2013年堺市長選は、堺市民が(はじめて)真剣に“堺市のあり方”を考える選挙になった、「橋下維新=蒙古襲来」の果たした役割と成果、堺市長選の分析(その22)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(52)

 私が堺市長選に関するブログを書き始めたのは8月15日、それからほぼ連日、30回近く書いて今日を迎えた。橋下維新が猛威を振るい始めて以降、主として東京在住ジャーナリストの同人ブログ、『リベラル21』で橋下批判を連載してきたのだが(関東の人たちは橋下氏のことをほとんど知らない)、堺市長選が間近に迫ってくると10日に1度程度の掲載では間に合わないので、自分のブログに切り換えて書き始めたわけだ。

 幸い多くの方々に興味を持っていただき、それまではアクセス数が1日平均200〜300件程度の地味なブログだったのが、堺市長選のことを書き始めてからは一挙に1桁上がり、瞬間風速的には5千件に達するまでになった。堺市長選がいかに注目されているか、その一端を示すものだろう。

 またこのブログを通して、多くの堺市民の有志の方々と交流ができたことも思わぬ収穫だった。これらの方々がどれほど堺市のことを愛し、どれだけ堺市の現状と将来に危機感(憂い)を抱いているかが手に取るようにわかったからだ。また、そのことが私の堺市に対する理解をどれほど助け、堺市の都市計画・まちづくりのあり方を考える切っ掛けになったか計り知れない。改めて感謝したい。

 だが岡目八目的に見て、堺市民全体がどれだけ堺市のことを考えているかというと、そこには大きな溝が横たわっていることに気付く。ひとつは戦前から堺に住み、堺区など中心市街地で生活をしている「旧市民」、もうひとつは戦後の高度成長期以降に堺に引っ越してきた(そしてそこで生まれ育った)泉北ニュータウンや郊外住宅地などの「新市民」である。この2つのタイプの市民は同じ堺市民でありながら、ライフスタイルも堺市に対する考え方も「水と油」ほど違う。

 それからもうひとつ無視できないのは、市役所と市民の間の深い溝だ。とりわけ「新市民」にとって市役所は遠い存在であり、市役所は「旧市民」のためのものでしかないと感じている人が多い。自分たちはキチンと税金を払っているのに、それに見合うサービスを受けていない。市役所は「旧市民=町内会連合会」だけを相手にして、自分たちを堺市民と思っていないのではないか。こんな「誤解」(ある意味では現状を反映した意識)が「新市民」の間に深く浸透している。だから、橋下氏が市役所を指さして、「堺はなくさない。なくなるのは市役所だけだ」というときに拍手が起るのである。

 前のブログでも書いたように、私は堺市長選の投票率の推移を調べてその余りの低さに驚いた。歴代の市長は、よくもこのような低い投票率を気にしないで市政を続けてきたものだと思う。市長選自体が「不信任投票」みたいな様相を呈している状況のもとでは、市民の共感を得ることもできなければ、市民意識が育つことも難しい。「自治都市・堺」の名前が泣くというものではないか。

 だが今回の市長選を通して、雰囲気は若干変わったように思う。まるで“蒙古襲来“のような橋下維新の襲撃を受けて、「旧市民」や市役所はいままでのような“旧態依然”とした体質では「ダメ」だと思ったのではないか。また「新市民」もいつまでも“よそ者意識”では「ダメ」だと感じたのではないか。要するに、堺市民も市役所も生まれ変わらなければ、「自治都市・堺」の再生は不可能なのだ。たとえ今回の市長選で橋下維新の襲来を撃退したところで、第二、第三の“蒙古襲来”は防ぎようがないのである。

 つい2、3日前、私は堺市のある有識者から一通の速達を受け取った。そこには今回の市長選に関する数々の苦言が記されていたが、そのなかの一節が胸に突き刺さるようでとても気になった。以下はその文面である。

 「率直なところ、堺市民は「丙丁」(引用者注:甲乙クラスがない二流選挙だという意味)の選択を迫られているようで、どちらが当選しても大変な状況に落ち込んでしまうのではないかと感じております。維新は論外だが、現職も余りに問題が多すぎるというのが市内の識者の見解で、とにかく市政を刷新するのが優先、都構想など実現しないとの意見も散見されます」

 投票を目前にしながらこのような文面を載せるのはどうかとも迷ったが、この識者の率直な文面は、ある意味で今回の市長選の核心を射ているのではないかと思い、敢えて載せることにした。現職候補も含めて関係者は是非ともこの「良薬」を飲んでほしいと思うし、市民の方々は積極的に投票参加をして市政改革に目を向けてほしいと思う。(つづく)