2大政党制の虚構と破綻、(福田辞任解散劇、その13)

 世界金融危機の煽りを食って、日本の自動車産業は大幅な輸出減や国内需要減に直面している。だから、国内外の生産ラインを止めるとか調整するとかして、資本はなんとかこの危機を乗り切ろうとしているのだろう。しかし見過ごせないのは、これを契機に派遣労働者の首切りをいとも簡単に実施すると言っていることだ。トヨタなどは関連グループを含めて8千人の首切りを予定しているというから、その影響は大変なものだ。業界最大手のトヨタが真っ先に「首切り宣言」を出したものだから、後の自動車メーカーも「これに続け」とばかり、千人単位の首切りを続々発表している。

 でも不思議に思うのは、このような深刻な事態に対して、「連合」傘下の自動車労組が何の反応も見せないことだ。職場の仲間がどんどん首を切られていくのに、正規労働者の組合は一切の沈黙を守っている。「私たちとは関係ないことだ」とでも思っているのだろうか。本来ならば、ストライキでも打って仲間の首を守らなければならないはずの労働組合が、何の行動にも立ち上がろうとしないのである。

 連合が「ストライキなどやったことがない」、「ストライキなど忘れてしまった」というのであれば、せめても自らの残業時間を減らして派遣労働者の仕事を作るべきだ。それともここでも「ワークシェアリングなんて聞いたことがない」とでも言うのだろうか。会社の業績が少し悪化すれば、真っ先に「今年のボーナスは自粛する」といった緊急声明を発表するトヨタ労組が、今回の事態に対しては何の発言もしようとしない。こんな従順な子飼いの労組を抱えているからこそ、日本の経営者団体は安心して胡坐(あぐら)をかいていられるのである。

 だから財界は、この修羅場のなかにおいてさえ「企業減税」を唱え、「消費税増税」を臆面もなく主張している。また平成大合併でとことん痛めつけられた地方自治体に対して、「道州制導入」の具体化を迫り、さらなる地方自治体の大合併とリストラを要求している。彼らの言動を見ていると、まるで国民の声や姿など全く目に入らないような傍若無人の振る舞いだといわなければならない。

 このような財界の傲慢な態度はいったいどこからきているのだろうか。経営者団体が連合など労組を完全に支配していることもあろうが、基本的には財界が自民・民主両党の保守2大政党を意のままに操作できると考えているからだろう。なにしろ自民・民主両党で国会議席数の9割近く、これに公明党を加えると95%近くの議席を占めているのだから、財界はどんな厚かましい意見でも平気で言えるのである。

 だがここにきて、財界の保守2大政党を基礎とする政治支配体制に少しずつひびが入り始めた。自公政権から民主党政権への移行がスムーズに運ばず、国民の不満が自民党は言うに及ばず民主党にも向けられるようになってきたからである。保守2大政党制は、少なくとも与党と「野党」の間に「政権移行」に値するだけの政策上の違いがなければ機能しない。いわば資本の側に与党と「野党」の間の政策上の若干の違いを許容し、政権移行を通して国民の不満を吸収するだけの余裕がなければ機能しないのである。

 ところが、日本の財界の体質はこの間の専制支配の醍醐味が忘れられないのか、国民や労働者に対しては「やらずぶったくり」一辺倒の姿勢で、その態度を一向に変えようとしない。これでは「野党」の民主党も政策の幅を広げることができず、アメリカ海軍に対する給油法案も、金融資本に対する支援法案も、派遣労働者に関する規制強化法案もすべては自民党と大同小異になってしまう。与党と「野党」の違いを国民の前に効果的に演出できないのである。

 くわえて3代続いた自民党世襲首相の無能力さが、保守2大政党制の機能不全にさらに輪を掛けている。小泉構造改革で散々痛めつけられた国民に対して、自らは政策変更を打ち出すことができず、といって民主党に政権を移譲する政治決断もできないという状況が延々と続いている。そして一時しのぎの「バラマキ給付金」程度で国民を騙せると思う程度のレベルの自民党首相が、いたずらに時間を浪費しているのである。

 もしまともな思考能力と判断力を持つ経営者や資本家ならば、このような事態は資本主義体制それ自体の存続を危うくするものと受け取るのではないか。しかし日本の財界にはそのような人材がいないらしい。保守2大政党制が機能しないのであれば、次は自民・民主の「大連立」だというのが財界の大勢なのだという。おそらくは麻生首相は遠からずして辞任に追い込まれ、自民と民主のいずれがイニシャチブを取るかは別にして、実質的には「選挙管理内閣」のもとで総選挙が実施されるだろう。そして選挙結果の如何にかかわらず、現在の自民・民主両党を横断する政界再編が起こり、「大連立勢力」が次の首班を構成するだろう。

 こうして日本の保守2大政党制の虚構は次期の総選挙を契機にして破綻する。そしてその時から真の保革対抗勢力の時代が始まるのであろう。(続く)