福島原発風評被害の根源は国民の企業不信・政治不信にある、「企業国家日本」の破綻、そして崩壊のはじまり(2)、(私たちは東日本大震災にいかに向き合うか、その9)

 4月29日から5月4日までの約1週間、東北3県の被災地調査と「被災者ワンパック相談」に行ってきた。「ワンパック相談」とは、各種専門家が一堂に会して被災者支援と被災地の復旧・復興に関するあらゆる疑問・質問に答える現地相談会のことだ。今回は、阪神淡路まちづくり支援機構に属する弁護士・司法書士土地家屋調査士不動産鑑定士・税理士・建築士・まちづくりコンサルタントなど各分野の専門家に加えて、行政法知財法・法社会学・都市計画・住宅政策・まちづくり分野の研究者、および特別参加として神経内科医師、核物理学や放射線治療学の研究者も同行した。延べ40人近い陣容である。

 日程は、4月29日の岩手県宮古市での相談会が東北道の交通渋滞の影響で流れた他は順調に実施され、4月30日岩手県釜石市、5月1日岩手県陸前高田市、2日宮城県仙台市、3日福島県福島市、4日福島県いわき市において、避難所もしくは近傍の会場でおよそ午前10時から午後5時にわたって開催された。とくに福島県の2会場では、現地での強い要望もあって原発放射能についてのミニ講義が行われた。また5月2日には、宮城県弁護士会館で宮城県災害復興支援機構や東京都災害復興まちづくり支援機構との交流も行われた。

 幸い天候には恵まれたものの、行程はきわめてハードなものだった。早朝7時半に出発して宿舎に帰るのは大体夜の8時ごろ、会場と宿舎の距離がレンタカーをとばして2〜3時間(往復5〜6時間)も離れており、改めて東北地方の広さと被災地の広がりを痛感せざるを得なかった。被災者や被災地への支援活動が思うにまかせず、被災者の避難所暮らしが長く劣悪な状態のもとに置かれていた背景には、都市中心部から遠く離れた中山間地域の孤立分散した被災地状況があったのである。

 言いたいこと、書かねばならないことは山ほどある。いずれまとまった報告論文を書きたいと思うが、当面はいくつかのテーマに限定して感じたことを記してみたい。たとえば、現在、政府の復興構想会議などで提案されている被災地域の「高所移転」の是非、原発周辺避難地域の「計画移転」の問題、そして原発事故の「風評被害」をどうみるか、などである。今回は、まず「風評被害」の問題を考えてみたい。

 「風評被害」といえば、単なる世間の噂などによって無関係の人たちが「あらぬ被害」を受けたというのが通り相場となっている。意味するところは、生活に脅威や被害を与える原因が特定されていないにもかかわらず、人々がある事象を原因だとして類推(仮想)し、危機回避行動をとることによってもたらされる関係被害のことだ。すでに幾度となく報道されているように、原発放射能汚染に曝されていないにもかかわらず、野菜が福島県産ということだけで出荷制限されるとか、三陸沖で獲れた魚の水揚げを拒否されるとか、いわき市ナンバーを付けたトラックが出入りを禁止されるとかの類だ。

 しかしながらこの問題は、これまで必ずしも正当に扱われてきたとは思えない。いわゆる「流言飛語」による損害と同種の問題と見なされ、人々の誤った認識や行動を改めさせることができれば解決するといった「一過性の問題」として片づけられてきた。「人の噂も75日」という諺にもあるように、時がたてば自然に消えていくような軽微な被害・損害だとおもわれてきたのである。

 だが今回の現地相談会で最大の問題として浮かび上がったのは、実はこの「風評被害」の問題だった。それも原発周辺の福島県だけのことではない。遠く離れた岩手県宮城県においても、原発事故に起因する「風評被害」問題は、今回の東日本大震災の復旧復興にとってゆるがせのできないほど深刻な最大の社会問題であることが明らかになったのである。

 被災者相談会や行政担当者のヒアリング調査で出た実際の話を挙げよう。たとえばそれ自体が大きな課題であるが、仮に大津波で壊滅した漁港や住宅の復旧復興が一定程度進んだと仮定しよう。しかし原発事故の収束が長引き、あるいは残留放射能の影響が予想以上に大きかったときは、水揚げされた魚は「風評被害」で売れない事態が予測される。いや「絶対に売れない」と言った方が正確かもしれない。そうなると漁師は漁をすることができなくなり、水産加工業をはじめとする三陸地方の基幹産業は壊滅的な打撃を受けることになる。いくら「ハコモノ復興」ができたとしても、被災者の生活再建や被災地の経済復興は「絵にかいたモチ」でしかない。

 菅首相や五百旗頭座長が、復興構想会議で「原発問題」を除いて「復興ビジョン」をつくってほしいと提案したことがあった。だがこのような「復興ビジョン」の議論がいかに空虚な妄想であるかは、彼ら自身が被災地に出かけて漁師の人々の声を一言聞けばわかることではないか。同様のことは、目下、避難地域に指定されている農家の場合も全く同じことだ。

 原発事故による「風評被害」を簡単に片づけてはいけない。「風評被害」はすでに国際問題でもある。日本からの輸出産品は、農産物・水産物に限らず工業製品においても放射能汚染がないことが証明できない限りもはや世界各国に受け入れてもらえない。国内消費者の「過剰反応」を戒め、その認識を改めさせることができれば、「人の噂も75日」などと呑気なことを言っていられる場合ではないのである。

 私は、今回の東日本大震災は最終的に「風評被害」を解決しなければ収束しないと考えている。そしてその根源には、東電をはじめとする日本企業に対する国内国外の不信、そしてそれをコントロールできない「企業国家日本」に対する政治不信があると考えている。財界や菅政権は国民と国際社会を甘く見てはいけない。これら国内外の不信を払拭することなしには、東日本の「復興ビジョン」は描けないのである。

 5月2日の宮城県や東京都の支援機構との意見交換会のなかで、私は「原発事故問題の本質は風評被害問題だ」と発言した。このことの説明を、次回でもう少し詳しく展開したい。(つづく)