〝野壺(肥溜め)〟に嵌まった岸田首相、このまま〝野垂れ死〟するのか、それとも野壺から這い上がるのか、岸田内閣と野党共闘(その26)

 市民と野党共闘の会議の席上で、ある学者が岸田首相の現状を「野壺にはまった状態」と表現したという。言い得て妙な発言だ。私は田舎育ちなので「野壺」のことはよく知っているが、要するに「肥溜め(こえだめ)」のことだ。と言っても、都会育ちの人にはよくわからない(今では農家でも知らない)だろうから、もう少し詳しく説明しよう。

 

 野壺(肥溜め)とは、人の糞尿を肥料にするために田畑などに穴を掘り(水がめを埋めることもある)、時間をかけて発酵させる穴や壺のことだ。田畑にはこのほか、農業用水を確保するための井戸もあった。どちらも外見がよく似ているので、どれがどれだかわからないことが多い。そんなことで、農家の子どもたちが野原や田畑で夢中になって遊んでいると、野壺や井戸に落ちる事故が絶えなかった。でも、こんな時には仲間が大声を出して近くの大人に助けを呼ぶとか、あるいはみんなが互いに協力して引っ張り上げるとかして、大事に至らないことが多かった。

 

 かく言う私も肥溜めに落ちた経験の持ち主だ。その時に着ていた服は、何回洗っても悪臭が抜けなかった。家で大目玉を喰ったことは言うまでもないが、その時以来、都会に出てきて舗装道路を歩いていてもマンホールを避けて通る癖が直らない。この年になってもまだ穴に落ちた恐怖感が残っていて、マンホールの蓋がいつ外れるかわからない、などと思ってしまうのだ。

 

 前置きはさておき、岸田首相はいま、汚物にまみれた旧統一教会の〝野壺(肥溜め)〟に嵌まってなかなか抜け出せない状態にある。そこから抜け出すために無い知恵を振り絞って考えたのが「臭い物に蓋をする」こと、自分がそこに落ちたことにそ知らぬふりをする――ということだろう。そのための一大演出装置が、岸田首相が主導した安倍元首相の「国葬」だった。

 

 安倍元首相が旧統一教会の最大の協力者であり広告塔だったことは、もう国民の誰もが知っている。極め付きのナショナリスト(国粋主義者)である安倍元首相が、あろうことか、日本を韓国の〝下僕〟に位置付ける旧統一教会の教義を賛美し、金品を際限なく巻き上げて信者の生活をどん底に陥れる不法行為を野放しにしてきたのである。その張本人を「国葬」にして見送るというのだから、これほど国民を愚弄にした話はない。まさに「国辱」そのものであり、「国賊」に値する行為だと言われても仕方がないではないか。

 

 だが、安倍元首相を筆頭とする自民党と旧統一教会との腐れ縁は、「臭い物に蓋をする」ことで臭いを消せるような簡単なものではない。いくら蓋をしても悪臭や腐臭は消せないし、肥溜めとは違って日ごとにその臭気は堪えがたいものになる。国民は「臭い物に蓋をする」のではなく、旧統一教会という汚物を「総ざらえ」することを求めているのである。

 

 このためには、自民党と旧統一教会の要だった安倍元首相、そしてその代理人として行動してきた細田衆議院議長の徹底した身元調査が不可欠だ。この二人を「調査対象外」などとした自民党の点検(自己申告)などは、およそ「調査」という名に値しないパフォーマンスにすぎず、これで「幕引き」を図ろうとするのは「子供だまし」以下の愚行でしかない。

 

 おまけに、旧統一教会の熱烈な支援で国会議員になり、政府や自民党の要職に上り詰めた萩生田政調会長や山際経済再生担当大臣などが、「旧統一教会とは関係を断つ」とした岸田政権の下で平然として行動しているのには、呆れてものが言えない。萩生田政調会長などは、旧統一教会とはズブズブの関係にある当事者でありながらNHK日曜討論に自民党の政策責任者として登場し、そしらぬふりで他人事のように発言している。「旧統一教会に解散命令を出すのは難しい」などといった発言は、自民党の政策責任者としてのものなのか、自分の保身のためなのか判然としない。まるで被告が検事席に座っているようなものだ。

 

 山際経済再生担当大臣に至っては、旧統一教会との関係を写真や動画で突きつけられるまでは記憶が戻らないという便利(特異)な人物だ。こんな「記憶喪失症」ともいうべき人物が経済再生担当大臣なのだから、国民は岸田政権の経済政策など何一つ信用しない。岸田首相は10月3日の所信表明演説で経済再生政策について多くの時間を割いたというが、その実行部隊がこの有様なのだから所信表明は宙を浮いている。

 

 10月1,2両日実施の朝日、読売両紙の世論調査では、両紙とも「国葬は評価しない」とする回答が5割を超えた。自民党支持層でも3分の1を超える回答者が同じ回答をしている。次回はこれらの世論調査結果を詳しく分析するつもりだが、もはや民意の所在は明らかだろう。最後に、10月3日付の「岸田政権1年、党内より国民に向き合え」とする京都新聞社説を参考までに紹介しよう(抜粋)。

 

 (1)岸田文雄政権が発足して、あすで1年を迎える。昨秋の衆院選に続き、7月の参院選の大勝で得た政治的なパワーは、わずか3カ月足らずで大きく消耗した。拙速な安倍晋三元首相の国葬決定や、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党の関係解明に及び腰の対応が招いた「自損」といえよう。

 (2)昨秋の自民党総裁選で、岸田氏は「政治の根幹である国民の信頼が崩れ、民主主義が危機に瀕(ひん)している」と言い切り、「新自由主義的な政策を転換する」として分配重視の「新しい資本主義」を打ち出した。約9年に及んだ強権的な安倍・菅義偉両政権の路線を見直し、広がった格差を是正してくれるのではとの期待が高まった。国民の安定した支持の原動力だったのではないか。一方、年初からの通常国会では是非が分かれる議案や判断は先送りし、参院選へ「無難」を優先した。野党の力不足もあり大勝したが、実績に乏しい「張りぼて」の危うさがあった。

 (3)安倍氏の急逝にボロが出た感が否めない。わずか6日後に、半世紀以上も絶えた政治家の国葬を実施すると表明した。だが、銃撃犯の供述を契機に自民議員と旧統一教会の接点が次々と明らかになり、中心に安倍氏がいたとの証言まで出てきた。国民の反発が強まる中、2カ月近くたち、やっと国会で説明したが、法的根拠や安倍氏を特別扱いにすることに説得力を欠いた。国葬は、弱い党内基盤を固める岸田氏の「政治利用」とも見られたが、賛否が割れたままの強行で国民の信を損ねた。

 (4)岸田氏が向き合うべきは党内より国民だ。でないと、外交成果を目指す来年5月の広島G7サミット(先進7カ国首脳会議)まで在任できる保証はない。

(つづく)