「サル芝居」は3日間しか続かなかった、山田真貴子内閣広報官の辞職が意味するもの、菅内閣と野党共闘の行方(25)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その250)

前回の拙ブログで「反省だけならサルでもできる」と書いた。2月25日、7万円接待問題に関する国会予算委員会での山田真貴子内閣広報官の答弁を聞いてのことだ。サルの調教師が「反省!」と言ったら、サルが目の前の机に片手を付いて首を垂れると言うあのユーモラスなポーズのことである。山田内閣広報官はきっと調教師の菅首相から「反省!」と命令され、その通りの「ポーズ」を取ったのだろう。「サル真似」とは言わないが、そのしおらし気な風情はいかにも「反省」しているかのようだった。

 

だが、事態は翌日から急転する。総務省幹部を連続接待した東北新社が2月26日、菅首相長男を統括部長から解任・更迭して人事部付にすることを発表した。長男はまた、子会社の「囲碁将棋チャンネル」取締役も辞任した。会食に長男と度々同席しながら監督責任を果たせなかったとして、二宮社長も同日付で辞任した。こうして接待側の責任者たちが次々と辞任するに及んで、接待された側の山田氏に対しても「辞任すべき」との声が日増しに高まり、包囲網は刻々と狭まっていったのである。

 

 加えて菅首相が2月26日、6府県を対象とする新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言先行解除に際し、通例となっている記者会見を突如中止したことも国民の不信に輪をかけた。山田広報官が記者団の集中砲火を浴びることを懸念したのか、それとも首相自身が山田氏の任命責任を問われることを避けたかったのか、あるいはその両方だったのか、いずれにしてもさしたる理由のないままに同日夕刻、「ぶら下がり会見」に急きょ切り替えたのである。

 

 ところが、この「ぶら下がり会見」が裏目に出た。日頃はほとんどモノを言わない番記者たちが、ここぞとばかりに記者会見を中止した理由を追及した。6府県の緊急事態宣言先行解除に関する首相説明などはどこかへ吹っ飛んでしまい、広報官が仕切らない本来の記者会見が実現したのである。「山田広報官のことは全く関係ない!」と弁明する首相の表情が大写しで同時中継され、否定すれば否定するほど「山田隠し」の構図が浮かび上がる結果となった。

 

 山田氏の広報官としての強権ぶりは有名だったらしい。会見に参加する記者たちから事前に事細かに質問内容を聞き出し、それをもとに官僚が「答弁書」を作り、菅首相はお得意のペーパー読みで回答をするだけだ。山田氏は政権の意に沿わない質問をする記者は徹底的に無視し、いくら手を挙げても指名しない。首相の答えに納得せずに食い下がる記者に対しては、制止することも厭わない。挙句の果ては「このあと次の日程があります」と質問を途中で打ち切り、首相を窮地から救い出すレスキュー隊の役割も引き受けていた。

 

 情けないのは、山田氏にかくの如くいい様に牛耳られている記者クラブの方だろう。首相会見は記者クラブの主催なのだから、司会は当然記者クラブが引き受けて然るべきなのに、唯々諾々と官邸側の差配に従っている始末、これでは真面な記者会見など出来るわけがない。背後にはNHKから民放、衛星放送まですべての許認可権を独占している総務省の睨みがあるからだというが、その頂点に立つのが山田内閣広報官だったというわけだ。

 

だが、山田氏は記者クラブを牛耳っても利害関係のない国民全体を支配することはできない。記者会見の仕切りは広報官の仕事の一部にすぎず、本来の仕事は国民に対して政府見解を伝える「政府窓口」であり、国民に信頼されなければ政府方針は伝わらない。スポークスパーソンは、国民の信頼に足る人物でなければ務まらない職責であり、政治家と同じく「信なくば立たず」の世界に生きているからだ。その職責にある山田氏が、利害関係者の菅首相長男から7万円余の接待を受け、「顔を覚えていない」「話もしなかった」などと噓八百を並べた瞬間に、彼女の「サル芝居」は事実上終わったのである。2月25日に「反省!」のポーズをとってから僅か3日、2月28日に山田氏は辞表を提出し、「急病入院」を口実に官邸を去ることになった。まるで、ドラマを見ているような3日間だった。

 

 この頃、菅首相は週末になると表情が暗く、口数が少なくなるという。世論調査がある度に支持率が低下し、最近では大半の世論調査で「不支持」が「支持」を上回るようになった。いつ不時着するかもしれない〝超低空飛行〟が続いている上に、「コロナ対応の失敗」「東京五輪開催をめぐる森元首相の女性蔑視発言」「同じく後任をめぐる失態」「総務省や農水省の接待問題」が相次ぎ、とりわけ菅首相の抜擢人事だった山田内閣広報官の接待ダメージがボディブローのように利いてきている。

 

菅首相は目下、言を左右にして任命責任を回避しようとしているが、いずれは責任を取らざるを得なくなる。まして、自分の長男が当事者であるだけに、如何なる口実をでっち上げても人間としての責任を免れることはできない。国民の信頼を失った政治家は国民の信託に応えることができず、政界を去るほかはない。菅首相をめぐる暗闇は、河井夫妻の分かりやすい選挙買収事件よりもはるかに深く、それを垣間見せたのが山田広報官に演じさせた「サル芝居」だったのである。(つづく)