“復旧よりも復興”を叫んだ「阪神大震災大ハコモノ復興計画」の誤りを繰り返してはならない、(私たちは東日本大震災にいかに向き合うか、その4)

 福島第1原発事故が日に日に深刻化の度合いを深め、収束の見通しが皆目つかないにもかかわらず、どういうわけかその一方で、能天気な「未来都市型復興ビジョン」が最近に来て一斉に語られ始めた。

菅首相は4月1日の記者会見で、「すばらしい東北、日本をつくるという夢を持った復興計画を進める。世界で一つのモデルになるような新たな街づくりをめざしたい」、「山を削って高台に住むところを置き、海岸沿いの水産業(会社)、漁港まで通勤する」、「植物やバイオマスを使った地域暖房を完備したエコタウンをつくり、福祉都市としての性格も持たせる」など、東日本大震災の被災地再生の“街づくり構想”を語ったという。(朝日4月2日)

 この構想は、松本健一内閣官房参与(文芸評論家)が3月28日に首相に面会し、「流された所を国が買い上げ、漁港、魚市場、加工場、駐車場を整備し、そこに山の上(の住宅地)から通う。公共事業にもなり、雇用にもなる」と、意見具申した内容が下敷きになっているらしい。(毎日4月2日)

 菅首相や仙石副長官がお友達を次々と政府参与に任命し、それらの知恵を借りることは大いにあってよい。また災害の専門家でない文芸評論家とはいえ、松本氏が大所高所から意見を述べることは何の支障もない。専門家にもいろいろあって、東電丸抱えの原子力学者やゼネコン御用達の土木工学者などは「百害あって一利なし」の存在だからだ。

肝心なのは、意見具申の中身だろう。松本氏には失礼だが、私にはその内容が、俗にいう「思いつき」とか「ポンチ絵」程度の薄っぺらいものにしか見えなかった。そして、それを丸呑みして「首相見解」として発表した菅首相の見識を疑った。また批判的な解説もなく、真っ当な専門家のコメントもとることなく、それを麗々しく記事にした官邸クラブ記者たちの「垂れ流し平気」のセンスにも驚いた。

 私が「未来都市型復興ビジョン」を信用しないのには訳がある。それは阪神淡路大震災復興計画の策定時、当時の兵庫県知事や神戸市長が「復旧よりも復興」を叫び、災害を奇禍とした“大ハコモノ計画”を推進しようとした生々しい歴史的経緯があるからだ。これをリードしたのは、政府の阪神淡路復興委員会の責任者に任命された下河辺淳氏(日本の総合開発計画を策定してきた元国土次官)だった。彼は、「被災者の救済などは自治体にやってもらうことにして、私たちはもっと楽しい夢やビジョンを描きましょうよ」と最初から最後まで会議を強力にリードしたのである。

この間の経緯については、拙文を『日本の都市法Ⅱ、諸相と動態』(原田純孝編著、東大出版会)のなかで詳しく書いているので参考にしてほしいが、それ以降、阪神淡路大震災復興計画は、「復興」(大ハコモノ計画)一色で染められ、「復旧」(被災者の生活再建)がなおざりにされていったことはいまなお記憶に新しい。

「未来都市型復興ビジョン」が被災地の行方にどのような影響を与え、そしてどのような結果としてあらわれるのか。それは神戸空港建設と新長田地区再開発事業の現状が「歴史の生き証人」として語ってくれる。大震災の直後に神戸市長が「希望の星」と叫んで強行した神戸空港建設は、それ以降、膨大な赤字を垂れ流し続けていまや「廃港か存続か」の岐路に立っている。超高層ビル40棟が林立する計画を描いた新長田地区再開発事業は、計画の中途変更も含めて経営に行き詰まって商店街はシャッター通りとなり、入居した商店主たちは「去るも地獄、残るも地獄」の状態に直面している。

話を東日本大震災の方に戻そう。今回の被災地の復旧復興計画は、私たちが未だかって経験したことがない、あるいは太平洋戦争の戦災復興に匹敵する未曾有の困難な事業だと認識することからまず始めなければならない。当面の緊急課題である仮設住宅建設一つをとってみても、その場所を被災地周辺にするのか、それとも市町村外にするかで被災者と県市町村との間で意見が鋭く分かれている。その背景には、今度の大津波で根こそぎ破壊された漁村集落や沿岸市街地をどう復旧復興させるかについての明確な政府方針がなく、関係自治体が日々の対応に振り回されているためだ。

さらに事態を複雑かつ深刻にしているのは、いうまでもなく福島第一原発放射能汚染地域が日に日に変化していることだ。それも半径20キロ、30キロといった幾何学的な避難地域内にとどまらず、風向きや地形によって汚染地域の程度や拡がりが大きく異なり、40キロ、50キロ地点においても高濃度の汚染地域が表面化しているところもある。また、すでに漏出していた高濃度の放射能汚染水の影響に加えて、今度は大量の「低レベル」放射能汚染水の放出によって、原発周辺の海域とくに沿岸部に汚染地域が広がりつつあることは、漁業関係者はいうに及ばず沿岸住民に深刻な不安と恐怖を与えている。

このような国家的危機の中にあって、菅首相が能天気な「未来都市型復興ビジョン」を臆面もなく語るのは、それはそれなりに何らかの政治的意図があると見なければならない。それに対する私の見解はこうだ。今回の記者会見の狙いは、菅首相の延命工作につながる大連立構想の布石であり、「アドバルーン」だというものだ。

今回の東日本大震災の復旧復興計画は、国家予算規模に匹敵する巨額の資金を必要とする。公共事業がその中心になるとすれば、その配分や箇所付けは政治家にとっては生命線とも言うべき利権争いの争奪場になる。菅首相は、「未来都市型復興ビジョン」という形で、自民党に対して「その分け前」の匂いを嗅がせたのではないか。大連立に加わり、菅体制に協力しなければ「分け前」にあずかれないことを匂わせたのだ。

すでに大量の犠牲者を生みだし、生死の境を漂流している膨大な被災者を尻目にこんな政治取引が行われることなど、国民の目からすれば絶対に許せないことだ。でも政権執着以外に目的がない政治家たちにとっては、このような「政治算術」は日常的な出来事なのであろう。「すばらしい東北、日本」をつくるという夢ではなく、「惨めな東北、悲しい日本」という現実が、いま私たちの前に拡がっている。(つづく)