「トカゲ」(官邸+内閣府)の「尻尾」(文科省)切りは成功しない、「火元」の内閣府を調査しないで、「煙」の出た文科省の調査で国民を騙すことはできない、国民世論は「脱安倍」へと着実に向かい始めた(31)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その62)

 安倍首相は6月9日、松野文科相に対し、学校法人「加計学園」の獣医学部新設を「総理のご意向」とした文科省の内部文書の存否を再調査するよう指示した。首相は首相官邸で記者団にこのことを聞かれ、「徹底的に調査するよう指示した」と恥ずかしげもなく語った(テレビニュースで見た)。これまで「総理のご意向」文書の存在については徹底的に白を切り通し、それでも突っ込まれと「印象操作だ」と意味不明の言葉を喚き散らしていたのに、今度は一転して「徹底調査する」というのである。この人物の頭の中の構造がいったいどうなっているのか、脳科学者ならずとも知りたいところだ。

 5月17日の朝日新聞スクープによって内部文書の存在が浮かび上がって以降、官邸と内閣府は必死になって事態を隠蔽し、「知らない」「わからない」「記憶にない」を繰り返して追求から逃げ回ってきた。菅官房長官は内部文書を「怪文書扱い」にして火消しに走り、荻生田官房副長官は文書の中の自分の発言に対してあくまで「知らぬ存ぜぬ」を押し通し、内部文書の主役である藤原審議官は影も形も見せない有様だ。

一方、松野文科相の方は「該当する文書の存在は確認できなかった」と発表するのが精一杯で、「文書は存在しない」と明言することができなかった。松野文科相は(事態の推移を知っているので)その時点で文書の存在を否定できず、「確認できなかった」と言わざるを得ないほど追い込まれていたのである。形ばかりの調査では世論が到底納得しないことを知っていたからだ。

 だが、前川氏が記者会見して「文書は確実に存在していた」「あるものをないとは言えない」と断言したことを契機に風向きが一気に変わった。さすがの菅官房長官も「文科省で適切に判断する」と文科省に責任を押し付けて身をひるがえし、同省内で文書が共有されていたことを示すメールの写しが公表されてからは、記者発表の席上でも答弁不能の状態に陥った。もはや政権を運営していく上で(鉄面皮で)白を切り通すことができなくなったのである。

 問題は、安倍首相が「徹底調査する」と言いながら、肝心の「火元」の内閣府は調査しないで「煙」が出た文科省だけに調査を限定していることだ。疑惑の本命は、言うまでもなく加計学園獣医学部新設を遮二無二強行した官邸と内閣府にある。それを指揮したのは官房長官や副長官、首相補佐官内閣府官僚たちである以上、文科省だけを調査しても事態の本質は絶対に明らかにならない。ここから、事態の本質をあくまでも隠蔽しようとする「トカゲの尻尾切り作戦」が浮上してくる。言うまでもなく、トカゲの本体は官邸と内閣府であり、尻尾は文科省だ。文科省に全ての責任を押し付けて切り捨て、官邸(だけ)が生き残ろうとする姑息な作戦だ。

 これまでの経緯からして、文科省の再調査では文書の存在を何らかの形で認めざるを得ないだろうが、「その資料が実在したとしても、(内容が)正しいかどうかはその次の話だ」(萩生田官房副長官)というのが「次のシナリオ」だろう。「総理のご意向=官邸」の威を借りた内閣府官僚たちが、文科省をはじめ関係省庁を恫喝して加計学園の便宜を図ったことを隠蔽するためには、あくまでも内閣府は「ブラックホール」にしておかなければならない。「火元」の現場検証が行われると出火原因が特定され、火災の構造が解明されるからである。ここに「内閣府は調査しない」とする安倍政権の真の意図がある。

それでは、今回の「加計疑惑」の火元でありブラックホールである「内閣府」とはいったい如何なる組織なのか。内閣府は2001年に設置された新しい行政組織であり、もともとは政府内の政策の企画立案・総合調整の補助が業務とされている(官邸の)下部組織にすぎない。関係省庁の政策調整組織にすぎない内閣府がなぜかくも強力な影響力を行使できるようになったのか。その原因は、第2次安倍内閣が発足した2014年に内閣府人事局が各省庁の幹部人事を一括してコントロールできるようになり、強権を振るえるようになったことがある。これによって官邸は霞ヶ関の官僚の人事を全面的に握ることになり、そこから官僚を意のままに動かせるようになって、「忖度の行政」が一挙に各省庁に広がるようになったのである。

 「安倍1強」の政治権力が官邸や内閣府を駆使して国政の私物化を図る、それを典型的に表したのが「森友疑惑」であり「加計疑惑」だった(である)。しかし、安倍政権とそれに群がる公明、維新の会などの追随勢力は、いま現在においてもなお事態を隠蔽し、政権維持を図ろうと執拗に策動を続けている。天皇退位特例法が成立した日に「文科省再調査」を発表したのも世論の関心を逸らそうとした姑息な手段の表れであるし、国会を早晩閉会することで野党の疑惑追及を交わそうとしているのもその一環だ。

 自民党内では、首相は「初動操作」を誤ったという声が出ているという。「森友疑惑」「加計疑惑」への対応に当たって、安倍首相(夫妻)が身に降りかかる火の粉を払うために動揺を重ね、「初動操作」を誤ったことは容易に推察できる。しかし、それは「国政私物化」のなせる業であって、自業自得ともいうべき必然的結果にほかならない。国政の大義を担うことのできない政治家は、所詮「初動操作」の誤りを重ねていく以外に出口がないのであって、安倍政権はこれからも限りなく「操作ミス」を重ねて自滅に至るだろう。(つづく)