日本経団連には「企業行動憲章」はあっても「企業団体倫理憲章」はないのか、米倉経団連会長発言シリーズ(1)、(私たちは東日本大震災にいかに向き合うか、その22)

 このところ、日本経団連米倉弘昌会長のなりふり構わぬ発言と高姿勢が目立つ。御手洗前会長も強欲資本主義丸出しの露骨な発言によって世論の指弾を浴びたが、米倉会長はそれに「輪をかけた」ともいうべき存在で、その言動はもはや「老害」の域をはるか遠く超えている。最近の企業経営者の劣化と企業主義国家の崩壊を象徴する人物といって間違いなしだ。米倉会長の登場によって、日本はいまや「政治も経済も三流」になってしまった。

 どういう経緯で米倉氏が経団連会長に就任したのかは知らないが、2010年5月の就任以来、大して存在感を示せなかった氏が俄然張り切りだしたのは、東日本大震災が発生して、福島第一原子力発電所が過酷事故を引き起こした3月11日以降のことだ。「自分が先頭に立って東電を守らなければ」とでも思ったのか、主な発言だけを拾ってみても、その「活躍ぶり」(独善ぶり)には目を見張るものがある。

 3月16日、都内で記者団に語った福島第1原発の事故に関する第一声は、「千年に一度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」と、まず真っ先に東電の原発管理体制と政府の原子力行政を擁護する居直り発言だった。また何の確証も示すことなく「事故は徐々に収束に向かっている」(現在、どう思っているかを聞いてみたい)とし、「原子力行政が曲がり角に来ているとは思っていない。政府は不安感を起こさないよう、正確な情報を提供してほしい」と東電や政府に事故の情報公開を迫ることなく、逆に国民に対する世論工作(沈静化)を求めた。(北海道新聞

4月6日、国内外を通して原発問題に関する最初の単独インタビューの相手として、米倉会長がアメリカの経済誌ウォール・ストリート・ジャーナル」を選んだことも興味深い。この単独インタビューは、聞き手がアメリカ人記者だということもあって気を許したのか、氏は言葉を選ばないであけすけに本音を語っている(同誌「日本版」掲載)。このインタビューの内容は、それ以降の国内での断片的な内容の記者会見とは異なり、原発事故に対する米倉会長の基本認識の全容を示したものとして注目すべき内容を含んでいる。具体的な内容は、以下の通りである。

まず原発事故に対する現状認識については、「原発は収束に向けて東京電力が一生懸命に努力している。一進一退だが、かなりコントロール下に置けるようになってきているのではないか」、「今回の場合、風評で右往左往している。海外でそういうことが非常に多いので、われわれは政府に対してもしっかり対応するように要求している。われわれ自身も沈静化に努めている」と、まず事故収束に向けての楽観的予測を示した上で、もっぱら海外の風評被害対策に努力を傾注していることを強調している。

いくら海外誌(日本版、それも長時間)のインタビューとはいえ、米倉氏の発言には最初から最後まで国内の被災者のことが一言も出てこない。氏の念頭には、原発事故で田畑や牛を棄てさせられ、家を追われて寒風の下で避難所暮らしを強いられている被災者・被災地の救済のことなど影も形もないらしい。これが経団連の赤裸々な体質かと思うと、企業経営者や経済団体の底知れない「モラルハザード」(倫理崩壊)をのぞき見た気がして身が震える。 

次に「当局への不信が国民にみられる。東電の責任問題、情報公開問題はどうか 」、「東電は(リスク管理に対して)甘かったのではないのか」というまっとうな質問に対しても、「(東電は)一生懸命やっている。考えられていないが東電自体が被災者だ。従業員が津波に流され、機器も津波に流されているところがある。そういったなかで一生懸命努力をしている。政府としては東電が最大限努力しやすいような環境を作るべきだと思っている。いろいろ見ていると、政府の内部で考え方が食い違ったりしており非常に憂慮している」、「甘かったということは絶対にない。要するにあれは国の安全基準というのがあって、それに基づき設計されているはずだ。恐らくそれよりも何十倍の安全ファクターを入れてやっている。東電は全然甘くはない」と全面否定だ。

ここまで言うかと思うが、こともあろうに原発事故の張本人であり加害者である東電を「被災者」とすり替え、膨大な原発事故の被災者を棚上げにして東電従業員の被災だけを強調する無神経さは並大抵のものではない。要するに、事故の責任は「国の安全基準の甘さ」にあるのであって、それの何十倍もの安全管理に努力してきた東電は「全然甘くない」(責任がない)と断言するのである。だが「無知」というか「居直り」というか、こんな粗雑な発言を繰り返すことが、どれほど国民の不信と怒りを掻き立てているかということがわからないのだろうか。「安全神話」のもとで原発リスク管理に「大甘」だったのは国も東電も同罪(共犯)であって、東電だけが免責されるなど口が裂けても言えない話だからだ。

さらに「中長期的な日本のエネルギー政策は見直しが必要か」、「現在進行中の原発新規建設計画は延期か、廃棄か」との質問に対しては、「見直すことになるのだろう。原発の今の問題がどういうことで生じたのか徹底的に解明して、再発防止の手を打っていくべきだろう」、「原因を徹底的に解明して、安全性を確保して、原子力というものが必要だということを国民に訴え、経済性とCO2あるいは安全ということをバランスのとれた形でやっていくべきだと思う」、「現在、9つほどの原発計画があると思うが、これについても(今の問題の)原因を解明し、安全性を計画に反映すれば、もっと安全な原発になるのではないか」、「(新規計画を)廃止するという必要はないと思う。故意に引き伸ばすということではない。結果的に国民の信頼を回復するには時間がかかるということだろう」などと能天気に答えている。

どうやら米倉会長には 「原発の新規建設はもはや不可能」といった圧倒的な国民世論の流れが見えていないらしい。これほど国民感情に鈍感な指導者もいないと思うが、それにしてもこれが財界の本音であり、経団連の変わらぬ方針だとすれば、「原子力ムラ」(原発利益共同体)の結束は相当固いとみなければならない。民主党の新経済成長戦略すなわち財界の経済戦略の主柱に原発建設と原発輸出が位置づけられてきた経緯を考えれば、ここで「引き下がるわけにはいかない」というのが真相なのだろう。

今後の日記で「米倉シリーズ」として氏の発言を系統的に分析していくが、最後にこのインタビューを締めくくった米倉氏の発言を紹介して今回は終わりにしたい。それは、震災後の円高傾向に関するもので、「資本主義の発展は、高い倫理観がベースにある。これがなければ資本主義はうまく回転しない。これにもかかわらず、金儲けのためだけにこういった為替のディールをやるということは、私は経済人として許しがたい」というものだった。(つづく)