菅政権のダッチロール(その4)、社民党はいつ与党に舞い戻ったのか

 このところ国会では、柳田法相の発言問題について「集中審議」が行われている。だが、肝心の補正予算審議の姿はなかなかみえてこない。来週あたりの大詰めの段階では、柳田法相に対する問責決議案と補正予算案の双方が天秤にかけられ、ひょっとすると菅首相柳田法相の「首」を差し出して、補正予算の成立に踏み切るかもしれない。

 だがなんとしても不可解なのは、衆院補正予算案審議に際しては国民新党とともに社民党が賛成に回り、3分の2以上の多数決で可決されたことだ。社民党は、たしか普天間基地の移転問題で「日米合意」にもとづく辺野古基地建設に反対して与党から離脱したはずだったが、それがいつの間にか与党に舞い戻っていたというわけだ。

加えて社民党は、衆院で出された仙石官房長官と真淵国交相不信任決議案にも反対している。尖閣諸島問題に関する政府対応については、「何ら問題がない」ということなのだろうか。

いうまでもなく尖閣諸島沖縄県に属しており、石垣島からは眼と鼻の先にある日本の領土だ。社民党の数少ない国会議員のなかには、沖縄出身の議員が2人もいる。それも党内では重要な位置を占める衆院国対委員長の照屋議員、参院運動局長の山内議員の2人だ。10人の中の2人だから、その比重は決して少なくないといえる。それがどうして「日米合意」を推進する民主党の予算案に賛成し、その先頭に立つ官房長官不信任決議案に反対するのか。

目下戦われている沖縄知事選挙についても、民主党は独自候補を立てないで現職候補を実質的に応援している。一方、社民党は10月末に全国から100人余りの活動家を集めて「沖縄県知事選挙勝利に向けた総行動」を展開して、福島党首自らが推薦状を伊波氏に手渡した。しかしこの「総行動」のなかには、福島党首以外の社民党国会議員の姿はない。

 社民党の「1丁目1番地」は、普天間基地県内移設反対だった。その政策をまもるために与党から離脱して、野党に転じたはずだ。そしていま、その政策の命運をかけて沖縄県知事選が戦われている。そのときに社民党の国会議員はなぜ総力を挙げて知事選に取り組まないのか。またその最中に、なぜ普天間基地の県内移設をこれから強行しようとする民主党補正予算案に賛成するのか。

 こんな有様をみると、もはや社民党は統一した政党の体をなしていないとしかいいようがない。これまでは、福島党首が表向き「革新政党」の姿を演じる。そして裏では自治労出身の副党首や幹事長が実権を握り、連合の指示にしたがって「隠れ与党」の役割を果たす。そんな分業体制が成立していた。だが今後、普天間基地問題の決着を日米合意にもとづいて迫られるようになると、こんな器用な芸当はできなくなる。

今回の社民党補正予算案の賛成、仙石官房長官・真淵国交相の不信任案反対の一連の行動は、今後の社民党の行方を示す明確な前兆として記憶されるべきであろう。すでに社民党内部では、民主党との共同歩調すなわち「与党帰り」が実質的に決定されているのではないか。でなければ、野党でありながら補正予算案に賛成票を投じるといった大胆な行動はできない。

沖縄県民が知事選についてどのような結果を出すかについては、軽々な予測は許されない。しかしもし現職候補が再選を果たし、辺野古基地への移転問題が本格化するようになれば、社民党の分裂は避けられなくなるだろう。そのとき、沖縄出身の議員2人はどのような態度や行動をとるかが鋭く問われることになる。

しかし大方の予測は、「社民党の辻元化」の方向にながれるというものだ。すでに民主党を離党した辻元氏は、民主党とともに大手を振って表を歩いている。日本の市民運動出身の政治家がかくも「可変的」(変節することに抵抗感がない)であるということは、菅首相にも当てはまるし、薬害エイズ問題で全国の市民運動の支持を受けて当選した当事者が、こともあろうに「みんなの党」に所属したことでも証明される。

かっての社会党の重鎮が与党の中の重鎮ポストを与えられてひたすら沈黙を守り、部落解放運動出身の閣僚が不動産業を営めるほどの蓄財に励み、そして辛うじて残った社民党がいまや「風前の灯」ということは、日本の労働運動や市民運動の底の浅さを目の当たりにさらけ出されているようで、あまりにも悲しい。でもこれが「戦後民主主義の総決算」であるのなら、私たちはこの悲しい現実から再出発する他はない。ここ当分、新聞を読みたくなくなるような日々が続くことは確実だ。(つづく)