宰相の器でない宰相の辛さ、(福田辞任解散劇、その12)

 このところ、麻生首相の迷走ぶりが目立つ。その極みが「定額給付金」という選挙前の公金のバラマキだろう。「定額給付金」には、もともと2つの不純な政治目的があった。ひとつは公明党との連立(野合)を維持するための「連立与党買収コスト」、もう一つは次の総選挙での有権者の一時的な支持票獲得のための「選挙買収資金」である。

 以前にも選挙前に「地域振興券」とういう名のバラマキがあった。これも公明党の発案によるもので、低所得層の家庭に地元商店で使える金券を配り、地域の自営業主と消費者の票を掠め取ろうとする「セコイ」考えによるものだ。これは大阪の衛星都市の木賃アパート地域の調査のときに私が実際に聞いた話だが、公明党は選挙の時になると独り暮らし老人の家に行き、お握り3個とハム2枚、それに沢庵数切れの弁当を食べさせて投票動員するのだという。悲しい話だが、貧しい庶民の票はその程度の安いコストで調達できるのである。

 このような日頃の選挙運動の経験を下敷きにして「地域振興券」のアイデアが生まれ、それを「景気刺激策」という名目で自民党にのませて、国民の税金で公明党の支持票を増やそう(維持する)というのが「地域振興券」の狙いだった。今回の「定額給付金」は、そのセカンド・バージョンなのである。

 だが、公明党にこの話を持ち出されたとき福田前首相は渋った。それはそうだろう。「地域振興券」の経験は、地元自治体に多大の負担をかけ、金券の発行や配布に巨額の費用がかかった割には、いっこうに地域の消費に貢献しなかったことをがすでに「事実」として明らかになっているからだ。

 しかし福田内閣時代に自民党幹事長だった麻生氏は、次の政権を狙う立場から福田前首相を飛び越えて公明党接触し、総選挙の早期実施とそのための「撒き餌」として「給付金」を実施することを約束した。その後いっこうに総選挙に踏み切れない麻生氏が、福田前首相を辞任に追い込んだ公明党から「誰のおかげで総理になれたんだ!」と怒鳴られるだけの実績と背景がそこにはあるのである。

 それにしても「総選挙の撒き餌」として国民に口約束し、選挙が終わってから実施方法を考えるという麻生首相の目算は、選挙日程がいっこうに決められなくなった瞬間から狂いに狂い始めた。もともと不純で杜撰(ずさん)な政治目的から出ている「給付金」であるだけに、その政策としての大義名分はおろか、給付対象や実施方法についてもまともな検討がされていなかったからである。

 かくして(内心では)公明党との連立を快く思っていない閣僚から異論が続出することになり、麻生首相の言動もぶれにぶれた。緻密な思考力と政策的な構想力を持たない(持てない)麻生氏の本性が、こんなところから図らずも垣間見えることに(あるいは丸見えに)なったのである。麻生内閣としての政権構想や基本政策の骨格も固まらないうちから、「アマチュア内閣」だとか「もはや政権末期内閣」と各紙から書かれるようになったのも無理はない。

 麻生内閣が発足してから1か月余り、マスメディアは11月に入ってから一斉に内閣支持率世論調査を行った。興味深いのは11月4日付けの読売新聞の世論調査とその結果分析だ。この調査では、麻生首相の就任1か月の段階で早くも不支持率(42%)が支持率(41%)を上回ったことが明らかになった。読売は、内閣不支持率が支持率を上回るのは、「阿部内閣で7か月、福田内閣で6か月、麻生内閣で1か月」と分析している。

 その後、各社から続々と世論調査結果が発表されているが、11日付けの朝日新聞の結果は麻生氏の度肝を抜くに十分だった。何しろ内閣支持率が37%と3割台に落ち込み、不支持率は41%と4割台に逆転したのである。しかも麻生内閣が「政策の目玉」と位置づけ、総額2兆円にも上る「定額給付金」への評価が、「必要な政策だとは思わない」とする比率が63%にも上ったのだから、首相官邸公明党は「真っ青!」というところだろう。

 麻生内閣への支持率の下落と低迷は「定額給付金」に象徴される政策の貧困さにも原因があるが、しかしより根本的には、彼には「宰相としての器量」や「器」が欠落していることをとうに国民が見通しているからだろう。歴代の首相を祖父や父に持つ首相がこの間3人も続いているが、どれもこれも「宰相としての器」に欠ける人物ばかりだった。一言でいえば、阿倍氏は「幼稚」、福田氏は「無責任」、そして麻生氏は「粗野」といったところだろうか。世襲議員という環境にかまけて政治家としての研鑽を積むこともなく、政治的試練に直面することもなく、豪邸に住み、裕福な生活を満喫してきただけの人物が、消極的選択肢の結果として一国の宰相になったところに、そのすべての不幸な原因の根源があるというべきだろう。

 それにしても麻生首相の「低学力」ぶりは凄い。「踏襲」を「ふしゅう」と読み、「頻繁」を「はんざつ」と読み違え、「未曽有」を「みぞゆう」というに至っては、もはや「宰相の器云々」程度の話ではない。普通の市民としてでも、「世間には通用しない」と烙印を押されることは確実だ。そしてこの程度の水準の人物が日本の首相であることは、われわれ国民にとっても「国辱」以外のなにものであるまい。

 これも大阪府の幹部職員から実際に聞いた話だが、故横山ノック氏が大阪府知事だった頃、知事訓話の中で「自ら」を「じら」と読んだことがあった。これを真横で聞いた幹部たちは真っ青になり、以後、知事の原稿にはあらゆる漢字に「ルビ」(読みカナ)が振られることになったという。そして横山氏は誰よりも上手にルビを振った原稿を読んだそうだ。

 私は提案したい。遠からず麻生首相は退任に追い込まれるだろうが、せめてそれまでの間だけでも彼の原稿には「ルビ」を振って、少なくとも外見上は首相としての体裁を保ってほしい。(続く)