アメリカに土下座し、沖縄を足蹴にして、社民党に平手打ちを喰わせた鳩山首相、(民主党連立政権の行方、その11)

 5月28日夜、鳩山首相の記者会見をテレビで見て、暗澹たる気持ちに襲われた。お詫びと反省の言葉を最初から最後まで繰り返しながら、それでいて臆面もなく日米共同声明への「理解」を沖縄県民と国民に呼びかける首相の厚顔さに声を失ったのである。

 「沖縄の気持ちを大切にしたい」、「命を守りたい」、「自然と環境に配慮する」などなど、これまで数々の美しい言葉を並べてきた鳩山首相が最後にたどり着いたのは、結局のところ普天間基地から辺野古地区への「県内移設」だった。それも新たな環境アセスメント調査の必要のない、ほとんど無修正に近い自公政権案への回帰である。

 社民党福島党首の反対で、「首相発言」など子供だましの小手先案を考えていた鳩山首相にとって最後の駄目押しとなったのは、28日朝のオバマ大統領との電話会談だった。きっと外務官僚あたりが手回しをしてこの時間帯に会談を設定し、「アメリカの一喝」で事を解決する方法を仕組んだのであろう。

 それにしても、この期に及んでの社民党の行動は無様そのものだ。福島党首の行動を評価する声も一部あるが、外交政策や沖縄政策が異なる民主党と連立を組んだのがそもそもの「ボタンの掛け違い」だった。議席目当ての小沢流の選挙戦術に釣られて、政策の違いに頬被りしながら与党の一員になったのが根本的な誤りだったのである。

 その上、党首が罷免されても「連立離脱」を即断できない執行部の右往左往ぶりには心底驚かざるを得ない。また、いまだ未練がましく閣内に残っている某副大臣(元土井たか子秘書)の行動も、これまでの彼女の言動からしてまったく理解できない。いったん権力の座につくと、政治的判断もできないほど「思考マヒ状態」にでもなるというのであろうか。

 思い出すのは、「自社さ連立」を組んだ社会党の哀れな末路だ。端的にいえば、村山富市委員長は首相ポスト、土井たか子元委員長は衆議院議長ポストに釣られて政権与党の一員となり、日米安保条約容認と自衛隊合憲への政策転換によって社会党を解党に導いたのである。その両人が現在の社民党をつくり、「自社さ」連立政権への本格的な総括や反省もないままに顧問何がしの地位についているのだから、社民党の連立政権への思い入れや未練ぶりは相当根深いものがあるのかもしれない。

 だが、鳩山政権の今後も社民党の行方も前途多難だろう。鳩山首相はこれから「命を懸けて辺野古移設を実現する」というが、沖縄県民は「命を懸けて、身体を張って反対する」だろう。また国民は、鳩山首相沖縄県民や国民世論を無視して、今回の日米共同声明を強行したことの意味を、これから「自らの問題」として考えるようになるだろう。

 それでは社民党はどうか。社民党は連立政権から「去るも地獄、残るも地獄」の立場に置かれることは間違いない。まず連立政権から離脱した場合、民主党からの選挙協力が得られなければ、某副大臣をはじめ議席を失う可能性は大きい。かといって党首が罷免されても連立を解消しない場合は、国民から一挙に不信を買って壊滅的な打撃をこうむることは必至だろう。

 そうなると、小沢流の「閣外協力、院外選挙協力」あたりでお茶を濁す場合が出てくるかもしれない。表面は連立を離脱しながら、裏では選挙協力を結んで参議院選挙をなんとか乗り切ろうという作戦である。しかしそれとても、民主党の支持率が下がり、またそれ以上に社民党の支持率が下がるような政治情勢の下では、思うようにはいかないことが容易に予測できる。

 鳩山首相アメリカに土下座外交しながら、その一方で沖縄の民意を足蹴にし、連立与党の社民党党首を罷免するという平手打ちを喰わせた。これだけ国民世論を徹底的に無視した強権政治は、半世紀前の安保条約改定を強行した岸内閣以来はじめてのことだろう。しかし岸退陣後、自民党政権にはなお池田内閣が打ち出した「所得倍増計画」のような秘策と余裕があった。

 だが鳩山内閣には秘策も「腹案」も何もない。これは民主党政権も野党自民党も同様だ。非正規労働を放置して国民を不安と困窮に陥れ、消費税を増税して国民の生活意欲と購買力を奪い、事業仕分けによって教育・研究・文化・スポーツ予算を削減するだけのことしか念頭にないのである。また民主・自民の2大保守政党の不人気を見越して乱立している「名ばかり新党」にしても、その政策たるや民主・自民とほとんど変わらない。これでは国民にとっては「夢も希望もない」ことになってしまう。

 自民党長期単独政権のあとには、民主・自民の2大保守政党体制を確立して安定政権を実現することが財界の戦略だった。しかし御手洗前日本経団連会長は、その戦略を実現するには余りにも「強欲」過ぎた。この人物ほど「強欲資本主義」を象徴する者はいない。だから民主・自民両党も「名ばかり新党」も政策転換ができない状況が続いている。新経団連会長は果たして政策転換ができるのか。それとも「強欲路線」を取り続けるのか。そして日本国民はこのような政治経済政策に我慢できるのか。「ポスト鳩山政権」は、戦後日本が初めて迎える本格的な「政治改革」の時代になるかもしれない。(つづく)