議席欲しさに大阪市を売った公明党は求心力を失った、保守補完勢力の維新・公明の敗北が菅政権を直撃(中)、菅内閣と野党共闘の行方(8)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その233)

 大阪は公明の牙城だと言われている。国政選挙にはめっぽう強く、「常勝関西」と言われているのはそのためだ。しかし大阪市内の政党支持率をみると、公明の支持率はそれほど高くない。大阪都構想住民投票の前に大阪市内の有権者を対象にして行われた2回の毎日新聞世論調査(前回9月4~6日、今回10月23~25日実施)によると、公明の支持率は5%程度しかない。各党の支持率は以下の通りである。

 

▽自民24・0%(前回27・3%)▽維新22・5%(同27・8%)▽公明5・1%(同6・2%)▽共産4・3%(同4・7%)▽立憲3・7%(同2・9%)▽れいわ1・7%(同0・5%)▽支持政党なし32・4%(同26・9%)

 

 一方、2017年衆院選挙(大阪市内6小選挙区)では、定員6人のうち公明が3人、自民が3人と議席を分け合っている。この他、公明は堺市でも1議席を獲得しているので、大阪府全体(19小選挙区)では4人の議席を確保していることになる。大阪市内では支持率5%程度の公明が、なぜ小選挙区でトップ当選できるのか。その秘密は自民・維新との選挙取引にある。公明が議席を得た4選挙区では、いずれも自民と維新は候補者を立てていない。公明はこの4選挙区に大阪府下はもとより関西一円から創価学会員を総動員して選挙戦を戦い、その他の選挙区ではそれぞれの情勢に応じて自民と維新に票を回しているのである。

 

この間の経緯はおよそ次のようなものだ。公明と維新の間で「バーター取引=議席のやり取り」が成立したのは2012年衆院選のこと。公明が維新の推進する「都構想」に協力する代わりに、公明が候補を擁立する大阪4小選挙区と兵庫2小選挙区の6選挙区では維新が対抗馬を立てないことで合意した。ところが公明は、2014年10月の大阪市議会の制度案を作る法定協議会の席上で突如反対に転じた結果、協議会案は否決された。その背景には、都構想が実現すれば自らの議席を失う公明市議からの反発が強く、学会本部の指示に逆らえない国会議員が維新と取引することは許せない――とする空気があったと言われている。

 

公明の「寝返り」に烈火の如く怒った橋下市長(当時)は、2014年12月の衆院選で公明幹部のいる選挙区(堺市)に立候補するとの脅しをかけ、この脅しに屈した公明は、「大阪都構想には反対だが、住民投票には賛成」という訳の分からない態度で収拾を図った。要するに「大阪都構想には反対」ということで自民の顔をたてる一方、「住民投票は賛成」ということで維新の攻撃をかわそうとしたのである。この時の「寝返り」に際しては、松井維新代表の要請を受けた菅官房長官(当時)が創価学会幹部にその意向を伝え、学会幹部が公明党大阪本部(代表・佐藤衆院議員)に圧力をかけて翻意させたと伝えられている。

 

こうして一旦否決されたはずの住民投票が実施されることになったが、維新は都構想の住民投票は「1回切り」と公約したにもかかわらず、2015年の住民投票で否決された後も都構想の実現を諦めなかった。橋下市長引退直後の2015年暮れ、維新は知事選と大阪市長選の「ダブル選挙」を仕掛け、当選した松井知事と吉村市長の下で再び法定協が設置された。そして2017年衆院選では上記6選挙区で維新が候補者を立てないことと引き替えに、公明から「2回目の都構想住民投票に協力する」との〝密約〟を取りつけたのである。

 

だが、公明は大阪市民の批判を恐れて〝密約〟の実行を渋り、住民投票の引き延ばしにかかった。松井知事は、2017年衆院選で公明に協力したにもかかわらず「食い逃げされた」との思いから、2018年暮れに密約の存在を暴露した。まるで〝狐の狸の騙し合い〟そのものの光景だが、それ以降、維新と公明の関係が修復されることはなかった。

 

 維新は恐ろしく奇策に長けている。とりわけ「出直し選挙」「ダブル選挙」「クロス選挙」といった選挙活動を通して、有権者に直接働きかける手法を得意としている。情勢を一気に打開するには、議会内での交渉や裏工作よりも街頭選挙戦を通して「正面突破作戦」を展開する政治集団なのである。2019年4月の統一地方選に合わせて松井・吉村両氏が知事と市長を入れ替わって臨んだ「ダブルクロス選」は、既存政党や有権者の度肝を抜いた作戦だった。その余勢を駆って、維新は両首長選だけではなく府議選、市議選でも圧勝し公明を驚愕させた。次期衆院選で公明が議席を有する6選挙区に維新の「刺客」を差し向けられるような事態になれば、公明は全滅するほかはないと震え上がったのである。

 

 そこからの公明の〝変節〟は一瀉千里だった。大阪の「民意」が変わったなどと称して維新にすり寄り、特別区の設置コストを最小限に抑えることや住民サービスを低下させないなどと「形ばかり」の4条件で都構想の住民投票を実施することに180度方針転換した。そして第1回目の住民投票では、「都構想は百害あって一利なし」と大宣伝していたにもかかわらず、第2回目では「大阪の未来」のために都構想を実現しなければならないと叫んだのである。

 

 極め付きは、公明党山口代表が住民投票が告示されて初めての日曜日となった10月18日、維新の松井代表とともに大阪市内3カ所で街頭演説を行ったことだ。山口代表は聴衆に対して「なっちゃんでーす。勝たせてください!」「大阪を(東京に並ぶ)二つ目の軸として大きく伸ばすため、都構想の実現を!」と呼びかけた。昨春の大阪府知事・市長のダブル選での維新の大勝は、「都構想を実現してほしいとの民意のあらわれ」と強調し、「(住民サービスの維持など)公明の提案が全部受け入れられた」と述べ、公明支持者や学会会員に対して方針転換への理解を求めたのである。だが、それでも公明支持者の都構想への賛否を覆すことはできなかった。

 

朝日新聞出口調査によると、2015年前回住民投票に比べて、今回は都構想への賛否比率が全体として「反対」側に傾いている。以下は、その結果である。

 

▽自民支持層、賛成37%(前回42%)、反対63%(同58%)、▽維新支持層、賛成90%(同97%)、反対10%(同3%)、▽公明支持層、賛成46%(同21%)、反対54%(同79%)、▽共産支持層、賛成8%、反対92%、▽立憲支持層、賛成15%、反対85%、▽支持政党なし賛成39%(同48%)、反対61%(同52%)。

 

こうして都構想は否決されたが、1999年10月に自民と公明の連立政権ができてから21年、両党の関係には深刻な危機が訪れている。公明はもはや、維新と自民の「二股膏薬」の役割を担うことは不可能になった。また、維新を側面支援してきた菅首相に対しても大阪自民から鋭い批判の目が注がれている。住民投票反対の支援のため大阪に入った全国政令市自民市議からも同様の声が聞かれる。山口公明代表が維新支援のために来ているのに、「菅首相は自民支援のためになぜ大阪に来ないのか」――こんな声が絶えなかったという。(つづく)