「京都96条の会」が発足した、廣渡清吾氏(日本学術会議前会長)の記念講演が素晴らしかった、(改憲勢力にいかに立ち向かうか、臨時版2)

 2013年11月16日午後、龍谷大学で開かれた「京都96条の会」の発会記念シンポジウムは、8月6日の「立ち上がりシンポジウム」に比べて参加者が若干少なく(80人余り)、静かな雰囲気の滑り出しとなった。前回のシンポは、結成前の準備段階という性格もあって内容はそれほど練れていなかったのだが、それでも新聞が事前に報道してくれた所為か大勢(150人程度)の参加者があり、今回は少し物足りないという感じだ。

 今回のシンポは「発会記念シンポ」という本格的な集会なので入念に準備を重ね、基調講演に廣渡清吾氏を迎えた格調高い集会となった。廣渡氏のレジュメはA4版12頁、付表7頁にわたる学会発表のような分厚いもので、内容は学術会議主催といっていいほどの水準の高いものだ。といっても決して難解なものではなく、憲法第96条の意味する立憲主義の本質についてドイツ法専攻の立場からわかりやすく解き明かした講演で、会場の参加者は頷きながら熱心に聴いていた。私としてはこれだけ高水準の講演なのだからもっと多くの市民に聴いてほしかったが、事務局の宣伝不足ということで残念至極というところだ(廣渡氏にも申し訳ない)。

 廣渡氏の基調講演は、呼びかけ人代表の岡野八代氏(同大教授、政治思想史)の尽力よって実現したものだ。聞くところによれば、岡野氏はジェンダー法学会(私ははじめてこのような学会があることを知った)で廣渡氏と交流があり、無理を承知でお願いしたのだという。「無理」という意味は、東京から京都まで泊りがけの講演に来ていただくにもかかわらず、旅費も謝礼も出さないということだから、この種の依頼としては“非常識”あるいは“破天荒”といっていいだろう。実は、私は「せめても旅費だけは」と提案したのだが、96条の会はボランティが原則ということで提案は通らなかった。それでも廣渡氏は快諾して講演に応じていただいたのだから(おまけにカンパまでしてもらった)、こんな学者が日本に存在することを声を大にして叫びたい。

 廣渡氏がかくなる(悪)条件にもかかわらず講演に応じていただいたのは、京都に対する氏の深い思い入れがあるからだと私は勝手に理解している。1960年代末から70年代初めにかけて全国的に大学紛争が吹き荒れ、京都大学も例外ではなかった(というよりは最も激しかった)。2年余りにわたって紛争が続き、学内は無法状態のような荒んだ空気に包まれていた。当時(それまでも)、学内では学部を越えた「教官研究集会」という名のリベラルな研究フォーラムがあり、湯川秀樹氏をはじめとして数十人の錚々たる研究者がその時どきの話題をめぐって自由に討論する研究会(サロン)が定期的に開かれていた。その世話係を各学部の助手(10人ぐらい)が務めることが慣例になっており、法学部から廣渡氏が出ていた。工学部(建築)の助手だった私が氏にはじめて会ったのはこの時のことである。

 廣渡氏は、当時から頭脳明晰、理路整然とした主張を展開する若手研究者だった。法理論をやるにはこれぐらいの頭がないとダメかと周辺に思わせるぐらいの理論家だった。それはその後も変わらない。東大社会科学研究所で原田純孝教授を中心に「都市法研究会」(研究成果は『日本の都市法Ⅰ、Ⅱ』、東大出版会、2001年)が10年以上にわたって継続され、私も一員として参加していたが、廣渡氏も時折出席して発表した。でも研究所長になってからは多忙を極め、出席もままならなくなった。

 その後、廣渡氏は東大副学長、人文系出身者ではじめての日本学術会議会長という要職を歴任するが、多様な学術分野の研究者を組織して束ねるには氏ほどの適任者はいないと思う。人文系はもとより理系・技術系の思考方法や行動様式に習熟していなければ、このような要職は務まらないからだ。京都大学での学部を越えた自由な研究交流の場が氏に与えた経験や影響が、その後の氏の活躍につながっているとすればこれほど嬉しいことはない。若い研究者の人々はもっといろんな社会の場で交流を深めてほしい。

 交流といえば、世代を越えて繋がっていることを実感したのも今回の96条の会シンポを通してだった。発会シンポの前に呼びかけ人会議を持って互いに自己紹介したのだが、そのときに交換した私の名刺をみた若い法学部教授(女性)が「父も建築家です」といい、それが偶然にも私の友人だったのである。また子息の名前を挙げたところ、「それは弟です」といわれたことにも驚いた(考えてみれば当然のことであるが)。

 またシンポ後の近くの居酒屋での懇親会で、隣に座った国際関係学の教授(男性)から私の所属していた元の研究室の名前を図星にされ、彼のパートナーが研究室の元同僚の親族であることも判明した。京都96条の会では私一人が理系出身者であることを寂しく思っていたが、このような出会いの中でいろんな人脈がつながっていることに驚くとともに、護憲運動における「ソーシャルネットワーク」の大切さを実感した。

 今後、京都96条の会の活動は2か月ごとに開かれる「憲法サロン」を中心に展開される。岡野代表がコーディネーターとなっていろんな話題提供者にきてもらい、参加者とひざを交えての勉強会を開催することになっている。第1回憲法サロンは2014年1月25日(土)午後6時〜8時、同志社大学明徳館で、「日本おばちゃん党」の谷口党首を招いてのトークショーだそうだ。多数の参加者(とくに女性)を期待したい。(つづく)