基本設計から切り離された「デザイン(アイデア)コンペ」などあり得ない、新国立競技場建築デザイン審査委員長・安藤忠雄氏の不可解きわまる弁明はいっそう疑惑を掻き立てる、「森さま」の新国立競技場建設は建築的にも政治的にも破綻した、大阪都構想住民投票後の政治情勢について(9)、橋下維新の策略と手法を考える(その47)

 新国立競技場のデザインコンペ(競技設計)で審査委員長を務めた建築家の安藤忠雄氏が7月16日、これまでの「長い沈黙」を破って初めて記者会見に応じた。2520億円と言う途方もない巨額の新国立競技場建設費が日本スポーツ振興センター(JSC)の有識者会議(安藤氏は欠席)で決定されて以降、轟々たる社会の非難に対していっこうに説明責任を果たそうとしない安藤氏が遂に「沈黙」を許されなくなり、漸く公開の席上に姿を現したのだ。

しかし私は、その会見模様を伝えたテレビニュースを見てたまげた。驚いたことに安藤氏は、審査委員会が頼まれたのはデザインの選定までで、徹底したコストの議論にはなっていなかったとして、「コスト増」についてはあくまで責任を負う立場にないことを強調したのである。

また質疑応答では、「選んだ責任は感じるが、とりまとめはここまで。私は総理大臣ではない」、「国際デザイン競技はアイデアのコンペであり、こんな形でいいなというデザインを決める。徹底的なコストの議論にはなっていないと思いますよ。それほど図面がきっちりあるわけではない」、「どこかで誤解が生じている。私たちが頼まれた国際デザイン競技はデザイン案の選定まで。基本設計の段階で日建設計、日本設計、梓設計、アラップが基本設計をします。我々はここ(フリップボードを使って基本設計の前段階を指して)で終わりなんです」と荒唐無稽な弁明を繰り返した。

彼の言いたいことは、フリップボードの図をマジックで強調したように、「デザイン選定」と「基本設計」の間には大きな切れ目があり、「コスト計算」は基本設計段階での仕事であって、その前段階の「デザイン選定」の仕事ではないと言うことに尽きる。要するに、自分は新国立競技場の工事費が2520億円に膨らんだことには「何ら関係がない」(責任がない)と言いたいのである。

 しかし、安藤氏が会見に先立って報道各社に配布した審査経緯に関する説明資料には、「1300億円の予算」、「神宮外苑の敷地」、「8万人の収容規模」、「可動屋根」(文化イベントなども可能にするため)などの設計条件が明示されていた。設計条件が提示されなければ建築家は具体的なデザインができないし、「デザインコンペ」(競技設計)に応募しようにもできないのだから当然のことだ。

 建築の競技設計(デザインコンペ)は、実際に建築することが前提条件である以上、「アイデアコンペ」であろうとなかろうと設計条件に合致することが厳しく求められる。設計条件を無視した応募案が最初から外されることは、デザイン審査の「いろは」の「い」である。なかでも工事費の枠は基本中の基本条件であって、このことを勘案しないデザインは架空のものとなる。工事費を勘案しないデザインは、「エスエフ作品」や「アニメ作品」の世界のことであって、建築世界では到底通用しない。

 安藤氏が言うように、もし「デザイン選定」と「基本設計」の間には大きな切れ目があり、「コスト計算」が「デザイン選定」の仕事ではないと言うことになれば、「デザインコンペ」の意味はなくなり、それは「ファッションショー」の世界になる。基本設計の前段階(前提条件)にならない「デザイン選定」などは「単なるお遊び」にすぎず、工事費を考慮しない「デザイン」などは空想の世界でしかない。

 だが、毎日新聞電子版(2015年7月16日)によれば、イラク出身で英国在住の建築家、ザハ・ハディド氏の作品が選ばれた経緯をたどると、審査の過程で安藤氏が強く推していた様子が浮かび上がるという。以下はその一節である。

「日本の技術力のチャレンジという精神から17番がいいと思います」。12年11月7日。JSCが基本構想のデザインを募った国際コンクールの審査委員会で安藤氏は発言した。委員の一人であるJSCの河野一郎理事長が「いかがでしょうか」と尋ねると「賛成」の声が上がった。17番はハディド氏の作品だ。
情報公開請求で開示された議事録によると、2次審査に残った11点のうち、委員長を含む委員10人による投票では、ハディド氏の作品を含む3点が同点。だが、他の委員から「委員長の1票は2票か3票の重みがあると判断すべきかと思う」などと促され、安藤氏がハディド氏の作品を選んだ。審査委員会も、募集要項などを了承したJSCの国立競技場将来構想有識者会議も原則、非公開だった。安藤氏はハディド氏の提案を「宇宙から舞い降りたような斬新な案に心を動かされた」と講評していた。

 安藤氏はおそらく、ハディド氏の案が1300億円の予算をはるかに超える「途方もない巨額」になることを十分承知した上で、審査委員長の立場を利用して強く推薦したのだろう。それは安藤氏を審査委員長に据えた「黒幕」の意を体しての行動であり、巨額の工事費がどのような政治的意味を持つかを十分に理解しての決断だったに違いない。ただ、安藤氏にとって想定外だったのは、それが時期的には「安倍さま」の国会運営の暴走と重なり、人脈的には「森さま」の(スポーツ業界での)ドン発言によって裏付けられたことだった。

安藤氏は大阪の風土の中から生まれた「郷土の英雄」だ。圧倒的な人気を誇る橋下氏に比べても遜色のない存在であり、マスメディアでの露出度も劣ることがない。だが、晩節になって迎えた新国立競技場問題は、これまでの氏の輝かしいキャリアに暗い影を落とさずにはおかない。晩節を全うするためにも真実を語り、大阪の期待に応えてほしい。(つづく)