ハシズムを増長させる「政治討論番組」、(大阪ダブル選挙の分析、その8)

大阪ダブル選挙から2カ月近く経過し、このところ松井知事と橋下市長の過激な言動にはますます磨きがかかってきた。内容を吟味すれば、「憲法無視・法律違反の連発シリーズ」といったところだが、マスメディアがまともな批判をしないのでまるで言いたい放題といったところだ。大阪維新の会がこれほどメディア業界に甘やかされているところを見ると、「ハシズム」が意図的に野放しされているとしか思えない。問題は「それがなぜなのか」ということだろう。

先日(1月15日)、朝日テレビで橋下市長と山口二郎氏(北大教授)の討論番組があった。だが、その中身は「ディベイト」というよりは「汚いバトル」そのものだった。山口氏自身は、かって小選挙区制導入の太鼓を先頭に立って叩いたり、民主党政権交代に際しては舞い上がってベタホメするなど、とかくその時の政治権力の意向に沿って行動する尻軽のタレント学者だ。しかし、今回の大阪ダブル選挙に限っては珍しく「反ハシズム」の一陣に加わった。

それが橋下市長の気に障ったのだろう。とにかく番組では、初対面の山口教授に対して敵意をむき出しにして攻撃に次ぐ攻撃に出た。それも論戦ではなくて個人攻撃が中心だ。橋下氏の攻撃の特徴は、周知のごとく自分の意見や主張を批判するものは誰であろうと容赦なく敵視し、相手の人格までも全否定するというものだ。それも「私情」を交えたレベルの個人攻撃だから、言葉も態度も品性を欠くことおびただしい。下劣そのものだ。この番組を見ていた遠方の友人がメールで次のようなコメントを送ってきた。

「日曜日、テレビをみていたら大阪市の橋下市長と北大の山口教授の話が聞けました。橋下市長の早口でまくしたて、相手に考える余地を与えない話し方と、答えられないことに対する馬鹿にした話し方がなんとも言えない感じがしました。相手に考える隙をあたえず、本人の言っていることをきちんと考えられないほどのテンポ、すごいですね。おかしなことを言ってもわからないほど、相手に時間を与えません。相手に対する非難というか、馬鹿にしたような感じとか、あれが今の若者に受けるのでしょうか。若者の間に現在の社会を破壊したいという願望のある者が少なからずいるということですから、ああいうタイプがいいのかもしれませんね。でも、あの話術はすごいとしか言いようがありません。田舎者のノンビリにはついていけません」 
全く同感だ。私もこの番組は、「テレビというリング上での“レフリーのいない殴り合い”」としか思えなかった。NHKの政治討論番組のように司会者(解説委員)が見るから強引に出演者の発言を規制するのも嫌だが、キャスターやコメンテイターが「レフリー」としての役割を果たさず、討論の「ルール」もないのであれば、腕力が強い「反則技」の常習犯が勝つに決まっている。これではフェアーな討論番組とは到底言えない。

だが恐ろしいことは、面白半分の視聴者が「これが討論番組だ」と思ってしまうことだろう。タレント時代の掛け合い番組ならまだしも、現在は公的存在(公人)である橋下市長に対して、テレビ局が視聴率を取るためにだけ「自由に喋ってください」という約束でもしていたのなら、これは政治討論番組としては自殺行為に等しいといわなければならない。

このままでは山口教授ならずとも橋下市長との「討論番組」に出る人は今後いなくなるだろうし、お相手するのは大阪維新の会の顧問の面々など「同じ穴のムジナ」だけになってしまうのではないか。そうなれば番組は「ハシズム宣伝」の場となり、政治世界の劣化がますます進むことになる。確固とした政治的見識と民主主義的教養を備えたキャスターを起用し、かつ討論のルールを事前に番組出演者に了解させない限り、この種の醜いバトルはこれからも無くならないからだ。 
話を変えよう。松井知事は同じ15日、大阪湾埋め立て地の咲洲庁舎(旧WTC)へ大阪府庁を全面移転する意向を表明した(1月16日各紙)。この記事を見た多くの大阪府民はおそらくびっくり仰天したのではないか。咲洲庁舎移転案はすでに二度にわたって府議会で否決されており、しかもその理由が「咲洲庁舎には耐震性に問題がある」という決定的なものだったからだ。

大災害時には緊急対応拠点になる行政庁舎は、防災上万全の態勢を整えていなくてはならない。これは鉄則だ。建物自体が構造的に耐震性に富み(災害時においても一定以上の損壊がなく建物の機能が基本的に維持できること)、同時に立地場所が非常事態への対応にとって支障のない条件を備えていること(地盤沈下液状化などの被害がなく、周辺との通信・交通条件が安定的に確保されること)の2点が鉄則なのである。

咲洲庁舎(旧WTC)は、昨年3月の東日本大震災の余波(震度3の長周期地震動)で大揺れに揺れ、建物が使用不能になったことで、さすがの橋下知事も全面移転を断念せざるを得なかった代物だ。それを三度挑戦しようとするのだから、松井知事が「気が狂ったのか」と思われても仕方がない。

埋立地の公共建築が大震災時に役立たなかった教訓は、阪神淡路大震災時の神戸市中央病院の事例ですでに経験済みだ。神戸市は、大震災の前に市民の反対を押し切って市立中央病院を埋立地ポートアイランドに移転させたが、地震で市内との連絡橋が壊れてポートアイランドは「陸の孤島」になり、中央病院は対岸の膨大な死傷者を目前にしなが何ひとつ救援に当たることができなかった。

咲洲庁舎(旧WTC)は、地盤沈下液状化などこの点でも決定的な欠陥を抱えており、災害時には通行不能になる可能性が極めて高いと地盤の専門家に指摘されている。にもかかわらず、松井知事はなぜ性懲りもなく全面移転案を持ちだすのか。それも今回は大阪府庁舎の跡地を美術館にするという「隠し玉」を忍ばせてのことだ。巷間伝えられるところによれば、最近大阪維新の会に急接近している公明党を移転賛成に踏み切らせることができれば、3分の2の議決要件を満たすことができるので俄然その気になったといわれている。

だが庁舎移転の問題はそれだけにとどまらない。地方自治や住民自治の本旨からして、行政庁舎の立地場所は都市計画の中心課題である。次回は、ハシズムが意図する「大阪都構想」との関係で、庁舎移転の問題を考えよう。(つづく)