福島第1原発事故にみる「企業国家日本」の破綻、そして崩壊のはじまり(1)、(私たちは東日本大震災にいかに向き合うか、その8)

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、4月17日に東電が「最長9か月を目途に収束させる」という「工程表」を公表してからすでに10日余りたった。作業の基本目標は、放射性物質の放出を抑制するため、原子炉および使用済燃料プールを「安定的冷却状態」にするというもので、工程表は、放射線量を減少させる「ステップ1」、放射線量を大幅に抑える「ステップ2」に分かれている。具体的には、(1)原子炉と使用済燃料プールの冷却、(2)放射性物質で汚染された水や大気、土壌の封じ込めおよび放出の抑制、(3)放射線量のモニタリング等による監視と除染の3分野で、60の対策を実施するというものだ。

 だがこれまで数々の原発事故を隠蔽してきた東電の体質、たとえば1980年代後半から90年代にかけて福島第1原発を初めとする13基の原子炉点検でデータの改ざんや隠蔽があり、2002年には相談役を含む歴代トップ5人が辞任して原発17基すべてが一時稼働停止に追い込まれるなどの経歴からすれば、東電の対策をそのまま信じるものは誰もいないだろう。

しかも今回の全交流電源喪失事故に対する初動対応においては、廃炉を恐れて海水注入を遅らせ、建屋内の水素爆発を引き起こして放射能汚染を拡大させたという決定的な「人災ミス」を引き起こした。専門家筋でもマスメディアでも「工程表」の実現性に関しては「疑問だらけ」との指摘が相次いでいるし、なによりも避難区域や警戒区域などの住民に対して、東電からは責任ある説明が一切行われていないのが致命的だ。

 それに漸く始まった原発被害に対する仮払金も、1世帯あたり100万円、単独世帯75万円という「涙金」程度のものでしかなく、しかも放射能汚染分布が幾何学的な円形を超えて遠くまで拡っているにもかかわらず、原発から30キロ圏外の被災者には支払わないという条件付きだ。また、今後の本格的な損害賠償については「無限責任」はとらず、「上限」を設けることも画策しているという。東電会長の言によれば、「株式会社として存続し、純利益から賠償金を払える枠組みとなるように政府と折衝している」というのである。(朝日4月27日)

 東電の被災者に対するこのような非人道的態度は、東電が今回の大事故に対する責任をいまだ「想定外の事故」を理由にして基本的に認めていないことに起因する。社長や会長は形式的な謝罪を繰り返しているものの、これだけの大事故が東電側の「人災」や「社災」によって引き起こされたことについては言を左右にして認めようとしない。それどころか事故情報や放射能汚染データに関しても隠蔽体質が強いことを反映して、政府や原子力安全委員会に対してすら全てが開示されているわけではない。

一方、東電の対応を厳しく監督しなければならない立場にある政府側の対応はどうか。原子力安全・保安院原発推進の総本山である経産省の下部組織であることは周知の事実であるが、もう少し独立性が高い機関だと見られていた内閣府原子力安全委員会も、その実態は電力会社に原子力安全管理対策を丸投げしている「ザル委員会」であることが次第に暴露されつつある。

たとえば昨日の4月27日、衆院決算行政監視委員会参考人として出席した原子力安全委員会斑目委員長の証言によると、3月11日の福島第一原発事故の発生直後、同委員会の緊急事態応急対策調査委員40人全員を招集したものの、実際に集まったのは徒歩で駆けつけた「数人だけ」だったという。また原子力災害対策特別措置法にもとづく国の防災基本計画では、原子力災害の発生時には、「直ちに緊急助言組織を招集し、予め指定された原子力安全委員及び緊急事態応急対策調査委員を現地に派遣するとともに、電力会社などに必要な技術的助言等を行う」(要旨)と定めているが、原子力安全委員会地震発生直後に現地に派遣したのは「事務局職員1人だけ」で、政府の現地対策本部(福島市)に専門家2人を派遣したのは1か月以上たった4月17日だったこともわかった。(各紙4月28日)

 この斑目委員長がいかなる人物かというと、いわゆる「原子力ムラ」といわれる政財官学ネットワーク(利権共同体)の中心に位置するキーパーソンのひとりであり、浜岡原発事故訴訟で電力会社側証人として出廷した当時、「非常用ディーゼルが2台動かなくても通常運転中だったら何も起きません。ですから非常用ディーゼルが2台同時に壊れていろいろな問題が起こるためには、そのほかにもあれも起こる、これも起こる、あれも起こる、これも起こると、仮定の上に何個も重ねて初めて大事故に至るわけです。だからそういうときに非常用ディーゼル2個の破断も考えましょう、こう考えましょうと言っていると設計ができなくなっちゃうんですよ。つまり何でもかんでもこれも可能性ちょっとある、これはちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせていったらものなんて絶対造れません。だからどっかでは割り切るんです」と堂々と証言するような「安全無視」の人物である。(原子力資料報道室、2007年7月31日)

 このように事故の張本人である東電はもとより、これを監視・監督する立場にある政府各機関までが「原子力ムラ」といわれる利権共同体の一員として行動している事態は、日本の統治機構が財界を頂点とする支配体制すなわち「企業国家体制」のもとに置かれていることを如実に示している。そしてこのことは、次のような財界首脳の傍若無人きわまる発言に象徴されている。

まず米倉経団連会長は、「原発事故原因は国の安全基準の甘さ」、「原発賠償は国の責任」、「東電国有化論は論外」、「海外での放射能風評被害WTO世界貿易機関)に提訴すべき」、「菅首相の間違った陣頭指揮が混乱を引き起こす元」、「東電だけを悪者にした報道は問題」などと、好き放題のことを記者会見で発言している。

原子力損害賠償法には大規模な天災や内乱による事故は国が補償するとある。国が全面的に支援しなくてはいけないのは当然だ」、「原子力の安定供給体制を維持するため、法律に基づき国は東電を民間事業者として全面支援すべきだ」、「原発は国によって安全基準が定められ、設計、建設されている」、「政治家が国有化という言葉を使っただけで、どれだけ東電の株価が下落したか」、「海外へはもっと正しい情報を発信するとともに、場合によってはWTO世界貿易機関)に風評被害を提訴すべきだ」。(日経4月11日)
 「間違った陣頭指揮が混乱を引き起こす元になっている。(首相が)感情に流されて激怒したり、閣僚が(東電)国有化を口にして国民の不安感を引き起こすのは問題だ。東電だけを悪者にして加害者であるというようなニュアンスで報道を続けているのは非常に大きな問題だ」。(読売4月27日)

また長谷川経済同友会代表幹事も、「(東日本大震災に対する政府の対応は)全体的にスピード感がない。誰が責任を持って決めているのか不透明だ。短期的には震災復興を優先せざるを得ないが、政策的にはやらなければならないことばかりだ。税・財政・社会保障制度の一体改革や環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加に向けた取り組みは、震災からの復興と矛盾しない」と語っている。(産経4月27日)

 このような傲慢きわまる財界首脳の発言は、未曽有の危機の最中にあってさえも「日本の企業国家体制は揺るがない」との彼らの自信を示すものであろう。だが、果たして日本の企業国家支配はそれほど盤石なのか。今回の原発事故が収束せず長期化したとき、あるいは原発放射能汚染地域に人々が住めなくなったとき、財界や企業に対する国民の態度がこれまでと同じように従順だといえるのだろうか。

 私は『ねっとわーく京都』2011年5月号(かもがわ出版)で、「財界は国民と国際社会をおそれよ」と題するコラムを書いた。それは今回の福島第1原発事故は、疑いもなく日本の企業国家体制が破綻した結果であり、それが崩壊し始めたことを象徴する大事故だと思うからだ。今後、このことを引き続いて考えていきたい。(つづく)

 なお私は、4月29日〜5月4日の6日間、阪神まちづくり支援機構の一員として、東北3県の被災地で「ワンパック相談会」の開催に参加します。この被災地相談会は、阪神大震災の経験にもとづき、弁護士・建築士司法書士・税理士・家屋調査士・不動産鑑定士など震災復旧復興関連の各種専門家と、都市計画・住宅政策・原子炉工学・心療内科などの研究者約30名が合同で被災者のあらゆる相談に答えるものです。結果の報告は、いずれ5月のブログで書きたいと考えています。