住民投票で大阪都構想を否決するには「橋下フアン」に働きかけても無駄だ、大阪都構想に反対でありながら投票に行かない市民に大阪市解体・消滅の危機を訴え、圧倒的多数の「ノー」で大阪都構想を葬ろう、橋下維新の策略と手法を考える(その7)

 過日の大阪・豊中市での「大阪都構想を考える」講演会で面白い遣り取りがあった。質疑応答の時間に入って活発な討論となり、そのなかで「橋下フアン」のオバチャンやオジチャンをどう説得するかが議論の中心になった。もちろん若者の間にも多くの「橋下フアン」がいるとのことだが、講演会の参加者が中高年層に偏っていたこともあって、「若者をどう考えるか」と言った声は上がらなかった。初めから「取り付く島がない」と諦めているのだろう。

 橋下氏の支持層は大まかに言って、これまで3つのグループから構成されていると分析されてきた。第1グループは「怒れる若者たち」、第2グループは「ネオリベ新中間層」、第3グループは「大阪のオバチャン・オジチャンたち」である。それぞれがどの程度の比重を占めているかについては、目下適当なデータを持ち合わせていなので正確な数字は分からない。またその割合は時々の情勢に応じて(激しく)変化するので、調査データを時系列に分析しない限り軽々に判断することができない。

 とはいえ、たとえ「山勘」であっても凡そのことを言わなければ話にならないので、私なりの橋下支持層の推移に関する見立てを述べてみたい。まず橋下支持率が70%台と言った全盛期の頃はどうだったのか。この頃はマスメディアの影響(全面賛美)もあってか、特定階層やグループに支持層が集中していると言うよりは、全階層にわたって「橋下フアン」が分布しており、それが驚異的な支持率になって表われたと考えることができる。怒涛のような勢いで「橋下ブーム」「維新ブーム」が広がり、私のような批判グループは10%程度の少数集団の位置に追いやられていたのである。

 ところが、慰安婦発言問題を切っ掛けにして橋下支持率が一挙に50%台に落ちると、上記の「橋下フアン」3グループが次第に姿を現してくるようになる。まだ明確な形になっているとは言えないまでも、ちょうどコップの水の上澄みの部分が流れて、中間に滞留していた濃い部分が目視できるようになってきたのである。それが「怒れる若者たち」、「ネオリベ新中間層」、「大阪のオバチャン・オジチャンたち」なのだ。

誰しも思うだろうが、この3グループには階層的な共通性があまり認められない。敢えて社会調査的な分析をするなら、「怒れる若者たち」はバイト・非正規・派遣労働者など社会的にも経済的にも恵まれない底辺層、「ネオリベ新中間層」はこれとは全く逆の一部上場企業などに勤務するホワイトカラー層、そして「大阪のオバチャン・オジチャン」は中小企業主や商店主など大阪の地場産業で長年飯を食ってきたいわゆる庶民層(旧中間層)というところだ。なのに、ほとんど共通性がないこれら3グループがどうして「橋下フアン」の核(コア)になっているのか。

私はかねてより橋下氏の人物像の観察をしてきたが、彼の身体のそれぞれの部分が価値観もライフスタイルも異なる3グループを惹きつけてきたのだと考えている。本来、人間の身体は心身ともに統一された存在であり、それが価値観や人格、ライフスタイルなどとなって表われるのだが、橋下氏は「頭=思想」、「顔=表情・身振り手振り」、「舌=弁舌」がそれぞれ異なる働きをするところに並外れたデマゴーグ(謀略扇動家)としての特徴(資質)があるのである。

まず橋下氏の「頭」は中身が「ネオリベ」(新自由主義)一色で詰まっているので、これは大阪の経済産業構造を(新自由主義的に)改革しなければグローバル競争に勝ち残れないと考える大企業(関西財界、社員・従業員)の利害と一致する。大阪市を解体してリストラし、道州制を見越してその第一歩としての大阪都構想を実現する。地下鉄を民営化して私鉄に売り渡す。広大な埋め立て空き地にカジノを誘致して新たな産業を興す。中央リニアや高速道路網を整備して関空と国土幹線を結び、大阪を「世界最大のメガリージョン」(政府の国土形成計画、『国土のグランドデザイン2050』)の拠点に仕立て上げるーーー。全ては絵に描いたように財界の道州制構想および政府の国土計画と一致している。

しかし橋下氏の本領は「頭」を「顔」と「舌」で覆い隠し、稀代のポピュリストとして「怒れる若者たち」や「大阪のオバチャン・オジチャン」を扇動するところにある。つまり「怒れる若者たち」には、本来、市民生活の守り手であり奉仕者としての公務員をバッシングの対象に祭り上げ、攻撃することで彼らのブラックな支持を取り付ける。「大阪のオバチャン・オジチャン」には、年金への不満や老後の不安を逆手にとって議員・議会への攻撃にすり替え、大阪市・市議会の解体を唆して素朴な支持を取り付ける。そしてこれを「民意」と称し、巧みな弁舌と母性本能をくすぐるような笑顔で、彼・彼女らの支持を掬い取るのである。

「橋下フアン」の心理を解剖すれば、そこには「好き嫌い」の感情が支配的な位置を占めており、大阪都構想の「是非」を考える部分が非常に少ないことに気づく。「好き嫌い」で物事を判断する人に「是非」の議論をしても無駄に終わるだけだ。5月17日の住民投票まで残された時間は僅かしかないのだから、「是非」を考えることのできる人びとに大阪都構想の危険性を訴えようーー、これが講演会での私の結論だった。(つづく)