石原慎太郎・日本維新の会共同代表は、堺市長選の直前になってなぜわざわざ“公明排除論”に言及したのか、産経新聞インタビュー記事の狙いと背景、堺市長選の分析(その23)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(53)

 今日9月29日(日)は、歴史的な堺市長選の投開票の日だ。今日の深夜に判明する堺市長選の結果は、堺市はもとより日本の運命を左右すると言ってもよいほど重大な意味を帯びている。端的にいえば、堺市長選は「大阪維新の会」ひいては「日本維新の会」の消長にかかわる選挙であり、だからこそ橋下共同代表(大阪市長)と松井幹事長(大阪府知事)は自らの選挙の如く候補者をそっちのけにしてまで選挙活動に狂奔してきたのである。

 しかし、終盤戦に至っても自民・民主はもとより共産・社民・諸派までが勝手連的に参加する“維新包囲網”をなかなか突破できす、残る望みは無党派層の「ふわっ」とした人気と公明の「自主投票」にすがる以外に方法がないことが明らかになった。そんなギリギリの瀬戸際になって飛び出したのが、9月26日夜に配信された産経新聞の石原代表インタビュー発言である。

 石原氏は9月26日、産経新聞の単独インタビューに応じ、維新が安倍政権に参加するきっかけは憲法改正であり、公明党は「憲法を変えるときに必ず(政権の)足手まといになる。内閣法制局長官を代えるよりも、公明党を代えた方がよい」と明け透けに語った。この石原発言は翌27日にまず要旨が伝えられ、続いて詳報(上)が石原氏の大写し写真とともに『単刀直元』シリーズとして28日に掲載された。また30日にも(下)が引き続き掲載されることになっている。

 9月29日の堺市長選の前日の28日に、「自主投票」の公明を離反させ、維新候補に大打撃を与えるような異例中の異例の大型インタビュー記事を産経新聞がことさらに掲載するのはなぜか。産経はこの間、橋下維新の不祥事を詳細に報道し、私はその熱意に驚くとともに報道の真意を計りかねていた。だがここにきて、「石原+産経」チームの意図が明らかになったように思う。それは、石原氏が落ち目の「橋下維新=大阪維新の会」に見切りをつけ、自分の存命中に悲願の憲法改正(破棄)を達成すべく安倍政権と独自でタッグを組むことに踏み切ったということだ。

 安倍政権(首相官邸)が橋下維新とのパイプを持ち、堺市長選においても以心伝心で橋下氏にエールを送っていることはよく知られている。石原氏は、橋下維新と首相官邸の関係を表向きは堺市長選後の橋下共同代表の慰留に努めるような発言(ふり)をしながら、その実堺市長選に乗じて公明を挑発するような“排除発言”を繰り返すことによって、橋下維新と安倍政権のパイプを弱めようとしたのであろう。橋下氏は、「石原さんを心配させているんでしょうね」などと平静を装っているが、内心はきっと「後ろから鉄砲を撃たれた」と思っているに違いない。

 でもこんな複雑な政界分析は有権者には届かないので、選挙とは直接関係ない。堺市長選の今日の投票にとって重要なのは、石原発言によって公明党幹部や国会議員が公然と維新を支援できなくなり、結果として維新候補の得票が減るということなのである。すでにその兆候はあらわれている。公明が重視する「期日前投票」においても、学会員が要介護者に付き添って投票する光景がめっきり減ったという。

 「不打落水狗」という言葉がある。中国の古い諺(ことわざ)で「水に落ちた犬は打つな」という意味、すなわちラグビーでいえば「ノーサイド」ということだ。敗者に対しては追い打ちをかけず、フェア―プレイの精神で臨めという教えである。だが反動勢力(反革命派)との果敢な闘争を辞さなかったは中国の作家・魯迅は、この言葉を使って魯迅を批判した盟友に対して、むしろ「打落水狗」(水に落ちた犬は打て)であるべきだとして次のように反論したという(『フェアプレイ』はまだ早い」、『魯迅文集3巻』、竹内好訳、ちくま文庫)。

 「話にきくと、勇敢な拳闘士はすでに地に倒れた敵には決して手を加えぬそうである。これはまことに吾人の模範とすべきことである。ただしそれにはもうひとつ条件がいる、と私は思う。すなわち敵もまた勇敢な闘士であること、一敗した後はみずから恥じ悔いて再び手向かいしないか、あるいは堂々と復讐に立ち向かってくること。これならむろんどちらでも悪くない。しかるに犬は、この例を当てはめて対等の敵と見なすことができない」

 「何となれば、犬はいかに狂い吠えようとも実際は「道義」などを絶対に解さぬのだから。まして犬は泳ぎができる。かならず岸へはい上がって、油断しているとまずからだをブルブルッと振って、しずくを人のからだといわず顔といわず一面にはねかけ、しっぽを巻いて逃げ去るにちがいないのである。しかもその後になっても性情は依然として変わらない。愚直な人は犬が水へ落ちたのを見て、洗礼を受けたものと認め、きっと懺悔するだろう、もう出てきて人に咬みつくことはあるまい、ど思うのはとんでもないまちがいである」

 私は、別に維新を「犬(狗)」に例えるわけではないが、今回の堺市長選においては維新に仮借ない反撃を加えなければならず、絶対に批判の手を休めてはならないと思う。なぜなら、維新は橋下代表の選挙演説にも象徴されるように、口から出まかせの「大阪都構想」や大型開発の宣伝を繰り返し、相手陣営には下品きわまる悪罵中傷を投げ続けてきた「道義など絶対に解さぬ輩」だからである。こんな政治勢力は一刻も早く淘汰しなければならず、堺市長選はその絶好の機会だと思うからだ。堺市民の勇気ある決断と賢明な選択を待ちたい。(つづく)