北朝鮮訪問を通して感じたこと、思ったこと(1)、(近くて遠い国、北朝鮮への訪問、その13)

 もうそろそろ、この北朝鮮訪問記も終わりにしなければならない。基本的な蓄積もないままにこれ以上書くと、記述に誇張や誤りが出てくるおそれがあるからだ。そうでなくても、北朝鮮関係の情報は推測や憶測に基づくものが多い。北朝鮮自体が「秘密国家」なのでやむを得ない側面があるが、それでも誤った情報は誤った判断を導くおそれがある。そんなことを自戒しながら、最後に結論めいたことを何点か述べてみたい。これらのコメントは同行した友人やI氏との意見交換を参考にしたが、しかし文責はすべて私にある。

 第1は、北朝鮮が長年にわたって国民を教宣してきた「社会主義国の建設」という「壮大な虚構」が誰の目(国民各層)にも明らかになり、いよいよ崩壊過程に入ったということだ。巷間言われるように、1970年代あたりまではソ連などの「友好援助」によって北朝鮮経済は何とか支えられてきたが、90年代以降はソ連・東欧の崩壊と経済援助の途絶によって、「下駄ばき経済」は一挙にその基盤を失った。そして2010年現在、北朝鮮は中国の支援がなければもはや一刻も存立できないほどの経済危機に直面しており、事実上の「中国の属国」とまで言われるまでの事態が進行しているのである。

 このような事態を引き起こしたのは、いうまでもなく金日成金正日の親子2代にわたる世襲独裁政治によって、国民生活を支える基幹産業が崩壊の危機に直面しているからだ。その最も痛ましい実例が、大水害の頻発による農業不振と食糧飢饉である。もともと平地が少ない北朝鮮(国土面積の15%程度)は慢性的な食糧不足に悩んでおり、このため耕地面積を広げようとする金日成の農業政策によって山林が大々的に伐採され、段々畑が急斜面の山肌に無理やりつくられた。その結果、山林の保水力が失われ、治山治水のためのインフラ整備の欠如(工事予算がない)とも相まって、大規模な水害が恒常的に発生するようになったのである。首領様の指導によって「山に上った畑」が、農民が営々と耕してきた「麓の水田」を破壊して食糧飢饉を引き起こしているのは皮肉という他はない。

 また金正日による「先軍政治」が異常なまでに軍組織と軍事費を肥大化させ、国家予算を独占して、国土の安全を支えるインフラ建設や国民生活を支える生活必需品の生産が長年放置されてきたことの後遺症も深刻だ。軍事優先の瀬戸際政策のために巨額の費用が核開発やミサイル開発に費やされ、そのことが国内の製造業を極度に疲弊させ、エネルギー不足も相まって工業生産を維持できないほどの状況に追い込んでいる。ガラスの代わりにビニールを窓に張っている客車や住宅がその象徴であり、中国への「日常必需品買い出し部隊」の大群がその窮状を物語っている。また外国人観光客のための百貨店が実質的に閉鎖されているのも、品物不足と外貨不足を示すものだ。(私たちは百貨店に一度行ってみたかったが、ついに案内してもらえなかった)。

だがこのような各種の崩壊現象は、貧困に喘ぐ農村部だけではなく、北朝鮮が誇る首都ピョンヤンにおいてもすでに顕在化していることは案外知られていない。たとえば、ピョンヤンでは3年前の2007年8月にも集中豪雨に見舞われて市内一円が浸水し、当時行われていた南北首脳会談が中止されるほどの大被害をこうむった。(でもアリラン祭は中止されず、金日生・金正日を讃えるマスゲームが強行された)。しかし抜本的な災害復旧対策はとられず、今年の8月になって再び大水害が発生したのである。私たちがピョンヤンを離れた2日後の8月8日、ピョンヤン一帯は600ミリ近い集中豪雨に見舞われ、幹線道路や電話線が寸断されて空路も一時途絶したといわれる。往路の鉄道といい帰路の空路といい、私たちの旅はいずれも大水害の合間を縫っての緊迫したスケジュールだったのである。

今年のピョンヤンを襲った豪雨は40年來ともいわれる集中豪雨だが、市内中心部を流れる大同江金日成の記念碑が集中している観光名所)が氾濫して、金日成の生家がある万景台区域も2メートル近く浸水した。発電所も浸水して電車運行が止まり、大同江支流の住民は避難し、外国人専用ホテルの宿泊客たちは全員ホテルを離れたという。またピョンヤン郊外でも被害が大きかった。私たちが通った開城・板門店に至る高速道路(170キロ)は洪水被害のため寸断され、周辺の農耕地9億平方メートルが冠水して、被害総額は昨年の洪水被害の5倍近くなるものと推定されている。韓国延世大学の土木工学科教授が指摘しているところによると、大同江の川底に土砂が堆積されて天井川になっていること、川の堤防が低いこと、川の上流の山に木がないため雨を防げないこと、市内下水管が古くて狭いことなど、いずれも治山治水工事の根本的不備が原因である。(韓国中央日報、9月3日)

このような大水害が北朝鮮全土は言うに及ばず、首都ピョンヤンでさえも頻発している緊迫した状況の下で、金日成生誕100年にあたる2012年の「強盛大国実現」のために、人事体制を整える労働党代表会が9月上旬に開かれるのだという。マスメディアは挙って3男の金ジョンウンが後継者としてデビューすると報じているが、北朝鮮側の報道管制もあって国民の反応がまったくわからない。毎日新聞北京支局の米村記者が、中国東北部の国境地帯で聞いた北朝鮮の内情報告が辛うじてその雰囲気を伝えてくれる。その記事は次のようなものだ。

「「もう国を信じられない。われわれはだまされている。強盛大国の約束を信じてきたが何の変化もない」。4月下旬ごろ、北朝鮮北部の村で政府への不満を書き連ねた手書きのビラがまかれた。村にある300軒ほどの住宅ほぼすべてに夜から明け方にかけて投げ込まれたという。これまでの北朝鮮では考えられなかったことだ。商用で北朝鮮に行った際、ビラが自宅に投げ込まれた住民から話を聞いた中国人の貿易関係者は、「一人でできることではない。北朝鮮にも変化を望み、命がけで世論を盛り上げようという動きがあるということだ」と語った。同地方の公安当局は必死になって首謀者を探しているという」。(毎日、9月1日)

この話が北朝鮮全体の不満を表しているかどうかはわからない。おそらくは強力な治安警察と軍事統制のなかで「闇から闇へと消えていく」動きのひとつにすぎないのだろう。でもI氏からの話からも、このような動きが例外的なものだとは思われない。むしろ「氷山の一角」と考える方が自然だ。金正日や後見者の中国指導者たちは、このような北朝鮮情勢をどう読み解き、いったいどのような政策を打ち出すのだろうか。(つづく)