「支援」と「推薦」はどう違うか、市民派首長選挙における政党の立ち位置に共産は失敗した、2024年京都市長選から感じたこと(2)

 前回に引き続き、もう少し有権者の投票行動に関する分析を見よう。朝日新聞の出口調査は、「門川市政の評価」および「候補者を応援する政党や議員、団体」との関係から誰に投票したかを尋ねている(朝日新聞2月6日)。総じて、門川市政に肯定的な人は松井氏に、否定的な人は福山氏にと投票先がはっきりと分かれている。また、候補者の政治的背後関係を重視した人が3分の2、そうでない人が3分の1と、多くの人が候補者をよく理解して投票している。投票率は全体として40%余りと低かったが、浮動票的な投票は少なく、よく考えた投票が多かったと言える。

 (1)門川市長の4期16年間の市政に対しては「評価する」(「ある程度」と「大いに」を合わせて)52%、「評価しない」(「あまり」と「全く」を合わせて)47%だった。「評価する」と回答した人の47%が松井氏に、28%が福山氏に投票した。「評価しない」と回答した人の43%が福山氏、24%が松井氏だった。

 (2)投票の際、候補者を応援する政党や議員、団体などをどの程度重視したかについては、「重視した」(「ある程度」と「大いに」を合わせて)64%、「重視しなかった」(「あまり」と「全く」を合わせて)34%だった。「重視した」人の39%が松井氏に、37%が福山氏に投票した。「重視しなかった」人の32%が福山氏、30%が松井氏だった。

 (3)世代別では、松井氏が80歳代以上で49%の支持を集めた一方、30代では23%だった。福山氏は40代が27%だったほかは、各年代で3割以上の支持を集め、70代では40%が支持した。

 

 毎日新聞は2月4日、投票を終えた有権者を対象にインターネット調査を実施し、投票行動を分析した(毎日新聞2月6日)。松井氏は自民・公明支持層を固め、立憲・国民支持層の半分近くを獲得したが、「政治とカネ」の問題および「門川市政の評価」の関係からすると、福山氏が松井氏を凌駕して批判票の受け皿になった。

 (1)「政治とカネ」の問題については、投票者の64%が「考慮した」と回答し、うち41%が福山氏に、32%が松井氏に投票した。「考慮しなかった」人の55%は松井氏を選んだ。

 (2)門川市政の評価に関しては、6割が「評価しない」(「あまり」と「全く」を合わせて)、4割が「評価する」(「ある程度」と「大いに」を合わせて)だった。「評価しない」と答えた層の4割が福山氏を選んだ。

 (3)政党支持者別にみると、松井氏は自民支持層の7割、公明支持層の9割を固めたが、立憲支持層は4割、国民支持層は5割、無党派層は3割だった。福山氏は共産支持層の9割、立憲支持層の4割、無党派層の4割を獲得した。

 

 投票率は41.7%と前回40.7%から僅かに上がったが、有権者の5割に届かず依然として非常に低い。しかし行政区別に投票率をみると、松井・福山両氏の得票数が投票率と密接に関係していることがよくわかる。行政区別投票率と得票数を掲載している朝日新聞(2月6日)によると、投票率が高い北区(45.9%)、上京区(46.6%)、左京区(48.9%)、中京区(46.1%)では、中京区を除いていずれも福山氏がトップになり、それ以外の投票率が低い行政区では全て松井氏が第1位となっている。とりわけ投票率の低い南区(35.8%)、山科区(37.8%)、伏見区(36.2%)では福山票と松井票の差が大きく、投票率が勝敗を分けるカギになったことをうかがわせる。

 

 それからもう一つ選挙戦の勝敗を分けたのは、松井陣営と福山陣営における政党の立ち位置だった。松井陣営は自民・立憲・公明・国民の4党推薦で「非共産=与野党相乗り」連合艦隊を組んだが、福山陣営は候補者本人が「市民派」を標榜し、「政党の推薦は受けない」と宣言したことから、共産は後方からの「支援」政党となった。ところが、選挙戦が加熱してデッドヒート状態になってくると、この構図に大きな変化が生じたのである。毎日新聞(2月6日)は、終盤戦の状況を次のように伝えている。

 ――今回の選挙は日本維新の会などが村山氏の推薦を決め、35年ぶりに主要政党レベルでは3極の戦いになるとみられた。だが、村山氏側の政治資金問題で告示直前に推薦が取り消され、長年続く「共産対非共産」の構図が軸になった。福山氏の激しい追い上げに、松井陣営は演説や新聞広告などで「市役所に赤旗が立っていいのか」「時計の針を戻してはならない」とネガティブキャンペーンを張り、他陣営から「品格を欠く」との批判もあった。

 

 松井陣営のネガティブキャンペーンに激しく反応したのは、「支援政党」の立場にある(はずの)共産だった。終盤戦には田村委員長をはじめ党幹部が総出で街頭演説に立ち、しんぶん赤旗は「反共攻撃打破!」一色になった。

 〇「福山氏激しく競り合う」「反共攻撃打破し必勝を」、渡辺党府委員長の情勢報告(赤旗1月30日)

 〇「京都市長選 市民と共産党が手つなぎ自民党政治と対決、三つの争点、田村委員長の訴え」(赤旗1月31日)

 〇「反共攻撃振り払い勝利へ」、共産党府委員長が会見(赤旗2月1日)など

 

 京都市長選に2度目の挑戦を決意した福山氏が「一人街宣」を始めたのは、昨年9月のことだった。そのキャッチフレーズは「〝ええもん〟は継承し〝あかんもん〟は変える」、所信は「1.忘れ物を取りに行く~暮らしとなりわいを全力応援する市政に」「そろそろ京都をリニューアル」「おもろい街京都」といった全ての市民にアピールできる穏やかものだった(京都民報2023年9月17日)。また、記者会見での一問一答では次のように答えている(抜粋)。

 ――門川市政の評価は、「門川さんは大学の先輩で、あんまり悪くは言いたくはないです。京都みたいな難しい土地で、4期もよく頑張らはったと思います。ただ、生活に苦しんでいる市民に対し、『社会的な役割を行政が果たすのはもう終わり』というような言い方で、コロナ禍で一番しんどい時に、福祉のカットを『ショックドクトリン』的にやりました。そういう痛みに向き合わなかった点が残念です」

 ――前回選の教訓は、「勝つつもりでしたが、結果は結構、票差がありました。僕自身は市民にとってええものはええと政策本位でやろうと言うてきました。保守層の中には恐れや不安を持っている人がいたと思います。そういう人たちに、きちんと届く政策や訴えができたのか、その点では少し反省があります。京都独特の『共産対非共産』という対立構図に、飲み込まれてしまった部分があると思います。市民の懸念や不安を受け止めながら前に進めれば、前回とは違う景色が見える可能性があるんじゃないかと思います」

 

 福山氏はこのように、保守層も含めて「門川市政」に疑問を感じる広範な市民が支持できる市長選挙をやろうと考えていた。その政治姿勢に共感する多彩な市民が福山陣営に集まり、支持の輪が次第に広がっていった。「共産対非共産」でもなく「保守対革新」でもない、京都ではかってない新しい選挙構図が生まれつつあったのである。共産も中盤戦ころまでは自制的に振舞い、このまま行けば勝利する展望が広がりつつあった。ところが、この情勢に危機を感じた松井陣営が最後に打った手が「反共キャンペーン」だった。そして、この「反共キャンペーン」の〝挑発〟にまんまと乗せられたのが共産だったのである。京都の事情を何も知らない田村委員長がある日突然やって来て、「京都市長選は自民党政治と対決だ」とぶった瞬間から、京都の空気が変わった。「支援政党」であるはずの共産が前面に立ち、市長選の終盤を「反共攻撃打破!」一色で染めた瞬間から、市民派選挙は「政党選挙」へと変貌したのである。

 

 だが、今回の京都市長選は貴重な教訓を残した。民意が多様化し、政党も多党化している現在、首長選挙を「政党選挙」として展開することはもはや不可能になったということだ。これからは「支援」の在り方が首長選挙のカギになる。この情勢の変化を理解できず、複雑な選挙情勢を「反共攻撃」としか受け止められないような政党は消えていくしかない。福山氏は実に立派な候補者だった。40歳で司法試験に通った苦労人弁護士は、穏やかな風貌と飾り気ない語り口で多くの有権者の心を掴んだ。こんな素晴らしい候補者は、やはり「政争の都・京都」でしか生まれない。30年余に及ぶ「共産対非共産」の不毛な政治的対立から抜け出て、「市民の市民による市民のための市政」を実現するのは容易なことではない。でも、その可能性を見せてくれたのが福山氏だった。福山氏にはぜひ「三度目の正直」に臨んでもらいたい。私の周辺の老いぼれたちは、みんな「生きてその日を迎えよう」と決意している。(つづく)

「裏金政党」自民と手を組む立憲民主(京都)に明日はない、2024年京都市長選から感じたこと(1)

事前に「横一線」と伝えられていた2024年京都市長選は、松井孝治候補(自民・立憲民主・公明・国民民主推薦)が福山和夫候補(市民派・共産支援)に1万6千票の僅差で競り勝った。自民党派閥の裏金疑惑が渦巻く中での市長選だったが、長年続いてきた「非共産対共産」の政治構図の下で、「非共産=オール与党体制」候補が辛くも勝利を手にしたのである。当選確実が決まった2月4日深夜、松井氏は周囲が万歳三唱するなかで頭を下げ続け、「厳しい選挙だった」と繰り返していた。

 

私は地元テレビ・KBS京都の実況中継を見ていたが、会場となったホテルの壇上には西脇知事、門川市長、伊吹元衆院議長、西田自民党府連会長などがズラリと居並び、末席には福山哲郎立憲民主府連会長の姿もあった。彼は出番もなくただ座っているだけだったが、所在無さげにスマホをいじっていた姿はなぜか哀れだった。「裏金政党」自民と臆面もなく手を組み、連合京都とともに「国政と地方政治は別」「府市協調がなによりも大切」「共産に市長を渡すわけにはいかない」などとぶって回っていた福山立憲府連会長は、選挙期間中からも立憲支持者から厳しい批判を浴びせられていたからである。

 

朝日新聞が投票当日に実施した出口調査によると、立憲支持層の47%が松井候補に投票しただけで、35%は福山候補に流れている。連合京都とともに京都府連が総力を挙げて応援したにもかかわらず、立憲支持層の多くは松井候補に投票せず「NO!」を突きつけたのである。また、無党派層の35%が福山候補に投票しているのに対して、松井候補は27%に止まっている。立憲支持層の過半数が「裏金政党」自民と手を組む立憲に反旗を翻し、無党派層も含めてその多くが市民派候補の福山和夫氏の支援に回ったのは明らかだろう。

 

朝日記事は、この結果を「自民支持層は前回市長選の出口調査結果よりも細っており、その分を前回よりも厚みを増した維新支持層のからの30%や、前回と同程度の厚みの立憲支持層の47%の指示で埋め合わせ、接戦を制したとみられる」と分析している(朝日新聞2月5日)。事実、松井候補に投票したのは自民支持層の63%にすぎず、14%は福山候補に流れている。「裏金政党」自民への批判が自民支持層の中にも渦巻いていることを示したのが、今回の京都市長選の特徴だと言っていいだろう。

 

2024年京都市長選挙は、当初は維新の会と前原新党が仕掛けた「3極選挙」になるはずだった。両党が結託して地域政党・京都党の村山候補を担ぎ出し、長年続いてきた「非共産対共産」の政治構図に代わる新しい潮流をつくる算段だった。維新の会は、前原新党と組んで京都市長選の勝利で弾みをつけ、次期総選挙で一気に「野党第1党」に伸し上がろうと目論んでいたのである。ところが「政治は一寸先が闇」というが、告示日が目前に迫った1月12日、維新の会が村山候補の推薦を突如取り消し、前原新党も推薦を撤回した。村山氏の政治資金管理団体が8回もの「パーティー」を開いて会費を集めながら、実際のパーティーには来場者がなく、会場代を除いた収入の大部分が資金管理団体の収益になるという「架空パーティー疑惑」が発覚したからである。

 

それでも村山氏は、「市民の選択肢を狭めたくない」との口実で立候補を断念しなかった。「オール与党体制」を維持するため「身を切る改革」を断行しようとしない自民への不満を維新がすくいあげ、「3極選挙」を展開しようと考えていたのである。だが、村山候補は「裏金疑惑」が致命傷となり、前回市長選での得票に遠く及ばなかった。毎日新聞は、「2008年と20年に続いて挑んだ市長選。この間、地域政党・京都党を創設し、市議として実績も重ねた。だが、自らの政治資金パーティーを巡る疑惑が浮上し、告示直前に異例の推薦取り消しに。『政治とカネ』の疑惑が致命傷となった」と評している(2月5日)。

 

それからもう一つ、2月4日の投票日が直前に迫った1月31日、第2の「政治の闇」が明るみに出た。自民党派閥の政治資金パーティー問題が国政上の大問題になり、安倍派が政治資金収支報告書の訂正を迫られて6億円を超える巨額の「裏金」が明るみに出たのを機に、安倍派に属する自民党府連会長の西田昌司参院議員が1月31日、安倍派から過去に411万円の還流を受けていたことが発覚したのである。西田氏は、自民単独では京都市長選に勝利できないことを自覚していたのか、伊吹元衆院議長とともに立憲民主や国民民主を巻き込んで松井氏を「オール与党体制」候補に祭り上げた張本人であり、選挙戦の「司令塔」だった。それだけにその影響は大きく、松井陣営はかってない危機感に見舞われた。

 

一方、福山和夫候補はよく頑張った。共産陣営が党組織の高齢化と除名問題の影響で後退一途にあったことから、「市民派」としての旗色を鮮明に打ち出し、政党支持にはこだわらない選挙戦を展開した。親しみのある穏やかな風貌と人柄が人気を呼び、保守層の中にも支持が広がって、自民支持層の中からも1割を超える投票が福山候補に寄せられた。またNHKの出口調査では、福山候補が松井候補をリードしていると伝えられたことも期待を大きくした。最後は松井候補に勝利を許したが、これまでの政党中心の選挙戦術を大きく変える成果を挙げたと言える。

 

 立憲民主党は京都市長選当日の2月4日、東京都内で党大会を開き、次期衆院選で「自民党を超える第1党となる」と掲げた2024年度活動計画を決めた。泉代表は「自民党を政権から外し、新たな政権を発足させ、政治改革、子ども若者支援、教育無償化などを実現しよう」と声を張り上げたという(朝日2月5日)。だが、立憲民主党が自民と一体で市長選を展開している京都では、泉代表と長年行動をともにしてきた福山府連会長が「反自民」の「は」も言わず、自民党と同じ壇上で万歳をしているのである。こんな「鵺(ぬえ)」のような得体のしれない政党は類を見ないのではないか。

 

 2月5日の日本経済新聞オピニオン欄「核心」に、芹川論説フェローが「自民党の明日はない、平成改革世代なぜ立たぬ」と題する主張を書いている。「政治とカネ」にまつわるスキャンダルが自民党内に吹き荒れているというのに、若手世代がなぜ改革に立ち上がらないのかとの叱咤激励である。骨子は「政党のダイナミズムを感じさせる侃々諤々(かんかんがくがく)の保守政党はどこへ行ったのだろうか。それが失われているとすれば自民党に明日はない」というものだ。だが、自民と立憲が馴れ合う京都では、「自民も立憲も明日はない」という言葉が当てはまる。次期衆院選では、泉代表(京都3区)は激しい選挙戦に曝されるだろうし、次期参院選では同じく福山府連会長も当落のかかった選挙戦に直面するだろう。「裏金政党」自民と手を組む京都の立憲民主党に「明日はない」のである。(つづく)

〝政治とカネ〟問題が2024年京都市長選挙を直撃している、京都の「オール与党体制」が崩壊する可能性が出てきた、京都政界にみる政治構図の変化(1)

2月4日投開票の2024年京都市長選挙は、当初、維新の会と前原新党が仕掛けた「3極選挙」になるはずだった。両党が結託して地域政党・京都党の村山候補を担ぎ出し、長年続いてきた「非共産対共産」の政治構図に代わる新しい潮流をつくる算段だったのである。維新の会は前原氏と組んで京都市長選の勝利で弾みをつけ、次期総選挙で一気に「野党第1党」に伸し上がろうと目論んでいた。このため、前原氏は京都市議会(67議席)で第1会派の自民党(19議席)に次ぐ第2会派の維新・国民民主・地域政党「京都党」の3党による合同会派(18議席)を立ち上げ、京都市長選の候補者擁立に向けて着々と準備を進めてきた。

 

ところが「政治は一寸先が闇」というが、1月21日の告示が目前に迫った12日、維新の会が村山候補の推薦を突如取り消す方針を決め、続いて前原新党も推薦を撤回した。村山氏の政治資金管理団体が8回もの「パーティー」を開いて会費を集めながら、実際のパーティーには来場者がなく、会場代を除いた収入の大部分が資金管理団体の収益になるという「架空パーティー疑惑」が発覚したからである。毎日新聞(1月13日)は「3極構図一変、村山氏推薦取り消し 出馬意向変えず」との見出しで第1報を伝え、「村山氏を維新などが推薦する枠組みの立役者だった前原氏は『パーティーの実態がなければ脱法的と言われても仕方なく、看過できないと判断した。支援者におわびしたい』と述べた」ことを伝えている。

 

翌13日に開かれた記者会見では、維新の会馬場代表と前原氏が釈明に追われて無様(ぶざま)な姿をさらす結果になり、維新の会は京都市長選から心ならずも「退場」せざるを得なくなった。だが、それ以上に市民の怒りを買ったのは、別の会場で記者会見を開いた村山氏が、「皆さまに迷惑をかけた。深くおわびしたい」と言いながら、恥知らずにも出馬を撤回しなかったことだ(朝日新聞1月14日)。こんな候補者の言動を見て、この瞬間から〝政治とカネ〟問題が一気に京都市長選の最大テーマに浮上したのである。

 

醜態をさらした前原氏はその後、京都新聞のインタビューで「京都市長選では政治資金問題を理由に村山祥栄氏の推薦を取り消した(のは)」との質問に対して、「思い切った行財政改革や教育無償化を京都からやってもらえると期待していたが、政治とカネの問題で脱法的行為と言われても仕方がない。とにかく残念の一言に尽きる。支援をお願いしていた方々や、『共産対オール与党』ではない、新たな選挙構図を望んでおられた有権者の方々には、心からおわび申し上げたい」「陣営の世論調査でも(村山氏は)他候補をリードし、トップだった。非自民非共産の枠組みとしてピタッとはまっていたのが村山さんだった。一生懸命やっていただいた方々は茫然自失としており、後援会のみなさんや企業におわび行脚している」と語っている(「2024決戦、京の各党に聞く」京都新聞1月18日)。

 

「オール与党体制」(自民、立憲民主、公明、国民民主推薦)の候補は、元参議院議員で元内閣官房副長官の松井幸治氏だ。国会では激しく対立している(はずの)自民と立憲民主が、京都ではまるで何事もなかったかのように公然と手を組むのは誰が見てもおかしいと思うが、福山哲郎立憲府連会長は「中央官僚としての経験があり、府知事とも連携できる松井さんの人柄と能力を誠意を持って市民に伝え、松井フアンを増やす。共産党や日本維新の会に市政を渡すわけにはいかない。いたずらに市民生活に混乱をきたすことは望まない。オール京都・府市協調で20年、30年先の未来に対する責任を持つ選挙になる」とまったく意に介さない。また「自民の裏金疑惑は市長選に影響するか」との質問に対しては、「市政は市民の生活を守るもので、国政の在り方がダイレクトに影響するものではない。市長選と裏金疑惑はつながっておらず、最も大切なのは府市協調だ。争点ずらし以外の何物でもない」と平然と居直っている(「2024決戦、京都の各党に聞く」京都新聞1月6日)。国政と直結しているはずの地方政治を「国政とは別」との詭弁で切り離し、あくまでも「オール与党体制」にしがみ付こうとする立憲の態度はこの上もなく見苦しい。

 

松井氏も京都新聞が主催した候補者討論会で、福山和人氏からの各候補者に対する質問である「政治とカネの問題だ。(自民党派閥の政治資金パーティーの)裏金疑惑が浮上している。パーティー券収入を得る政党から推薦を得たり、かって所属された人もいる。有権者に説明すべきではないか」に対して、「政治不信が募っていることに対して、自治体の首長(候補)がどうこう言う話ではない。国政で政治資金の在り方をどうするか真剣に考えていただきたい」と立憲と同様の態度を示している(「立候補予定者4人 本社討論会詳報④」京都新聞2023年12月22日)。「オール与党体制」候補の松井氏にとっては、政治資金疑惑問題は陣営に亀裂をもたらす導火線である以上、この問題にはあくまでも触れたくないというのが本音なのである。

 

ところが投開票日2月4日が直前に迫った1月31日、第2の「政治の闇」が明るみに出た。自民党派閥の政治資金パーティー問題が国政上の大問題になり、安倍派が政治資金収支報告書の訂正を迫られて6億円を超える巨額の「裏金」が明るみに出たのを機に、安倍派に属する自民党府連会長の西田昌司参院議員が1月31日、安倍派から過去に411万円の還流を受けていたことを明らかにしたのである。西田氏はユーチューブでコメントを読み上げ、「秘書の独自の判断だが、監督不行き届きであったことを痛感している」「深い政治不信を抱かせる問題が発生したことを心からおわびする」と述べた(朝日新聞2月1日)。このニュースは同日、NHKテレビでも繰り返し流されてあっという間に京都中に拡散した。

 

西田氏はかって、京都新聞のインタビューで「自民党派閥の政治資金パーティー券問題に批判が集まっている」との質問に答えて、「ご心配と政治不信を招いたことに自民党、清和政策研究会のメンバーとしてお詫びしなければならない。ただ、ただ私自身はこの問題について派閥から全く説明を聞かされておらず、関わってもいない。(派閥が)裏金を作る目的でやっとしか思えない処理をしているのは非常に腹立たしい。責任者は責任を取り、徹底的に膿を出してもらわなければならない」と語っていた(「2024決戦、京都の各党に聞く」京都新聞1月5日)。それが舌の根が乾かないうちに「真っ赤なウソ」であることが明らかになったのだから、「オール与党体制」の選挙陣営にとっては深刻な打撃になったことは間違いない。西田氏は、伊吹元衆院議長とともに松井氏を「オール与党体制」候補に祭り上げた張本人であるだけに、その影響は計り知れない。福山哲郎立憲府連会長もこのまま事態を「頬被り」のままで済ますことはできないだろう。

 

すでに告示日以前から、村山氏の「架空パーティー疑惑」を契機に〝政治とカネ〟問題は、京都市長選の一大テーマに浮上していた。京都新聞世論調査では「パーティー券問題が市長選に『影響する』67%、『影響しない』33%」とその影響の大きさを示唆していたし(京都新聞1月13日)、毎日新聞は京都市長選を「自民の政治資金パーティーを巡る裏金事件発覚後の大型選挙」と位置づけ、「『政治とカネ』影響必至」と報じていた(1月20日)。そこに来て、今度は京都市長選の「司令塔」、西田自民党府連会長の裏金疑惑の発覚である。投開票日直前のことだけに、松井陣営にとってはもはや「打つ手」がなく、運を天に任せるほかなくなったのである。

 

加えて、門川市長の後継候補として目される松井氏にとって、予想しない世論調査結果が出た。1月27,28両日に行われた朝日新聞世論調査では、門川市政への評価が「評価しない」(「まったく」と「あまり」を合わせて)51%、「評価する」(「大いに」と「ある程度」を合わせて)47%を上回ったのである(朝日新聞1月30日)。そう言えば、松井氏の広告ポスターは、門川市長ではなく西脇知事とのツーショット写真だった。知事選ではなく市長選なのにどうしてと思っていたが、門川市長に人気がないことが事前にわかっていたのだろう。これが「オール与党体制」候補の弱点になるとすれば、今度の京都市長選は意外な結果をもたらすかもしれない。なんだか「オール与党体制」の崩壊が迫ってきているような気がする。(つづく)

超高齢化した党組織は2050年で〝自然死状態〟(生物学的生存危機)に直面するかもしれない、若者世代を迎えて党勢を立て直すには「開かれた組織」になるしかない、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その17)、岸田内閣と野党共闘(82)

 党員現勢は、人数(量)と年齢構成(質)が公開されて初めて正確な実態を知ることができる。毎年3月に発行される国立社会保障・人口問題研究所編集の人口統計資料集『人口の動向、日本と世界』(以下、社人研資料という)は、目次が「Ⅰ 人口および人口増加率」「Ⅱ 年齢別人口」から始まっているのはそのためである。前回の拙ブログでは、入党者数と死亡者数から離党者数を割り出し、志位委員長在任中(23年2カ月)の党勢現勢の推移を算出した。しかし、年齢構成についてはこれまで一切公表されていないので、取り付きようがなかったのである。

 

 ところが今回、不十分ながらも党員の党歴構成が志位委員長の「開会あいさつ」で明らかになった。内容からして中央委員会報告として正式に公開すべきだと思うが、2024年1月現在の党歴構成は「10年未満」17.7%、「10~19年」14.0%、「20~29年」11.0%、「30~39年」8.0%、「40~49年」19.5%、「50年以上」29.8%というものである。党歴20年未満が3割、20~30年未満が2割、40年以上が5割という数字が示すものは、高齢者党員に著しく偏った「逆三角形」の人口構造そのものである。志位氏は、この状態を「60代以上が多数、50代以下がガクンと落ち込んでいる」と説明しているが、年齢構成については依然として曖昧なままにしている。年齢構成を明らかにすれば、党組織が〝超高齢化〟している深刻な実態が浮かび上がり、全党に動揺が広がることを恐れているからだろう。

 

 限られた資料から年齢構成を知るにはどうすればいいか。党規約上の入党資格は「18歳以上」だが、党員の入党年齢は個々バラバラで党歴構成から年齢構成を割り出すことが難しい。そこで平均入党年齢を暫定的に「25歳」と仮定して、年齢構成を割り出すことにした。「25歳」という平均入党年齢は、多くの関係者の意見を聴いて設定したもので、それほど間違っていないと思う。結果は「35歳未満」17.7%、「35~44歳」14.0%、「45~54歳」11.0%、「55~64歳」8.0%、「65~74歳」19.5%、「75歳以上」29.8%となり、65歳以上の「高齢者党員」が5割、75歳以上の「後期高齢者党員」が3割を占める結果になった。

 

 とはいえ、「党歴10年未満」の党員が必ずしも若い世代とは限らない。最近は拡大運動の行き詰まりから党員の近親者(親世代)を入党させる傾向が強まっていて、65歳以上の高齢者入党(とりわけ75歳以上)が増えているからである(末尾の備考欄参照)。こうしたことを勘案すると、党組織の高齢化はもっと進んでいて、高齢者党員が6割、後期高齢者党員が4割という水準に達しているかもしれない。

 

 志位委員長在任中の死亡者数(性別死亡者数は公表されていない)の推移を概観しよう。1990年代後半から党大会間の死亡者数が「開会のあいさつ」で公表されるようになった。第22回(2000年11月)から第25回(2010年1月)までは3万3442人(9年2カ月、年平均3648人)、第25回から第28回(2020年1月)までは4万5539人(10年、4554人)、第28回から第29回(2024年1月)までは1万9814人(4年、4954人)である。年平均死亡者数は、2000年代3648人、2010年代4554人、2020年代4954人と着実に増加してきている。

 

 党員数が減少しているにもかかわらず死亡者数が増えているのは、年齢構成が高齢化して死亡率(死亡者数/党員現勢)が上昇しているためである。男女合わせての党員死亡率は、2000年代0.94%、2010年代1.12%、2020年代(2024年1月現在)1.83%と急上昇しており、2020年代後半に2%を超えることはほぼ確実だと思われる。社人研資料「年齢(5歳階級)別死亡率」によると、死亡率2%は「男70~74歳人口」と「女80~84歳人口」の中間に位置するので、この死亡率から類推すると、遠からず党組織全体が「70代半ばの超高齢者集団」に移行していくことになる。同じく社人研資料「年齢(5歳階級)別平均余命」によれば、65歳人口の平均余命は男20.0年、女24.9年なので、現在の党員現勢25万人の5~6割を占める高齢者党員(10数万人)は、2050年までに全員亡くなることになる。換言すれば、党組織が人口学的に若返ることなくこのまま推移すれば、21世紀半ばには〝自然死状態〟(生物学的生存危機)に直面するかもしれないということだ。以下は、志位委員長在任中の死亡者数および死亡率の推移である。

 

 〇2000年11月~2003年12月(3年2カ月)、死亡者数9699人、年平均死亡者数3069人、第23回党大会

〇2004年1月~2005年12月(2年)、同7396人、同3698人、第24回党大会

〇2006年1月~2009年12月(4年)、同1万6347人、同4086人、第25回党大会

〇2010年1月~2013年12月(4年)、同1万8593人、同4648人、第26回党大会

〇2014年1月~2016年12月(3年)、同1万3123人、同4374人、第27回党大会

〇2017年1月~2019年12月(3年)、同1万3823人、同4607人、第28回党大会

〇2020年1月~2023年12月(4年)、同1万9814人、同4954人、第29回党大会

 〇2000年代(9年2カ月)、死亡者数3万3442人、年平均死亡者数3648人、死亡率0.94%(3648人/38万6517人)

 〇2010年代(10年)、4万5539人、4554人、1.12%(4554人/40万6千人)

 〇2020年代(4年)、1万9814人、4954人、1.83%(4954人/27万人)

 

 今大会の特徴は、党の「生存危機」にかかわる議論がまったく見られなかったことである。田村副委員長の中央委員会報告「『大運動』と前大会以降の党づくり到達点と教訓」「党勢拡大の新しい目標と方針について」(赤旗1月17日)は、当面の拡大目標の提起に終始し、人口学的視点からの党組織の長期的動向や課題設定に関しては何一つ触れず、無関心そのものだった。党組織存続の危機が四半世紀後に迫っているにもかかわらず、不破・志位体制以来の拡大方針が「百年一日」の如く繰り返され、それ以外の選択肢はまったく示されなかったのだ。以下は、田村報告の抜粋である。

 ――前大会以降、「130%」を一貫して掲げて党づくりに奮闘したことは、大きな意義をもつものでした。この目標を機関でも支部でも真剣に討議し、挑むなかで、「130%」を達成した支部も全国に数多く生まれています。目標に正面から挑んだからこそ、前回党大会時の党勢を回復・突破してこの大会を迎えた党組織も次々と生まれました。この流れをさらに生かすことが大切です。同時に、党の現状からみて、党勢を着実に維持・前進させること自体が、大奮闘を要する大仕事であることも明らかになりました。こうした到達点をふまえて、新たな大会期の目標を次のように提案します。

 ――第30回党大会までに、第28回党大会現勢――27万人の党員・100万人の「しんぶん赤旗」読者を必ず回復・突破する。党員と「しんぶん赤旗」読者の第28回党大会時比「3割増」――35万人の党員、130万の「赤旗」読者の実現を、2028年末までに達成する。第28回党大会で掲げた青年・学生、労働者、30代~50代の党勢の倍化――この世代で10万の党をつくることを、党建設の中軸にすえ、2028年までに達成する。1万人の青年・学生党員、数万の民青の建設を、2028年までに実現する。そのためにすべての都道府県・地区・支部が、世代的継承の「5カ年計画」と第30回党大会までの目標を決め、やりとげる。

 

 党勢拡大の「目標」や「計画」は、紙の上では幾らでもつくることができる。問題はそれを実行できるかどうか、そのための条件が備わっているかどうかである。田村副委員長は、この点で矛盾に満ちた報告をしていることに気付いていない。拡大の実態は「極めて厳しい」の一言に尽きるにもかかわらず、その一方で国際情勢の変化や自民党政治のゆきづまりを強調して「為せば成る!」と断言しているのである。この論法は、超高齢化していると党組織の現実を見ないで「野党外交」や「未来社会論」の展望を熱く語る志位委員長の論法とよく似ている。将来の夢を語るのは結構なことだが、目の前の現実に真正面から向き合わないことは、政党活動の「リアリズム」から逸脱していると思われても仕方がない。

 ――私たちの運動は大きな課題を残しています。それは党建設・党勢拡大が、一部の支部と党員によって担われているということです。入党の働きかけを行っている支部は毎月2割弱、読者を増やしている支部は毎月3割前後にとどまっています。現状では、大会決定・中央委員会総会報告の決定を読了する党員が3~4割、党費の納入が6割台、日刊紙を購読する党員が6割となっており、抜本的打開が求められています。(略)同時に、客観的条件という点でも、主体的条件という点でも、いま私たちが「党勢を長期の後退から前進に転じる歴史的チャンスの時期を迎えている」ことが全面的に明らかにされました。

 

 言うまでもないことだが、政治情勢の変化に応じて「変革の波」を引き起こすためには、それに見合うだけの体力がなければならない。しかし党員が高齢化の一途をたどり、党員現勢が最盛期の2分の1、赤旗読者が4分の1に後退している現在、情勢分析から直ちに政治方針を導き、それに見合う党勢拡大方針を提起し、拡大運動に党員や支持者を総動員するといったやり方は、いわば「高度成長時代の残像」ともいうべきものであって政治的リアリティがあるとは思えない。こんな時に、志位委員長や田村副委員長がいくら檄を飛ばしても「大言壮語」としか響かないし、党員や支持者の行動を促す力にもならないのではないか。

 

 それでは、党組織の現実はいったいどうなっているのだろうか。これまでは「赤旗を読む」「支部会議に出席する」「党費を納める」という〝党生活確立の3原則〟が党活動の基本であり、それを守らない党員は「実態のない党員」として離党処分の対象になってきた。前回の拙ブログは、不破・志位体制の下での「数の拡大」を至上目的とする拡大方針によって、20数万人もの「実態のない党員」が生み出されて大量の離党処分が行われたこと、それが党勢後退の基本的原因になってきたことを指摘した。また「実態のない党員」を生み出した拡大方針が、原因究明もされることなく現在まで継続され、さらにこれからも踏襲されていこうとしていることも指摘した。

 

 不破・志位体制から50年後の現在、党生活3原則を維持している党員は25万人の6割(15万人)に過ぎず、残りの10万人は党費も納めず、赤旗も購読していない。また党員拡大で動いている支部は2割弱(3千支部)、読者拡大を働きかけている支部は3割前後(5千支部)にとどまっている。当時、志位書記局長は「実態のない党員」問題を解決したことが「前衛党らしい党の質的水準を高めるうえでの重要な前進」になり、委員長になってからは「全党員が参加する党をつくろうという新たな意欲と機運を呼び起こした」と強弁した。だが今日の事態は、これらの発言には何の根拠もなく、離党者の大量発生に対する指導部責任を免れるための方便にすぎなかったことを明らかにしている。

 

 田村報告は大会決議として採択されたが、2028年末までに第28回党大会時比「3割増」すなわち35万人の党員、130万の「赤旗」読者の実現を達成する――という目標達成は容易でないだろう。低所得で年金生活を余儀なくされている多数の高齢者党員にとっては、党費や赤旗購読料の負担は大きく、「実態のない党員」にならざるを得ない状況が広がっているからである。また、支部の2~3割しか拡大運動に参加していないのは、思想建設の遅れといった理由からではなく、身体的不自由な高齢者党員が党全体の5割を占めているという実態の反映にほかならない。

 

 今後5年間で党員10万人、赤旗読者45万人を2~3割の実働支部(3~5千支部)で増やすことは、1支部当たり党員30人(年平均6人)、赤旗読者100人(同20人)近くを増やさなければならない。最近4年間の年党員増減数(年平均)は、入党者4千人-死亡者5千人-離党者4千人=5千人減であり、赤旗読者は4年間で15万人(年平均3万7千人)減となっている。このようにもはやエンジンが老朽化して動けず、坂道では逆に後退していくような党勢の動きを止めることは容易でない。党中央からは相変わらず「全支部が活動すれば目標を達成できる」といった檄がとばされているが、こんな現実の姿を見ない「たられば」の空理空論はもはや通用しない。動きたくても動けない高齢者党員が党組織の多くを占めているからである。

 

 こうした状況が広がっているにもかかわらず、党中央主導の拡大運動が今なお是正されないのはなぜか。そこには「身体部分」がやせ細っても「頭部」だけが大きい共産党独特の組織構造が横たわっている。「民主集中制」の組織原則の下に運営される党組織は、必然的に党中央の図体が大きくなり、組織改革が進みにくい体質を有している。その結果、指導部の世代交代がなかなか進まず、特定の指導者の影響が長年にわたって続き、政策や方針が刷新されにくくなるという結果をもたらしている。50年余に及ぶ不破・志位体制は、その典型だといえるのかもしれない。

 

 田中均元外務審議官は、毎日新聞(2024年1月23日)の「時代を見る目」で自民党の裏金問題を題材に、日本の議会制民主主義や政治家の質の劣化の原因を論じている。その中で1994年の政治改革法により(自民党では)党中央の力が強くなり、「最高権力者であった人が権力の座を降りても引き続き強い影響力を行使続けるならば、世代交代は起こらず、思い切った改革、政策イニシアティブは出てこない」と指摘している。旧日本軍の『失敗の本質』を解明した野中郁次郎一橋大学名誉教授は、日経新聞(2023年10月8日)の「直言」欄で「数値偏重では革新起きず」との興味深い問題提起をしている。骨子は「数値目標の重視も行き過ぎると経営の活力を損なう」「計画と評価ばかりが偏重されると実行との改善に手が回らない」「計画や評価が過剰になると身体知(本質的な力)が劣化する」「計画や評価は高度成長期には躍進の原動力だったとしても、今では成長を阻害する原因となっている」というものである。また仏教学者の末木文美士氏は、毎日新聞オピニオン欄(2024年1月10日)「宗教と社会の今を考える」というテーマで旧統一教会や創価学会の問題を論じている。その中で「共産党は党員の高齢化が進んでいるようです。創価学会も新規の会員が増えているとはあまり聞きません」との質問に対して、「どちらも、2世や3世の若手はいても、これまで全く縁のなかった人が入る例は少ないのでしょう。個人単位の時代に、旧来型の組織形態が合わない面があるのかもしれません」と答えている。

 

これらの有識者の指摘は、共産党にもそのまま当てはまるのではないか。数値目標が重視され、目標達成のための計画と点検が偏重されるようになると、行動が軽視され、本質的な力が失われる。数値目標は高度成長期には「躍進」の原動力だったが、今では成長を「阻害」する原因に転化している――、まさにその通りだろう。個人単位の時代には「旧来型」の組織形態が合わないという指摘も頷ける。今大会では「1万人の青年・学生党員、数万の民青の建設を2028年までに実現する」と決議されたが、共産党綱領に学び、「民主集中制」を組織原則とする規約の下では、民青が若者世代を引きつけることは容易でないだろう。〝解党的出直し〟という言葉がある。この言葉には、まるで「共産党のため」と思えるほどの強い響きがある。マスメディアや世論をいたずらに敵視することなく、市民社会の流れに沿って自らの体質改善につなげる――これ以外に共産党再生の道はないと思うが、どうだろうか。

 

 (備考)最後に党員死亡数に関する資料として、赤旗に毎日掲載される「党員訃報欄」を挙げておきたい。党員訃報欄には死亡者氏名、死亡年齢、入党年、在住地などが記されているが、本人や遺族が望まない場合は掲載されないので、その数は実態よりかなり少ない。筆者は2017年1月からカウントを始めたが、第28回党大会公表の3年間(2017年1月~2019年12月)の死亡者数と比較すると、死亡者1万3823人に対して掲載数5257人、掲載率38%となる。第28回から第29回党大会に至る4年間の掲載数7442人だから掲載率38%とすると、4年間の推計死亡者数1万9584人(7442人×100/38)となり、この数字は第29回発表の死亡者数1万9814人とほぼ一致する(誤差230人)。したがって、掲載率は年によって多少変動するかも知れないが、赤旗掲載数から死亡者の大まかな動向を把握することは不可能ではない。以下は、赤旗に掲載された死亡者の基本属性である(2017年1月~2024年1月、7年1カ月)。この数字の2.6倍(100/38)が推計死亡者数となる。

 

(1)死亡者数、計1万2882人、男8833人(68.6%)、女4049人(31.4%)、男が女の倍以上となっている。2017~2021年までは年平均1700人台だったが、2022年からは1900人台に増加している。

(2)死亡年齢、「70歳未満」1075人(8.3%)、「70~79歳」3498人(27.2%)、「80~89歳」5175人(40.2%)、「90歳以上」3134人(24.3%)、80代と90代が合わせて3分の2を占めていて長命者が多い(100歳を越える場合も珍しくない)。

(3)入党年、「~1959年」2084人(16.2%)、「1960~79年」7459人(57.9%)、「1980~99年」1339人(10.4%)、「2000年~」2000人(15.5%)、党員の「団塊世代」ともいうべき60年代と70年代の入党者が死亡者の6割近くを占める。「2000年以降」が6分の1近くを占めているのは、高齢入党者が多いためである。

(4)在住地、「北海道・東北」1941人(15.1%)、「関東」4245人(33.0%)、「中部」1898人(14.7%)、「近畿」2898人(22.5%)、「西日本」1900人(14.7%)、関東と近畿で6割近くを占め、それ以外の地方は6分の1程度で分散している。(つづく)

『日本共産党の百年』が語らない〝長期にわたる党勢後退〟の原因、数の拡大を至上目的とする拡大運動が多数の離党者を生み出し、硬直的な組織体質が若者を遠ざけて党組織の高齢化を引き起こした、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その16)、岸田内閣と野党共闘(81)

 『日本共産党の百年』の「むすび――党創立百周年を迎えて」は、それ以前の五十年史や八十年史には見られなかった悲壮な言葉で綴られている。とはいえ、党の危機を訴える一方、なぜ〝長期にわたる党勢後退〟が継続しているかについては十分な説明がされていない。

 ――全国各地で奮闘が続けられてきたものの、党はなお長期にわたる党勢の後退から前進に転ずることに成功していません。ここに党の最大の弱点があり、党の現状は、いま抜本的な前進に転じなければ情勢が求める任務を果たせなくなる危機に直面しています。いま党は、この弱点を根本的に打開し、強く大きな党をつくる事業、とりわけ世代的継承――党の事業を若い世代に継承する取り組みに新たな決意で取り組んでいます。

 

 そこには、支配勢力の反共攻撃や反動的政界再編などの外部要因は数々挙げられているものの、党自体が抱えている内部要因についてはほとんど説明らしい説明がない。拙ブログではこの内部要因として、第1に「数の拡大」を至上目的とする拡大運動が多数の離党者を生み出したこと、第2に党の硬直的な体質が若者を遠ざけて党組織の著しい「高齢化」を招いたことを挙げたい。

 

 日本共産党の1960年代から80年代初頭にかけての20年余の党勢拡大方針を概観すると、第8回党大会(1961年7月)が当面の課題として提起した「数十万の大衆的前衛党」の建設が大きな成果を挙げたことから、70年代後半には「百万の党」の建設を展望しつつ、当面「五十万の党、四百万の読者」を実現する――との壮大な展望が語られるようになった。そのことを象徴するのが、第15回党大会(1980年2月)における不破書記局長の結語である。不破氏は、第11回党大会(1970年7月)で書記局長(40歳)に抜擢され、第16回党大会(1982年7月)で委員長に就任している。

 

 不破書記局長は、拡大運動の絶頂期において「百万の党」の拡大方針を次のように提起した。

――60年代初頭の4万2千余の党員、10万余の機関紙読者から、60年代を通じて28万余の党員、180万の読者へ(70年代初頭)、さらに70年代を通じて今日の44万の党員、355万を超える読者へ、これがこの20年来の党勢拡大の大まかな足取りであります。第14回大会決定(1977年10月)は「百万の党」の建設を展望しつつ、当面「五十万の党、四百万の読者」の実現という課題を提起しました。80年代には、わが党が戦後、党の再建以来目標としてきた「百万の党」の建設を必ずやりとげなければなりません。「百万の党」とは決して手の届かない、遠い目標ではありません。日本の人口は1億1千万、「百万の党」といえば、人口比で1%弱の党員であります。私たちは、大都市はもちろん遅れたといわれる農村でも、少なくとも人口の1%を超える党組織をもち、こうして全国に「百万の党」をつくりあげることは、必ずできる目標だということに深い確信をもつわけであります。

 

 不破書記局長によって定式化された拡大方針は、委員長就任後はさらに精緻化され、第19回党大会(1990年7月)で書記局長に抜擢された志位氏(35歳)に引き継がれた。だが志位氏は、書記局長就任直後から「実態のない党員」問題に直面しなければならなかった。「数の拡大」を至上目的とする拡大運動が数合わせのための「実態のない党員」を大量に生み出し、もはや放置できなくなっていたからである。この事態は、不破委員長のもとで推進されてきた拡大方針に重大な誤りがあり、「実態のない党員」を大量に生み出す原因になっていることは明らかだった。だが、第20回党大会(1994年7月)は、事態の原因を究明することもなければ、本格的な討論を行うこともなかった。志位書記局長は、「実態のない党員」を整理したことは「前衛党らしい党の質的水準を高めるうえでの重要な前進だ」との詭弁で、事態の幕引きを図ったのである。以下は、志位書記局長の発言である。

 ――まず党勢の現状です。1990年11月の第2回中央委員会総会で、「実態のない党員」の問題の正しい解決に勇気をもってあたるという問題を提起しました。その結果、現在の党員数は約36万人となっています。「実態のない党員」の問題の解決が基本的に図られたことは、前衛党らしい党の質的水準を高めるうえで重要な前進でありました。同時にソ連・東欧の崩壊などの情勢の急激な変化を、科学的につかみきれずに落後していった者が一部に生まれました。いかなる情勢でも揺るがない思想建設の重要性、同志愛あふれる党づくりの重要性を痛切な教訓として汲み取らなければなりません。

 

 信じられないことだが、「実態のない党員」問題が提起された2中総(1990年11月)の僅か4カ月前の第19回党大会の冒頭発言で、不破委員長はこのような深刻な問題には全く触れずに、拡大運動の楽天的な見通しを強調していた。不破氏がこの時点で膨大な「実態のない党員」の存在を知らなかったはずがない。それでいながら「50万近い党」を誇示し、拡大方針の正しさを強調したのである。

 ――わが党は綱領が確定した第8回党大会以来、歴史的に大きく前進いたしました。党員は8万8千人から50万近い党へ、「赤旗」読者が34万余から300万、国会議員が6名から30名、地方議員が818名から3954名へと前進しております。これは綱領の方向で党組織と多くの支持者が奮闘された結果であります。

 

 それからの4年間で党員48万人の4分の1に当たる12万人が「離党者」として整理され、党員現勢が36万人に激減するという事態が起こった。このことは、不破発言の虚構を白日のもとに曝すものであり、党組織の根幹を揺るがす大問題に発展してもおかしくなかった。しかし、志位書記局長は「こうした現状をふまえて、いまこそ党員拡大を本格的前進の軌道にのせていく必要があります」と、まるで何事もなかったかのようにこれまで通り拡大運動を続けていく方針を強調した。このことは、「民主集中制」の組織原則の下では、下位の書記局長が上位の委員長に対して異を唱えられない党組織の硬直性をまざまざと示すものであった。

 

 もう少し説明を加えよう。志位氏は上記の報告で「実態のない党員」問題に対しては「正しい解決に勇気をもってあたる」と発言している。このことは、彼がこの問題を「正しくない」と認識し、「勇気をもって」当たらなければ解決できない問題だと考えていたことを示している。そうしなければ、「実態のない党員」を大量に生み出す拡大運動の誤りを是正できないし、持続的な拡大方針を提起することもできない。にもかかわらず志位氏は、そのことが不破委員長に対する批判に波及することを忖度して「臭い物にフタをする」道を選んだのである。

 

 それ以降、第22回党大会(2000年11月)で委員長に就任した志位氏のもとで、以前にも勝る勢いで拡大運動が展開されるようになった。とりわけ党大会直前の期間は「特別拡大月間」が設けられ、それまでの遅れを取り戻すためとして党中央から地方機関に大号令が下されて「拡大競争」が大々的に組織されるようになった。赤旗で連日報道される「拡大実績」を目の前に突きつけられた地方機関は、遮二無二拡大運動に追い立てられ、こうした中で数合わせのための「実態のない党員」が大量に生み出される素地が再び形づくられていったのである。

 

 その結果、20年前と同じことが第26回党大会(2014年1月)で起こった。志位委員長は、「実態のない党員」問題が発生したこの間の党建設の取り組みを(淡々と)報告している。

 ――私たちはこの4年間、第25回党大会決定にもとづき、また2010年の参院選を総括した同年9月の2中総決定で、「党の自力の問題」にこそ、わが党の最大の弱点があることを深く明らかにし、強く大きな党づくりに一貫して力を注いできました(略)。党員については拡大のための努力が重ねられてきましたが、2中総決定が呼びかけた「実態のない党員」問題の解決に取り組んだ結果、1月1日の党員現勢は、約30万5千人となっています。「実態のない党員」問題を解決したことは、全党員が参加する党をつくろうという新たな意欲と機運を呼び起こしています。

 

 志位氏は、「実態のない党員」の規模があまりにも大きかった所為か、正確な数字を公表していない(大会決議にもない)。ただ90年代後半から党大会間の死亡者数が公表されるようになったので、「前党大会党員現勢+入党者-死亡者-離党者=今党大会党員現勢」の計算式で、離党者数を算出することができる。この計算式で算出すると、20年前と同じく12万人もの大量の「実態のない党員」が整理されたことになる。

  〇40万6千人(2010年1月現勢)+入党者3万7千人-死亡者1万8593人-離党者=30万5千人(2014年1月現勢)、離党者11万9407人(約12万人)

 

 20年前には、党員現勢48万人の4分の1に当たる12万人もの大量の離党者が生まれた。この時に「数の拡大」を至上目的とする拡大方針の誤りが是正され、持続的拡大を目指す新たな方針が提起されていれば、党の発展は別の道をたどったかもしれない。しかし、今回も40万6千人の3割に当たる12万人が離党者として整理されるということが再び起こった。そして、志位氏は今回も「『実態のない党員』問題を解決したことは、全党員が参加する党をつくろうという新たな意欲と機運を呼び起こしています」と強弁したのである。これでは、前衛党としての質的水準を上げ、全党員が参加する党をつくろうと思えば、「離党者が増えるほどいい」といった荒唐無稽な理屈になりかねない。だが、さすがの志位氏も「これだけでは拙い」と思ったのか、以下のコメントを付け加えた。

 ――「実態のない党員」を生み出した原因は、十数年に及ぶ「二大政党づくり」など日本共産党抑え込みという客観的条件の困難だけに解消できるものではありません。それは「支部を主役」に全ての党員が参加し成長する党づくりに弱点があることを示すものと言わねばなりません。「二度と『実態のない党員』をつくらない」決意で、革命政党らしい支部づくり、〝温かい党〟づくりへの努力を訴えるものであります。

 

 志位委員長は、上記の発言からもわかるように、依然として「数の拡大」を至上目的とする党中央主導の方針の誤りを認めていない。逆にその責任を支部活動に転化し、支部活動が活発になれば「実態のない党員」は生まれないとして、離党者が発生する原因を末端組織に押し付けている。「民主集中制」を基本とする党活動は、上級の指示に下級が従うことが組織原則になっている以上、この組織原則を是正することなく「実態のない党員」問題の責任を支部に押し付けることは、本末転倒の議論だと言わなければならない。しかも、それが「大会決議」として正当化されるのだからなおさらのことである。

 

 念のため、志位委員長の在任期間(2000年11月~2023年12月)の入党者数、死亡者数、離党者数と年平均(いずれも筆者算出)を挙げておこう。本来ならば、この種の資料は党自身が公表して然るべきものであるが、都合の悪い数字は曖昧にされるという長年の慣行のため、そのまま利用できる確たる資料がない。拙ブログの計算式に基づく算出は、老眼を酷使した作業の結果であるため誤りがあるかもしれないが、それでも大まかな傾向はつかめるので参考にしてほしい。

 

 第22回党大会(2000年11月)から第29回党大会(2024年1月)までの23年2カ月間の党員現勢の変化は、38万6517人(2000年11月現勢)+入党者18万3895人-死亡者9万8989人-離党者22万1602人=24万9821人(2024年1月現勢)であり、第29回党大会で公表された党員現勢25万人とほぼ一致している。驚くのは、離党者22万1千人が入党者18万4千人を大きく上回っていることであり、死亡者が10万人近く(9万9千人)に達していることである。以下は、党大会ごとの計算式を示そう。

 〇第23回大会(2004年1月)

38万6517人(2000年11月現勢)+入党者4万3千人-死亡者9699人-離党者=40万3793人(2004年1月現勢)、離党者1万6025人

 〇第24回党大会(2006年1月)

40万3793人(2004年1月現勢)+入党者9655人-死亡者7396人-離党者=40万4299人(2006年1月現勢)、離党者数1753人

 〇第25回党大会(2010年1月)

40万4298人(2006年1月現勢)+入党者3万4千人-死亡者1万6347人-離党者=40万6千人(2010年1月現勢)、離党者1万5951人

 〇第26回党大会(2014年1月)

40万6千人(2010年1月現勢)+入党者3万7千人-死亡者1万8593人-離党者=30万5千人(2014年1月現勢)、離党者11万9407人

 〇第27回党大会(2017年1月)

30万5千人(2014年1月現勢)+入党者2万3千人-死亡者1万3132人-離党者=30万人(2017年現勢)、離党者1万4868人

 〇第28回党大会(2020年1月)

30万人(2017年1月現勢)+入党者(無記載、暫定2万1240人)-死亡者1万3828人-離党者=27万人(2020年1月現勢)、離党者3万7412人

党大会記録に入党者数が記載されていないので、2017年1月から2019年12月までの赤旗(各月党勢報告)を調べたところ、3年(36カ月)のうち入党者数が掲載されていたのは26カ月、計1万5354人、月平均590人だったので、590人×36カ月=2万1240人を暫定値として離党者3万7412人を算出した。

 〇第29回党大会(2024年1月)

27万人(2020年1月現勢)+入党者1万6千人-死亡者1万9814人-離党者=25万人(2024年1月現勢)、離党者1万6186人

 

 2000年11月~2023年12月(23年2カ月)の合計は、入党者18万3895人(年平均7937人)、死亡者9万8809人(同4264人)、離党者22万1602人(同9564人)であり、党員数は13万6517人減(同5892人減)となった。次回は、若者離れがもたらした「超高齢化」の実態を分析する。(つづく)

多数者革命は「強く大きな党」ではなく「信頼と共感の党」でなければ実現できない、130%の党づくりは〝永遠の目標〟に終わるだろう、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その15)、岸田内閣と野党共闘(80)

 日本共産党の第29回党大会(2024年1月15~18日)が終わった。党大会は目玉とされた女性初の田村智子新委員長を選出して「刷新」のイメージを演出したが、志位委員長が空席の議長に就任し、常任幹部会委員を兼務することが判明してその期待は一気にしぼんだ。志位氏が不破氏と同じく93歳まで常任幹部会委員を務めるとすれば、この先23年間も「志位院政」が延々と続くことになる。拙ブログで「『表紙=女性委員長』だけを換えても『中身=志位体制』が変わらなければ意味がない」と書いたのは、そのことである。

 

 党大会翌日19日の朝日、毎日両紙は、奇しくも同じ趣旨の社説を掲げた。朝日は「共産党新体制、党を開く変革伴わねば」、毎日は「共産新委員長に田村氏、開かれた党へ体質刷新を」というもの。朝日はさらに踏み込んで「時々刻々」で全頁の解説記事を掲載し、「低迷の共産 刷新を演出」「歴代最長 増幅した不満」「議長に残る志位氏『院政』の見方」との見出しで、その内情を詳しく伝えた。一言で言えば、田村氏へのバトンタッチに関しては「志位氏の影響を大きく受ける」「実際には何も変わらない」との声が根強いというものだ。

 

 大会の模様は赤旗で連日報道され、全体を貫くキーワードは「強く大きな党をつくる」ことだった。「多数者革命を推進する強く大きな党を」と題する田村副委員長の中央委員会報告は、次のような論旨で組み立てられている(赤旗1月17日)。

 (1)多数者革命を進める主体は主権者である国民であり、国民の一人ひとりが政治や社会を自ら変えようとしてこそ社会の変革は成し遂げられる。多数者革命には「国民の自覚と成長」が不可欠である。

 (2)しかし、「国民の自覚と成長」は支配勢力の攻撃と妨害によって自然に進まないので、支配勢力の側の主張を打ち破る理論と運動が必要になる。

 (3)「国民の自覚と成長」を推進するには、そのための理論と運動を担い、不屈性と先見性を発揮する党の存在が不可欠である。政治変革の必要性が国民の認識になり、革命の事業に広範な国民の支持を集め、統一戦線に国民多数の結集を進めていくことに共産党の役割がある。

 (4)民主集中制の組織原則は、多数者革命を推進するという党の役割から必然的に導かれる。民主集中制の見直しを求める意見に共通しているのは〝革命抜きの組織論〟になっていることである。革命の事業は、支配勢力による熾烈な攻撃や妨害を打ち破ってこそ前途を開くことができる。この攻撃を打ち破って社会変革を成し遂げるためには、民主集中制の組織原則はいよいよ重要性と必要性を増している。

 (5)党指導部の選出方法は民主集中制の組織原則と一体不可分である。党指導部を党員による直接投票で選ぶことになれば、候補者は自分を支持する多数派をつくるために活動することになり、必然的にポスト争いのための派閥・分派がつくられていく。党の中で誰を支持するのかという議論が行われ、対立が生じ、主張や行動がバラバラになっては国民に対する責任が果たせない。とりわけ支配勢力の攻撃を打ち破って、多数者革命を推進する日本共産党にとっては、派閥や分派をつくらないことが死活的に重要である。

 

 ここにはかなり思い込みの激しい(手前勝手な)理屈が並んでいる。第1は国民の自覚と成長は支配勢力の攻撃と妨害によってなかなか進まないという国民に対する根強い「愚民観」の存在、第2は共産党(だけ)が支配勢力の主張を打ち破る理論と運動を担えるという独善的な「前衛党」の意識、第3は革命の事業を推進するには党の統一と団結を支える組織原則が不可欠という「民主集中制」の絶対化、第4は党指導部を党員の直接投票で選ぶことは派閥・分派の発生につながるという「統制的思考」など、そこには驚くべき権威主義的体質が露呈している。

 

 少数の革命集団が武力闘争によって権力を奪取するという「戦時共産主義」の時代ならともかく、国民主体の「多数者革命」を議会制民主主義に基づいて実現しようとするのであれば、何よりも国民の自覚と成長に信頼を置き、協力協同の関係を築くことが党の基本方針でならなければならないだろう。現に政党や労働組合、学生団体が国民の政治・社会運動を指導した時代は遠く去り、いまや自らの意思と行動で政治・社会運動に関わろうとする多様な市民組織、市民運動が随所で展開されている。これらの動きを積極的に評価できず、国民の自覚と成長が支配勢力の攻撃と妨害によって自然成長では進まないと断定することは、多数者革命の可能性そのものを否定することにもなりかねない。党首公選制などを否定する根拠として「派閥・分派」の発生を持ち出すと言った議論は、党員間の民主的討論を恐れ、党員に信頼を置けない党指導部の自信の無さを示すだけだ。

 

 党勢拡大運動の後退の原因をもっぱら支配勢力の攻撃の所為にする「たたかいの弁証法」も、党の体質や運営の欠陥を本質的に分析できない共産党の自浄能力の欠如を示している。田村報告の「『大運動』と前大会以降の党づくりの到達点と教訓」は、党大会直前(半年分)の僅かな成果をことさらに強調しているが、そのための党大会であるにもかかわらず4年間にわたる深刻な長期後退の実態分析を避けている。また「130%の党づくり」目標を5年先に先延ばしして実現するとして、あくまでも党勢拡大運動の破綻を認めていない。以下はその要旨である。

 (1)昨年6月末の8中総で「第29回党大会成功・総選挙躍進を目指す党勢拡大・世代的継承の大運動」を呼びかけ、半年で4126人の党員を迎えた。日刊紙650人増、日曜版2456人増、電子版307人増となった。

 (2)前大会からの4年間で新たに1万6千人の党員を迎えたが、現勢は25万人(27万人から2万人減)、赤旗読者は日刊紙、日曜版、電子版遇わせて85万人(100万人から15万人減)となって、長期後退から脱していない。

 (3)第30回党大会(2年後)までに、第28回党大会現勢――27万人の党員、100万人の赤旗読者を必ず回復・突破し、第28回党大会時比「3割増」――35万人の党員、130万人の赤旗読者の実現を2028年末(5年後)までに達成する。

 

 志位委員長は「開会のあいさつ」で、前大会から現在までの4年間の党員死亡者数は1万9814人(2万人)だと報告した(赤旗1月16日)。この間の入党者数は1万6千人だから、2024年1月現在の党員現勢は、27万人(2020年1月現勢)-2万人(死亡者数)-1万6千人(離党者数)+1万6千人(入党者数)=25万人(2024年1月現勢)となる。つまり、この4年間に入党者数と同数の離党者数が発生し、これに死亡者数を加えると入党者数の倍以上(2.25倍)に当たる党員が消えたことになる。下部組織には連日党勢拡大運動の大号令をかけながら、その一方離党者数の規模や実態については一切「説明責任」を果たさない党指導部の責任は重い。まるで「底の抜けたバケツ」か「ざる籠」のように、いくら水を注いでも水位が低下する党勢後退をいったいどのようにして止めるのか――この「長期後退=構造的衰退」の原因を本質的に解明し、党勢拡大運動に替わる運動方針を打ち出すことがなければ、共産党は生き残れない。

 

 結論は明白だろう。「強く大きな党」の構築が幻想に終わった今、それに替わる党づくりは「信頼と共感の党」以外にあり得ない。国民の価値観が多様化し、それにともなって政治や社会との関わり方も多様化している現在、それに対応できるソフトで開かれた体質の党づくりが求められている。そのためには「民主集中制」の組織原則の廃棄と党首公選制の実現が第一歩となる。田村新委員長がどこまで主体性を発揮し、独自性を貫けるか。志位院政の単なる「表紙」にならないよう新委員長の健闘を祈りたい。(つづく)

「表紙=女性委員長」だけ換えても「中身=志位体制」が変わらなければ意味がない、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その14)、岸田内閣と野党共闘(79)

 2024年1月15日から始まった日本共産党第29回党大会が、久しぶりでマスメディアの注目を浴びているようだ。私が定期購読している朝日、毎日、日経の各紙は1月16日、総合面や政治・外交面のトップ記事扱いで党大会を大きく報じた。以下は、見出しとリード文の紹介である。

 

〇「23年ぶり党首交代か、共産党大会始まる」(朝日新聞)

 ――共産党の第29回党大会が15日から4日間の日程で、静岡県熱海市で始まった。歴代最長となる23年にわたり、党首を務めてきた志位和夫委員長(69)の交代論が取り沙汰されており、党首人事が最大の焦点になる。幹部人事は最終日の18日に決まる見通しだ。

〇「在任23年志位氏 去就焦点、共産党大会、世代交代求める声」(毎日新聞)

 ――4年ぶりの共産党大会が15日、静岡県熱海市で始まった。18日までの大会期間中、最大の焦点は在任期間が23年を超える志位和夫委員長(69)の去就だ。近年、国政選挙で共産の議席減が続き、党員から指導部の世代交代を求める声が上がっている。

〇「共産・志位氏の去就注目、委員長在任、23年で最長、得票減、野党共闘も岐路」(日経新聞)

 ――共産党の党大会が15日、静岡県熱海市で4年ぶりに始まった。歴代最長の23年間在任する志位和夫委員長の交代の有無が最大の注目点となる。次期衆院選に向けて続投論がある一方、党勢回復を目指して世代交代を期待する声もある。「野党共闘」の再構築に向けた方針も定義する。

 

 一読してわかるように、各紙のいずれもが志位委員長の「交代の有無」が最大の焦点だと論じている。その理由は力点が異なるが、志位委員長の在任期間が「長すぎる」という点では共通している(要旨)。

 ――共産は2016年参院選で野党共闘を実現させ、存在感を高めた。ところが、立憲民主党と政権枠組み合意を結んだ21年衆院選では議席を減らした。22年参院選でも議席を減らし、昨春の統一地方選の議員選では議席の1割超にあたる計135議席を失った。1994年に36万人だった党員数は、高齢化などの影響で今年1月時点で25万人と4分の3まで減少。退潮傾向に歯止めがかからない状況に、党幹部から「志位氏は長すぎる」との苦言が漏れ、昨年は党内から公然と党首公選制を求める声が上がった(朝日新聞)。

 ――共産党は12月、決議案に対する党員約340人の感想や意見などをまとめた冊子を発行した。2000年11月から23年以上にわたり共産を率いてきた志位氏に対し、厳しい意見が目立つ。「党首の任期が長すぎることは、若い世代に違和感を抱かせ、国民的理解を得るのは難しくなっています。最長で『3期9年』などとする制限を制度化することを提案します」「衆院選、参院選、統一地方選と3回続けての後退の責任と除名処分対応の責任を明確にし、党のイメージを変えるためにも、志位委員長の退任を始めとする党中央の大幅な人事刷新を求めます」「日刊紙配達参加者の8割が70代以上という状況で、将来にわたって配達体制を継続できる展望がありません」などなど、指導部人事に加え、党運営を巡る改革についても厳しい意見が出された(毎日新聞)。

 ――共産党の意思決定は中央委員会という200人ほどの組織でする。事実上のトップが委員長で書記局長、副委員長と合わせて「党三役」を構成する。議長は常設ではない。党大会で志位氏の去就が焦点になるのは、党員が1990年の半分ほどの27万人程度に減少し、機関紙赤旗の読者数も1980年の355万人から2020年の100万人に落ち込み、国政選挙の比例得票数も2016年参院選600万票から2022年参院選は400万票を割り込んでいるためだ。共産党と他の野党の関係も岐路にある。共産党は次期衆院選に向けて立憲民主党に共闘を働きかけているが、立憲は慎重姿勢を崩さず、維新や国民民主は外交・安全保障などの考え方が根本的に異なる。共産党内では若手や女性を要職に起用し、刷新感を演出すべきだとする意見があり、後継者の1番手と目されるのが政策委員長の田村智子氏だ。しかし、仮に志位氏が委員長から退いても、現在空席の議長に就くとの見方もある。議長は形式上、党内最高位のポストとして扱われてきた(日経新聞)。

 

 さすがの志位委員長もこうした内外の世論にもはや抗しきれないと観念したのか、昨年11月の中央委員会総会では通常は委員長が行う「幹部会報告」と「結語」を田村副委員長に譲らざるを得なかった。また、今回の党大会でも開会のあいさつでも、「大会決議案の中央委員会を代表しての報告は、田村智子副委員長が行います」(赤旗1月16日)と述べたように、志位委員長退任と共産党初の女性委員長誕生はほぼ確実とみられている。だが問題は、その後の志位氏の去就であろう。志位氏がこのまま潔く政界から退くことなど(到底)考えられない以上、現在空席の「議長ポスト」に就任する可能性が限りなく高いと思われるからである。

 

 周知の如く、志位委員長の前任者である不破委員長は、志位氏に委員長ポストを譲ると同時に中央委員会議長(2000~2006年)に就任し、議長退任後も93歳の現在に至るまで常任幹部会委員の位置から退こうとしなかった(今回は肉体的限界で退任せざるを得ないだろう)。このことが巷間言われる「不破院政」の政治基盤となり、21世紀になってからも共産党が高度経済成長時代の運動方針を時代の変化に応じて転換できない足枷となってきた。不破氏が委員長退任後も志位委員長の方針に対して「僕は違うな」と悉く口を挟み、志位氏がノイローゼになった話は余りにも有名だ。志位氏が「志位院政」を敷くことによって田村委員長の方針に介入するとすれば、志位委員長の「議長就任」は悪夢の再来でしかない。

 

「君たち、表紙だけ替えても中身が変わらなければ意味はないよ」と言ったのは、農林官僚出身で政府の数々の要職を務めた伊東正義である。伊東は1989年の竹下内閣崩壊後、自民党総裁に押されたが固辞して引き受けようとしなかった(国政武重『伊東正義、総理のイスを蹴飛ばした男――自民党政治の「終わり」の始まり』岩波書店、2014年)。属する政党も政治情勢も違うが、伊東の政治家としての矜持には学ぶべき点が多いのではないか。今からでも遅くない。志位氏には国政武重氏の著作を一度でもいいから読んでほしい。(つづく)