時代と社会の流れが政治のあり方を決める、政党はその変化を受け止めなければ生き残れない、「身を切る改革」が必要なのは共産党だ、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その3)、岸田内閣と野党共闘(68)

この1年余り、刊行された何冊かの日本共産党に関する著書のなかで大きな刺激を受けたのは、中北浩爾著『日本共産党、「革命」を夢見た100年』(中公新書、2022年5月)と碓井敏正著『日本共産党への提言、組織改革のすすめ』(花伝社、2023年9月)の2冊である。前者は、政治学者による学術的な共産党史で、特に戦前から戦後にかけての共産党にまつわる一連の歴史的事実の記述が参考になる。共産党が触れていない(避けている)草創期の党の実態――例えば党の活動資金の多くがコミンテルン(ソ連共産党による国際共産主義運動の指導組織)から供給されていたこと、武装闘争からの脱却と党再生の起点となった6全協決議が実はモスクワで作られていたことなど――が記されていて興味深い。政党とは「一筋縄ではいかぬ存在」であり、「きれいごと一筋」では理解できない組織だとの認識を新たにすることができた。美辞麗句で彩られた『しんぶん赤旗』だけしか読んでいない読者には、是非一読を薦めたい話題作である。

 

後者は、哲学者による共産党論、それも「組織改革」に的を絞ったタイムリーな出版である。碓井氏はこれまでも「戦後民主主義と人権」「成熟社会における組織と人間」「グローバリゼーションと市民社会」「ポスト戦後体制への政治経済学」など、時代と社会の変化のなかの組織と人間のあり方を問う鋭い論考を数多く発表してきた。今回の提言は、共産党の根がらみの組織体質すなわち上意下達の〝権威主義的体制〟の改革を提起したもので、その中には「憂党の書」とも言うべき貴重な示唆が数多く含まれている。この提言(警告)を無視するようでは、共産党の未来もなければ発展もないと思われるが、目下のところ表立った反応は出ていない。共産党改革の「必読文献」として、党幹部や専従者に推薦したい注目の書である。

 

拙ブログでは、これまでも共産党の権威主義的組織体質の弊害について幾度となく触れてきたが、碓井提言は、官僚化した政党組織が必然的に〝寡頭支配=少数者支配〟に陥らざるを得ないことを、豊富な学説を援用して論じているところに大きな特徴がある。(1)政党組織は宗教団体と同じく、組織が指導層(幹部、教組)と一般メンバー(一般党員、信者)の二重構造になっていて、指導層による「寡頭支配」が構造化すること、(2)構造化された寡頭支配の下では、既得権益を継続しようとする「組織慣性」が働くこと、(3)とりわけイデオロギーで武装された政党組織では、集団的同調圧力のもとで「集団浅慮」が一般化して、改革エネルギーが奪われること――というのがその骨子である。

 

だが、2023年7月15日に発表された『日本共産党の百年』および志位委員長の「日本共産党101周年記念講演」(赤旗9月17日)には、このような自己分析的視点がまったく欠落している。そこに描かれているのは、「つねにさまざまな迫害や攻撃に抗しながら、自らを鍛え、成長させ、新たな時代を開くという開拓と苦闘の百年」の歴史であり、その中に流れる「階級闘争の弁証法=政治対決の弁証法」をことさらに強調するシナリオである。そして結論的には、「先人たちの苦闘、全党のみなさんの奮闘によって、党は世界にもまれな理論的・政治的発展をかちとり、組織的にも時代に即した成長と発展のための努力を続けてきました」と自画自賛するのである。

 

しかしながら、これだけ輝かしい歴史を有する政党であれば、創立100周年を迎えた今日、党勢はますます発展していると考えてもおかしくない(むしろその方が自然)。ところが案に相違して「むすび」では、「党はなお長期にわたる党勢の後退から前進に転ずることに成功しておらず、ここにいまあらゆる努力を結集して打開すべき党の最大の弱点があります」と真逆の事態が記されているのである。「世界にもまれな理論的・政治的発展をかちとり、組織的にも時代に即した成長と発展のための努力を続けてきた」にもかかわらず、「長期にわたる党勢の後退から前進に転ずることに成功していない」のはいったいなぜなのか。不可解な文脈であり、矛盾に満ちた論旨の展開だと言わなければならない。

 

党史を編纂することは、過去の出来事をただ単に羅列する(だけ)ではないはずだ。歴史を語ることは未来への展望を見出すための欠かせない作業である以上、「長期にわたる党勢の後退」の理論的、組織的解明こそが、共産党が歴史的に解明しなければならない中心課題であるはずである。ところが、『日本共産党の百年』にも志位委員長の記念講演にも党の「最大の弱点」を打開する方策は何一つ示されていない。また、その解説版である「座談会、『日本共産党の百年』を語る」(前衛2023年10月、11月号)においても、出席者が党の中堅幹部で占められている所為か、「爽快」「凄い」「感動した」「励まされた」「よし!頑張ろう」といった言葉は随所に溢れているが、肝心の「長期にわたる党勢の後退」の分析についてはまったく言及がない。ただ「強く大きな党をつくり、新しい世代に社会進歩の事業を継承して、希望ある未来を開くために新たな挑戦が開始している」との志位委員長の言葉が、オウム返しに反復されているだけのことである。

 

私は、『日本共産党の百年』が(意図的に)スルーしたと思われる「長期にわたる党勢の後退」の分析が、実は碓井提言によって基本的に解明されていると考える。提言の骨子は、(1)現代社会の基本的な流れを〝市民社会の成熟〟として確認できること、(2)日本共産党の党勢後退の最大の原因は、日本の市民社会の成熟傾向に相応しい組織に脱皮できなかったことにあること、(3)その象徴的事例が、この間の国政選挙などの敗北にもかかわらず責任者である志位委員長が辞任せず、あまつさえこの点を問題にした2名の党員を除名したこと――に集約される。

 

この分析視点からすれば、共産党が市民社会の成熟に馴染まない「民主集中制」をいまなお頑なに守り、指導層の「寡頭支配」に必要な資源を調達するためにやみくもに党勢拡大大運動を推進し、そのことが党員や支持者の広範な離反を招いて「長期にわたる党勢の後退」が生じている組織的構造がよく理解できる。「身を切る改革」は維新のキャッチコピーであるが、それが本当に必要なのは「寡頭支配」の矛盾を抱える共産党ではないか。以下、少し長くなるが、碓井提言の中身をよく知ってもらうために、「はじめに」の一節を紹介しよう。なお、この部分は読み飛ばしてもらっても構わない。(つづく)

 

――まず市民社会の成熟について確認しておくべきことは、日本にも成熟のための新たな条件が生まれてきている、という事実である。というのは、雇用の不安定化や高齢層の貧困化などが深刻化する一方で、経営が従業員の生活全般を支配する日本型企業主義や、業界(労働界含め)の利益に基づく利益代表型民主主義は、過去のものとなりつつあるからである。また市場セクターに対して、NPOやNGOなど非営利セクターの比率も拡大しつつある。

 人々の意識の成熟を示すのは、夫婦別姓や同性婚またLGBTへの理解など、個人の自立と生き方の多様性を当然のこととして認める価値観の広がりである。また政治的な動きとしては、安保法制制定当時(2015年)の市民連合、さらにSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)のような学生運動の台頭、さらに環境保護運動や地方分権改革の中で、自治基本条例の制定を求める市民運動など、政党の系列に属さない、地域における新たな変革主体形成の動きも見られる。なお情報化がこのような連帯の形成に貢献していることも見逃せない。

 

――本書で主として問題とするのは、政策ではなく政党組織のあり方である。というのは、政党のあり方が現在の市民社会の成熟傾向に沿わない場合には、政策以前の問題として、他党の信頼や国民の支持を得られないからである。その点で特に問題となるのが、日本共産党であることは明らかである。共産党が戦前戦後において果たしてきた役割の大きさを否定することはできない。しかしこの間の党勢の後退は一時的なものではなく、深刻なものがある。その理由には、ソ連体制崩壊後における社会主義の評価の失墜、中国共産党の現在の姿などがあることは間違いないであろう。

 しかし最大の理由は、すでに論じたような日本の市民社会の成熟傾向に相応しい組織に脱皮できなかった点にある。確かに政策の点では、そのリベラルな性格において他党に引けを取るところはない。また貧困と格差の拡大の中で新自由主義に反対し、社会的弱者に寄り添いながら献身的な努力を行ってきたことは高く評価されるべきである。しかし国民は政策だけで支持政党を決めるわけではない。政党は政権を目指す点で公的性格を帯びた組織であり、その組織がどのような運営がなされているかに大きさ関心を払っている。

 

――このような国民の問題意識に応えるべく、この間、綱領や規約においてさまざまな改革、たとえば「前衛」規定や「革命」という用語の削除、また「国民政党」としての規定の付与などを行ってきたことは事実である。しかし共産党は相変わらず閉鎖的で、権威主義的組織であるという国民の印象を変えるに至っていない。その理由は、組織内で自由な議論がなされているようには見えず、そのため決定が上意下達であること、また最高責任者の委員長職の選出が他党に比べ開かれた形でなされていないことなどにある。

 特に問題なのは、この間の国政選挙などの敗北にもかかわらず、責任者である委員長が辞めない事実である。これは民意を軽視することを意味しており、民主主義社会における政党としての資格を問われる問題である。しかしこの点を問題とした2名の党員を除名したことは、さらに共産党に対する評価を下げることになった。民意に鈍感で独善的という印象ほど政党にとってダメージを与えるものはない。またこれが他党の共産党への態度、すなわち野党共闘の推進をはじめ、今後の日本の政治を変えていくためにも、共産党による国民により見えやすい形でのそのため改革が求められているのである。