ブッシュとともに去りぬ、(福田辞任解散劇、その11)

 オバマ氏がアメリカの次期大統領に確定した。この数日間、ほとんど衛星放送の外国ニュースばかり見ていたが、キャスターや解説者の興奮ぶりがもの凄かった。まるでアメリカに「革命」が起ったようなはしゃぎぶりだ。無理もない。それほどブッシュ大統領の8年間が酷かったのだ。

 マスメディアは本能的にセンセーショナリズムを好む。オリンピックでは金メダルを取らないと注目されないし、芸能界やプロスポーツでは見るも不愉快な悪役(ヒール)が英雄気取りで持ち上げられる。ブッシュ大統領の前でエルビス・プレスリーの道化役を演じて見せた小泉元首相が、空前の人気を誇ったのはそれほど昔のことではない。それが現在ではもうすっかり「過去の人」なのだ。こんな超短期サイクルで政治や首長の評価が変わっていいのか。

 ブッシュ大統領や小泉元首相の在任中はさしたる批判や評価を口にしなかった「識者」たちが、次のステージへの移行が確実になると、今度は素早く「新しい舟」に乗り換えはじめている。小泉政権外交政策についての首相補佐官を務め、本来は日本のイラク戦争協力に対して政治責任を追及されるべき立場にある元外務官僚が、ブッシュ大統領の8年間を「やらなくていい戦争(アフガニスタンイラク)で約4千人の米兵を死なせた」、「ひとつの都市(ニューオーリンズ)を水害で消失させた」、「ウオールストリートに何の制限も加えず、クリントン政権の財政黒字を1兆ドル赤字にした」、「米国の地位が世界の中におとしめられ、国内もかってなく分裂した」と、評論家よろしくまるで他人事のようにこき下ろしている。

 また一方では、財界きっての親米派といわれる財界人が、「ブッシュ大統領のああいうリーダーシップでは、我々も困ると思っていた」、「市場原理主義の徹底が行き過ぎて多くの反感を呼んだ」、「米国の中流層の収入が減り、上流層とのギャップが開いた。中低所得層のささくれだった国民感情を是正する必要がある」と、これも日米経済同盟を主導してきた責任を棚に上げて、まるで評論家気取りのしたり顔で論評する始末だ。そして、それを大新聞が「識者座談会」と題して大々的に掲載するのだから、これでは、国民はブッシュ大統領ひとりが「諸悪の根源」であって、この「厄病神」さえいなくなれば、後はすべてがうまくいくような気分にさせられてしまう。そしてそれに追随してきた日本の財界や小泉政権、それを支えてきた官僚たちの政治責任もすべてが免罪されてしまう。

 オバマ氏は確かに清新なイメージでアメリカの閉塞感を打破することに成功した。その語り口も選挙戦術も見事だった。多くの若者が選挙運動に身を投げうって参加し、巨大なエネルギーを発揮したことは驚きを通り越した政治社会現象だった。この若者たちの声をもはや簡単に無視することはできないし、それが共和・民主という保守2大政党のタライ回しで運営されてきたアメリカ政界に大きな変化を与えることは確かだろう。無視すれば、保守2大政党制というアメリカの政治的枠組み(統治支配体制)自体が崩壊していく恐れが十分にあるからである。

 だがオバマ氏の政策や政治手法が明らかになるにつれて、現在のような熱狂的な「オバマブーム」はこれから次第に鎮静化していくのではないか。すでにその兆候は「政権移行チーム」の人選にあらわれようとしている。首席補佐官の就任に同意したエマニュエル下院議員は、イラク戦争を支持してきた「タカ派」だといわれ、金融資本家でもあることから、「カジノ資本主義」の舵取りに習熟した人物だとみてよい。つまりブッシュ政権イラク・アフガン戦争やサブプライムローン問題などについての「若干の修正」は行われるであろうが、「抜本的な是正」は期待できない人物だということだろう。

 加えて、オバマ氏自身がアメリカの公民権運動を担ってきた黒人運動の伝統を引き継ぐ人物ではなく、政策的にも「中道右派」(ミドルライト)の潮流に位置する政治家だといわれている。ただブッシュ政権があまりにも極右のネオコン集団で固められ、アメリカ国民の9割までを「国の方向を誤らせている」と感じさせていたがゆえに、その反動で「希望の星」に祭り上げられただけというところだろう。

 オバマ次期大統領の時代になって、「日本はどうする」という議論がこれから本格化する。そこでは小泉政権を担ってきた、あるいはそれを傍から支えてきた数多くの「識者」が登場するのであろう。そしてその人たちが「日米同盟は不変」との外交政策のもとに、日本の政局をなし崩しに運営していくのであろう。したがって当分は「模様眺め」、そして次の段階は「ブッシュ大統領の道化役」ならぬ「オバマ大統領を指南役」とする新しい首相が生まれるのであろう。(続く)