北朝鮮の行方とその分岐点(1)、朝鮮族実業家との意見交換を通して、(近くて遠い国、北朝鮮への訪問、その11)

 僅かな期間の訪問と一知半解の知識で北朝鮮の行方を論じることなど、大それたことは慎まなければならない。でも単なる旅行印象記に終わらないで、垣間見た現実を通して若干のコメントを表明する程度のことは許されるだろう。折しも北朝鮮労働党代表会が近く開かれるとあって、多くの専門家が各紙にコメントを寄せている。分析のレベルには天と地ほどの違いがあるが、それを承知で私たちがピョンヤンからの帰途、北京で意見交換したある朝鮮族(朝鮮系中国人)実業家の意見を紹介する形でこの議論に参加してみたいと思う。

 ピョンヤンからの帰途は、週3便、北京と定期運行している「チャイナエアー」(中国航空)を利用した。8月6日の夕刻のことである。この日はこの1便だけとあって空港は閑散としていたが(日本人乗客は私たちだけ)、乗客のなかには注目すべき外国人グループがいた。彼らが眼を通していた書類に「国連世界食糧計画」(WFP)のタイトルがあることから、今年も北朝鮮の食糧不足に対してはやくも国連との間で協議が始まっていたのである。

 空港での待ち時間を利用して、WFPスタッフに北朝鮮の食糧事情のことを聞いてみようかと思ったが、周囲に金日成の特大バッジをつけた政府高官(制服でわかる)が結構沢山いたので話しかけるのは止めた。なかには英語がわかる高官がいるかもしれないので、注意するに越したことはなかったからだ。でも乗客のなかに北朝鮮の政府高官がこれだけ沢山いるところを見ると、中朝間の各種協議が頻繁に行われていることは確からしい。

 8月6日から9日までの北京滞在中、何回か日本語のわかる朝鮮族出身の実業家(仮にI氏と呼ぶ)と会って議論をした。実業家といっても、もともと中朝間の政治史を専攻していた若手研究者だから北朝鮮のことは詳しい。両親は中国東北部の朝鮮自治州で健在であり、また叔母や従兄弟がピョンヤン在住で要職に就いているとのことだから、日常的にインサイド情報が入ってくる。中朝国境付近にはこのような朝鮮系中国人が数百万人もいて、一定のポジションにいる人たちの間には緊密なネットワークが形成されているのだという。

 I氏の話と私たちの議論は、冒頭から「金体制はいつまでもつか」という話題をめぐって沸騰した。私たちがそのことを一番聞きたがっていたので、結論部分から話してくれたのだろう。また金正日の後継者問題が朝鮮族の間では最大の話題になっているので、そのことが念頭にあったからかもしれない。I氏の結論は、「このまま(現在の体制と政策)でいったら、金体制は5年ともたない」というものであり、体制を維持するためには「先軍体制と世襲政治を変える他はない」というものだった。

 「このままでいったら5年ともたない」最大の理由は、金正日がこれまで依拠してきた「先軍体制」(軍を国家の中核に位置づけ、すべてにおいて軍事を最優先する政治体制)をもはや維持することが不可能になってきたことによるものだ。ソ連アメリカとの長年にわたる軍拡競争を続け、そのことによる重圧が経済政策と財政政策を破綻に導き、やがては国家体制全体の崩壊に至ったように、北朝鮮もまた(あるいはそれ以上に)途方もない軍事負担の重みで国家体制が押し潰されそうになっているというのである。

 ソ連崩壊は、それまでソ連から手厚い支援を受けていた北朝鮮の国家経済・国家財政を直撃した。1989年の北朝鮮の国家予算規模を100とすると、大水害と支援断絶が重なった1995年には国家予算は一挙に72まで落ち込み、97年には最低の59を記録した。そしてそれ以降、2002年まで数年にわたって6割台に低迷し、2008年になってはじめて20年前の水準に戻ったのである。国家予算が一挙に3割、4割も縮小することなど想像を超えた事態であるが、そのことが90年代半ばには大量の餓死者を生みだし、2000年代に入ってからも基幹産業が事実上崩壊状態にあることの背景になっている。

 このことは、国家の基本指標ひとつをとってみても明らかだ。北朝鮮は人口が2200万人なのに、軍隊は110万人(人口の5%)を超えるというから、世界のいかなる軍事国家にもまして軍事負担が突出して大きい。しかも経済力はGDP(国内総生産)1兆5千億円〜2兆円程度、国民1人当たりGDPは7万円〜9万円といった世界最低のレベルだから、年間軍事予算に5千億円も投じることになると、軍事費の対GDP比は1/4〜1/3にまで跳ね上がって、その他の経済部門や民生部門には全く予算が回らなくなる。この状態を長年にわたって続けてきて体制が破綻しなかったのは、まさに奇跡だといわなければならない。

 だが、さすがの北朝鮮の人たちもここにきて「我慢の限界」にきているという。金正日は、国家として「国民が毎日米の飯を食べ、肉の汁を吸う」ことを国民に約束したというが、I氏の言によれば、「自分の親戚も含めてピョンヤンの一部の人たちは米の飯を食べ、肉の汁を吸っているが、その他の大部分の人たちは豆やトウモロコシの雑穀を米に混ぜて食べ、肉の汁を吸うのは月に1,2回しかない」というのである。
私たちがピョンヤンのホテルやレストランで食べていた食事は、おそらく1食で労働者家庭の1カ月分にも当たると思うと、なんだか胸が痛くなってきた。(つづく)