日本経団連には「企業行動憲章」はあっても「企業団体倫理憲章」はないのか、米倉経団連会長発言シリーズ(2)、(私たちは東日本大震災にいかに向き合うか、その23)

4月6日のウォール・ストリート・ジャーナルの単独インタビュー以来、米倉発言は、まるで「タガが外れた」かのごとく言いたい放題だ。それに内容もさることながら、政府を「財界の召使」としか考えていないような高圧的な態度も醜悪そのものだ。本人は企業国家の盟主(いわゆる「財界総理」)気取りなのかもしれないが、見苦しいことこの上もない。しかし、ここは米倉氏の発言をフォローすることがそもそもの目的なので、我慢して発言録を続けることにしよう。 

4月7日:「東日本大震災関東大震災の数10倍の規模に上ることも考慮すれば、東電だけに責任を負わせるべきではなく、国が損害賠償に対応すべきだ。東電は被災者の側面もあり、政府が東電を加害者扱いばかりするのはいかがなものか」(記者会見、各紙)。

この発言は、巨大な天災地変の場合、電力事業者の賠償責任を免責するという原子力損害賠償法上の免責条項の適用を求めたもので、東電社長の「福島原発事故は想定外の大自然災害によって引き起こされた(不可抗力の)事故」という責任回避発言と口裏を合わせたものだ。だがそこには、東電が大事故発生の危険性に対して、これまで度重なる専門家の警告を無視してきたことに関する一切の言及がない。

5月9日:菅首相浜岡原発停止要請に関して、「結論だけがぽろっと出てきて、思考の過程が全くブラックボックスになっている。民主党政権は透明性がないというか、政治の態度を疑う」、「東海地震の確率論では分かりかねる。政治的パフォーマンスだ」と政府の態度を激しく非難した(記者会見、各紙)。

ここでは、政府の地震予知会議が「明日起こってもおかしくない」とまで宣言している東海地震の可能性(今後30年間に87%の発生確率)を、何の根拠を示すこともなく一方的に否定し、また浜岡原発の安全性(危険性)についても一切触れることなく、原発停止そのものがあたかも政治的大問題(過誤)であるかのように断じている。経済合理性を尊重する経済人であれば、もう少しまともな発言があってもよいと思うが、米倉会長の辞書には「真理」とか「熟慮」といった頁が落丁しており、思考過程全体が非科学的な「ブラックボックス」になっているのだろう。

5月23日:東電原発事故を契機としたエネルギー政策の見直しに関連して、菅首相が電力会社の事業形態を発電と送電に分ける「発送電分離」の議論が必要と発言したことについて、「発言の動機が賠償問題にからみで不純だと思う。こうしたときには極端な自由化を主張する人が出るが、それが正しいかどうか」、「電力企業は国営化はせずに民営でいくのが望ましい」と牽制した(記者会見、各紙)。

日頃はあらゆる分野で政府に「規制緩和・自由化」を迫っておきながら、こと電力企業の地域独占体制の見直しになると、途端に「極端な自由化に反対」と叫ぶのだからご都合主義もいいところだろう。「国営か民営か」といった議論は、どちらの経営形態がエネルギー政策のイノベーションにとって適切かという「手段」[方法]の問題であって、本質的な問題ではない。米倉氏のような電力企業の民営を大前提とする議論は、「目的(既得権擁護)のためには手段(地域独占)を選ばない」たぐいの議論の典型だ。

6月27日:首相が早期成立を目指す再生エネルギー特別措置法案について、「性急な導入が電力価格の上昇をもたらすことになれば、地域経済の弱体化や雇用喪失にもつながりかねず、国民生活に及ぼす影響は計り知れない」と難色を示し、「円高や国際的に高い法人税負担などに加え、夏場の電力供給制限が加わり、国内での事業コストが高くなり、企業の海外移転の動きが加速する。産業の空洞化や雇用の減少、人材流出などが顕在化する恐れがある」と警告した。とりわけ「電力の安定供給は国民生活や企業活動の最重要基盤だ」と強調し、定期点検中の原子力発電所の円滑な再稼働や、世界的に需給が逼迫(ひっぱく)している火力発電用燃料の安定調達などを要求した。(都内講演会)

米倉会長は、口を開けば「電力不足になると日本企業の海外移転が加速する」などと脅かすが、日本ほど産業用電力を最優先して供給してきた国が世界のどこにもないことは国際的にみても周知の事実ではないか。それに欧米市場がすでに飽和状態にある現在、海外移転するといえば中国やインド、東南アジアなどが主対象になるが、これらの国々に工場移転をした企業なら誰でも最大の悩みが「電力の不安定供給」にあることを知っている。「あり得ない」ことを「ありそうに」いうことなど、企業人モラルのイロハもわきまえない言動だといわなければならない。

7月11日:だが何と言っても極めつきのハイライトは、「こんなバカな話、考えられない」と机を叩いて激昂した7月11日の記者会見だろう。米倉会長は、原発のストレステスト(耐性検査・負荷テスト)に関する政府の統一見解について、「首相が何を考えて言ったのか、政府内で混乱している。こんなバカな話、考えられない」と一蹴した。(政府見解をバカ呼ばわりするのであれば、国会参考人として議会委員会で堂々と所見を述べるべきだ)

続いて、「見解文書に国民の十分な理解が得られていると言い難いとあるが、これは自分たちがつくり出した状況だ」、「(ストレステストは)突然出てきたものでよく分からない」、「福島原発事故は原因の徹底糾明と安全基準の見直しが必要だが、これまでの定期点検とどういう関係があるのか明らかにすべきだ」、「震災から4カ月経つが、政府の対応は対症療法ばかりで政策の予見性が著しく低下し、安定的な経済活動ができない」、「先週訪問した欧州でも国際的な信任が保てるかどうかを肌で感じた」、「これ以上電力の供給能力が下がれば、(生産活動が低下した)国内企業の設備投資が止まり、雇用維持が難しくなる」、「政府は国内外の声をしっかり受け止め、国民、自治体、企業と十分議論を行ったうえでスピード感を持って対処してほしい」などと「持論」をまくしたてた。

米倉会長ら経済界の代表は、その前の週の7月3日からヨーロッパを訪れ、脱原発の方針を決めたドイツのメルケル首相らと会談し、原子力発電の継続などを巡って意見を交わしている。東電福島原発事故が引き金になって、ドイツ、スイス、イタリアが脱原発を決め、世界中に脱原発の波紋が広がっているまさにそのとき、「お詫び訪問」ならわからないこともないが、原発事故の張本人たち(東電社長は経団連副会長だった)がわざわざヨーロッパに出かけて行く無神経さが理解できない。

会談の席上、米倉氏は恥知らずも「原発の継続方針」を表明したというが、おそらくメルケル首相は「呆れてものが言えなかった」のではないか。「国際的な信任が保てるかどうか」を肌で感じなければならないのは経団連自身であり、「国内外の声」をしっかり受け止めなければならないのは、米倉会長ら経済界の代表なのだ。それがわからないのは、これら経済界代表が国際的な「モラルコード」(倫理綱領)を失っているためだ。(つづく)