スカイマークの経営破綻は神戸空港廃港につながる虞(おそれ)があるのではないか、「創造的復興3大プロジェクト=神戸空港・地下鉄海岸線・新長田駅南地区再開発事業」が直面する厳しい現実、阪神・淡路大震災20年を迎えて(その23)

 今年になってから書き始めた拙ブログの「阪神・淡路大震災20年シリーズ」の10回目(1月13日)で、私はこんなことを書いた。
――阪神・淡路大震災に便乗して強行した『創造的復興3大プロジェクト=神戸空港・地下鉄海岸線・新長田駅南地区再開発事業』は悉く失敗して日々赤字を累積し、いまや神戸市財政を破綻の淵に追い込んでいる。神戸空港はJAL(日航)が撤退してからはまるで火が消えたようになり、頼みの綱のスカイマークの経営状態も最近は思わしくない。もしスカイマークが便数を減らす(あるいは撤退する)ことになれば、神戸空港は「廃港」が現実の課題になる。そのとき「希望の星」と喧伝された神戸空港は「赤字の星=失意の星」と化し、流星となって消滅する公算が大きい――

それから2週間余り経った1月29日、スカイマークは突如経営破綻し、民事再生法の適用を申請し受理された。阪神・淡路大震災20年(1月17日)から僅か2週間も経たないうちにスカイマークが破産するなんて、記念行事を主催していた神戸市は夢にも思わなかっただろう(知っていたかもしれないが、そんな素振りは微塵も見せなかった)。しかし「悪夢」は「現実」の姿になったのである。

もともと神戸空港の建設は矛盾だらけだった。市当局から発表された最初の利用者数の年間需要予測は2010年時点で570万人、その後150万人減の420万人に訂正されたが(信じられないような大幅な下方修正だ)、この時から市の需要予測は「バナナの叩き売り」だと言われていた。そして開港時(2006年)に公表された市空港準備室の『神戸空港管理収支の見通し』によれば、神戸空港の年間旅客数は2006年度319万人(27便)、2010年度403万人(30便)、2015年度434万人(30便)と予測されていたのである。

しかし開港後の現実の数字は厳しかった。2006年度は274万人で何とかスタートしたものの、2010年度にはJAL撤退の影響で222万人まで落ち込み、その後はスカイマークの増便で若干持ち直したとはいえ、現在は240万人前後に低迷している。いずれも当初予測の半分程度の数字であり、これから飛躍的に増加するとは到底思えない。当局の需要予測が如何に杜撰であり過大であったかを示すものだ。

当然のことながら、市民の間からは猛然とした反対運動が起こった。1998年には「大事なことはみんなで決めよう」とのスローガンを掲げ、神戸空港建設の是非を住民投票で問う条例制定直接請求署名運動が始まり、史上空前の31万筆近い署名がを集った(私も市民団体が発行したパンフレット・『神戸空港は希望の星か?』に共同執筆している)。だが市長も市議会も市民の声に一瞥することもなく条例制定要求を否決した。そしてその「ツケ」が震災20年後に回ってきたのである。

各紙の報道によれば、スカイマーク民事再生法の適用期間は当面運行を継続するとしている。しかし新しくトップに就任した有森社長は、1月29日の記者会見で運航コストを削減するため、当面2月から不採算路線で一部の便を運休し、便数を減らす方針を明らかにした。神戸空港関連の路線では、不採算路線(神戸−新千歳、米子、那覇)を一部縮小する予定だ。神戸空港は羽田に次ぐスカイマークの拠点で8路線を運航しており、神戸空港は着陸料の6割をスカイマークに依存している。便数削減は神戸空港を運営する神戸市とって大打撃になることは間違いない。

神戸市・久元市長は「再建計画を注視していきたい」などと能天気な記者会見をしているが、問題はスカイマークの経営破綻が1企業の倒産にとどまらないことだ。スカイマークの破産が神戸空港の廃港につながりかねない以上、神戸市は「関連倒産」の危機に立たされていると言っても過言ではない。阪神・淡路大震災20年に際して、神戸市都市計画審議会会長を務めるある経済学者は「神戸空港はとかく言われているが、それは神戸市にとって必要な先行投資だった」とこともなげに発言している。これも市長と同じ情勢認識を示すもので、スカイマークの倒産を目前にしての発言にしては余りにもお粗末な見通しといわざるを得ない。

阪神・淡路大震災20年は、神戸市に対して「創造的復興」の総決算を求めている。住宅都市局の新長田駅南再開発担当部長のように、「それでも市の方針は間違っていなかった」と相変わらず言い張るのか、それとも20年後の「現実」を認めて総決算に踏み切るか、神戸市はいま歴史的岐路に立っている。(つづく)