【再録】大西隆氏が日本学術会議会長に就任した背景、「原子力ムラ」「開発ムラ」「安全保障ムラ」を横断する政治人事(3)

 大西隆氏の日本学術会議会長就任の背景に関する拙ブログに対して、現職の学術会議会員から最近重要なコメントが寄せられました。当該ブログは2012年11月の古いものであり、お目に留まることは難しいと思われますので、再録して関係読者の御参考に供します。

2012-11-22
大西隆氏が日本学術会議会長に就任した背景、「原子力ムラ」「開発ムラ」「安全保障ムラ」を横断する政治人事(3)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その8)、震災1周年の東北地方を訪ねて(79)
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日本学術会議は、我が国の人文・社会科学、生命科学、理学・工学の全分野の約84万人の科学者を内外に代表する機関だとされ、210人の会員と約2000人の連携会員によって組織されている。学術会議(1948年発足)は文法経理工農医の7部会で構成され、各部会会員は研究者の直接選挙で選ばれるという民主的な研究者代表機関であり、当時は「学者の国会」とも呼ばれていた。
しかし、学術会議のこうした民主的性格を嫌った政府・自民党の手で1983年に日本学術会議法が改正され(政府の文教政策・科学技術政策に批判的な会員が多かったので)、会員選出方法が研究者の直接選挙から学術研究団体(学協会)の推薦にもとづく首相任命に変更された。以来、学術会議は研究者からすっかり乖離した遠い存在となり、人文・社会科学分野はともかく、工学分野などでは(それ以前もそうであったが)いわゆる「学会ボス」といわれる大物しか推薦されないシステムが定着した。
さらに2004年の法改正によって、会員選出方法がこれまでの学協会推薦から日本学術会議自身が会員候補者を選考するという方法に変更された。学術会議自身が次期会員候補を選考することの意味は、要するに現会員が候補者推薦会議をつくって後任会員を選考し指名するということだ。国会で言えば、解散と選挙によって次期議員が選ばれるのではなく、現議員の指名で新しい議員が決まるということだから、「学閥間の談合」や「大物会員による世襲人事」が生じても不思議ではない。
また学術会議を代表する会長・副会長にしても、直接選挙時代には朝永振一郎桑原武夫など名実ともに日本を代表する碩学が選ばれており、アカデミック組織としての学術会議の権威も高かった。だが法改正以降は、政府審議会の要職を歴任する大物会員の中から会長が選ばれるようになり、「科学テクノクラート」ともいうべき人物が学術会議のトップに就くことが多くなった。いわば、一種の「政治人事」によって学術会議会長が決まるようになったのである。
その極めつきが、第22期会長に選ばれた大西隆氏であろう。日本学術会議法第4章の「会員の推薦」には、第17条に「日本学術会議は、規則の定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府の定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする」とあるが、さしたる研究業績もない大西氏がなぜ会員(土木工学・建築学)に選ばれ、しかも会長にまで選出されたのか、私にはまったく理解できない。
通常、学術会議の会長は役員経験者の中から選ばれる。学術会議初の人文科学系会長として話題になった第21期会長の広渡清吾氏の場合も、それ以前に第1部長(人文科学系)や副会長を経験した後に会長に選出されている。また歴代会長もそのような経歴を有する人が多い。ところが大西氏の場合は、第22期会員(土木工学・建築学)に選ばれたばかりの無名の新人であるにもかかわらずいきなり会長に選出されたのだから、多くの会員の間からは「大西、WHO?」という声が上がったのも無理はない。
ここからは私の推測だが、大西氏は明らかに野田政権の意向によって学術会議会員に推薦され、会長に選出されたのだといえる。いうまでもなくその最終目的(狙い)は、学術会議による原発再稼働の容認だ。国家戦略会議のフロンティア部会座長に大西氏を据えることを決定した野田政権は、それだけでは不十分だということで大西氏を学術会議会長に選出し、学術会議そのものを「原発再稼働容認」の方向へ誘導することを目論んだのではないか。
これは決して私個人の憶測ではない。学術会議会員との交流集会後に聞いた「ここだけの話」であるが、会長就任後の大西氏が周辺会員に対して「学術会議をなんとか原発再稼働容認の方向に持って行けないか」と秘かに持ちかけているというのである。「できれば容認決議を出したい」とまで言っているのだから、野田政権(というよりは政府・財界)から託された「使命」を本気で果たそうと思っているのだろう。
こんな懸念を近辺の学術会議会員に伝えたところ、「そんなことはあり得ない」、「学術会議会員の見識からしてそんなことが通るはずがない」との声が異口同音に返ってきた。でも工学系会員のほとんどが「原発ゼロ」反対であり、「原発再稼働」賛成であることから考えると、大西氏の言動はあながち荒唐無稽なものだとは言い切れない。
いまや福島原発災害をめぐる議論は、「原子力ムラ」「開発ムラ」「安全保障ムラ」を横断する戦略的課題として火花を散らすようになった。大西氏が会長を務める計画行政学会では、政府そのもの意向である「原発周辺警戒区域20キロ圏の双葉、大熊、浪江、富岡、楢葉の5町を廃町して土地は国が買い取り、住民は土地なしで他の市町村に合併させる」という復興計画案が堂々と提起されており、しかも大西氏が国家戦略会議座長や学術会議会長の権威を背景にしてその推進に当たっているのだから、事態は決して侮れないと言うべきであろう。
次回からは、“廃町”に迫られている原発周辺自治体の役場や住民の意見や要求を紹介していきたい。(つづく)
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日本学術会議会員 2014/03/14 19:08 すでに本記事から、大分時間がかかっていますが、匿名にて投稿致します。
私は日本学術会議21期の唐木副会長から、22期の会長を大西隆氏にしたいので、票集めをしてほしいと依頼されました。その際「大西隆」という名前を知っている21期会員はほとんどいなかったと思われます。唐木副会長は、すでに当時の4役(会長、他副会長)と次期(今期22期)の副会長をまずは決定し、その方たちに21期の方針をついでもらおうと考えました。
一部選出の副会長小林氏は、本人がどうしても副会長をしたいとの意向だったので選出したと聞きました。二部選出の副会長春日氏は、唐木元副会長の教え子。日本学術会議の会員としては大変若い年齢で21期の会員となっていました。そして三部選出の副会長武市氏。この方は21期において国際担当副会長の左腕として、4役を支えてきました。副会長は会長指名です。よって、会長は、これらの副会長を指名することを承知した方になって頂く必要がある。そこで21期の四役(会長、副会長3名)で相談し、大垣副会長が、大西氏を探して来て候補として検討した結果、大西氏を会長としようと決めたと聞きました。3.11の後でもあり、復興会議委員であり、当時のホットトピックとしては良いとの判断だったと聞いています。ただし、大垣先生を除く、前期会長、他2名の副会長は当人については一切知識がなく、私に票集めを依頼した唐木副会長も、私にはどのような人かはわからないが、大垣さんが保証するといったのでの説明をされました。私には名前を書きとめても良いが、メモは捨てるようにとまで告げました。
無論私と同様の依頼を受けた人は他にもいたのだろうと推察します。
私はできるだけ内々に協力してくれる会員に投票を依頼。日本学術会議では会長選出の選挙では、ある程度人が絞られてくると、全く情報のない人たちも、上部の意向を推察し、票が集まっていきます。3回の再投票で決まったと記憶しています。私は投票状況をメールで日本学術会議講堂から、唐木元副会長へ逐次報告しました。当然、前期の幹部の意向を引き継ぎ日本学術会議を正しい方法へもっていける人と信じての行為でした。
が、実際には昨年7月に異動した事務局トップだった高橋局長は、日本学術会議の「に」の字も今は聞きたくないというほど、ひどいハラスメントを受け、事務官が土下座させられた、事務官がお金を出し合って企画した忘年会の商品を会長が持ってかえってしまったなど、横暴ぶりは暇がありません。
また、予算執行(本来は事務の責任)にも口をだし、不明瞭な使用が目立ちます。
大西氏は東大を退官した際、名誉教授となっていないうちから名誉教授を吹聴。太田市などの入札業者として名を連ねているのは東大教授時代からです。当然兼業禁止に抵触します。学術論文を1000本以上交換していたとHPなどで公開していながら、外部の指摘をうけて「授業資料も本数に含めていた」「授業や講演も学術的視点で行っている」「嘘はついていない」と抗弁をすっぱぬいた新聞記者にしています。また、数日前に日本学術会議HP上に公開された会長談話には、3.11震災の後、幹部を含め日本学術会議の会員が徹夜で対応を議論してきた実態を知らないにも拘わらず(大西氏は当時は会員ではなかった)、まるで前期の会員はナニもしていなかったかの如くの文章を発表するなど、横暴さも目立っています。幹事会(最終意思決定機関)でも、大西氏のわがまま、横暴な行動はだれも静止ができない状況です。
これが大西氏が会長となった背景です。