橋下維新が“雪崩的大敗”をするかもしれない理由と背景(3)、公明党はおそらく最後まで「自主投票」の線でいくだろう、堺市長選の分析(その21)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(51)

 堺市長選もいよいよ後3日となり、大詰めの段階に入った。「最後の3日間は何が起るか分からない」というのが選挙通の言葉らしいが、そこで気になるのが公明党の動きだ。橋下維新が最後に「どんでん返し」を試みるのであれば、それは「公明カード」以外に見つからない。したがってその可能性(がないこと)に触れなければ、橋下維新の“雪崩的大敗”を予測することにはならない。そんなことで、この間いろいろと議論してきた何人かの市民グループの方々の意見を参考にして、私なりの見解を述べてみたい。

 結論は表題にも書いたように、「公明党はおそらく最後まで「自主投票」の線でいくだろう」というものである。公明党が自主投票の線を崩さなければ、約7万の公明票がすっかり維新側にいくことはない。つまり、現在の形勢を逆転するだけの大きな票の動きが起らないということだ。というよりは、むしろ先の世論調査にもあったように、公明票は目下竹山陣営側に傾いており、終盤になってその傾向が加速しているといった方が正しいと思う。

 公明が維新に加担しない最大の理由は、堺市長選が単なる首長選挙ではなく、その勝敗の行方が今後の国政を左右する政党再編に直結しているからだ。そのことは、数時間前に飛び込んできた石原維新代表の言葉に象徴されている。石原氏は9月26日、産経新聞のインタビューに応じ、29日投開票の堺市長選で維新候補が敗れた場合、橋下徹共同代表が辞任する可能性があるとの見方を示し、その際は「絶対に辞めさせない。『辞める』と言ったら政治に嫌気が差したと取られかねない」と慰留する考えを示した。

 そして、維新が安倍政権に参画する可能性については、「事の成り行きだ。そのきっかけは憲法だ」と述べ、憲法改正で首相に協力する考えを表明。公明党については「憲法を変えるときに必ず(政権の)足手まといになる。内閣法制局長官を代えるよりも、公明党を代えたほうがいい」と語った。また、維新の今後に関しては「次の衆院選参院選と一緒になるだろう。それが正念場だ」と強調。野党再編については「簡単ではない。民主党が割れるしかない」と述べたという(産経新聞、9月26日22時40分配信)。

 この「公明切り捨て」発言は、かねてからの石原氏の持論にもとづくものでそれ自体は不思議でもなんでもない。だが、石原氏が9月23日に堺市長選の応援に訪れたときは、約600人の聴衆を前に現憲法アメリカ占領軍の押し付けなどとする憲法観や歴史観に関する持論は展開したものの、さすがに「公明切り捨て」にまでは言及しなかった。しかしここに来て維新敗北の様相が濃くなり、もはや公明票が期待できないとわかって、これまで封印してきた「公明切り捨て」の本音が飛び出したのである。

 自らの党の存在を否定する石原発言、そして当の石原氏が共同代表を務める維新候補をいくらなんでも公明党は勝たせるわけにはいかないだろう。確かに、大阪・堺選出の国会議員の中には橋下維新と昵懇の間柄にある人物もいる。またLRT計画に関連して、これを推進しようとする利権グループとの結びつきの強い人物も存在する。だがこんなことは所詮「一地方問題」であって、それによって公明党本部が橋下維新に加担することはできないだろう。そんなことをすれば、公明党自身の否定につながる自殺行為になりかねないことをよく知っているからだ。

 橋下共同代表は、選挙終盤戦になって飛び出してきた石原氏の「公明切り捨て」発言をどのように評価するか知らないが、おそらくこの発言は公明党首脳部の激怒を招き、橋下維新の公明党対策を著しく困難なものにするに違いない。加えて、もともと「慰安婦・風俗必要発言」をめぐって橋下氏に強い反感をもつ学会婦人部あたりからは、ますます「反橋下=反維新」の空気が高まり、それが橋下維新の“雪崩的大敗”を引き起こす巨大なエネルギーに転化していくのではないか。

 すでに大阪市においては、公明党の“維新離れ”が始まっている。9月13日に開かれた大阪市を分割して大阪府と再編する「大阪都構想」を議論する法定協議会では、橋下市長と松井知事が提案した制度設計案に対して公明党市議が先頭に立って激しい批判を加えている(読売新聞、2013年9月14日)。

 また維新の大阪市議会議長が自分の政治資金パーティーに地元の市立高校吹奏部を演奏させ、教育の一環である部活動を「政治的に利用・私物化」した問題で、大阪市議会の公明など3会派は9月25日、不信任決議案を用意して維新・市会議長の辞職を迫っている(毎日新聞、2013年9月26日)。堺市長選は維新と公明の腐れ縁に終止符を打つ契機となり、それがやがては大阪市議会に波及して橋下市政の崩壊に連動していくだろう。(つづく)