「安倍さん感じ悪いよね、レベル低いよね!」、ポンチ絵ならぬポンチ模型を使っての安倍首相のテレビ出演は却って内閣支持率低下に拍車を掛ける、大阪都構想住民投票後の政治情勢について(10)、橋下維新の策略と手法を考える(その48)

安保法案の衆院強行採決後、安倍内閣の支持率低下が止まらない。7月17、18両日実施の共同通信毎日新聞の緊急世論調査では、支持率が遂に30%台半ばにまで低下し、不支持率が50%を上回った。不支持率が過半数に達するのは実質「内閣不信任」であり、安倍首相本人はもとより官邸の取り巻き連中もさぞかし狼狽していることだろう。

それにしても不思議なのは、これまで安倍政権を一貫して後押ししてきた読売、日経など各紙がいっこうに「緊急世論調査」に踏みきらないのはなぜか。国民が最も知りたがっていることを報道するのがマスメディアの使命だとするなら、いまこそこれら両紙は安保法案急行採決に関する「緊急世論調査」を実施して、読者の要求に応えるべきときではないか。それとも国民の反発が収まるまで時期をずらし、支持率の回復を待って(あり得ないと思うが)世論調査をするつもりなのか。

「千万人といえども我行かん!」と胸を張って強行採決に踏み切った(はずの)安倍首相がその後動揺に動揺を重ねているのをみると、この人物がどれほどの「小心者」であるかがよくわかる。それを何よりも物語るのが、7月20日から2夜連続して出演した民放テレビ番組(フジテレビ、BS日本テレビ)での珍問答だろう。傑作なのは、安倍首相が「ポンチ絵」ならぬ「ポンチ模型」を使って幼稚な説明に終始し、視聴者を心底呆れさせたことだ。私などは見るに耐えかねてスイッチを切ったが、周辺では若者たちが「安倍さん感じ悪いよね、レベル低いよね!」と嘲っていた。1国の首相がこの程度の知能レベルでしかないことは、麻生元首相の「未曾有(ミゾユー)発言」を含めて悲しんで余りあるというものだ。

もう少し具体的にテレビ番組の中身を見よう。「ポンチ模型」はアメリカの母屋と離れがあり、横に日本の家が隣接して建っているというもので、アメリカの家で火事が発生する(煙まで作られていた)と日本の消防隊が消火に駆けつけるというものだ。消火しないと日本の家にも類焼する恐れがあるので、日本の消防隊(自衛隊)が出動してアメリカの母屋や離れの火を消さなければならない、これが「集団的自衛権だ」として得々として説明するのである。まるで、幼稚園クラスの子どもに対してでもするような幼稚な紙芝居ではないか。こんな「子供だまし」の番組を作ることを首相自身が思いつき、それを官邸の側近が止めるどころかテレビ局にかけあって出演させると言うのだから、もはや首相以下、官邸一同が「そのレベル」にまで到達しているのだろう。

それにしても、私は「この程度」の紙芝居で国民が納得すると彼ら(首相官邸)に思われていることがとても悲しい。国民を「舐めている」とはまさにこのことではないか。視聴率もそこそこあった(数パーセント)というし、もし視聴者が彼らの思惑通りに「納得」したのであれば、日本の前途は「絶望」というしかなくなる。ただ幸いなことに、私の周辺の若者たちは直ちに正常な反応を示し、大方の反応も「馬鹿にするな!」というものだった。

安倍首相に提案したい。国連総会あるいはサミットでこの「ポンチ模型」を使って日本の安全保障政策を英語で丁寧に説明してはどうか。そして、世界に向かって日本の首相が「この程度」であることを堂々と示してはどうか。もしそれで大恥をかかなければ、帰国後に「安倍さまのNHK」で特集番組を組み、安倍首相を取り巻く学者・文化人を(百田氏も含めて)総動員してテレビ出演してはどうか。もしそれが実現すれば、「NHKアーカイブス」の傑作として永く後世に伝えられるだろう。

冗談はさておき、安保法案の衆院強行採決後、もはや如何なる策を弄しても内閣支持率の回復は難しいと思う。新国立競技場の「白紙撤回」も支持率の回復にさしたるたる効果はなかった。それどころか、森元首相の醜い「後付発言」が傷をさらに広げ、現・元首相がコラボして支持率低下を推進している。安倍首相はもはや「進退窮まった」と言うべきだろう。また自民党政治にも赤ランプが点った。「安倍1強内閣」の政策転換を担えるだけの政治勢力が党内で枯渇しているからだ。いまの自民党には「タカ派」もいなければ「ハト派」もいない。全てが「安倍一色」で塗りつぶされて人材が劣化し、政策選択の幅が極限まで狭められている。そこに存在するのは、百田氏を招いて「琉球新報を潰せ、沖縄タイムスを潰せ、マスメディを締め上げろ」と気勢を上げるような(反知性主義的な)「イケイケドンドン集団」だけだ。

 政策的にも安倍政権は危機に直面している。60年安保のときはたとえ岸内閣が退陣に追い込まれても、自民党の後継政権には「池田内閣」というもう1つの選択肢があった。また政策的には「所得倍増計画」という経済路線重視への政策転換も可能だった。だが、いまの安倍政権には政策転換の選択肢もなければ可能性もない。それほど国民の世論を無視して、安倍政権がアメリカと財界に奉仕する政策を一直線に突っ走ってきたからだ。

 「アベノミクス」があるではないか、という人もいるだろう。だが株価が上昇してもその恩恵に与る国民が1割にも満たない現実を見て、安倍内閣の経済政策に「期待しない」人の割合が「期待する」を上回るようになった。また、少しばかりの実質賃金の上昇はあっても、それが大企業に限られていたのでは大多数の国民の懐を暖めることはできないこともわかってきた。多くの国民はもう「アベノミクス」に期待しなくなってきているのである。

 このことは、自民党政権にとって60年安保のときの所得倍増計画のような「起死回生」の政策転換が不可能になっていることを意味する。これからの安倍政権を待ち受けているのは、国民の大多数が反対している原発再稼動、日本農業を壊滅させるかもしれないTPP交渉、沖縄県民が「オール沖縄」で反対している辺野古米軍基地の建設、中国や韓国との国際摩擦を激化させかねない戦後70年首相談話など、いずれも政権の土台を揺るがし兼ねないような難題ばかりだ。安保法案の強行採決内閣支持率が急落した(これからさらに低下するだろう)安倍政権が、これらの難局を乗り切れないことはもはや誰の眼にも明らかではないか。

若者たちに「感じ悪いよね」「レベル低いよね」と言われるような政党には未来がない。安倍首相をはじめ自民党幹部が学ぶべきはこれら若い世代の感覚であって、「大したことではない」とうそぶくことではないのである。