ゴリラ研究だけでは大学運営ができない、組閣人事の致命的な誤り、山極壽一京大総長の虚像と実像(その4)

 

 6年前、山極氏が京大総長に選ばれたとき、学内の私の友人たちは「山極は絵になる男」「ゴリラ研究者で山男というのは面白い」「松本以外なら誰でもいい、型破りのタイプがほしい」などと、口勝手なことを言っていた。要するに、文科省の役人が真っ青になるほどの(松本氏のような)「官僚タイプ」でなければ誰でもいい――というのが学内の最大公約数であり、その世論にぴったりだったのが山極氏だったというわけだ。

 

 戦後の大学学長選は概ね学内教員の投票で選ばれてきた。一部の大学では職員が参加するとか、学生が事前投票に加わるとかの例もあったが、大方の大学では設置形態(国公私立)の如何を問わず、教員による選出がごく普通のこととして行われてきたのである。そうなると、当然のことながら教員数の多い学部が(票数が多いゆえに)大きな影響力を持つようになり、医学部、工学部、農学部などの実学系学部が幅を利かすようになる。京大では戦後14人の総長が選出されてきたが、出身学部の内訳は、文系は瀧川幸辰氏唯1人、残る13人は工学部5人、医学部4人、農学部2人、理学部2人で圧倒的に理系が占めている。しかも理学部出身の総長はごく最近のことだから、伝統的には実学系の工・農・医3学部の「たらいまわし」で総長が決められてきたのである。

 

 これに対して東大は、文系、理系のバランスを考慮して総長を選んできた(総長選挙に関わった友人から直接聞いた話)。戦後16人の東大総長の内訳は文系9人、理系7人であり、文系は法学、政治学、経済学、歴史学、人文学など多彩な研究分野にわたっている。尤も東大の文系優位の構造は、国家官僚の育成を第一義とする東大の伝統を反映したものだが、それにしても京大の実学系独占は目に余る。総合大学のガバナンスを担う総長は、文系、理系相互のバランスの上に大学運営を行うことを求められる以上、教員構成比の多数派学部である実学系学部が総長を(たらいまわしに)独占するようでは、総合大学の名にふさわしい人格と識見を持ったトップは生まれてこない。

 

 工・農・医中心の総長選に異変が生じたのは、理学部出身の尾池氏が第24代総長(2003年)に選出されたときのことだった。実学系3学部に対する学内の反感の高まりを意識してか、当時の長尾総長(工・電気)が尾池氏を副学長(教育・学生担当)に起用したことが契機になって、尾池総長の誕生につながったのだ。だが、「アンチ実学系」の動きが文系総長の誕生とまではいかず、理系少数派学部である理学部(基礎科学)にとどまったのが京大の限界だった。それでも当時の雰囲気は、尾池氏と本庶氏(医)の決選投票において、尾池氏が927票中590票(64%)を得票して本庶氏に237票の大差をつけたことでもわかるように、実学系(医学部)への反感はピークに達していた(京都大学新聞2003年9月28日)。

 

 この新しい動きが次のフェーズへと発展せず、再び旧体制(松本総長、工・電気)に回帰したのだが、松本総長が安倍政権の「大学ガバナンス改革」のお先棒を担ぎ、京大(総長選考など)がその舞台になったのは不幸な出来事だった。松本氏は、総長選考会議議長に安西中央教育審議会会長を招聘し、文科省と一体となって総長選挙廃止など「大学ガバナンス改革」を進めようとした。しかし、このことに便乗して(自らの)総長任期の延長を画策したことが命取りになり、ガバナンス改革は不発に終わり、退任に追い込まれた。

 

その反動で生まれたのが山極総長だった。尾池総長時代の自由な空気を懐かしむ世論が一気に盛り上がり、尾池氏と同じく理学部出身総長への期待が高まった。山極氏が「ボトムアップの合意形成に基づく大学ガバナンス」を掲げたことも、松本総長による「むき出しのトップダウン専決体制」との対比で人気を集めた。結果は前回の拙ブログでも述べたように、山極氏が決選投票で61%を得票し、本庶氏の共同研究者だった湊氏(医)を大差で破った。尾池氏と本庶氏の対決が10年余を経て山極氏と湊氏の対決となってあらわれ、二度も理学部候補者が医学部候補者に圧勝したことは、京大の明るい未来を感じさせるものだった。

 

ところが、山極氏は総長就任後の理事指名(組閣人事)において致命的な誤りを犯した。山極氏は体制派の候補者ではない。松本体制に批判的な学内世論を代表する候補者だった。だからこそ、京大職組を始め学内のリベラル勢力が総力を挙げて支援したのであり、山極氏がそのことを知らないはずがなかった。にもかかわらず、山極氏が理事に指名したのは松本体制を支えてきた旧体制派のボス(あるいはその同類)であり、それがその後の山極体制の抜き差しならぬ桎梏と化したのである。比喩的に言えば、この組閣人事は、総選挙で政権党となった野党(例えば民進党)が旧与党(自民党)のボスを閣僚に据えるようなものだ。しかも、官房長官は文科省官僚の指定席になっているのだから恐れ入る。

 

京都大学新聞(2020年7月16日)は次のように伝えている。

「山極氏は、ボトムアップを意識して、部局に偏りなく理事を指名。結果として、総長選の意向調査上位者が理事に名を連ねることになった。意向調査2位の湊氏(医学研究科長)が研究・企画・病院担当として、同3位の北野正雄氏(前・工学研究科科長)が教育・情報・評価担当として、同4位の佐藤直樹氏(化学研究所長)が財務・施設・環境安全保健担当として、それぞれ理事に指名された。また、人間・環境学研究科長を務めていた杉万俊夫氏が学生・図書館担当として、男女共同参画担当副学長を務めていた稲葉カヨ氏が男女共同参画・国際・広報担当として、厚生労働省出身で京都大学iPS細胞研究所特定研究員を務めていた阿曽沼慎司氏が産官学連携担当として、理事に指名された。また、総務担当理事は文科省からの出向職員が務め、清木孝悦氏、森田正信氏、平井明成氏が交代で務めた。学生担当理事は、杉万氏が体調を理由に2015年9月末をもって退任したことから、後任に川添信介氏(文学研究科長)が就任した。指定国立大学法人となってからは、プロボストに湊理事が指名され、執行部と部局間で企画を調整する戦略調整会議を主宰している。戦略調整会議の主導で、人文・社会未来発信形ユニットが2018年10月に立ち上げられた」

 

 この執行部人事には、救いがたいほどのゴリラ研究者の弱点(限界)があらわれている。山極氏のいう「ボトムアップ」はこの程度の認識であり、ゴリラ社会の「みんな仲良し」を地で行くような話でしかない。人間社会の矛盾をゴリラ研究の視点から面白おかしく描写するのは(エッセイとしては)楽しいかもしれないが、高度で複雑な知識と経験を要する大学運営をその程度の知識でマネジメントできるなどと思うのは、幼稚な幻想にすぎない。少数派といえども(少数派であればこそ)学内情勢に関するリアルな政治的分析力を持ち、学内のパワーバランスを熟慮して大学運営に当たらなければ直ちに足をすくわれる。山極氏にとってはその第一歩が執行部体制の構築であり、7名の理事指名は最初にして最大の課題であったはずである。

 

 同時に、この時機は大学を取り巻く情勢も激変していた。松本総長が安倍政権で進行中の「大学ガバナンス改革」を先取りして京大の構造改革を推進しようとしていたことは、山極氏も百も承知だったはずだ。文部科学省の諮問機関である中央教育審議会(安西祐一郎会長、当時)が2013年12月24日に「大学のガバナンス改革の推進について」(審議まとめ)を公表し、文科省ではそれに基づいて直ちに「学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律案」を作成し、2014年4月25日に閣議決定、同日に第186国会に提出して可決され、6月27日に公布、2015年4月1日から施行された。

 

 法改正の趣旨については、文科省高等教育局大学振興課長が詳しい解説を『大学評価研究』第14号(2015年8月)に載せている。

 「今回の法改正は、これまでややもすれば権限と責任が一致せず、機動的な意思決定ができないと批判されてきた大学の組織運営の在り方を改善し、学長のリーダーシップの下で戦略的に大学を運営できるガバナンス体制を構築することによって、大学がその教育研究機能を最大限に発揮することができるようにすることを目指し行われたものである」

 山極総長が指名した7名の理事の下で、総長のリーダーシップがどのように発揮されたのか、次回でみよう。(つづく)