共産党の総選挙総括を読んで感じたこと、近代政党としての透明感がない、立憲民主を軸とした新野党共闘は成立するか(7)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その94)

 共産党の総選挙総括に関する報告を「しんぶん赤旗」(2017年12月4、5日)で読んだ。結論は、市民と野党の共闘の勝利、共産党の躍進という2つの大目標の達成に向けて頑張ったが、前者は重要な成果を上げたものの、後者は比例代表の20議席(606万票、11・4%)から11議席(440万票、7・9%)へ後退してことにもみられるように、「大変残念な結果」になったというものだ。

 第1の目標である市民と野党共闘はこれからもとことん追求するということなので、問題は共闘を前進させながら第2の目標である共産党の躍進をいかにして達成するかということになる。この問題は「新しい努力と探求が求められる課題」なので、今回の総括はこの課題をめぐって主に展開されるのだろうと思っていた。

 だがこの点については、(1)共産党の綱領、理念、歴史をまるごと理解してもらい、積極的支持者を増やす日常的活動を抜本的に強める、(2)どんな複雑な情勢のもとでも党躍進を実現できる自力をつける―、という従来からの方針が繰り返されただけで、特に新しい方針の提起がなかった。具体的には、(1)あらゆる党活動の軸に比例代表選挙をすえる、(2)後援会活動を選挙活動の日常化の要に位置づけ、その抜本的強化をはかる―、の2点だが、これも従来から言われてきたことで新味はない。要するに、打つ手がないので「とにかく頑張れ」ということに尽きるのである。

 しかし頑張るためには基礎体力が要る。「自力」とは「地力」のことであり、「体力」がなければ発揮できない。とりわけ選挙戦は政党間で得票数を争う「数の勝負」なのだから、どれだけの数の活動家が選挙戦に参加できるかが勝敗の分かれ目になる。如何に少数精鋭の軍団であっても、総選挙のような総力戦には「数の力」が決定的に重要になる。「多勢に無勢」という言葉があるように、総選挙を戦うにはそれなりの数がなければ戦えないのである。

ところが、この総括文書には基礎体力の指標である組織メンバーの数も年齢構成も公表されていない。労働組合にせよ各種の政治団体にせよ、近代組織であれば構成員数は原則として公表されるのが習わしだ。どんな立派な目標を掲げた組織であっても、それが取るに足らない数のメンバーしか擁していないのであれば、社会的には相手にされないだろう。そんな当然のことが実現されていないのである。

これらに関しては、僅かに前回総選挙から今回の総選挙までに党員6%減、赤旗読者7%減、日曜版読者9%減との記述があるだけで実態はよく分からない。後援会員数も全国で342万人という数字が出ているが、都道府県単位の数字などは分からない。こうした組織実態に関する数字の非公開主義は、かっては「組織防衛」といった観点から正当化されていたのであろうが、それがいつまでも続いているようでは「秘密結社」のような印象を与えるので、国民からは好感を持たれないだろう。

自らの情報は公開しないで、共産党をまるごと理解してもらうのは困難ではないか。組織の実態も含めて思い切った情報公開に踏み切らない限り、いくら政治方針を事細かく説いても相手は信用しないだろう。そして、情報公開時代の「開かれた近代政党」としてのイメージが定着しない限り、党の躍進は難しいのではないかと思う。

それから、組織メンバーが高齢化していることも気掛かりだ。年齢構成が公表されていないので正確なことは分からないが、高度成長期の革新自治体全盛時代に組織メンバーになった活動家が多いと聞くので、この人たちはもうとっくに高齢者の仲間入りをしているはずだ。65歳以上の高齢者が組織の過半数を占めるようになると、活動力は目に見えて衰えていく。今度の総選挙でもポスター張りやチラシの配布などがうまくいかず、投票動員の電話も満足に掛けられないのが実態だとあちこちで聞いた。

後援会員が全国で342万人もいるのに、比例代表得票数が440万票しかなかったことは深刻だ。これでは後援会員1人に対して1・3票にしかならない。後援会員の活動も自分自身が投票に行くのがやっと...というところまで落ちているのである。高齢化のために後援会活動が開店休業になっていては、比例代表得票数が伸びないのも無理はない。何しろ「寄る年波には勝てない」のである。

後期高齢者に入る75歳までが「活動寿命」だとすると、あと10年で過半数あるいはそれ以上(3分の2)の組織メンバーが活動を停止することになる。それをカバーするだけの若者たちが入ってくれば話は別だが、青年組織の現状から見れば、それは「夢のまた夢」でしかない。第一、共産党の指導を受けようとする若者が此の日本中でどれだけいるのか、調査をすれば分かることだが、「月の石」を見つけるよりも難しいと言われているのである。

老兵は死なず、消えるのみ」という言葉がある。確かに戦後民主主義の先頭を担った老兵たちの意気込みはまだ衰えていない。だが、気持ちは意気軒高でも身体が動かないことには選挙活動はできない。老兵たちに幾ら号令をかけても隊列はもはや動かないところまで組織全体に高齢化の波が覆っているのではないか。

「どんな複雑な情勢のもとでも、共闘の前進と日本共産党の躍進を同時に実現するには『いまの党勢はあまりにも小さい』」のが現状であれば、その「あまりにも小さい」現実から出発するのがリアリズムというものであろう。体力がないのにレースに出場するわけにはいかない。近代政党としての体質改善に取り組み、組織の透明性を高める事なしには展望は開けない。「足元を掘れ、ここに泉がある」というではないか。(つづく)