安倍1強は「安倍私党独裁体制」にほかならない、「加計疑惑」隠しのために共謀罪強行採決に走った安倍政権は、国権の最高機関を蹂躙することで「安倍私党による究極の国政私物化」の姿を国民の前に曝した、国民世論は「脱安倍」へと着実に向かい始めた(32)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その63)

 審議抜きの共謀罪強行採決で幕を閉じた今国会は、自公与党がもはや「首相官邸=安倍私党」の独裁下にある翼賛政党にすぎないことを赤裸々に示した。国政は「首相官邸=安倍私党」によって牛耳られ、自公与党はその手足となって意のままに動く存在になった。さしずめ、自民は「馬の脚」、公明は「馬の尻尾」、維新の会は馬の糞に群がる「ハエ」といったところか。

 首相官邸(安倍私党)による国政私物化は、まず官僚機構の私物化から始まった。内閣府(官邸の下部組織)による官僚人事権の掌握によって、官僚機構を意のままに動かす「忖度のシステム」が完成したのである。その典型的事例が、「森友疑惑」に関する財務省理財局長の徹底した事実隠蔽と「知らぬ存ぜぬ」の答弁だった。官僚の矜持を失った当の人物は、もはや壊れたテープレコーダーのような同じ答弁を繰り返すほかなく、(動揺を抑えるためか)その能面のような表情は見るも悲しく哀れだった。誇り高い財務官僚の権威は地に堕ち、国民全体の奉仕者は情けないことに「安倍私党の小間使い(パシリ)」となった。

 自民党幹部や安倍内閣の担当閣僚も「安倍私党の使用人」でしかない。閣僚は、「閣議決定」で答弁集を丸暗記させられ、自由な発言を封じられて同じことしか喋れない「マシーン」になった。松野文科相は、「総理のご意向」文書の有無を巡って「確認できない」との答弁をオウム返しに繰り返すだけだった。オウムは飼い主に覚えさせられた言葉を発するだけで、意味を理解することもできなければ応用することもできない。松野文科相はまさにそれにふさわしい「オウム閣僚」であり、首相官邸(安倍私党)の司令通りに動く典型マシーンだった。

 山本地方創生担当相に至っては、「オウム閣僚」の域を越えて飼い主に尻尾を振る「走狗」となった。「総理のご意向」文書に関して「知らぬ存ぜぬ」が通用しなくなり、文科省内から新たに発見された萩生田官房副長官の指示文書が焦点になるや否や、なんと「それは自分が書いたもの」だと名乗って出たのである。本人は飼い主のために身を投げ出す忠犬の役割を演じたつもりだろうが、閣僚が官房副長官の命令系統に従う「末端組織」であることを示した点で、安倍内閣の「私党」的性格がより一層鮮やかに浮かび上がることになった。

 自民党幹部も負けてはいない。二階幹事長は利権が集中する党内ポストを維持することしか眼中になく、「天下国家」のことなどには全く無関心だ。安倍私党に忠勤を励むことが「幹事長の役割」だと考え、国会討論など政党としての見解を述べる場にはもっぱら下村幹事長代行を差し向け、自分は安倍私党の番頭役に専従している。それでいて自民党の幹事長が務まるところに、「安倍1強=安倍私党独裁体制」の実態が余すところなく露呈されているというべきだ。

 高村副総裁に至っては、「森友疑惑」や「加計疑惑」に対する野党の追及を「ゲスの勘繰り」という有様だ。当人は公明との密室協議を担当する水面下の幹部だが、国民の前で安倍私党の不正を追及する野党質問が「ゲスの勘繰り」に見えるのだから、もともと表向きの議論が苦手なのだろう。この人物の身体には、かっての国対族の様に国会の舞台裏で実質的なことは全て決定し、国会を形式的な投票マシーンに貶めてきた自民の血筋が充満している。密室協議以外の公然とした議論での応酬は全て「ゲスの勘繰り」に映るーー、まるで政界の闇を体現しているフクロウ(フクロウには罪がないが)のような人物なのである。

 しかし、安倍私党にとっては「獅子身中の虫」ともいうべき官僚があらわれた。言うまでもなく、「国民全体の奉仕者=官僚の矜持」を忘れていなかった前川文科省事務次官の存在である。前川発言によって安倍私党による国政私物化の一端が図らずも暴露されることになり、安倍私党とっては「蟻の一穴」に通じる大事件となった。事態が明らかになれば、安倍首相が「責任を取る」「総理を辞める」「議員を辞める」と思わず広言したことで、安倍私党は解体する以外に道は残されていないからだ。

安倍私党の解体を阻止するには、国政私物化の実態や構図をあくまでも覆い隠さなければならない。そのためには「ゲスの勘繰り」が集中する国会の議論を封じるのが一番だ。こうして国会を閉会にして議論の場そのものを無くしてしまう策動が浮上し、委員会審議をすっ飛ばしていきなり本会議での強行採決に持ち込むシナリオが実行された。誰が考えたのか知らないが(公明だとも言われている)、とにかく国政私物化の象徴となった「森友疑惑」「加計疑惑」の幕引きのためには、国権の最高機関である国会の議論を蹂躙してまでも、安倍私党の存続を図るという前代未聞の事態が出現したのである。

さすがに、この事態はマスメディアの大批判を招いた。安倍私党の御用新聞となった読売や「アベサマのNHK」は依然として表面的な報道に終始し、安倍政権をバックアップしているが、もはや国民の関心は安倍政権による「国政私物化」の解明に移っている。NHKニュースでは何もわからない事態の真相が、民放テレビの朝やお昼のワイドショーで次第に明らかになりつつある。国会での議論を無くしてしまえば、国民はすぐに忘れるといった愚民観・愚民視は、早晩自分自身の問題として跳ね返ってくるだろう。

それが東京都議選で一挙に局面が変わるとは言えないまでも、安倍私党の解体は時間の問題だと言える。今国会の共謀罪強行採決による「森友疑惑」「加計疑惑」の幕引きが第1幕、東京都議選による自民・公明への批判票の動向が第2幕(公明の都民ファーストとの選挙協定によって事態は複雑であるが)、そして都議選後の自公与党内の「ねじれ」などによって、安倍私党の「終わりの始まり」がようやく幕を切って落とされるのである。(つづく)