「またも負けたか橋下維新!」、岸和田市長選敗北で“維新敗北ドミノ”がはじまった、ポスト堺市長選の政治分析(9)

 2年前の2011年11月27日のことを思い出してほしい。橋下維新が大阪市長大阪府知事のダブル選挙で圧勝した日だ。この日を境に大阪の政治風景は一変した。大阪府では維新が知事と府議会を制し、大阪市では市長と市議会第1党を確保することで、維新による“府市一体・維新専制体制”が形成されたのである。だが、あれから2年、橋下維新はまだ大阪府市の「本丸」は辛うじて確保しているものの、「一の丸」(堺市)、「二の丸」(岸和田市)を相次いで失い、いまや「本丸」も落城寸前の危機に直面している。“維新敗北ドミノ”(維新将棋倒し)がはじまったのだ。

 2013年11月24日投開票の岸和田市長選は、2か月前の堺市長選とまったく同じ政治対決構図の「維新 vs 反維新」の一騎打ちとなった。そして選挙結果も同じく維新候補の敗北となり、維新得票率もほぼ同じ水準の4割(堺市41.5%、岸和田市40.2%)だった。異なるのは投票率だけで、堺市長選は前回の44%から51%へ投票率を上げて現職候補の竹山氏が当選したのに対して、岸和田市長選は前回の45%から35%へと投票率が10%も低くなる中での新人候補・信貴氏の当選だった。

 この投票率の差は、橋下維新の消長を反映しているともいえる。堺市長選のときは維新の存亡を懸けた選挙であり、両陣営が運動員を総動員した「天下分け目の決戦」だったのに対して、岸和田市長選ではもはや維新にそれだけの勢いがなく、最初から「負け戦(いくさ)」の様相を呈していたために有権者が選挙に行かなかったのである。ここでも維新の「落ち目」は目に見える形であらわれている。

 維新の「負け戦」は、なによりも維新候補が維新の推薦や公認を求めず「保守系無所属=隠れ維新」として行動したことに象徴されている。いま全国的に食材偽装事件が吹き荒れているが、この行動は「ブラックタイガー」を「車エビ」、「牛脂注入肉」を「ビーフステーキ」と誤表示(意図的に)したのと同じことだ。候補者が所属政党である「維新」を名乗らず選挙をすることは“偽装選挙”そのものであり、そのこと自体が維新はもはや政党としての存在意義を失っていることを示している。なぜなら、政党の存在意義は自らの政策を有権者の前に堂々と提起し、有権者の支持を得ることで政権獲得をめざす政治組織だからである。

 この点で、堺市長選では連日応援に入った橋下代表や松井幹事長が岸和田市長選には一度も応援に来なかったことは、“偽装選挙”に加担したと言われても仕方ないだろう。橋下・松井両氏は、堺市長選敗北後も依然として「大阪都構想」を掲げ、「支持率がゼロになってもやる」と広言しているのだから、岸和田市長選にも来て堂々とそのことを訴えなければならないはずだ。それが今回の選挙ではまったくの頬かぶりで「知らぬ存ぜぬ」というのでは筋が通らない。党首、党幹部としても失格だろう。

 私が毎回執筆している『ねっとわーく京都』(月刊誌)の最近号コラムでは、このところ相次いで堺市長選のことを取り上げている。2013年12月号では、橋下維新の消長を「離陸期」「急上昇期」「絶頂期」「急落期」の4期に分けて分析し、堺市長選は「急落期」の後にくる「消滅期」のはじまりだと位置づけた。今回の岸和田市長選はこの分析や仮説が誤りでないことを立証したものと言え、このブログでも“維新敗北ドミノ”(維新将棋倒し)が始まったとした所以だ。

 また近く発売される予定の2014年新年号では、2013年11月7日付の毎日新聞がスクープした大阪維新の会の内部資料を取り上げ、その内容を詳しく検討している。この内部資料は10月24日に開かれた維新の第1回大阪都構想推進本部会議に政策チームから提出されたもので、「現状認識」「全体戦略」「活動計画」の3部からなっているパワーポイント形式の資料だ。政策チームが自己分析した「現状認識」にはなかなか興味深い指摘が並んでいて、維新の抱える問題点が浮き彫りにされている。

 主たる内容は、(1)支持率の低下と堺市長選で「兵隊アリ」のようにこき使われたことで、議員内部に不安感と不満感が充満していること、(2)国政進出にともない「大阪純度」が低下して、維新の会に対する大阪市民の評価が変化(低下)していること、(3)橋下代表に対する市民の評価が大阪人好みの「権力への挑戦者」から大阪人が忌み嫌う「権力者」に変化したことなどを挙げ、どうすれば元の「挑戦者」のイメージを取り戻せるかなど四苦八苦しているのである。次回から少しそのことについて述べたい。(つづく)