安倍政権は「ニッポン無責任時代」の再来か、舛添都知事「ニッポン無責任野郎」記者会見と衆参ダブル選がいよいよコラボし始めた、JОC東京五輪招致疑惑も着実に発展している、2016年参院選(衆参ダブル選)を迎えて(その27)

 5月20日、舛添都知事の定例記者会見は傑作だった。私は当日のニュースを再三再四見たが、よくぞこれで都知事が務まるものだと何度も(深い)溜息が出た。税金の無駄遣いや公私混同問題に関する自らの説明責任は一切棚に上げ、全ての調査を「厳しい第三者」の目に委ねると言うのだから、これほどの「ニッポン無責任野郎」発言はない。各紙によって回数は違うが、舛添知事は2時間余の記者会見の中で「第三者」という言葉を40〜60回も繰り返したという。

 私など高度成長時代に青春期を過ごした世代は、舛添会見の模様を見て、即座に植木等の「ニッポン無責任時代」「ニッポン無責任野郎」という映画を思い出す。それとともに「スーダラ節」や「無責任一代男」の歌詞やメロディーも鮮やかに蘇ってくる。植木等自身は真面目な人柄で知られ、彼の父は積極的に社会問題に取り組んだ行動的な僧侶だったが、植木等の映画や歌は高度成長時代の裏側を鋭く風刺するものとして大人気を呼んだのである。

 それに加えて、「おれはこの世で一番 無責任と言われた男 ガキの頃から調子よく 楽してもうけるスタイル」で始まり、「人生で大事な事は タイミングにC調に無責任 とかくこの世は無責任 こつこつやる奴 ごくろうさん」で終わる「無責任一代男」の歌詞は、「スーダラ節」も含めて都知事時代に仕事らしい仕事を全くしなかった(できなかった)青島幸男の作詞だと言うのだから念が入っている。これでは、青島以来の石原、猪瀬、舛添と続く東京都知事は、全てが「無責任一代男」「ニッポン無責任野郎」の範疇に入ってしまうではないか。

 安倍政権の閣僚や官邸関係者の中には放言をほしいままにしながら、いっこうに責任を取ろうとしない「ニッポン無責任野郎」は数えなければならないほど沢山いる。放言ならまだしも、明らかな収賄疑惑をかけられながら「病気療養」を口実にして雲隠れしたままの甘利氏のような大物元閣僚もいる。それでいて安倍内閣は「無責任内閣」との烙印を免れているのだから、日本はまさに「ニッポン無責任時代」の再来と言うべきなのだ。

 舛添問題は決して一過性の問題ではない。東京都政の中で連綿と受け継がれてきた自公癒着政治(利権政治)の深層底流が、「舛添要一」という類まれな人物の行動を通して表面化したに過ぎないのだ。『週刊文春』の記事で毎週末、公用車での神奈川県湯河原町にある別荘通いが暴露されたのも、舛添氏が知事主導で東京オリンピック会場計画を見直したことが引き金になったといわれる。舛添氏が知事主導で新設予定だった都内3会場の建設を中止したことが関係する自民党都議の利権に触れ、そのことが切っ掛けになって暴露合戦が始まったのである(ダイヤモンド・オンライン、2016年5月17日)。

 悲しむべきはこのような東京都政の利権構造(腐敗構造)であって、単に舛添知事の首を切れば済むというような話ではない。しかし、事態の先行きを懸念した自民党東京都連や都議会執行部では早くも「トカゲの尻尾切り」の動きがはじまっている。舛添知事は確かに東京都政のトップ(頭)であるかもしれないが、安倍政権や自民党本部からすれば単なる「尻尾の一つ」に過ぎない。参院選あるいは衆参ダブル選を目前にしてこれ以上の「ゴタゴタ」が続くと、内閣支持率政党支持率にも影響が及びかねない、始末するのであればできるだけ早いほどいい――。こんな空気がいまや支配的になりつつあるという。

 6月1日には都議会の定例会が開会される。すでに野党からは舛添問題を追及する徹底審議の日程が上がっており、自公与党側ももはやこれに蓋をすることが不可能な状態になっている。議論をすれば舛添個人の問題にとどまらず、都政の利権構造が暴かれる可能性をなしとしない。だから議論を封じることで舛添問題を都政全体に波及させず、自公与党の利権構造をそのまま温存するには、開会当日に舛添知事が辞職させるのが「最善の策」だというのである。すでに「どうせ議会は乗り切れない。だから、その前に辞職を迫り開会日に議決する」というシナリオが描かれているといわれる(週刊ポスト、2016年5月27日号)。

さらに、6月1日辞職説にはもっと重要な政治戦略が含まれているともいう。参院選あるいは衆参ダブル選と東京都知事選の「トリプル選挙」の可能性である。公選法では知事が辞任した場合、50日以内に選挙を行なわなければならないが、6月1日に舛添氏の辞任が都議会で同意されれば、参院選(衆参ダブル選)の投票日とされる7月10日に合わせて出直し都知事選を実施できるからだ(同上)。

問題は、適当な候補者を見つけられるかどうかということだ。不倫スキャンダルで失脚した乙武氏が「健在」であれば出馬の可能性もあったが、天は賢明にもその可能性を事前に封じた。ならば、一部で囁かれている橋下前大阪市長はどうか。その可能性を面白半分で囃し立てる人もいれば、東京の有権者が「大阪の(元)首長如きに頭を下げるわけがない」と言う人もいる。しかし結構、本人は「その気」になっているのか、日々舛添問題についてツイッターで発言している。いずれにしても舛添問題の終結は早晩やってくるだろう。

しかし、こんなことよりも私がより重視するのは、東京五輪招致のために使われた裏金(買収資金)の全容が明らかになることだ。次回はこの問題について考えたい。(つづく)