宮城県復興計画の「コピー」と「ペースト」でつくられた“世界復興モデル都市・石巻市復興計画”の内実、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(6)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その40)

石巻市のホームページや「東日本大震災復興計画ポータルサイト」(財団法人国土技術研究センター作成)で石巻市復興計画の関係資料を調べてみたが、しかしその内容は村井県政の復興方針の単なるコピーの域を出ず、内容もお粗末で計画のレベルも低い。これでは「広域合併によって高度の専門知識と技術をもった人材(職員)を確保できる」と喧伝した成果は一体どこに行ってしまったのかと疑いたくなる。以下はその資料リストであり、一応の手順を踏んで復興計画が策定されているようにもみえるが、問題はその中身と手法だ。

(1)石巻市震災復興基本方針:2011年4月27日
(2)石巻の都市基盤整備に向けて(建設部):4月29日
(3)まちづくり(都市基盤整備)アンケート:5月1日〜15日
(4)まちづくり(都市基盤整備)アンケート最終結果:6月3日
(5)石巻市都市基盤復興【案】災害に強いまちづくり(基本構想)について:6月24日
(6)石巻市震災復興基本計画【骨子】:8月17日
(7)石巻市都市基盤整備復興計画図【案】:8月22日
(8)被災市街地復興推進地域の決定について:9月12日
(9)石巻市震災復興基本計画【素案】:11月7日
(10)石巻市震災復興基本計画【素案】に対するパブリックコメントの結果と御意見・御提言に対する市の考え方:12月5日
(11)石巻市震災復興基本計画:12月22日
(12)石巻市の復興状況について:2012年5月31日

 最初の「復興基本方針」を読んでまず唖然としたのは、前文で「市民の不安を安心に変える政策の展開」として、「被災された市民の居住環境の確保をはじめ、震災後の心のケアや健康、医療、福祉サービスなど安心して暮らせるためのサービス供給体制を構築していかねばなりません」と一応述べているものの、肝心の復興基本理念には、「1.災害に強いまちづくり」、「2.産業・経済の再生」、「3.絆と協働による共鳴社会の構築」の3課題が取り上げられているだけで、被災者の救済や住民の生活再建はどこにも出てこないことだ。

 これは石巻市が県下最大の犠牲者・被災者を出しながらも、被災者救済と生活再建を市の復興方針の真正面に掲げることなく、「単なる復旧ではなく再構築」という村井県政の復興理念を基本方針にコピーしただけのものでしかないことを物語っている。「本市が目指すのは、単に復旧・再生だけではありません。既存の資源を活かしつつ、新ネルギー、環境、観光などを新たな柱とする産業創出や、減災のまちづくりの展開など快適で暮らしやすい「新しい石巻市」を創造していきます」という前文は、そのことを端的に示す何よりの証拠だろう。

 もっとも基本方針の中に、「復旧」という言葉がないわけではない。震災から概ね10年を計画期間とする復興方針は、計画期間を「復旧期」「再生期」「発展期」に3区分し、復旧期を「生活や産業の再開に不可欠な住宅、生産基盤、インフラなど復旧に加え、再生・発展に向けた準備を精力的に進める期間とします」と位置づけている。つまり最初の3年間の「復旧期」は、被災者救済や住民の生活再建といった独自課題に集中するというわけではなく、次の復興段階の“準備期間”としての役割を与えられているのであるから、これでは復旧政策に力が入らないのも無理がない。

 加えて驚いたのは、基本方針発表の僅か2日後に市建設部から発表された「石巻の都市基盤整備に向けて」という文書の内容だ。この文書は“新都市構想”という題目で、「災害に強いまちづくり」、「新エネルギーを活かした循環型社会」、「絆と協働による共鳴社会の構築」を復興理念として掲げたもので、復興イメージ図は「ポンチ絵」程度のものにすぎないが、その意味するところは“石巻市版ショックドクトリン計画”の名に恥じない強権的なものだ。

まず、災害に強いまちづくりの課題は、第1が「復興計画ゾーニング」、第2が「高台のない市街地の復興イメージ」、第3が「高台に囲まれた漁集落の復興イメージ」であらわされている。復興計画ゾーニングとは、広範な被災市街地に建築規制地域を指定するための基礎となる土地利用規制計画のことだ。つまり震災後わずか2カ月もたたない時点で、被災地の運命を左右するような土地利用規制計画や高台移転計画が、市の1部局に過ぎない建設部から一方的に「ポンチ絵」で示されているのである。

次に、高台のない市街地の復興イメージ、高台に囲まれた漁集落の復興イメージとは、建築規制と一体となった市街地の多重防御計画や職住分離と一体となった高台移転計画のことであり、「二重の防御(堤または道路)で津波を防御し、住居そして学校を守る」、「津波の及ばない高台への住居集団移転を図り、安全安心を確保」などと説明されている。これは国の復興事業を逸早く被災地に導入しようとする意図に基づくもので、「被災者・被災地に合わせて復興計画を考える」のではなく、「国の復興事業に合わせて復興計画を考える」典型だといえよう。

 さらに「新しいまちづくりにあたっての挑戦」と題して、新エネルギーを活かした循環型社会の課題に関しては、「太陽光・風力・波力発電などの自然エネルギーの活用」、「新交通システム(LRT・高性能路面電車)の導入」を、絆と協働による共鳴社会の構築に関しては、助け合い社会の形成に資する「まちなか居住」などの推進も掲げている。しかしこれらの課題は、日常時においてすら巨額の公共投資と10年単位の建設期間を要するもので、これを犠牲者の収容作業や行方不明者の捜索作業がいまだ続いている緊急事態下で恥ずかしげもなく発表するのは、相当の(無)神経が要求されるといわなければならないだろう。

 これ以降の復興計画の推移をみると、計画の全ては市のいう「都市基盤整備」を基点として展開されていることがわかる。石巻市が掲げる「まちづくり計画」とはすなわち「都市基盤整備計画」のことであり、それは亀山市長の計画思想であり復興コンセプトでもある(昨年東京で行われた災害復興学会シンポジウムにおいて、亀山市長の持論を直接聴いた)。だが、“石巻版ショックドクトリン計画”は果たして成功するのか。次回からその軌跡をたどってみたい。(つづく)