30年足らずの間に3度の大地震に見舞われた日本列島、2024年は能登半島地震と羽田航空機事故で明けた

 昨年暮れ、自民党政治資金(裏金)疑惑をめぐる東京地検特捜部の安倍派事務所と二階派事務所の強制捜査が始まり、日本政界に衝撃が走った。「パンドラの箱」を開けた――とまではいかないが、情勢によっては今後思いもかけない展開が待っているかもしれない。だが、積年にわたる金権腐敗の腐臭に慣れた政権与党の面々はいっこうに動こうとしないし、沈殿した汚泥を取り除こうともしない。風向きが変われば、そのうち何処かへ消えてゆくとでも思っているらしい。

 

 そんなどす黒い空気が漂っている所為か、新年を迎えても何だかお祝いの言葉を交わす気持ちになれなかった。そんな元旦の午後、能登半島で大地震が発生し、翌日には羽田空港で日航機と海上保安機が衝突して炎上する大事故が起こったのである。能登半島地震は震源地が広範囲にわたっているからか、日本海沿岸はもとより近畿地方でも大きな横揺れを感じた。京都伏見の拙宅にも30秒を超える横揺れが続き、全ての電源を切って飛び出す用意をしなければならないほどだった。

 

 「天災は忘れた頃にやってくる」という有名な言葉がある。科学者であり随筆家でもあった寺田寅彦の言葉だ。だが、今は違う。「天災は忘れないうちにやってくる」ようになった。1995年1月の阪神・淡路大震災、2011年3月の東日本大震災、そして2023年1月の能登半島地震とこの30年足らずの間に日本列島は3度にわたる大地震に襲われた。とりわけ東日本大震災では、チェルノブイリ原子力発電所事故に続く福島原発事故によって、現在においても広範な地域が放射能汚染によって「居住制限区域」に指定されて無人地帯となっている。東日本大震災については、拙ブログで2011年3月17日から2013年2月28日までの2年間、200回を超える長期シリーズとして連載した。今となっては見るも恥ずかしい駄文の連続だが、当時の現況を伝える現地記録としては一定の意味があると考えている。今回は東日本大震災はさておき、まだ拙ブログを始めていなかった阪神・淡路大震災のことについて語りたい。

 

 私が最初に遭遇した大地震は、1995年1月真冬の阪神・淡路大震災である。淡路島から神戸の中心市街地にかけて震度7の「激震ベルト」が走り、一帯のビルや家屋が根こそぎ倒壊した。20万棟余に及ぶ建物倒壊によって死者は6000人を超え、神戸の私の知人や友人、その家族も多くが被災者となった。当時私が勤務していた京都市内の大学には、神戸や尼崎周辺から多数の学生が通学していた。一刻も早く安否を確かめるためあらゆる手段を講じたが、電話がつながらず交通が途絶していたためいっこうに埒が明かない。新聞(神戸新聞社が壊滅し、京都新聞社が代わりに印刷していた)やエフエム放送での呼びかけも効果がなく、最後はクラスメートや教員が集団で現地まで行って直接確かめるほかなかった。一行は辛うじて動いていた阪急電車で西宮北口駅(それ以遠は途絶)まで行き、そこから神戸市内まで数時間以上かけて歩いた。幹線道路は緊急車両や霊柩車(全国から動員されていた)で溢れ、沿道の小学校は遺体安置場になっていた。地元の火葬場が壊滅していたため、近畿一円の火葬場に遺体を運ぶヘリコプターが校庭からひっきりなしに離着陸していた。

 

 被災地支援にはいろんな段階がある。地震発生直後は被災者の救出・救命活動が最優先されることは勿論だが、地震が収まると継続的な生活復旧支援が求められ、その次は長期にわたる都市計画やまちづくりが課題となる。この期間がどれぐらいになるかは、それぞれの地域の姿(大都市・地方都市・農山漁村など)によって異なり、被災状況によっても異なる。しかし大事なことは、復旧復興支援の方法を誤るとそれが「二次災害」の原因になり、「復興災害」に化す場合もあるということである。

 

 兵庫県や神戸市は災害対策の先進自治体だと言われているが、実態は必ずしもそうとは言えない。そのことは、原田純孝編『日本の都市法Ⅱ、諸相と動態』(東大出版会、2001年)の「阪神・淡路大震災における震災復興都市計画の検証――20世紀成長型近代都市計画の歴史的終焉」、『開発主義神戸の思想と経営、都市計画とテクノクラシー』(日本経済評論社、2001年)で検証した。その後、兵庫県医師会長や震災復興研究センター事務局長らとの共著『神戸百年の大計と未來』(晃洋書房、2017年)、市民検証研究会編『負の遺産を持続可能な資産へ、新長田南地区再生の提案』(クリエイツかもがわ、2022年)、日本災害復興学会編『災害復興学事典』(朝倉書店、2023年)の「復興概念の政治性」の中で阪神・淡路大震災の歴史的総活を試みた。

 

 阪神・淡路大震災の特徴を一言で言えば、日本が1991年のバブル崩壊を機に低経済成長と人口減少などを基調とする「失われた20年=ポスト成長期」に移行したにもかかわらず、兵庫県や神戸市は依然として高度経済成長時代の夢を捨て切れず、震災を「千載一遇のチャンス」として阪神地域の大改造を決行しようとしたことである。とりわけ「開発主義の権化」とも言うべき神戸市は、震災発生5時間後に市長命を受けた総務局長が都市計画局・住宅局職員2百数十名に(救出・救命活動を二の次にして)被災地図の作成を命じるという信じられないような行動に出た。そして、この被災地図をもとに10数日間で(秘密裏に)「震災復興都市計画案」を作り、地震発生2ヶ月後に都市計画審議会を開き、会場を取り囲んだ被災者や市民の反対を押し切って計画決定を強行したのである。避難所に被災者が溢れているという非常事態の中で強行決定された神戸市の震災復興都市計画は〝災害便乗型復興都市計画〟そのものであり、〝ショック・ドクトリン政策〟の日本版ともいえる世紀的暴挙だった。(能登半島の被災地において、もし市町村職員が救出・救命活動を二の次にして被災地図の作成を最優先したとしたら、それがどんな結果をもたらすかを想像してほしい)。

 

 私は1960年代後半から神戸市の住宅政策に関わり、心ある市職員とともに長田区の下町(木造密集市街地)のすまい・まちづくりを支援してきた。それが災害便乗型都市計画によって断ち切られたことへの憤りと抗議の意味を込めて、震災発生後1年目に『震災・神戸都市計画の検証~成長型都市計画とインナーシティ再生の課題~』(自治体研究社、1996年)を書いた。全ての図書館が閉鎖されているなかでの極めて困難な作業であったが、それが市幹部の怒りを買ったのか、程なくして20数年間務めてきた住宅審議会委員を解任された。神戸でのまちづくり研究と実践については、『現代のまちづくりと地域社会の変革』(学芸出版社、2002年)で詳しく解説している。

 

 それから30年近い時間が流れたいま、震災復興都市計画事業の目玉ともいうべき「新長田南地区災害復興計画」(焼け野原となった市街地に計画された日本最大級20ヘクタールの大規模復興再開発事業)は2300億円近い予算を投入したにもかかわらずいまだ完了せず(さらに赤字500億円余を予測)、しかも中心街の巨大商店街はシャッター通りと化して「ゴーストタウン」さながらの様相を呈している。高度経済成長時代の夢を実現しようとした災害便乗型復興計画事業はいまや〝20世紀の負の遺産〟と化し、人口減少に悩む神戸市の持続的発展を阻んでいるのである。

 

 しかしながら、阪神・淡路大震災はその一方で「阪神・淡路まちづくり支援機構」という日本で初めての災害支援を目的とする専門家集団を生み出したことを特記しなければならない。私も及ばずながらその設立に尽力したが、同支援機構は東京・東海を始め全国各地での専門家集団設立のモデルになり、また東日本大震災では調査団の派遣、現地での地元専門家集団と交流など活発な活動を続けている。同機構のホームページには、設立趣旨や経過が次のように記されている。

 ――1995(平成7)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、約20万棟を越える建物が全半壊・全半焼しました。阪神・淡路まちづくり支援機構は、この阪神・淡路大震災による被災地における市民のまちづくりを支援するために設立された団体です。まちづくりの主体となるのは、あくまでも当該地域の市民にほかなりません。しかし、まちづくりは、土地、建物という不動産にかかわることであり、法律問題一般の他、登記、測量、税務、不動産の評価、設計という多くの専門知識が必要になります。これは単一の専門家では対応できるものではなく、このようなニーズに十分応えるためには、弁護士、司法書士、土地家屋調査士、税理士、不動産鑑定士、建築士という専門家の連携が必要となります。そこで支援機構は、専門家が垣根を越えてワンパックで被災地の市民のまちづくりを支援するために設立したものです。

 ――このように支援機構は、上記の専門家である6職種・9団体が連携して被災地の市民のまちづくりを支援できるようにするとともに、日本建築学会、都市住宅学会の協力を得て1996(平成8)年9月4日に設立されました。支援機構は個人の組織した団体ではなく、専門家団体が組織した我が国で初めての横断的NPOです。構成団体は以下のとおりです。大阪弁護士会、兵庫県弁護士会、近畿税理士会、近畿司法書士会連合会、土地家屋調査士会近畿ブロック協議会、社団法人日本不動産鑑定協会近畿地域連絡協議会、社団法人日本建築家協会近畿支部、近畿建築士会協議会、建築士事務所協会近畿ブロック協議会。

 ――まちづくりを行うには、国、自治体等の行政との連携も不可欠であり、支援機構は行政とも協力しながら活動をしています。支援機構は、主に都市計画決定のなされていない地域(これを「白地地域」といいます)におけるまちづくりの支援を行うことにしていますが、いたずらに行政と対抗関係に立つのではなく、また行政の下請けになるのでもなく、対等な立場で行政と連携しながら市民のまちづくりを支援するものです。被災地の経験や蓄積されたノウハウを他の地域に伝えるのは、被災地の義務であると考えられます(これを神戸大学の室崎益輝教授は「被災地責任」と呼びます)。支援機構は今後も、被災地責任をはたすために、全国に対し、被災地の市民のまちづくりを支援するため、専門家、行政、NPO及び研究者の連携による支援機構の設立を呼びかけて行きたいと考えています。なにとぞ、ご理解とご協力をいただきますようお願い申し上げます。

 

 支援機構の活動は、東日本大震災の震災復興都市計画にも大きな影響を与えている。「巨大施設はつくらない」「持続可能なまちづくりを目指す」「国や自治体の行政計画を丸のみしない」「信頼する専門家集団のアドバイスを受ける」「自分たちの頭で考え、自分たちで実行する」などなど、阪神・淡路大震災の教訓が生きた形で受け継がれているのである。能登半島地震は目下救出・救命活動が先行する緊急事態にあるが、その後の生活復旧支援やまちづくりの段階においては、支援機構の経験や助言を大いに活用してほしい。(つづく)

党勢拡大運動の破綻を外交日程の消化で覆い隠すことはできない、志位委員長は党勢拡大運動の失敗を第29回党大会はどう総括するのか、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その13)、岸田内閣と野党共闘(78)

 2024年元旦の赤旗を開いて驚いた。1面トップに「東アジアの平和構築へ、東南アジア3カ国、発見と感動の9日間、志位委員長が新春緊急報告」と題する大見出しが躍っているではないか。「6面につづく」とあるのでめくってみたら、6面から9面まで全てが「新春緊急報告」で埋まっている。これほどの大特集は見たこともないが、それが「新春緊急報告」として編集されるのだから、それなりの意図はあるのだろう。リード文には次のような趣旨が記されている。

 ――どうやって東アジアを戦争の心配のない平和な地域にするのか、昨年来、インドネシア、ラオス、ベトナムの東南アジア3カ国を訪問し、東アジアの平和構築にむけ精力的な外交活動を展開した日本共産党代表団(団長・志位和夫委員長)。どんな交流、探求がおこなわれ、どんな手ごたえ、収穫があったのか――志位委員長がその一部始終を緊急報告します。

 

 志位委員長は冒頭、訪問目的について「東南アジア3カ国を12月19日から27日までの日程で訪問しました。東南アジア諸国連合(ASEAN)は粘り強い対話の努力を続け、この地域を平和の共同体に変え、その流れを域外に広げて東アジア全体を戦争の心配のない平和な地域にするための動きを発展させています。ASEANの国ぐにの努力を生きた形でつかんで、東アジアに平和をつくる日本共産党の『外交ビジョン』をさらに豊かなものにしたい、日本のたたかいにも役立つ知見を得てきたい、さらい可能な協力を探究してきたい、これらを目的にして訪問してきました」と語っている。NGOや民間団体が国連や各種の国際会議で積極的な外交活動を展開する時代であり、野党外交の必要性も十分理解できる。ただ問題なのは、「なぜいま外交日程なのか」「なぜいま緊急報告なのか」ということだ。

 

 臨時国会の閉幕後、昨年12月19日に東京地検特捜部が自民党安倍派事務所と二階派事務所の強制捜査に着手して以降、メディア報道は自民党の政治資金(裏金)疑惑一色となり、国内政治は大混乱に陥って国会内外では連日緊急集会が開かれている。国民世論も疑惑解明で沸騰し、国内政局は自公政権の正統性をめぐって紛糾している。往年の「リクルート疑獄」にも匹敵すると言われるそんな国内情勢が展開している中で、志位委員長は国内情勢の混乱を目の当たりにしながら、なぜか東南アジア3カ国の旅に出発したのである。そして党内では次期大会を控えて党勢拡大運動の破綻に直面している時、「毎日がワクワクする発見と感動の9日間」(赤旗元旦)を東南アジア3カ国で過ごしたのである。

 

 外交日程が準備に時間を取られることは周知の事実である。しかし、安倍派のパーティー資金を巡る疑惑は早くから政治課題となり、東京地検特捜部の捜査が近くに迫っていることは誰でも予測できた。それでいながら、なぜこんな時期に外交日程を組んだのか。そこには第29回党大会を控えて、志位委員長が共産党による国際活動への期待を掻き立て、その舞台を東南アジア3カ国に設定したことが読み取れる。党勢拡大運動の破綻など党内情勢が一段と深刻さを増しつつあるとき、そのはけ口として党内の目を海外に向けさせることが指導部に対する批判を逸らし、責任を回避する方便だと考えたのであろう。

 

 私が注目したのは元旦の赤旗ではなく、12月の党勢拡大の成果を報じた前日の大晦日の記事だった。見出しは「赤旗読者 連続前進、日刊紙893人増、日曜版2231人増、入党は690人」というもの。これだけ読むと何だか前進しているように見えるが、昨年1年間を通してみると実態は真逆でそれどころではない。2023年1月から12月までの1年間で日刊紙と日曜版が増えたのは僅か4カ月だけ、残りの8ヶ月は全て減紙となっている。このため機関紙拡大運動は2度にわたる「手紙」で催促したにもかかわらず、過去1年間の実績は日刊紙6733人減、日曜版3万7631人減、電子版348人増となり、「拡大」はおろか「現状維持」もままならない無残な結果に終わったのである。

 

 前回の第28回党大会(2020年1月)時の党員は27万人余、赤旗読者は100万人だった。党員10万人増、赤旗読者30万人増を目標とする「130%の党づくり」が提起されたのはその時であり、党創立100周年(2022年7月)までが目標期限だった。しかし、志位委員長の幹部会報告(赤旗2023年1月6日)によれば、2023年1月現在の党員現勢は約26万人、3年間で1万人余(年平均3350人余)減少している。この間の入党数は1万1364人(年平均3782人)なので、逆算すると死亡+離党数は2万1000人余(27万人余+1万1346人-26万人、年平均7100人余)となり、すでに入党数の2倍近くに達していた。

 

 党員現勢は、入党数が毎月公表されるだけで死亡数は大会でしか公表されない。また、離党数はこれまで公表されたことがない。唯一の手がかりは、赤旗訃報欄に毎日掲載される死亡数だが、これも死亡数の全てが掲載されるわけではない。第28回党大会における過去3年間(第27回~第28回党大会)の死亡数は1万3823人(年平均4608人)、赤旗掲載数は5257人(年平均1752人、筆者算出)、掲載率は38.0%だった。第28回大会から現在に至る4年間の赤旗掲載数は7442人(年平均1860人、同)、掲載率38.0%とすると、過去4年間の死亡数は1万9584人(7442人×100/38、年平均4896人)となる。この4年間の入党数は1万7128人(年平均4428人)なので、死亡数だけで入党数を上回っている。ちなみに昨年大晦日では15人が一挙に掲載され、その中には志位委員長の母堂(96歳)の名前も含まれていた。亡くなった日は12月26日だったので、27日に帰国した志位氏は母親の死に目に会えなかったことになる。

 

 離党数は公表されていないので、以下の計算式で算出した。2020年1月から2022年12月までの3年間の離党数=27万人余+入党1万1364人-死亡1万4680人(4896人×3)-26万人=6684人余(年平均2228人余)となり、前大会以降の過去4年間の離党数は8912人余(2228人余×4)となる。したがって、2024年1月現在の党員現勢は、27万人余(2020年1月)+入党1万7128人-死亡1万9584人-離党8912人余=25万8632人余となり、4年間で1万1000人余減少することになる。

 

 いずれ詳しい分析を紹介したいと思うが、今回はこの4年間の赤旗掲載数7442人の内訳を概数で示そう。死亡者の基本属性は、(1)性別、(2)死亡年齢、(3)入党年、(4)在住地の4項目である。なお在住地は、①北海道・東北、②関東、③中部、④近畿、⑤西日本に5区分した。

 (1)性別は、男性5105人(68.6%)、女性2337人(31.4%)となり、ほぼ2:1となっている。

 (2)死亡年齢は、69歳未満475人(6.4%)、70歳台2011人(27.0%)、80歳台2994人(40.2%)、90歳以上1962人(26.4%)と80歳以上で3分の2を占める。

(3)入党年は、1959年以前1146人(15.4%)、1960~1979年4434人(59.6%)1980~1999年734人(9.9%)、2000年以降1128人(15.1%)で、60年代から70年代にかけて入党した人が6割を占める。しかし、2000年以降が15%を占めていることは、党員拡大の穴埋めとして活動家の近親高齢者が入党対象者になったことを窺わせる。

 (4)在住地は、北海道・東北1090人(14.6%)、関東2511人(33.7%)、中部1074人(14.4%)、近畿1661人(22.3%)、西日本1106人(14.9%)で、関東と近畿で過半数を占める。

 

 第29回党大会では東南アジア3カ国歴訪の緊急報告もさることながら、この4年間の党勢拡大運動の総活が真正面から問われることになる。志位委員長は、例によって「政策は間違っていなかったが、自力(党員の頑張り)が足りなかったので、党勢が後退した」というだろう。だが、こんな方便はもはや通用しない(もし通用するなら、共産党は支持者はもとより国民全体から見捨てられるだろう)。政治家は出処進退の見極めが大切である。志位氏が道を誤らないことを祈るばかりである。(つづく)

「前原新党」は政界再編の波に乗れるか藻屑と消えるか、2024年京都市長選挙にみる政治構造の変化(下)、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その12)、岸田内閣と野党共闘(77)

 岸田首相の「安倍派一掃人事」から1週間余り、各紙の紙面には岸田政権への「ダメ出し」が目立つ。手元にある新聞スクラップ(12月分)の見出しを拾ってみても、容赦ない言葉が並ぶ。

 〇「首相火だるま、見限る自民」(朝日新聞、14日)

    〇「裏金疑惑と岸田首相、これでは国政任せられぬ」(毎日社説、同)

 〇「安倍派の4閣僚交代、小手先では不信拭えない」(毎日社説、15日)

 〇「岸田政権と政治の危機、進退かけ信頼回復を果たせ」(朝日社説、同)

 〇「岸田首相『3年目の蹉跌』」(日経新聞、18日)

 〇「『危険水域』首相焦り、裏金疑惑直撃 打開策なく」(京都新聞、同)

 〇「裏金不信 首相へ 自民へ、支持下落底なし 焦る議員」(朝日新聞、19日)

 〇「裏金解明へ本丸捜索、検察『派閥システムを摘発する』」(朝日新聞、20日)

 〇「派閥事務所を捜索、『裏金システム』の解明を」(毎日社説、20日)などなど。

 

 それもそのはず、各紙調査はいずれも記録的な「内閣支持率の下落」と「不支持率の上昇」を叩き出している。東京地検特捜部の捜索が始まる前の段階でこれだけ世論が沸騰するのは、安倍元首相による政治私物化(森友学園・加計学園問題、桜を見る会など)に対する国民の怒りが溜まりに溜まっているからだ。それが今回の政治資金の裏金疑惑と重なって爆発し、もはや「手の付けられない」状態になっているのである。先日も京都の口さがない連中が集まって放談会を開いたが、この騒動は「火元が焼け尽きるまで収まらないだろう」というのが皆の一致した意見だった。

 

 「火元が焼け尽きる」とはどういうことか。「政治とカネ」に絡まる裏金疑惑が安倍派はもとより自民党そのものの金権体質に根ざしている以上、そこへのメスが入らない限り事態は収まらないということだ。自民党自身による自浄作用が期待できないもとでは、〝政治資金透明化〟を争点とする総選挙によって政権交代を実現し、新政権の下で新しいシステムを構築する以外に方法がない。野党各党はこの1点で団結して自公政権を打倒する方策を見つけ出さなければならないし、そうしなければ国民の政治不信が頂点に達し、トランプのようなポピュリスト政治家が出てこないとも限らない。

 

 前回の拙ブログでも言及したように、今回の世論調査の顕著な特徴は、内閣支持率と自民支持率がリンクして共に急落していることだ。各社の調査結果は実施時期によって若干の違いはあるが、1カ月前と比べて(読売新聞を除き)自民支持率が大きく低下している点ではいずれも共通している。その結果、自民支持率は時事通信と毎日新聞では1割台、日経新聞(3割)を除く各社では全て2割台に落ち込んでいる。このまま自民党が手をこまねいていると、来年1月時点ではさらなる低下を免れず、軒並み1割台に転落する可能性も否定できない。以下は、各社の12月調査の結果である(カッコ内は11月調査との差)。

 〇NHK(8~10日)29.5%(-8.2)〇産経新聞(9~10日)27.3%(-1.7)

 〇時事通信(8~11日)18.3%(-0.8)〇日経新聞(15~16日)30%(-4)

 〇読売新聞(15~17日)28%(±0)〇毎日新聞(16~17日)17%(-7)

 〇共同通信(16~17日)26.0%(-8.1)〇朝日新聞(16~17日)23%(-4)

 

 問題は野党支持率の低迷だ。「野党」と言えるかどうかは別にして、維新は万博費用の果てしない膨張で国民の顰蹙(ひんしゅく)を買い、かってのような勢いがなくなってきている(維新王国の大阪でもその声が次第に大きくなりつつある)。立憲民主は野党第1党でありながら、泉代表の行き当たりばったりの迷走でいっこうに人気が出ない。これをカバーするには明確な争点を掲げた「野党共闘」しかないが、政治資金透明化を軸とする〝選挙管理内閣〟でも立ち上げない限り、この難関を突破する道は見えてこないだろう。

 

 野党共闘不発の震源地は〝京都〟にある。前原氏が掲げる「非自民・非共産」の旗印は、京都では「(非)非自民・非共産」だと受け取られている。立憲民主党代表の泉健太氏、元立憲民主党幹事長の福山哲郎氏、前国民民主党代表代行の前原誠司氏はいずれも名だたる「非共産」の闘士であり、国政では名ばかりの野党共闘は否定しないが、京都では共産と絶対に手を組もうとしない。京都府政・京都市政の与党でいることが彼らの至上命題である以上、自民・公明と手を組む「非共産・オール与党体制」は必要不可欠の条件であり、そのためには如何なる妥協も厭わないことが行動原理になっているからである。

 

 そんな政治風土の中で育ってきた前原氏が、なぜいま「前原新党」を立ち上げるのか。前原氏の政治プライドはきわめて高く、「トップでいなければ我慢できない人物」と言われている。かって民進党代表に選ばれたときは、神津連合会長の采配で小池東京都知事と結託して「希望の党」を立ち上げ、自公政権に代わる「第2保守党」の樹立を目指した。それが惨めな失敗に終わって後は、国民民主党代表の座を玉木雄一郎氏に奪われ、現在まで悶々とした日々を過ごしてきたが、いつかどこかで国政政党の党首に返り咲きたいという野望を捨てることはなかった。

 

 その野望が、今年4月の統一地方選での維新の躍進を目の当たりにして「火が着いた」というわけだ。前原氏は、京都市議会(67議席)で第1会派の自民党(19議席)に次ぐ第2会派の維新・国民民主・地域政党「京都党」の3党による合同会派(18議席)を立ち上げ、京都市長選での候補者擁立に向けて着々と準備を整えてきた。そして11月28日には、京都党元党首の村山祥栄氏(45)を統一候補に担いて「オール与党体制」から離脱し「3極対決」に持ち込んだのである。また、自らは国民民主党代表代行および京都府連会長の要職にありながら、2日後の11月30日には「前原新党」(教育無償化を実現する会)の結成を突如表明するという行動に出た。いずれは維新との合流を予定しての旗揚げであろうが、その変幻自在の「変わり身」の速さには驚くほかない。

 

これまで京都府知事選・京都市長選はすべて「非共産対共産」の2極対決だった。共産は府議会・市議会で自民に次ぐ第2会派の勢力を占め、保守陣営が確実に勝利を手にするためには立憲民主や国民民主を巻き込まなければならない手強い相手だった。しかし、共産が党勢の衰えから2021年総選挙、22年参院選、23年統一地方選で後退を重ねるに及んで「非共産対共産」の構図が崩れ、前原氏が策動するスペースが生まれたのである。これまで共産は「2極対決」の中では苦戦を強いられてきたものの、「オール与党体制」に反発する広範な批判票を獲得することができた。それが圧倒的な基礎体力の差がありながら、共産が善戦してきた背景となっている。ところが「3極対決」となると「オール与党体制」に対する批判票が分散するため、前原氏の動きは非共産陣営だけではなく、共産陣営にとっても大きな影響を与えることになる。次期京都市長選をめぐる新しい政治構図はこれまでにない変化をもたらすだろうし、それがまた中央政界に跳ね返って「前原新党」の行方にも大きな影響を与えることが予想される。

 

 こうした複雑な政治構図の中で、2018年知事選、2020年京都市長選に共産陣営から連続して立候補した福山和人氏(弁護士)は、次期京都市長選の立候補記者会見(9月8日)で意外な行動に出た。翌日の京都新聞は「共産色薄め 候補者主導」との見出しで、この模様を以下のように伝えている(要約)。

 ――弁護士の福山和人氏(62)が9月8日、2020年の前回選に引き続き京都市長選への挑戦を表明した。2018年の京都府知事選を含め、首長選への立候補は3度目となる。知事選、市長選では共産党推薦で戦ったが、今回は「『非共産対共産』の不毛な構図に終止符を打ちたい」と述べ、共産色を薄める狙いが垣間見える。両選挙とも接戦に持ち込めず敗北を喫し、「候補者主導」に寄り舵を切った形だ。

 ――「来るもの拒まず。幅広い政党や団体、個人から支援を呼びかけたい」。共産党関係者を含む支援者に囲まれてマイクを握った4年前の出馬会見から一転、この日の会見は福山氏一人で応じた。支援者は「候補者が先頭に立つことで、共産や一部の支援者が候補者決めているというイメージを払拭したい」と狙いを語る。背景には、前回市長選では「政策論争ではなく、京都独特の政党間対立の構図にのみこまれた」との反省がある。そこで今回は「福山個人」を徹底的に前面に出す戦略に切り替えた。支援者の一人は「共産推薦を強調すると投票しない人もいる。推薦ではない形での支援の在り方も模索してほしい」と望む。

 

 10月31日、福山氏の京都市長選挙確認団体である「つなぐ京都2024」が発足し、選挙戦の火蓋が切られた。福山氏は、政治は市民がつくるものだとして「無所属市民派として政党の推薦を受けずにたたかう」と表明。同時に「政党の党員や支持者の方々が市民として応援していただくことは大歓迎だし、応援していただけるものと信頼している」と述べた。これを受けて共産党渡辺府委員長は11月1日、「『つなぐ京都2024』発足と福山和人氏の会見を受けて」との声明を発表した(赤旗、11月2,3日、要約)。

 ――前回京都市長選挙以来、政党支持の違いを超えて多くの市民のみなさんが「つなぐ京都交流ひろば」に集い、市政を巡るさまざまな議論や交流を重ね、運動に取り組んでこられた。昨日の会見で、福山和人氏は「①市長は政党ではなく、市民の代表。市民が政治をつくる。②市長は全ての市民の代表である」との見地で、今回は政党推薦を受けずに無所属・市民派としてたたかうとの「京都市長選に臨む基本的立場」表明された。さらに「現市政のすべてを否定する立場ではない」としつつも、「特に問題なのは、子育ての貧困さ」と指摘し、「行財政改革」と称して強行した数々の施策の見直しを市民目線でおこなうと表明された。福山氏の掲げる政策は、日本共産党がこれまで広い市民のみなさんとともに運動に取り組み、実現をめざしてきたものと多くの点で一致する。日本共産党は、福山氏の決意と政策を支持し、表明された「基本的立場」を尊重して、今回は党としての「推薦」の機関決定を行わずに選挙戦に臨むことを決定した。

 ――渡辺府委員長の記者会見では、記者団から「これまでの選挙戦とどう変わるのか、後ろに引くのか」といった質問が出た。これに対して渡辺氏は、日本共産党も加わる「民主市政の会」がすでに福山氏の推薦を決定していることを挙げ、「自民党が割れるなどオール与党体制が崩壊したもとでの選挙であり、幅広い市民と力を合わせて勝利へ頑張りたい」と述べた。

 

 福山氏が共産の推薦を受けずに「市民派候補」「候補者主導」の立場を強調したのは、その背景に共産を取り巻く市民の目が一段と厳しくなってきていることがある。2021年総選挙では(京都1区での票欲しさに)政策協定も選挙協定も結ばないまま泉健太氏が立候補する京都3区で独自候補を降ろし、党員や支持者に泉氏への投票を呼び掛けた。結果は、泉氏は楽勝したものの「野党共闘」には見向きもせず、立憲民主の「共産離れ」を加速しただけだった。

 

 もう一つは、言わずと知れた志位委員長の党運営に異議を唱えた京都ゆかりの党員2人に対する除名処分の影響である。京都ではこの除名処分の強行によって多くの支持者が共産を離れ、23年統一地方選敗北の原因になったと言われている。ましてや、党派選挙ではない首長選挙においては無党派層の投票行動が勝敗を左右する以上、「共産推薦」はマイナス要因でしかない。渡辺府委員長は全力を挙げて福山氏を応援すると表明しているが、組織的に機関決定を見送ったのはそのためである。

 

 松井氏の選挙母体である「オール与党体制」にもひび割れが生じている。非共産陣営の主軸となる自民党の中から若手府議が出馬表明(9月7日)し、自民を離党して独自で市長選をたたかうことを表明した(10月30日)。これには数人の自民府議が行動をともにし、関係する元国会議員も離党届(11月9日)を出すなど、波紋が広がっている。影響は府議会だけではなく、元自民党市議団長を務めた重鎮の京都市議が離党届(11月17日)を出すなど、市議会にも広がってきている(京都民報、12月3日)。政党間の合従連合による「非共産対共産」の仕組みが制度疲労を見せ、両陣営ともに「市民派・市民主導」を表看板にした新しい動きが胎動しているのである。

 

 通常なら、従来からの「オール与党体制」をバックにした松井陣営の優勢は動かない。しかし、今回の京都市長選が注目されるのは、中央政界での自民党派閥の裏金疑惑の広がりが岸田政権を直撃し、野党各党の行動如何では政界再編につながる事態に発展することも十分に予想されるからである。このとき「与野党相乗り」の松井陣営はまた裂き状態に陥り、とりわけ立憲民主党が批判の矢面に曝されることは間違いない。立憲民主代表の泉健太氏をはじめ府連会長の福山哲郎氏など党幹部は、いったい如何なる口実でこの事態を切り抜けようとするのであろうか。

 

 「オール与党体制」が崩壊し立憲民主に批判が集まると、「前原新党」の前途は開けるであろうか。これは維新がどのような立ち位置を取るかで決まるが、「維新の喉に刺さった骨」といわれる万博費用の膨張が維新の「命取り」になる可能性も否定できない。政府は19日、2025年大阪・関西万博関連の全体費用を公表したが、万博に直接かかる費用は国費だけで1647億円。これに会場整備以外の「会場周辺のインフラ整備」810億円と「会場へのアクセス向上」7580億円を加えると、国費は計8390億円に膨張することがわかった(毎日新聞、12月20日)。また、16,17日実施の毎日世論調査では、「大阪・関西万博の入場チケットの販売が始まりました。チケットを購入したいと思いますか」との質問に対して、「購入したいと思う」10%、「購入したいと思わない」79%だった。維新支持層も7割強が「購入したいと思わない」と回答している。

 

 おそらく日が経つにつれて、万博費用の底抜けの膨張は大阪府政・大阪市政の財政を苦しめる元凶となり、「身を切る改革」の維新の喉元を脅かす存在になっていくだろう。急成長した政党は没落も早い。すでに維新支持率はピークを過ぎて下降傾向を示しており、「大阪万博とともに去りぬ」といったことにもなりかねない。各社の12月世論調査における立憲支持率と維新支持率の数字を前月比で示そう。カッコ内数字は11月調査との差である。

 〇NHK、立憲7.4%(+2.7)、維新4.0%(±0)

 〇産経新聞、立憲7.6%(+1.3)、維新7.9%(+1.3)

 〇時事通信、立憲4.4%(+1.7)、維新3.2%(-1.4)

 〇日経新聞、立憲8.0%(-1.3)、維新8.0%(-1.3)

 〇読売新聞、立憲5%(±0)、維新5%(-2)

 〇毎日新聞、立憲14%(+5)、維新13%(-1)

 〇共同通信、立憲9.3%(±0)、維新12.0%(+2.7)

 〇朝日新聞、立憲5%(±0)、維新4%(-1)

 

 最後に、京都市長選における福山和人氏の基本的立場と共産の多数者革命論の関係を見よう。これまで京都では「非共産対共産」の政治構図の中で共産の立場は比較的明確だった。「どんな困難にも負けない不屈性、科学の力で先ざきを明らかにする先見性を発揮して、国民の自覚と成長を推進し、支配勢力の妨害や抵抗とたたかい、革命の事業に多数者を結集する」(赤旗、12月10日、「志位委員長大いに語る」、若者ミーティング)というものである。しかし、福山氏は、政治は市民がつくるものだとして「無所属市民派として政党の推薦を受けずにたたかう」と表明し、「政党の党員や支持者の方々が市民として応援していただく」と言明している。このとき、政党と市民はいったいどのような位置関係に立つのだろうか。市民に「民主集中制」を押し付けることはできない以上、党員が「市民」として行動するのであれば、多様な議論の存在を容認し、意見の一致点を粘り強く追求する以外に方法がない。京都市長選は、共産党の「民主集中制」の存在意義を問うものとなり、やがてはそれを克服していく第一歩となるだろう。(つづく)

 

 みなさま、今年も押し詰まりました。良いお年をお迎えください。広原 拝

非共産対共産の「2極構図」が崩れ、維新・前原新党が加わった「3極選挙」時代が始まった、2024年京都市長選挙にみる政治構造の変化(上)、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その11)、岸田内閣と野党共闘(76)

 1カ月前には予想もつかなかった〝政局の嵐〟が政界を直撃している。自民党派閥の政治資金パーティー収入の裏金疑惑を受け、岸田首相は12月14日、松野官房長官、西村経済産業相、鈴木総務相、宮下農水相の4閣僚(いずれも安倍派)を交代(更迭)させ、後任人事を決定した。この日、萩生田政調会長、高木国対委員長、世耕自民党参院幹事長も辞表を提出し、これで岸田政権を事実上牛耳ってきた「安倍派5人衆」が全て主要ポストを離れることになった。岸田首相は「自力」で政権運営を担わざるを得なくなったのである。

 

 しかし、主要ポストからの「安倍派一掃」が政権浮揚につながるかといえば、さにあらず。時事通信が12月8~11日実施、14日公表の12月世論調査(自動音声電話による調査ではなく、個別面接方式による調査で信頼度が高いとされる)によると、内閣支持率は前月比4.2ポイント減の17.1%となり、2012年12月の自民党政権復帰後の調査で最低を記録し、初めて1割台に落ち込んだ。支持率が2割を下回るのは、民主党政権が誕生する直前に調査した2009年9月の麻生内閣(13.4%)以来のことだ。

 

今回の世論調査で注目されるのは、内閣支持率と連動して自民支持率が前回11月調査(19.1%)に引き続き2割台(18.3%)を割ったことだ。「保守岩盤層」といわれる固い支持層に支えられ、昨年までは常に3割台をキープしていた自民支持率が1割台に落ち込んだことは、岸田内閣だけではなく自民党そのものに国民の不信感が突き付けられていることを示している。今後、東京地検特捜部による裏金疑惑の捜査が進展すれば、政権政党としての自民党の正統性が失われる事態も想定される。

 

 時事調査は、岸田首相が閣僚人事(12月14日)を行っていなかった時点のものだったが、12月16、17日に実施された毎日新聞調査(17日速報)は、世論が「安倍派一掃人事」をどう受け止めたかを判断する上での重要材料となる。岸田内閣の支持率は、11月18、19日実施の前回調査(21%)より5ポイント減の16%で、内閣発足以来最低を2カ月連続で更新した。不支持率は前回調査(74%)より5ポイント増の79%だった。支持率が20%を下回るのは、菅直人政権下だった2011年8月(15%)以来のこと。不支持率79%は、毎日新聞が世論調査で内閣支持率を初めて質問した1947年7月以来、最も高い値となった。岸田内閣は有権者の8割から「ノ―」を突き付けられ、もはや死に体同然の〝末期政権〟だといっても過言ではない。

 

 中央政局の大混乱は地方にも波及する。とりわけ「政争の巷」と言われる京都政界では、すでに10月段階からその動きが加速していた。2024年2月4日投開票の京都市長選挙を目前にして政党間の駆け引きが激化し、さらには国民民主党代表代行の前原誠司氏が突如「前原新党」の立ち上げを表明するなど、京都政界はいまや政争の渦中にある。地元紙・京都新聞の記事を中心にその経緯を追ってみよう。

 

 〇10月11日

大学教授・経営者・医師などからなる市民有志19人が「文化首都京都の市長候補を京都市民で考える会」(以下「考える会」という)を立ち上げ、「私達の考える市長像・要件」「私達の考える市長としての基本姿勢」「私達の考える京都市財政のあり方」「私達の考える市民サービスのあり方」の4項目からなる提言を発表した。世話人の1人である同志社大学の村田晃嗣教授は、11日の記者会見で「政党が中心となって市長を選ぶのではなく、市民の意見や議論を反映する機会がほしい」と説明した。今後は提言内容に賛同する候補者からの連絡を待ち、会で議論をした上で支援するかどうかを決定するという。

 

しかし「考える会」は市民有志で立ち上げたものなどと表向き説明しているが、それは真っ赤なウソで「考える会」は自民主演の茶番劇の単なるお飾り(前座)にすぎない。「考える会」の相談役には京都政界の重鎮の伊吹文明氏(元衆院議長)が就任し、オブザーバーに自民・立憲民主・公明3党の国会議員らが居並んでいるなど、実態は「オール与党体制=長年にわたって京都府市政を支配してきた政財官利益共同体」そのものなのである。この「オール与党体制」を今後も維持するため、今回も共産を除く自民・公明・立憲民主など各政党と連合など労働組織が結託し、経済界が全面的に支援して市長選挙体制が立ち上げられたのである(茶番劇の前座となった大学教授をはじめ市民有志は恥ずかしくないのだろうか)。

 

〇10月16日

準備万端を整えていた自民党京都府連の西田昌司会長(参院議員)は待っていたとばかり、直ちに「文化首都京都の市長候補を京都市民で考える会」が提言に盛り込んだ市長の要件に全面的に賛同する考えを表明した。市内で記者会見した西田会長は、国民民主の前原誠司府連会長について「国政では対峙してきたが、地方行政では大きな対立はない。(前原氏が賛同すれば)同じ候補者を推薦できるのではないか」と語った。一方、維新に対しては「維新が掲げる身を切る改革や財政再建には賛同できない」として距離を置いた。このことは、維新との関係でとかく怪しげな動きをしている前原氏を「オール与党体制」に組み込むため、「考える会」をクッションにして接近を図ったことを窺わせる。京都市議会は67議席の定数のうち、第1会派の自民党が19議席、日本維新の会と国民民主党、地域政党「京都党」の3党による合同会派が18議席、共産党が14議席と勢力が拮抗している。

 

 「考える会」の提言は、市長像とその要件に「市民の心根を理解できる、京都に地縁・血縁のある人」を第1項目に上げ、「健康と3期務めうる年齢」「府市協調できる人物」「中央との人脈・折衝能力」などをきわめて具体的な条件を挙げている。「京都に地縁・血縁のある人」といった、まるで江戸時代を思わせるような排外主義的要件を掲げているのは、大阪を地盤とする維新を意識してのことであろうが、それにしても近代都市京都の市民有志がこんな前近代的候補者要件を第1項目に据えるとは「世も末」と言うほかないだろう。

 

 〇11月4日

 元内閣官房副長官の松井孝治氏(63)が京都市長選への立候補を表明した。松井氏の隣には「考える会」の世話人4人がずらりと並んだ。同会は直前に会合を開き、松井氏と意見交換を行った上で推薦を決めたという。松井氏は「事前に推薦いただけるかは分からなかった」と述べ、同会の推薦が最終的な決め手になったと強調した。松井氏は中京区の旅館経営者の次男として生まれ、通産省(現経済産業省)官僚や民主党参院議員(京都選挙区、2期)を務めた。政治経験や中央省庁を含む幅広い人脈に期待する声は大きく、自民内で推挙する声は早くから上がっていたが推薦が遅れたのは、4月の京都市議選で維新が躍進したことから「自民単独で候補者を決めることはできない」(西田府連会長)との危機感があったからだとされる。

 

 西田氏に代わって動いたのは、引退後も京都政界の重鎮として影響力を持つ伊吹文明元衆院議長だ。同氏は「考える会」を立ち上げ、松井氏を想定した望ましい市長像の提言をまとめるシナリオを描いた。提言が発表されると、自民、立憲民主、公明の国会議員らが予定通り次々に賛同を表明し、西田府連会長が「原点に戻って市民の意見が積み上られた」(16日記者会見)と意義を強調するなど、まるで室町時代の狂言そのままに一連の茶番劇(出来レース)が演出された。「京都らしい」と言えばそれまでだが、狂言は舞台の上で観るもので市民政治の現場での見世物ではあるまい。

 

 「考える会」の立ち上げには、松井氏と親交の深い国民民主党府連会長の前原氏を引き込む狙いもあったとされる。前原氏が「自公と対峙する形でやりたい」として維新らと統一候補擁立を模索しているが、「『自公に乗れない』と言ってきた前原さんも市民主導で松井氏を擁立するなら乗りやすい」(自民府連幹部)との見方があり、「考える会」が立ち上げられたという。これを「市民主導」などとはよく言ったものだが、京都ではいまや市民も一筋縄ではなく様々な政治潮流に分派しており、そのうちに「市民…派」と名乗る時代がくるかもしれない。

 

 だが、前原氏の視線は京都市長選といったローカルな政治イッシューには向けられていないようだ。松井氏の立候補表明から翌々日の11月6日朝、前原氏は報道陣に「松井さんを応援することにはならない」と明言し、維新と連携する方向に明確に舵を切った。同氏はまた「野党第1党の党首(泉健太氏)のお膝元で、自民、公明と組むのは理解できない」として国政与野党相乗りを決めた立憲民主を批判した。これに対して福山哲郎立憲民主府連会長は、これまでの京都市長選、府知事選で前原氏の国民民主も自公と一緒に現職を支援してきた経緯を指摘し、「なぜ心変わりしたのか」と反論する。「前原さんの盟友である松井さんが市政のために力を尽くしたいと言っている。一緒にやってきた仲間なのに(前原氏の)話は理解しにくい」と語り、泉氏への批判に対しても「民主、民進党の大幹部もされていたのに、泉代表に対する批判は理解しにくい」と苦言を呈した。

 

 ことほど左様に、京都政界はいま市長選を目前にして混乱の極にある。長年続いてきた府市協調の「オール与党体制」の中に亀裂が入り、中央政界の混乱と連動してそれが次第に拡大しつつある。来年1月にあるかもしれない次期総選挙で自公政権と立憲民主が決定的に対立すれば、福山立憲民主府連会長が言うような「これまで一緒にやってきたから」といった子供だましの言い草が吹っ飛ぶことは確実だろう。そのとき京都市長選にどんな変化が生じるのかはだれも予測できない。次回はその発生源である「前原新党」の行方を考える。(つづく)

「政治資金収支報告」に見る党勢の消長、党費・赤旗購読料・個人寄付の縮小による「20世紀成長型モデル」の破綻、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その10)、岸田内閣と野党共闘(75)

 2023年11月24日、総務省から「2022年政治資金収支報告」が公表された。翌25日の赤旗には、日本共産党中央委員会(党中央)の政治資金収支報告概要が掲載され、財務・業務委員会の岩井鐵也責任者の談話が発表された。その中で私が注目したのは、次の4点である。

 第1は、収入総額(前年比94.7%)、支出総額(前年比96.3%)がともに数パーセント前後縮小したことである。このことは、資金面から見て党活動が総体的に後退していることを意味する。また収支差引で3億円を超える赤字が計上されたことは、財政状況が急速に悪化していることをうかがわせる。共産党の資金三本柱である党費(前年比94.9%)、機関紙誌収入(赤旗購読料など、前年比98.1%)、寄付(前年比39.7%)が全て縮小していることは、党勢が構造的に衰退しつつあることを示すものといえよう。

 第2は、収入と支出の太宗を占める機関紙誌収入が目減り(前年比98.1%)しているにもかかわらず、支出は逆に増加(前年比103.1%)していることである。このことは、機関紙誌事業の収支採算が極度に悪化していることを示しており、党全体の財政危機につながる可能性が大きいと言わなければならない。

 第3は、党中央の経常経費の縮小幅(前年比95.7%)に比べて、地方党機関交付金の縮小幅(前年比79.8%)が大きいことである。このことは、党中央よりも地方機関への資金減のシワヨセが大きく、地方の党活動が資金面(2割カット)で困難な事態に直面していることを想起させる。

 第4は、党中央を含めて全国の地方機関に寄せられる寄付を総合計すると、毎年約80億円に上ることが談話の中で明らかにされたことである。このことは、党中央への寄付が「前年比40%」に落ち込んだ不安を打ち消すために言及されたのであろうが、「中央委員会の2022年の個人寄付は前年より減っていますが、これは亡くなられた党員・支持者からの遺贈が多い年と少ない年があるためです」との説明は、却って個人寄付の不安定さを示すものとなっている。

 

 共産党の財政状況については、ホームページに「日本共産党の財政」として過去26年度分の政治資金収支報告(1995~2022年度)が公表されている。その中で一番古い1995年度の収支報告(志位書記局長就任から5年目、党員36万人、赤旗読者250万人)をみると、上田均財務・業務局長の次のような説明がある(要約)。

 ――日本共産党の政治資金は、憲法違反の政党助成金とも金権腐敗のおおもとである企業・団体献金ともまったく無縁です。日本共産党の政治資金は、党を構成している党員の党費、日本共産党が発行している新聞「赤旗」(機関紙)、週刊・月刊紙誌等の事業収入、党の支持者などから寄せられる個人寄付という3つの収入を財源の原則にしています。

 ――中央委員会の収支についていえば、収支全体のなかで機関紙誌等の事業活動の収入と支出が圧倒的に大きい比率を占めています。全国的には全党組織の資金を総合計すると、党費、機関紙、個人寄付はそれぞれほぼ3分の1ずつを占めていますが、中央についていえば「赤旗」など機関紙誌の発行元として事業収入と事業経費が多くなるのは当然だということです。

 ――日本共産党の収入は311億円となっており、各党の「報告」のなかでは1位です。しかし中央委員会の収入の圧倒的部分(89.4%)が機関紙誌の事業収入です。これは日本共産党が近代的組織政党にふさわしく機関紙中心の党活動を他党にくらべて抜群に発展させてきたことを示すものであり、「収入」とは「利益」ではなく、一般の事業でいう売り上げにあたるものです。事業経費を差し引いた「実質収入」は、政治資金収支報告での収入額の3割弱の88億円となり、自民党229億円、新進党135億円よりはるかに少なく、社民党83億円とほぼ同じくらいです。

 

 この説明から推察すると、1995年度の実質的な機関紙誌収益は55.4億円(収入278億円-支出222.6億円、全党資金の3分の1)なので、党費は機関紙誌収入と同じく55億円程度(党員36万人、1人当たり年1万5千円)、個人寄付も同じく55億円程度となり、資金総計は165億円と考えられる。ここから党中央の88億円(53%)を差し引くと、地方機関の資金は77億円(47%)となる。また、帳簿上の党中央の収入は311億円、支出は306.4億円で4.6億円の黒字となり、繰越金は69.4億円に達している。1990年代の党財政は、潤沢な機関紙誌事業の収益に支えられて繰越金を積み増すなど、順調に推移していたと言える。

 

 共産党の政治資金収支報告は、党本部ビル建設や赤旗印刷のカラー化などの新規投資によって大きく変動するが、それらの影響を除いた通常年度の党費・機関紙誌収入・個人寄付の推移を辿ってみると、その消長がよくわかる。本部ビル建設(2005年1月竣工)が終り、財政状況が通常に戻った2008年度(党員40万人、赤旗読者150万人)と1995年度(同36万人、250万人)を比較すると、この14年間に財政状況が大きく変貌していることに気付く。以下は、その概要である。

第1は、2008年度の収入総額は249億6100万円(1995年度比80.2%)、支出総額は250億875万円(同81.6%)、収支差引は4775万円の赤字、繰越金は22億2860万円(同32.8%)となり、収支は2割減、繰越金は7割減と大きく縮小していることである。これは、収入総額の86%を占める機関紙誌収入の減少が大きく影響している。

第2は、党員が40万人と1995年度から見かけ上増加(1割増)しているにもかかわらず、党費9億1603万円(1995年度比68.2%)、機関紙誌収入215億5847万円(同77.6%)が3割前後も減少していることである。これは、無理な党勢拡大運動の結果、当時から「実態のない党員」(いわゆる幽霊党員)が多数存在しており、それが党員数と党費・機関紙誌収入との大きな乖離をもたらしていたと考えられる(2014年には党員40.5万人のうち4分の1にあたる10万人が「実態のない党員」として整理され、30.5万人に修正された)。

 第3は、機関紙誌収入が大きく減少(1995年度比▲62億3716万円)しているにもかかわらず、同支出がそれ以上に減少(同▲68億5555万円)しており、収益が61億4933万円(同△13億2461万円)に増加していることである。これがどのような原因(例えば印刷費の大幅合理化など)によるものかわからないが、機関紙誌収益が経常経費やその他の政治活動費を支える重要な資金源であるだけに、この段階ではまだ、機関紙誌収益の縮小が党機関や党活動の存続の危機に直結していなかったのであろう。

 

次に、2008年度から2022年度に至る14年間の変化を見よう。この間の変化は前半の14年間よりもさらに厳しいものとなっている。

第1は、党員と赤旗読者の減少が依然として止まらず、2022年度は収入総額190億9543万円(2008年度比76.5%)、支出総額194億6019万円(同77.8%)、収支差引3億2802万円の赤字、繰越金11億13万円(同49.3%)と財務諸表の全てが縮小していることである。この結果、収支は4分の1減、繰越金は半減し、党勢の衰退傾向はいまや動かしがたいものになっている。とりわけ、赤字が3億円を超えたことが注目される。

第2は、党財政の基盤である機関紙誌収入が166億5329万円(2008年度比77.2%)に落ち込み、機関紙誌収益が43億7070万円(2008年度比71.2%)に縮小したことである。党費も5億1435万円(同56.1%)と大きく減少し、党員減に比べてさらに落ち込みが激しい。これは、党員数の減少に加えて党員の高齢化が進み、党費減免対象者である低収入・年金生活者が増えたことによるものであろう。

第3は、機関紙誌収益と党費の縮小にともない、党中央の経常経費(2008年度比80.4%)と地方党機関交付金(同69.8%)が削減され、党活動の困難さが増していることである。全党で年間80億円に上る寄付がこれらの収入減をどれだけカバーしているかはわからないが、党専従者の生活支援募金の呼びかけが年々増えているところをみると、党組織の維持が「危機レベル」に達していることがうかがわれる。また、機関紙誌支出(同79.8%)も縮小していることから、赤旗の編集・印刷にも無視できない支障が生じていると聞く。最近、「赤旗記者」の募集広告を頻繁に見かけるのは、記者の早期退職が相次いでいるからであろう。

 

 こうした状況を反映してか、2010年代末から2020年代初頭にかけて党財務・業務委員会責任者から悲痛な訴えが連続して出されるようになった。例えば、「しんぶん赤旗と党の財政を守るために」(赤旗2019年8月29日)、「しんぶん赤旗を守り党の財政と機構を守るために心から訴えます」(同2021年12月22日)、「財政の現状打開のために緊急に訴えます」(同2023年6月9日)などである。訴えの趣旨は、(1)2019年8月に赤旗読者が100万人を切った、(2)日刊紙の減紙で赤字がさらに増え、安定的な発行を続けることが困難な状況になっている、(3)日曜版の大きな減紙は機関紙誌事業の収入減につながり、日曜版収入でようやく支えている日刊紙の発行を困難にし、党中央財政と地方党組織財政の危機を招き、日常活動と体制維持を困難にしている、(4)しんぶん赤旗の危機は党財政の困難の増大そのものであり、危機打開のためには赤旗拡大を前進させる以外に道はない――というものである。

 

だが、赤旗読者はその後も減り続けて85万人にまで落ち込み、来年1月に開催される第29回党大会を目前にした現在においてもいまだ回復の兆しは見えない。「民主集中制」に基づく党運営は必然的に党中央組織の肥大化をもたらし、それを支える財政基盤を確立するための党勢拡大運動はいまや破綻寸前となっている。戦後における経済成長と人口増加にともなって形成された共産党の「20世紀成長型モデル」は、経済停滞と人口減少を迎えた今、次の「持続可能型モデル」への転換を求められている。次期党大会において如何なる議論が展開されるのか、その行方を注目したい。(つづく)

〝人口減少問題〟にまったく触れない決議案の不思議、第29回党大会決議案を読んで(2)、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その9)、岸田内閣と野党共闘(74)

 最近の赤旗広告欄で頻繁に目に付くのは、友寄英隆著『人口減少社会とマルクス経済学』(新日本出版社、2023年10月刊)の広告だ。友寄氏は共産党中央委員、赤旗編集委員、同経済部長、月刊誌『経済』編集長などを歴任した多数の著書を持つ共産党の理論家である。同氏は『人口減少社会とは何か』(学習の友社、2017年)を皮切りに数々の人口問題に関する論考を発表してきたが、今回の著書はその集大成ともいえるもので、マルクス経済学の立場から人口問題にアプローチした労作といえる。「はじめに」の中には、同氏の問題意識が次のように記されている(抜粋)。

 ――そもそも人口問題は、人間の生命の生産と再生産に関わると同時に、人間社会の生成・発展・没落の展開と深く絡み合っている問題である。それは、個々の人間の生き方、家族形成と子孫継承のあり方と同時に、人類の社会発展と文明の消長にも深く関わっている。科学的社会主義の基礎である唯物史観は、人類社会の発展の法則を人類そのものの生産と再生産、人間存在の物質的条件(生活手段・生産手段)という二つの問題を基礎に据えてとらえる歴史観、世界観である。唯物史観の前提が「人間」であり、人間相互間の社会的関係としての「人間社会」であることから、人口問題の探求は、唯物史観の探求と深く関わっている。

 ――しかし、従来の唯物史観のとらえかたは、社会発展の法則についての側面だけに注目して、その根底にある人間の生産と再生産の問題、人口問題への目配りが欠けていたのではないだろうか。言い換えれば、唯物史観の基礎としての人口問題の探求が欠落していたのではないだろうか。

 ――少子化・人口減少問題は、様々な国家政策を左右する重要な要因となっている。年金、医療、保育、介護などの社会保障政策はもちろん、税制、労働政策、産業政策、教育政策などにも大きな影響を持っている。その意味では、人口問題の研究は、階級闘争のための理論的イデオロギー的課題でもある。

 

 すでに、メディアの世界においても「人口減少問題」は一大トピックスと化している。その先頭を切る日本経済新聞は、50人余の取材班を編成して2021年8月から23年4月まで大型連載「人口と世界」を掲載し、今般、加筆・再編成して『人口と世界』(日本経済新聞出版、2023年6月)を刊行した。その問題意識は次のようなものである(はじめに、要約)。

 ――かって人類最大の課題は人口爆発だった。20世紀に人口を4倍に増やした人口爆発。現代文明の基礎となったこの急激な人口増加は、今世紀で終わる。米ワシントン大学によると、世界人口は2064年の97億人がピークで、その後、人類は経験したことのない下り坂を迎える。低迷する出生率、経済成長の停滞、労働者不足、社会保障費の膨張――。人口減少のひずみが世界で噴出し始めた。人類は衰退の道へと迷い込むのか、それとも繁栄を続けられるのか。取材班はこの問いから出発し、取材を始めた。

 ――日本はもはや手遅れなのか。人口減少への対策は長年議論されてきたが、結婚や出産への価値観の変化、仕事と育児の両立の難しさ、上がらない収入など、少子化を招いた社会構造は変わらないままだ。旧弊から脱し、新たなモデルを築かなければ停滞から脱するのは難しい。暗く長いトンネルの向こうに光明を見出せるかどうかは、社会を構成する私たち一人ひとりにかかっている。

 

 かたや共産党の理論家、かたや日本資本主義の「機関紙」ともいうべき日本経済新聞の立場は180度異なるが、「人口減少問題」を現代日本が直面する危機的状況と捉える点では共通している。しかし不思議なのは、友寄書が人口減少社会の状況を「現在の日本の人口減少の状況は『日本社会に非常ベルが鳴っている状態』」と強い警鐘を鳴らしているにもかかわらず、共産党の今回の決議案には不可思議にも「人口減少問題」が完全にネグレクト(無視)され、一言も触れられていないことである。おそらくその原因は、志位委員長が主導した「改定綱領」(2020年)が今回の決議案の台本になっており、改定綱領には「人口減少問題」が一言も触れられていないことと無関係ではないだろう。

 

志位委員長による改定綱領の解説書、『改定綱領が開いた〈新たな視野〉』(新日本出版社、2020年)を読むと、そこでは「中国はもはや社会主義国を目指す国ではない」とする綱領上の規定の見直しによって、「世界の見晴らしがグーンとよくなった」とする世界論が誇らしげに展開されている。それに続いて(1)国際政治の主役が一握りの大国から世界の全ての国々と市民社会に交代した、(2)核不拡散条約という枠組みの性格が大きく変わった、(3)東南アジア諸国連合など平和の地域共同体が影響を広げている、(4)ジェンダー平等など国際的な人権保障が発展している、といった一連の国際情勢の進化が列挙されている。

 

つまり、改定綱領は旧ソ連や中国との「歴史的頸木(くびき)」断ち切ることによって、日本共産党が「発達した資本主義国」の社会変革において、今後世界的にも重要な位置を占める党であることを強調するものとなっているのである。旧ソ連や中国のような「資本主義的発達が遅れた国」「自由と民主主義の諸制度が存在しないもとで、革命戦争という議会的でない道で革命が起こった国」においては、社会主義革命が成功しないことが明らかになった現在、マルクス、エンゲルスが言うように「発達した資本主義国」でこそ社会主義革命が達成されるのであり、自主独立の道を貫き、理論と実践を鍛え上げてきた日本共産党が、発達した資本主義国での社会変革において世界をリードする位置を占めている――と言うのである。

 

志位委員長はまた、改定綱領において資本主義では解決できない矛盾の深まりをジェンダー平等、貧富の格差、気候変動などの面からを解明し、社会主義革命にもとづく未来社会への道をより豊かに多面的に示すことによって、「社会主義に前進することは、大局的には歴史の不可避的な発展方向」という命題を導いたことを強調している。そして改定綱領は、21世紀の世界資本主義の矛盾そのものを正面からとらえ、この体制を乗り越える本当の社会主義の展望を、よりすっきりした形で示すことができたと結論づけるのである。

 

 しかしながら、この改定綱領や決議案を別の角度から見ると、そこには容易ならぬ問題が浮かび上がってくる。それは21世紀の世界資本主義にとって死活問題と化している「人口減少問題」が完全に欠落していることである。国立社会保障・人口問題研究所による将来人口推計は国勢調査ごとに毎回行われるが、改定綱領が制定された2020年1月には、2015年国勢調査にもとづく将来推計人口(2017年推計)がすでに明らかになっていた。それによると、日本の総人口は1億2709万人(2015年)をピークに下降に転じ、50年後の2065年には8808万人(69.3%)に激減することが予測されている。また、志位氏が委員長に就任した2000年においても、1995年国勢調査にもとづく将来推計人口(1997年推計)が公表されており、65年後の2065年には8763万人(69.8%)、100年後の2100年には6736万人(参考推計、53.6%))に激減すると予測されていた。これらの推計値の意味するものは、21世紀の現代社会の土台を揺るがす大問題であると同時に、今後の国政選挙の議員定数や選挙区割りに直結する、各政党にとっての大問題でもある。にもかかわらず、改定綱領においても今回の決議案においても「人口減少問題」が一言も触れられていないのはなぜか。

 

 友寄書と相前後して刊行されたマルクス経済学からの人口問題に関する著作には、大西広(慶応大学名誉教授)『〈人口ゼロ〉の資本論、持続不可能になった資本主義』(講談社+α新書、2023年9月)がある。友寄書が多くの論点を掲げて複雑な構成になっているのに比べて、大西書は論旨が明確で読みやすく、結論も分かりやすい。目次構成だけを見てもストーリーが理解できるようになっている(目次は以下の通り)。

 

〇第Ⅰ部 人口問題は貧困問題

第1章 日本人口は2080年に7400万人に縮む、第2章 労働者の貧困が人口減の根本原因

〇第Ⅱ部 マルクス経済学の人口論

 第3章 経済学は少子化問題をどのように論じているか、第4章 マルクス経済学の人口論、第5章 人口論の焦点は歴史的にも社会格差、第6章 ジェンダー差別は生命の再生産を阻害する

〇第Ⅲ部 人口問題は資本主義の超克を要求する

 第7章 人口問題は「社会化された社会」を要求する、第8章 人口問題は「平等社会」を要求する、第9章 真の解決は国際関係も変える、第10章 資本主義からの脱却へ

 

 大西書の最大の特徴は、人間社会が持続していくうえで不可欠の条件である「人口の再生産=人類の再生産」を先進資本主義国が保障できず、「人口減少問題」を解決できないことから、このままの状態が続けば「将来人口ゼロ」となり、先進国段階では資本主義システムが持続可能性を喪失し、正当性を失うことを明らかにした点にある。こうした観点からすれば、21世紀の世界資本主義にとって存続を懸けた最大の課題である「人口減少問題」について一言も触れない綱領などあり得ないことになるが、それにもかかわらず、共産党の改定綱領やそれに基づく決議案が「人口減少問題」に何ら触れないのは不可思議であり、きわめて異常だと言わなければならない。

 

 ここからは私の推測であるが、党勢拡大主義という「成長型モデル」の呪縛から抜けられない共産党にとって、実は「人口減少問題」はきわめて扱いにくい問題であることが想像される。志位委員長の就任からの20年間というものは、党員は38万人から27万人へ、赤旗読者は199万人から100万人と大幅に後退しており、その上、今後「人口減少問題」が激化することになると、もはやこれ以上の党勢拡大は難しいとの空気が広がりかねないからである。志位委員長がことさらに中国に関する規定を改めた改定綱領の意義を強調し、日本共産党が「発達した資本主義国」における社会変革の先頭を切る存在と位置づけるのは、長期にわたる党勢後退問題の分析と総括を避け、その背景となる「人口減少問題」についても触れたくないためではないか――という憶測も成り立つ。目下、赤旗では決議案に対する意見や提案を募集している。拙ブログのような意見を持つ修正案がでないかどうか注目したい。(つづく)

〝党勢後退〟についての本格的な分析と総活がない決議案では事態を打開できない、第29回党大会決議案を読んで、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その8)、岸田内閣と野党共闘(73)

日本共産党第10回中央委員会総会(10中総)が終わった。第29回党大会(2024年1月)に提案される大会決議案が全員一致で採択されたというが(赤旗11月15日)、ざっと読んでみても疑問に感じる点が多い。最大の問題点は、これまでもしばしば言及してきたように〝党勢後退〟についてのしっかりとした分析と総活がないことである。「第28回党大会・第二決議(党建設)にもとづく党づくりの到達点」および「党の歴史的発展段階と党建設の意義」における内容をみよう(抜粋)。

――党勢拡大の現時点の到達点は、この4年間の党建設の努力を通じて、これまで1万4千人を超える新たな党員を迎えてきたが、わが党は党員現勢での長期の後退から前進に転じることができていない。「赤旗」読者拡大でも、現時点では、長期にわたる後退傾向を抜本的な前進に転じることには成功しないしていない。

――党は、1980年代以降、長期にわたる党勢の後退から前進に転じることに成功していない。ここにあらゆる力を結集して打開すべき最大の弱点がある。最大の要因は、わが党を政界から排除する「日本共産党をのぞく」の壁が造られたこと、わけても90年を前後しての旧ソ連・東欧の旧体制の崩壊という世界的激動と、これを利用した熾烈な反共攻撃の影響があった。大局的・客観的に見るならば、日本はいま新しい政治を生み出す〝夜明け前〟ともいえる歴史的時期を迎えている。同時に、どんな客観的条件が成熟しても、社会を変える主体的条件をつくらなければ、社会は自動的に変わらない。〝夜明け〟をひらく最大の力となり、保障となるのが、つよく大きな日本共産党の建設である。1万7千の支部、26万人の党員、90万人の「しんぶん赤旗」読者、2300人を超える地方議員を擁し、他党の追随を許さない草の根の力に支えられ、今日の時代にふさわしい民主集中制の組織原則で結ばれた党組織をもっている。

 

ここでの記述の特徴は、(1)党があらゆる力を結集して打開すべき「最大の弱点」である〝長期にわたる党勢後退〟の正確な実態が明らかにされていない、(2)党勢後退の要因の全てが外部要因である〝反共攻撃〟に帰せられ、党組織や党運営などの内部要因には一切触れられていない、というものである。だが、その実態は看過できるようなものではなく、80年代半ばの党現勢「党員50万人弱、赤旗読者350万人」は、志位委員長が就任した2000年には「党員38万6千人、赤旗読者199万人余」に激減し、さらに第28回党大会(2020年)には「党員27万人、赤旗読者100万人」にまで後退し、さらにその後も後退し続けているのである。

 

第28回党大会から現在までの4年間に1万4千人の入党があったというが、2023年11月の現勢は「党員26万人、赤旗読者90万人」、党大会からは党員1万人減(死亡者+離党者は2万4千人)、赤旗読者10万人減となっている。要するに80年代半ばから現在までの40年間で党員は「2分の1」近くになり、赤旗読者は「4分の1」そこそこにまで落ち込んでいる。とくに最近の4年間は、入党者の倍近い数の党員が亡くなるか、離れるかといった事態が継続しているのである。

 

第28回党大会で決議された党勢拡大目標は、「130%の党づくり=党員35万人、赤旗読者130万人」というものだった。だが、この拡大目標が破綻していることはいまや(以前から)誰の目にも明らかだ。今年になってようやく「第28回党大会現勢の回復・突破」にまで目標が下げられたが、それすらも47都道府県委員会のうち1県しか達成していない(それも党員のみ、赤旗11月14日)。第29回党大会まであと僅か2か月となった現在、「大会現勢の回復・突破」などは期待すべくもない「夢のまた夢」なのである。

 

にもかかわらず、なぜ〝長期にわたる党勢後退〟についての本格的な分析と総活が行われないのか。その回答は、「第3章 党建設――到達と今後の方針」の冒頭、「多数者革命と日本共産党の役割、②民主集中制の組織原則を堅持し、発展させる」の中にある(抜粋)。要するに「民主集中制」を不磨の原則として堅持し、それを前提にして党勢拡大方針を立てようとするので、党勢後退の大きな原因になっている「民主集中制」の問題点を分析することができないのである。

――日本共産党が、国民の多数者を革命の事業に結集するという役割を果たすためには、民主集中制という組織原則を堅持し、発展させることが不可欠である。多数者革命を推進する革命政党にとっては、民主集中制は死活的に重要な原則である。行動の統一ができないバラバラな党で、どうして支配勢力による妨害や抵抗を打ち破って、国民の多数者を結集する事業ができるだろうか。わが党を「異論を許さない党」「閉鎖的」などと事実をゆがめて描き、民主集中制の放棄、あるいはこの原則を弱めることを求める議論がある。

――党の外から党を攻撃する行為は規約違反になるが、党内で規約にのっとって自由に意見をのべる権利はすべての党員に保障されている。異論をもっていることを理由に組織的に排除することは、規約で厳しく禁止されている。党のすべての指導機関は、自由で民主的な選挙を通じて選出されている。これらの党規約が定めた民主的ルールは、日々の党運営において厳格に実行されている。わが党が民主集中制を放棄することを喜ぶのはいったい誰か。わが党を封じ込め、つぶそうとしている支配勢力にほかならない。わが党は、党を解体に導くようなこのような議論をきっぱりと拒否する。

 

ここには、日本の多数者革命を果たす役割は共産党しかないという「前衛党」意識が濃厚に出ている。また、多数者革命を推進する革命政党にとって「民主集中制」は死活的に重要な組織原則だとする認識も示されている。第22回党大会(2000年)においては、激減する党勢を目前にして党規約が改訂され、党と国民との関係あるいは党とその他の団体との関係を「指導するもの」と「指導されるもの」との関係だと誤解される「前衛党」という名称が削除された。同時に、共産党の体質を象徴する「党の決定は無条件に実行しなければならない。個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に、全国の党組織は党大会と中央委員会にしたがわなければならない」とする上意下達条項も削除された。それが、その時よりも遥かに深刻な党勢後退に直面している今日、「居直り」ともいうべき口調で堂々と復活しているのだから驚くほかない。

 

市民社会における「多数者革命」は多様な姿をとることが予想される。多様な政治集団の中からその時々の政治情勢に応じた統一戦線が結成され、それが政権交代につながることは何ら不思議なことではない。共産党(だけ)がそのカギを握っているとか、共産党が国民を導かなければ「多数者革命」を成功させることができないとか考えるのは、思い上がりも甚だしいと言わなければならない。おそらくこの大会決議案は2か月後に「全会一致」で採択されるだろうが、その先に待っているのは「国民の党」から遠く離れた共産党の姿への世論の厳しい批判であり、次の総選挙での厳しい結果であろう。

 

朝日新聞(11月15日)は10中総に関する記事を掲載したが、末尾で次のような観測記事を書いている。

――今回の10中総では、決議案の説明を志位氏ではなく田村氏が担ったことに、出席者から「普通なら議案は委員長が説明する」と驚きの声が上がった。委員長就任後初めて、志位氏が綱領改正案や決議案の報告に一切立たなかったこともあり、党内では「田村氏への委員長禅譲があるのではないか」(別の関係者)との憶測も出ている。

 

決議案では「居直り」ともいうべき口調で「民主集中制」を擁護した志位委員長も、さすがにこのまま委員長ポストに居座ることはできないと考えたのか、それが決議案説明と結語を田村氏に譲ることになったのであろう。志位氏の行く先が「議長席」への横滑りとなるか、それとも潔く身を引くかは予測できないが、大方の予測は議長就任によって「志位院政」を敷くというものである。そうなると、田村氏は自ら説明し結語を述べた決議案に縛られることになり、「志位院政」と運命をともにすることにもなりかねない。連合会長に神津氏の後釜として初めての女性会長が登場したが、その後の行動は前任者を上回る強硬路線となって世の中を驚かせている。共産党初の女性委員長となるかもしれない田村氏が、志位委員長を上回る強硬路線にならないことを祈るばかりである。(つづく)