ガイドの熱意と体制的制約との間の北朝鮮観光の大きなギャップ、(近くて遠い国、北朝鮮への訪問、その8)

実際の観光を始めてみて、今回の北朝鮮訪問で一緒に行くはずになっていた国際経験の豊富な記者ОBが、直前になって「お仕着せのコースなどクソ面白くもないよ!」といってキャンセルした理由がよくわかった。それは北朝鮮観光における「定番コース」のことを言っているのだろう。ピョンヤンなら、万寿台金日成大記念碑、千里馬銅像金日成広場、チュチェ思想塔、党創立記念塔、人民大学習堂、凱旋門メーデースタジアム、万景台学生少年宮殿、万景台金日成生家、祖国解放戦争勝利記念塔、板門店などの回遊コースがそれである。

外国人向けのショップで北朝鮮全土の地図やピョンヤンの観光地図(案内)が売られている。全国地図(2009年4月発行、主体(チュチェ)98年とも書かれていた)は中国語版と英語版の2種類、ピョンヤンの各種観光案内地図のなかには日本語版もあった。全国地図は観光目的ではない一般地図だが、象徴的だったのは、その凡例の冒頭に「革命戦蹟地」と「革命史跡地」の表示があり、また特記事項として「先軍九景」が掲げられていたことだ。例えば金日成が抗日戦争を指揮したとされる「白頭山秘密基地」の一帯は革命史跡地と革命戦蹟地に指定され、「白頭山の日の出」は先軍九景のひとつとされている。この国では景勝地や自然景観でさえも、金日成と不可分の関係に位置づけられているらしい。

北朝鮮観光は国内を自由に移動することができない。国営旅行社との間で定められたコースを外れることなく、キチンと時間通りに移動するのである。もちろんピョンヤン市内も例外ではなく(場所によっては最も厳しい規制がある)、ホテルの近辺でさえ自由に歩けない。一度早朝にホテルから「脱出」を試みたことがあったが、ガイドが心配してついてきたので、このことで彼らが被るかもしれないトラブルや迷惑を考えて早々にホテルに舞い戻った。 

またピョンヤンから郊外や市外に出るときは、主要道路に沿って幾重にも設けられた軍隊や公安警察の厳重な検問を受けなければならない。事前に行先と目的を書いた計画書を旅行社が当局に提出し、発行された通行許可書をガイドが検問所に提示して、はじめて通行が許される仕組みになっているのである。板門店へ行くときなどは行程距離が長いこともあって、10回近い検問を受けなければならなかった。

普通の観光旅行ならもうこれだけで頭が痛くなるところだが、そこは好奇心の塊の私たちのこと、こんな通行システム自体が興味と関心の対象だったのでまったく飽きることがなかった。同行した友人のメディアアナリストなどは、「国営放送局に行って、かの有名な(肩を怒らせて原稿を読む)女性アナウンサーに会いたい」といった奇想天外なリクエストをしたが、予想通り放送局の場所さえ教えてもらえなかった。ガイドが意識的にそのことを話題にしなかったことも興味深かった。「そんなことは口にすることすら憚られる」ということなのだろう。

日本人観光客が極度に少ないこともあって、私たちの旅行は大変手厚い待遇を受けたのではないかと思う。ベテランのガイド2人と運転手が専用小型バスで私たち2人を4日間付ききりで案内してくれた。どうやら単なる物見遊山の類の観光客ではないようなので、特別の「配慮」をしてくれたのかもしれない。でもこんな旅行をヨーロッパでしようなどと思ったら、おそらくは一桁違うコストを要求されること請け合いだ。旅行中はできるだけ北朝鮮観光の印象をよくして、次の機会につなげたいという涙ぐましいばかりのガイドの熱意が伝わってきて、旅行自体は非常に快適なものだった。

また宿泊した高麗ホテルは「特級ホテル」だということもあって、とくに女性従業員たちのサービスが的確で水準が高かった。国営ホテルだから彼女たちが国家公務員であることはもちろんだが、そのほとんどが流暢ではないものの英語が話せた。一般的な人達にとって英語などは遠い存在なので、ある種の選ばれた階層の出身者かもしれない。それに立ち居振る舞いも上品で、しかも美しかった。(日本では「東男に京女」というが、朝鮮では「南男に北女」というのだそうだ)

これらガイドやホテル従業員の真摯な対応に対しては、私たちは素直に感謝の気持ちを伝えた。だがそこには、彼らの個人的な気持ちだけではどうしても越えられない分厚い「体制のカベ」があった。それは日本人だから課せられる特別の制約ではなく、中国人など外国人観光客にとって等しく適用される国家的な制約である。だがこの「国家のカベ」は、外貨獲得を熱望する北朝鮮の観光政策にとっては究極の矛盾をはらむものだった。(つづく)