首相官邸と公邸は同一敷地内にあって24時間厳重に警護されている、公邸は丸ごと〝公的スペース〟であって〝私的スペース〟ではない、岸田内閣と野党共闘(52)

 5月24日の『週刊文春』記事に続いて6月2日、今度は写真週刊誌『フライデー』が岸田一族の「忘年会」記念写真を暴露した。前日の6月1日、岸田首相の長男秘書官が公邸での「悪ふざけ記念撮影」などの不行跡を問われて更迭されたばかりで、「またか!」と国民が呆れるのも無理はない。岸田首相は5月26日の参院予算委員会で、野党議員からの長男秘書官の忘年会出席についての質問に対して、自身も「私的なスペースでの食事の場に一部顔を出し、あいさつもした」と答弁していた。

 

この段階での首相答弁は、「一部顔出しで、あいさつする程度」といったニュアンスで、自らが忘年会には加わっていなかったことを印象付けるものだった。ところが実際には、自分自身も夫人と一緒に忘年会に参加し、寝間着姿と裸足というラフな姿で親族一同との記念写真に納まっていたのである。写真には首相と夫人、首相の弟や長男など親族18人が勢ぞろいで写っており、まさに一族郎党を引き連れての大忘年会の記念写真そのものだ。岸田一族が首相公邸を〝私邸〟さながらに使用している有様が、赤裸々に国民の目に晒されることになった。

 

岸田首相は6月2日、首相官邸で記者団に忘年会への同席を認めたものの、「公邸の中には私的なスペースと公的なスペースがある。公的なスペースで不適切な行為はなかった」と釈明している(毎日新聞6月3日)。長男秘書官の場合は「公的スペース」での不適切行為だったので更迭せざるを得なかったが、自分は「私的スペース」での忘年会への参加だから、それには当たらないという趣旨の説明だ。だが、こんな(屁)理屈は国民には通用しない。

 

第1に、私人家族の居住空間は一般的に「私的スペース」と言えるが、首相の場合は夫人も含めて「公人」であるため、家族の居住空間もまた「公的スペース」以外の何物でもないということだ。そうでなければ、首相夫人が「公費=官邸費」でホワイトハウスに訪問することもできないし、大統領夫妻と「公式面会」することもできない。また、公邸は全額「公費=国民の税金」で維持管理されており、「公権力=警察」によって24時間厳重に警護されていることも周知の事実だ。公邸はかくの如く丸ごと「公的スペース」なのであり、公邸を恣意的に「公的スペース」と「私的スペース」に区分するといった説明が成り立たないことは明白だろう。首相がこのような(屁)理屈をこねるのは、一族郎党の私的な忘年会を「公邸=公的スペース」で開いていたという〝公私混同〟をごまかすためであり、それが「私的スペース」を強調する背景となっているだけの話である。

 

第2に、百歩譲って仮に公邸の居住空間が「私的スペース」だとしても、これは首相家族のための「日常生活空間」であり、一族郎党を招いて忘年会を開くような「接客空間」ではないということだ。だから、僅か数人程度が居住する日常生活空間に20人近い大勢の親族が押し寄せるとなると、「私的スペース」ではまかないきれなくなり、「公的スペース」にはみ出すことは目に見えている。おそらく、一族郎党の忘年会は公邸全体の「公的スペース」に拡がって催され、その一部が赤絨毯上での「組閣ごっこ」写真になったのであろう。

 

第3に、岸田一族の私的忘年会がたとえ公邸の「私的スペース」で催されたとしても、首相が「寝間着姿で裸足」といったあられもない姿で参加していたことは信じがたい。岸田氏の辞書には「親しき中にも礼儀あり」の言葉がないのか、目に余る醜態ぶりだと言わなければならない。朝日新聞社説(5月28日)は、首相自身の参加がまだ発覚していなかった段階で長男秘書官の不行跡を厳しく批判し、「昨年末といえば、安倍元首相の『国葬』の強行や、次々と発覚する世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党との関係、4閣僚の相次ぐ更迭などで、岸田内閣の支持率が大きく落ち込んでいた時期である。国民の厳しい視線が注がれているというのに、緩みきった振る舞いは信じがたい。首相を支えるべき秘書官として、その資質を疑わざるを得ない」と指摘していた。

 

だが、今回の事態はそれよりもはるかに勝る〝異次元の失態〟であり、一国の首相にはあるまじき行為として世界の侮蔑と嘲笑の的になったことは間違いない。まさに〝国辱モノ〟ともいうべき行為であるにもかかわらず、それを「私的スペース」の問題に矮小化し、自らの責任を回避しようとする態度は社会一般の常識を大きく超える。こんな度し難い人物に対して党内外から「更迭」の声が上がらないのが不思議でならないが、政治の劣化現象がここまで進んでいると思えば、その悲しい現実を認めざるを得ない。

 

これまでは内閣支持率が順調に回復してきたことを背景に、岸田首相は早期解散に踏み切るのではないかと言われてきた。私自身もそう考えてきたが、今回の岸田親子による一連の不祥事が世情に与える影響は殊の外大きく、事態は予断を許さなくなった。次回の各紙世論調査の結果がどう出るか、それによって事態が大きく動く可能性も排除できない。「政治は一寸先が闇」と言われるが、岸田内閣はいままさに「暗闇の中の手探り状態」にあるのかもしれない。(つづく)