“夢=詐欺広告”では大阪市民を騙せない、橋下維新の大阪都構想プレゼン作戦は100パーセント失敗する、大阪維新の会内部資料が暴露した橋下維新の実体(その4)、ポスト堺市長選の政治分析(13)

 ここまで書いてくるともう読者の方も気付かれていると思うが、大阪維新の内部資料を貫くキーワードは結局“夢”なのである。堺市長選では「百害あって一利なし」という大阪都構想の実態を暴露されて「現実」を語れなくなり、このままでは住民投票に敗れて維新が壊滅するので、この危機を回避するためには「都構想の向こう側にある“夢”」を語ることしか方法がなくなったのだ。内部資料の「全体戦略」(その4・活動戦術)は次のようにいう。

 「市民に訴求すべきは統治機構再編の説明ではなく、都構想の向こう側にある『夢』ではないのか」
 ・大阪新大阪エリア(うめきた、緑、柴島、リニア等)
 ・難波、天王寺、あべのエリア(ハルカス、都市型動物園、LRT等)
 ・大阪城エリア(大阪城、公園、成人病院跡地等)
 ・夢州、咲洲エリア(カジノ、IR、経済特区、戦略港湾)
 ・御堂筋・中之島エリア(歩行者空間、全面緑化等)
 ・西成エリア(雇用再生、文教区化等)

 おそらくこの「プレゼン作戦」は、堺市長選の最終盤で持ち出した大型画面を乗せた移動車による華々しい街頭宣伝やタウンミーティング会場での説明などとしで展開されるのであろうが、最大の問題は果たしてそれが大阪市民に受け入れられるかどうかということだ。この点については対照的な2つの見方がある。ひとつはいままで「大阪都構想で大阪はよくなる」と散々刷り込まれてきたので、「フワッとした橋下人気」を掻き立てるには「プレゼン作戦」が依然として有効だとするもの。もうひとつはもうそろそろ「化けの皮」が剥がれてきているので、今度は通用しないというものだ。

 だが、この点に関しても転機になったのはやはり堺市長選だった。堺市長選でありながら大阪都構想のことしか言わない橋下代表の演説に対して、選挙戦の終盤では「ここは堺だ。堺のことを言え!」というヤジが飛ぶようになったのである。この瞬間から、橋下維新は「フワッとした人気」から「現実の批判」に曝されるようになったといえるだろう。堺市長選における維新敗北の原因は、大阪都構想の「夢を語る」ことが少なかったからではなく、堺市の「現実を語る」ことがなかったからなのである。

 本来、自治体行政は地味なものである。市民の福祉と暮らしを支え、教育と文化を向上させ、環境とアメニティを豊かなものにするための営々とした努力の継続が自治体の仕事であり、それは営利追求を至上目的とする通常の民間企業の活動とは目的も手段も大きく異にする。もちろん最近では社会貢献を主目的とする非営利企業社会的企業が登場してきているように、組織形態は民間企業でありながら社会的目的を追求しようとする新しいタイプの企業活動も始まっている。このこと自体は喜ばしい限りだが、それでも自治体行政の本質や存在意義が何ら変わるわけではない。

 だから、行政広報は親しみやすく読みやすいものであることは求められるが、重要なことは事実を的確に伝えることであって宣伝することではない。むしろ、誇大宣伝は本来伝えるべきメッセージを歪め、フィア・アピール(恐怖アピール)に至っては不安感や恐怖心を煽って市民にメセージを強要することにもなりかねない。まして橋下維新がプレゼン作戦で宣伝しようとするのは「夢=架空の商品」なのだから、これはもはや宣伝の域を超えた立派な「詐欺広告」だといってもおかしくない。

 自治体行政の本質を言いあらわすキーワードがあるとすれば、それは“愚直”と言う言葉がふさわしいのではないか。いまどき“愚直”などと言ったら笑われるかもしれないが、実はパソコンで世界初の成功を収めたアップル社の共同設立者であるスティーブ・ジョブスが、スタンフォード大学の卒業スピーチ(2005年6月)で最後に締めくくったのがこの言葉なのである。ジョブスは、1970年代に若者の間でバイブルと言われた“THE WHOLE EARTH CATALOGUE”(全地球カタログ)という出版物の最終号に記されていた“STAY HUNGRY, STAY FOOLISH”と言う言葉を引き、自分が常にそうありたいと願い続けてきたこの言葉を(アメリカ切ってのエリート大学である)スタンフォード大学の卒業生に贈ったのである。

 橋下氏はおそらく(絶対に)ジョブスの言葉の意味を理解できないだろう。橋下氏にとっては「ハングリー=貪欲・野心」と「フーリッシュ=馬鹿・アホ」は互いに矛盾する概念であり、とうてい両立し得ない言葉だからだ。だがジョブスの言葉の真意は、彼の生き方からして「ハングリー=清貧」、「フーリッシュ=愚直」であったと私は確信している。1パーセントの富裕層が支配しているアメリカ社会で最も欠落しているのがこの言葉であり、ジョブスの人生はその壮絶な実践だったからである。

 残念ながら、橋下氏はその対極に位置する人物だろう。橋下氏は、本来非営利目的の自治体行政に「営利目的=民営化」を持ちこみ、清貧で愚直でなければならない為政者像を「野心家の権力者」に換えた。おまけに風俗業を肯定し(自らも実践体験して)、戦時中の慰安婦制度を必要だったと言って世界と日本を辱めた。いま大阪府市民は、ようやく橋下代表と大阪維新の実体に気付き始めたのではないか。だから橋下氏が住民投票において「市民に訴求すべきは統治機構再編の説明ではなく、都構想の向こう側にある“夢”」を語るとき、大阪市民はきっと次のようなヤジを飛ばすだろう。「いつまでも夢みたいなことを言うな!」と。(つづく)