に介入し、次期衆院選までの「消費税増税反対」の言動を繰り返して、菅政権の足元を揺るがしている。このことが、菅首相はもとより枝野幹事長や野田財務相の一層の苛立ちを呼んでいるのである。

加えて、連立与党の亀井静香国民新党代表が、選挙戦で「消費税増税反対」の論陣を張っていることも興味深い政治現象だ。菅政権の下で参院選後の郵政改革法案の方向が不透明になり、国民新党を切り離す動きが浮上していることがその背景にあるためか、場合によっては「消費税増税(当面)反対」を旗印にして亀井代表と小沢氏が手を結び、参院選挙後には「小沢政権の復活もありうるよ」という予告だろう。

菅首相の当初の策略は、自民党が「消費税10%増税」の公約を掲げていることを「絶好の機会」として相乗りして目くらましをかけ、「選挙戦の争点」にしないで労せずして消費税増税を実現しようというものだった。なにしろ、圧倒的な政治勢力である民主党自民党の2大政党が同一の公約を掲げることになるのだから、当初は「選挙の争点にはならない」と踏んでいたのである。

事実、菅首相を援護するマスメディアの中には、「消費税は争点にならない」とオウム返しに尻尾を振る者などもいて、菅策略は一時成功するかに見えた。だが共産党を先頭に増税批判キャンペーンが広がり、また連立与党から離脱した社民党までが消費税増税反対を口にするようなってくると、風向きが少しずつ変わり始めたことは否めない。そして「風向き」だけが頼りの「みんなの党」など名ばかり新党も、理屈はいろいろだが、「消費税増税」を公然と掲げられないような空気になってきたのである。

こうした情勢変化のなかで、「曲者・菅首相」の化けの皮が少しずつ剥がれつつあるように思える。菅首相はいろんなウソや口実を駆使して当初の狙いを隠しながら、なんとか参院選を乗り切ろうとして、次から次へと「論点のすり替え」を弄している。たとえば、当初は「消費税10%増税を公約と考えてもらってよい」と記者会見で言明しながら、最近になって「消費税の議論をしようといっているだけだ」と言って前言を翻すとか、「増税緩和策」として一定年収以下の世帯には税収分を還元するとかいった類の発言である。

なかでも傑作なのは、国民に増税の痛みを押しつけるためには、まずもって議員自らが範を示さなければならないとして、衆参両院での「議員定数の削減」それも「比例区定数の削減」を図らなければならないという珍説を展開していることだろう。しかもそれが単なる「思いつき」ではなく、参院選後の国会で民主党案として議員立法で上程するというのだから、ひょっとすると消費税増税問題の議論の前に議員定数の削減を持ち出す腹かもしれない。

 しかしこのあたりが菅首相の「曲者の曲者」たる所以であって、真っ当な議論をせずに、もっぱら策略(計略)で当初の目的を果たそうとする、菅首相一流の政治手法がよくあらわれている。「目的のためには手段を選ばない」というマキャベリズム的(謀略的)な政治手法が、消費税増税問題を議員定数削減問題と絡めて駆使されようとしているのである。

 「論点のすり替え」は、すでに菅首相が突然「消費税増税」を選挙公約として取り上げたときから始まっているといわれる。沖縄普天間米軍基地問題から国民の眼を逸らせるために消費税増税を持ち出し、そして消費税増税を口実して議員定数削減をもくろむ。いわば「二重三重の論点のすり替え」によって国会から保守2大政党に批判的な少数政党を締め出し、後は思いのままに「専制的ファッショ政治」(新ファシズム体制)を推進しようというのである。

 だが最近のテレビ報道や党首討論を通して感じることは、菅首相をはじめ民主党執行部の表情が日に日に陰険・無表情になり、謀略的な雰囲気が色濃くなってきたことだ。そこには、稚拙ではあるがどこか「ひょっとすると、本気でそう思っているのではないか」と思わせた鳩山前首相のキャラクターでもなく、また向きになって見当違いのことを口走る谷垣自民党総裁の雰囲気とも異なる、ある種の「不気味な空気」を漂わせた政治謀略集団の匂いがするのである。

 菅首相に対して「市民活動家」としてのイメージを抱いていた私の周辺の人たちは、最近になって能弁でありながらいっこうに誠実さが感じられないその無表情さに、言いようのない恐怖感を抱くようになったという。その印象は、枝野幹事長、仙石官房長官、玄葉政調会長、野田財務相、岡田外相らにも共通するもので、おそらくはこれが菅政権の本質をあらわす「新ファシズム」の遺伝子から発する匂いの素ではないか。

 多くの国民は、今回の参院選では「いったい何を信じていいのか」と迷っているといわれる。これだけ多くの「名ばかり新党」が名乗りを挙げ、かつ政権党の公約が次から次へとすり替わる状況の下で、多くの国民が混迷状態に陥るのも無理はない。マスメディアにおいて政策的に論点の整理が行われ、的確な選挙情報が国民に提供されれば話は別だが、それが期待できない状況の下では、「国民の嗅覚」に期待する他はない。「いわれもない不安」が「現実の姿」に転化することを防ぐためにも。(つづく)