大阪都構想の是非を問う住民投票で「ノー」の意思を示すため、いまこそ大阪市民が立ち上がるべき時だ、若者、女性、商店主、経営者、町内会・市民団体・PTAなどの関係者、法曹界、各分野の研究者など、われもわれもが「住民投票でノーを突きつける会」を結成して市民に反対を呼びかけよう、橋下維新の策略と手法を考える(その6)

 3月6日金曜日の夜、大阪の豊中市大阪都構想を考える講演会が開かれて100人を超える市民が熱心に討論する機会があった。地元のまちづくり団体が急遽開催したもので、旧知の友人から講師として招かれた。私の話したテーマは「大阪都構想を考える―住民投票ファシズムにも転化する―」(末尾にレジュメ掲載)というもの、住民投票の持つ危険性を指摘したものだ。

 もともと住民投票直接民主主義の有力な手段であり、代議制民主主義の形骸化や空洞化に対する有力な市民の異議申し立ての手段として活用されてきた。私自身も「京都の市電をまもる会」(いまから40年前)の市民運動のなかで、いっこうに耳を傾けない京都市議会に対して市電存続のための条例制定直接署名運動を展開し、20数万人の署名(地方自治法第74条では有権者の50分の1の署名)を収集して市議会に提出した経験がある。残念ながら結果は不成功に終わったが、それでも市民一人ひとりが署名運動に直接参加する行動提起は多くの市民を励まし、市民運動の活性化に大いに貢献したことを覚えている。

 ところが今回の大阪都構想の是非を問う住民投票は、大都市地域特別区設置法(2012年8月成立)に基づき、大阪維新の会が自らの野望を遂げるために「上から」組織したもので、地方自治法の規定する住民投票とは全く性格が違う。今回の住民投票は「拘束型住民投票」といわれるものであり、住民投票特別区の設置が決まるという極めて拘束性(権力性)が高い投票制度なのである。国で言えば、憲法改正にともなう国民投票のような性格のものだ。

そうであればこの種の拘束型住民投票は、住民投票の成立条件を厳格に規定しなければならない。そうでないと、いかなる低投票率であっても住民投票が成立することになり、住民投票は少数の権力集団が多数の住民を操作・支配する強力な統制手段にもなる。ところが、今回の住民投票には如何なる成立条件も付されていない。私が大阪都構想住民投票ナチス・ドイツ国民投票制度になぞらえ、「住民投票ファシズムにも転化する」と考える所以だ。

大阪都構想の是非を問う住民投票は、地方自治の本旨を歪め、議会制民主主義を否定する危険極まりない企みだ。橋下氏(大阪維新の会)の狙いは、「訳のわからない」大阪都構想を「訳のわからないまま」にして「○か×か」の単純な二択投票に持ち込み、府民・市民に十分な議論と理解の機会を与えないまま、大阪都構想を一気に実現しようとすることにある。このようなファッショ的策略を絶対に許してはならないと思うが、5月17日の投票日は今すぐそこに迫っている。事態は緊急を要しているのである。

私は、大阪都構想の是非を問う住民投票で「ノー」の意思を示すため、いまこそ大阪市民が立ち上がるべき時だと思う。若者、女性、商店主、経営者、町内会・市民団体・PTAなどの関係者、法曹界、各分野の研究者など、われもわれもが「住民投票でノーを突きつける会」を市内一円に結成して市民に反対を呼びかけよう。そして橋下維新の野望と策略を粉砕しよう。


【参考資料:当日のレジュメを一部修正】
大阪都構想を考える〜住民投票ファシズムにも転化する〜」
大阪都構想」をめぐる危機的情勢
(1)大阪都構想大阪市24区を5特別区に集約して大阪市を解体し、大阪府に合併吸収する「大阪のかたち」を根本から変える仕掛けです。しかし「大阪のかたち」を変えるのは橋下市長でもなければ松井知事でもなく、大阪府民・市民でなければなりません。そのためには討議を尽くし、府民・市民の合意を得ることが不可欠です。憲法の掲げる地方自治の本旨は議会制民主主義の徹底により実現されるのであって、熟議民主主義(多数決主義のアンティテーゼ、相異なる意見を持つ市民が討議と話し合いを通して互いの主張を止揚し、より広く受け入れられる意見や決定に昇華させていくプロセス及びその結果)が地方自治、住民自治の基盤だからです。

(2)大阪都構想の是非を問う住民投票地方自治の本旨を歪め、議会制民主主義を否定する危険極まりない企みです。橋下氏が首相官邸および創価学会との闇取引により、(一旦死んだはずの)大阪都構想住民投票を復活させました。その狙いは、「訳のわからない」大阪都構想を「訳のわからないまま」にして「○か×か」の単純な二択投票に持ち込み、府民・市民に十分な議論と理解の機会を与えないまま、大阪都構想を一気に実現しようとすることにあります。

(3)この事態は、国家の重要政策を「イエス」か「ノー」かの単純選択に還元して国民投票に掛け、これを繰り返しながらファシズム体制を作り上げていったナチスの手法に酷似しています。つまり橋下氏が仕掛けた住民投票は、議会での討論を排除して議会制民主主義を空洞化させ、有権者の判断を奪って合意の形成を妨げる民主主義攻撃だと言えます。またこれに同調して府議会・市議会の議決を覆し、全てを住民投票に委ねるという公明党の態度は議会審議権の放棄であり、「住民投票」という名のファシズムへの拝跪(はいき)に他なりません。

(4)公明党の変節は、安倍政権のファシズム化と深く関わっています。現在、国会では集団的自衛権の行使を容認するための安保法制議案に関する自公与党協議が始まっていますが、その実態は安部政権の「言いたい放題」「やりたい放題」だと言われています(朝日社説、『与党安保協議、なんでもありですか?』、2015年3月1日)。公明党がかくも安倍政権に擦り寄るのは、創価学会の利益をまもるためには連立政権から離脱できないからであり、安倍政権の背後に公明党の「代役」として維新が控えているからです。安倍政権は公明と維新を天秤にかけて競わせ、憲法改正を通して「戦後レジームの脱却」を目指しています。

(5)1宗教法人にすぎない創価学会が公党の政策に深く介入して命令に従わせることは、憲法第20条1項、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」ことへの明確な憲法違反と言えます。とりわけ問題なのは、菅官房長官創価学会本部に維新との協調を働きかけ、それを受けた学会幹部と公明党本部が動いて大阪府本部を説得(強要)したことです。創価学会という特定の宗教団体が「国からの特権=首相官邸指示」を受け、「政治上の権力を行使」して大阪府本部の方針転換を強要したのですから、これは二重三重の憲法違反です。

橋下氏はいかなる人物か
(1)当初、「子どもが幸せになる大阪」(府知事選)を掲げて登場した橋下氏は、「トリックスター」(型破りの悪戯者)としての資質を存分に発揮してマスメディアの寵児となり、その後は民意を巧みに掬い取る「ポピュリズム政治家」と持て囃されてきました。しかし、実際にやったことはスキャンダラスなパフォーマンスばかりで、今年に入ってからだけでも続々とその「成果」が出ています。

●府教委の第三者委員会が「精神的苦痛を与える行為」「人権侵害とも言うべき発言で、かつ精神的攻撃」と認定した府教育長のパワーハラスメント
●杜撰(ずさん)な音楽イベントの開催で大赤字を出し、損害賠償問題が持ち上がりその責任を問われた大阪観光局長の辞任(更迭)
●局長の知人業者に応募させ、局長自らが審査して受注させた市交通局イベント事業の発覚
●市の外部監査チームが「違法支出」と指摘した、市交通局イベント中止にともなう知人業者への局長命令による公金支出
大阪市職員組合に対する橋下市長の一連の弾圧行為(事務所退去、市教組集会の小学校使用不許可、刺青調査、組合活動に関するアンケート調査)に関する訴訟判決で市側が全て敗訴、4連敗
道頓堀川を「巨大なプール」にする荒唐無稽な計画のお流れ
●住吉市民病院閉院にともなう民間病院誘致公募の不調など

(2)続出する失政をカバーするには、「一か八か」の勝負に打って出て府民、市民の目を現実から逸らし、「大阪のかたち」を変えれば全ての問題が解決するかのような宣伝工作活動(大キャンペーン)を展開する必要があります。これが「デマゴーグ」(謀略的扇動家)としての橋下氏の狙いであり、その舞台として設定したのが大阪都構想住民投票なのです。橋下氏はそこに「一か八か」の勝負を賭け、もし住民投票に成功すればそれを国政進出の最大の足掛かりとして利用し、維新を安倍政権の本格的な補完勢力に仕立て上げる魂胆です。

(3)「一か八か」の住民投票を成功させるには、投票に一切の制約条件を設けない方が得策です。大阪都構想の是非を問う住民投票には成立要件が全くありません。極端なことを言えば、10%の低投票率でも住民投票は成立し、この場合は5%以上を得票すれば大阪都構想に「ゴーサイン」が出されることになります。それに加えて、住民投票の法的根拠である「大都市地域特別区設置法」(2012年8月成立)には一旦成立した特別区を元に戻す規定はないので、成立すれば「取り返しのつかない」ことになります。都構想が後で欠陥商品だと分かっても、もはや「返品」することはできないのです。

(4)「大阪のかたち」を変え、大阪市を解体する住民投票がかくも杜撰(ずさん)な制度で実施されることに驚きます。これは大阪維新の会によって大阪市政が事実上「自治体ジャック」され、住民投票ファシズムの手段に転化する危険性を示しています。「大阪のかたち」を変えるような住民投票は、国家で言えば憲法改正手続きにも比すべき厳密な要件が課されるべきであって、住民投票の発議には府議会、市議会の3分の2の賛成が必要であり、有権者過半数が投票しなければ無効となり、過半数の賛成が無ければ不成立になるといった厳密な要件が課されるべきです。

(5)今回の首相官邸創価学会本部を巻き込んでの「住民投票どんでん返し」は、府議会、市議会の議決を覆す事実上の「議会クーデター」だと言えます。橋下氏はこの謀略を仕掛けることで、これまでの「トリックスター」「ポピュリスト」との装いを捨て、名実ともに「デマゴーグ」に変貌したのです。橋下氏は、住民投票が成功すれば都構想の実現を見届けるなどと言っていますが、その言葉を信用することはできません。なぜなら、大阪市を解体する都構想が現実のものになれば大阪市長の座は無くなり、橋下氏がもはや大阪に留まる必要がなくなるからです。

(6)さらに憂慮されるのは、橋下氏が「デマゴーグ」の域を超えて次第に「ファシスト」の様相を強めていることです。大阪都構想住民投票を控えて、橋下氏は市職員に対し「公務員という肩書で職場内での個人的な見解の表明」や「権限を有さない立場での無責任な発言」を慎むようにと発言し、この橋下文書が各職場の管理職に宛てに配布されています。また法定協議会の広報紙、『協議会だより』(90万部)が3月上旬に新聞折込みで大阪市内に配られる予定でしたが、維新が反対会派の意見掲載を拒否したため、発行中止になりました。これらは、住民投票の前提となる賛否両論の材料を市民に提供することなく、ナチス時代の国民投票のように「イエス」「ノー」の結果だけを強いるもので、市民の公正な判断の機会を奪うものです。

(7)今回の住民投票にあたっては、大阪都構想のメリット、ディメリットの比較に議論を矮小化してはならないでしょう。住民投票そのものの持つ政治的意味を市民・有権者に知らせ、場合によっては住民投票ファシズムの手段になることに警鐘を鳴らさなければなりません。そして、このような策略を弄してまで大阪市を解体しようとする橋下戦略の狙いと危険性をより多くの市民に知らせ、都構想や住民投票に関心の低い市民・有権者に訴えることが重要です。橋下氏が自らの野望を実現するため、「手段を選ばない」ファシストに変貌している状況に私たちはもっと敏感であるべきです。この住民投票をめぐる対決は、大阪都構想の是非をめぐる単なる住民投票ではなく、住民投票の名を借りたファシズム攻撃に対する民主主義擁護の戦いであることを忘れてはならないでしょう。

【参考資料】 ナチス・ドイツの全権委任法と国民投票法
(1)ナチス・ドイツの独裁体制を可能にした法律に「全権委任法」と「国民(民族)投票法」がある(ウィキペディア他)。

(2)「全権委任法」は、1933年3月に定められたアドルフ・ヒトラー率いる政府に国会が立法権を委譲した5カ条の「民族および国家の危難を除去するための法律」を指す。5カ条の内容は、予算監督権をふくむ立法権、外国との条約の承認権、 憲法修正の発議権を議会から政府に移し(第1、第2、第4条)、 憲法の範囲外のものをふくむ法律の作成権を大統領から首相に移管する(第3条)ことを規定している。有効期間は4年間かつ現内閣の存続中(第5条)と定められているが、 文字どおりの「全権」の賦与であり、大統領、国会ともにその権限の根幹を奪われることになる。
(3)「国民(民族)投票法」は、ナチス・ドイツ体制期の1933年7月に制定された、政府の行為について国民の承認を得る投票制度である。これは従来の国民投票と異なり、政府にしか発議権がなかった。国民投票ヒトラー国家元首就任(総統)や国際連盟脱退、ライン川武装地帯進駐、オーストリア併合の際に行われた。これらはいずれも高い賛成票を得てヒトラー政権の政策の正当性をアピールしたが、すべて事後に行われた投票であり、法的には信任投票程度の意味しか持たなかった。
(4)1938年、オーストリア併合に当たって使用された投票用紙

「あなたは1938年3月13日に制定されたオーストリアドイツ国の再統一に賛成し、我々の指導者アドルフ・ヒトラーの党へ賛成票を投じますか。」という設問で、中央の「Ja(はい)」の項目が大きく、右端の「Nein(いいえ)」は小さく印刷されている。

(5)フランスでは、為政者により自身の統治を正当化することを目的とした国民投票が多用され、投票行為が人気投票・信任投票と化した国民投票を「プレビシット」と呼び、危険視している。通常の国民投票プレビシットは差別化して考えるべきであるという議論がある。

付記
(1)橋下氏の政治信条は「決定できる政治」であり、そのためには「首長が独裁できる権限」を持つべきだというものです。その結果、議会は首長の「抵抗勢力」と見なされ、「議会をつぶす」という言葉が橋下氏の慣用句になっています。この政治信条は、ナチス・ドイツの独裁体制を可能にした「全権委任法」に通じるものがあり、憲法93条2項に掲げられた地方自治制度の二元代表制を否定するものです。なぜなら憲法93条2項は、地方公共団体の長と議会の議員は住民が直接選挙することを定め、住民は長と議会という二元的な代表を持つことになっているからです。

(2)橋下氏は、首長選挙住民投票を「独裁政治の手段」と見なしています。首長に選ばれることは、すなわち「民意=白紙全権委任」を得たことというのが彼の持論です。ですから議会で大阪都構想の法定協議会案が否決されると、「出直し市長選」に打って出たのです。このことは、政策の実現に当たって議会と協議するのではなく、首長選挙によって議会を屈服させようとする橋下氏のファッショ的な体質をよくあらしています。今回の住民投票も同じ線上にあります。

(3)ナチス・ドイツの「国民(民族)投票」と今回の住民投票は、政策を決定してから(事実上の)信任投票を組織するのか、政策を決定するために賛否を問うのかという点では決定的な違いがあります。しかし共通するのは、冷静な議論を排除して国民・市民を二者択一の単純な投票行動に追い込み、その結果を以って「民意」と「政策の正統性」を得たとして独裁政治を実行するところにあります。