再録『ねっとわーく京都』2011年7月号、原発事故の本質は“風評被害”のなかに隠されている(広原盛明の聞知見考、第6回)

被災地のワンパック相談会
 4月29日から5月4日までの約1週間、東北3県の被災地調査と被災者ワンパック相談会に行ってきた。「ワンパック相談会」とは、各種専門家が一堂に会してその場で被災者支援と被災地の復旧・復興に関するあらゆる疑問・質問に答える現地相談会のことだ。今回は、阪神淡路まちづくり支援機構に属する弁護士・司法書士土地家屋調査士不動産鑑定士・税理士・建築士・まちづくりコンサルタントなど各分野の専門家に加えて、行政法知財法・法社会学・都市計画・住宅政策・まちづくり分野の研究者、および特別参加として神経内科医師、核物理学や放射線治療学の研究者も同行した。延べ40人近い陣容だった。
 日程は、4月29日の岩手県宮古市での相談会が東北道の交通渋滞に巻き込まれて流れた他は、5カ所で順調に実施された。4月30日釜石市、5月1日陸前高田市、2日仙台市、3日福島市、4日いわき市において、それぞれ避難所もしくは近傍の会場で午前10時から午後5時にわたって開催された。とくに福島県の2会場では、現地での強い要望もあって原発放射能についてのミニ講義と質疑応答も行われた。また5月2日には、宮城県弁護士会館で宮城県災害復興支援機構や東京都災害復興まちづくり支援機構との交流会が開催され、100名近い専門家集団が各地の取り組みついて意見交換を行い討論した。
 幸い天候には恵まれたものの、行程はきわめてハードなものだった。早朝7時半に出発して宿舎に帰るのは大体夜の8時ごろ、会場と宿舎の距離がレンタカーをとばして2〜3時間(往復5〜6時間)も離れており、改めて東北地方の広さと被災地の広がりを痛感した。被災者や被災地への支援活動が思うにまかせず、被災者の避難所暮らしが長く劣悪な状態のもとに置かれていた背景には、都市中心部から遠く離れた中山間地域の孤立分散した被災地状況があったのである。

言葉を失う被災地の惨状
相談会場での被災者の声や被災地の光景は、言葉を失うほどの痛ましくかつ凄まじいものだった。陸前高田市の奥まった小学校で行われた相談会場からは、海辺に至るまで目を遮るものは何ひとつなく、あたり一面が依然として瓦礫の山だった。会場を訪れた陸前高田市の市会副議長が教えてくれた海岸近くの鉄筋コンクリート5階建ての公営住宅2棟は、最上階までが津波に襲われ、海辺と反対側の窓という窓には、室内から押し出された布団やシーツが無残にもひっかかっていた。
釜石市でも壊滅した港に近い中心商店街がまったく手の着かない状態で放置されていた。テレビで津波に襲われる商店街の光景が撮影された高台はすぐ傍にあったが、逃れた人はそう多くなかったという。釜石市長は、相談会場近くの防災対策本部で、「釜石は存亡の危機にある。いますぐ復旧復興の手を打たないと人がいなくなる」と語った。いくら立派な復興計画をつくってもそれが実現する頃に住民がいなくなったのでは、「手術は成功したが患者は死んでしまった」のと同じだというのである。まったくその通りだ。
仙台空港周辺の被災状況も凄かった。空港の滑走路や建物の一部は米軍の「トモダチ作戦」で比較的早く復旧したが、そこから海辺にいたる住宅地はいまだ瓦礫の山のなかだ。海岸の破断された巨大な防潮堤の上に立って見ると、内側の防風林(数十メートル幅の松林)は悉くなぎ倒され、そのなかに百トン近い防潮堤のブロックが散らばっていた。津波の勢いがどれほど大きかったか、想像すらできない。堤防近くで京都府警から派遣されてきたパトカーに出会った。空港周辺一帯の警備にあたっているのだという。

先行きの見えない原発避難者の苦悩
岩手県宮城県の被災地はもちろんのこと、それにも増して深刻だったのは、福島県原発警戒区域から避難してきた被災者の人々のことだ。福島市のスポーツ公園に設けられた避難所には、原発から20キロ圏にかかる南相馬市から最高800人を超える避難者が身を寄せていた。この人たちのなかには地震津波の被害はさほど受けていない人たちもいる。なのに、原発からの一定距離の「線引き」によって自宅から着のみ着たままで強制的に立ち退かされ、体育館の段ボールの狭い囲いのなかでひしめき合って暮らさざるを得ないのである。その無念さと憤りはいかばかりであろう。
先行きの見えない苦悩を背負った被災者の声を聞いたとき、私が強く感じたことは、原発事故の本質は実は“風評被害”のなかに隠されているのではないかということだった。南相馬市をはじめ原発周辺地域の住民は、東電や政府から何ひとつ正確な情報を知らされることなく、ただ「避難」を勧告・指示されるだけだったという。政府の指示や勧告ともなれば、当然その根拠が明確に示されなければならない。枝野官房長官が発する「直ちに人体に影響はない」という程度のメッセージでは、当該地域の住民は途方にくれるばかりで的確な判断と行動ができないからだ。
まして帰宅時期の見通しも示されず、避難所で当てのないその日暮らしを強いられるとなれば、避難者が不安と疑念の塊になっても不思議ではない。東電や政府はなにか重大な事実を隠しているのではないか、原発事故による周辺地域への影響はもっと深刻なのではないか、ひょっとすると自分たちは永久に故郷に帰れないかもしれないなど、眠れない夜がずっと続いているのだという。福島第1原発事故の“風評被害”には、その根源に東電の事故隠し・情報隠しがあり、くわえて政府のあいまいな避難勧告や指示があったのである。

風評被害は一過性の問題か
風評被害」とは、世間の噂などによって無関係の人たちが「あらぬ被害」を蒙ることだ。意味するところは、生活や健康に脅威や被害を与える原因が特定されていないにもかかわらず、人々がある事象を原因だと類推(仮想)し、危機回避行動をとることによってもたらされる被害のことである。今回の場合は、すでに幾度となく報道されているように、放射能汚染に曝されていないにもかかわらず野菜が福島県産ということだけで出荷制限されるとか、三陸沖で獲れた魚が各地の漁港で水揚げを拒否されるとか、いわき市ナンバーを付けたトラックが出入りを禁止されるとか、県外に避難した児童が避難先の小学校で「危ない」といって仲間外れにされるとかいった類のことだ。
 これまで原発事故に関する「風評被害」は、いわゆる「根も葉もない噂」や「流言飛語」による損害と同種の問題と見なされ、人々の誤った認識や行動を改めさせることができれば解決するといった「一過性の問題」として片づけられてきた。「人の噂も75日」という諺にもあるように、時がたてば自然に消えていくような軽微な被害であり、取るに足らない損害だとおもわれてきたのである。だが今回の現地相談会で最大の問題として浮かび上がったのは、実は「風評被害」の問題だった。それも原発周辺の福島県だけのことではない。遠く離れた岩手県宮城県においても原発事故に起因する「風評被害」は、今回の東日本大震災の復旧復興にとってゆるがせにできない深刻かつ最大の災害問題であることが明らかになったのである。
 被災者相談会のなかで出た実際の話を挙げよう。仮に大津波で壊滅した漁港や住宅の復旧復興が一定程度進んだと仮定しよう。しかし原発事故の収束が長引き、あるいは残留放射能の影響が予想以上に大きかったときは、水揚げされた魚は「風評被害」で売れない事態が予測される。いや「絶対に売れない」と言った方が正確かもしれない。そうなると漁師は漁をすることができなくなり、水産加工業をはじめとする三陸沿岸地方の基幹産業は壊滅的な打撃を受けることになる。
農業や酪農業の場合も同じだ。福島県は全国でも有数の農業県であり、なかでも野菜や果物の種類の豊富さと生産高は全国のトップクラスに位置する。もし原発事故の「風評被害」で農産物が売れなくなったとしたら、いくら「ハコモノ復興」ができたとしても、被災者の生活再建や被災地の経済復興は「絵にかいたモチ」でしかなくなるのである。
観光業の場合はもっと敏感だ。福島空港に近い温泉地などでは、原発事故以来外国人観光客の姿が一斉に消えたという。中国や韓国、台湾などから直行便で福島空港に来ていた観光客が「原発風評」のために大挙来日を取りやめ、それ以来、温泉地や観光旅館では閑古鳥が鳴いているのである。日本列島全体が放射能に覆われているという「原発風評」が、アジアはもとより世界に広がっているからだ。

原発風評被害の原因と構造
なぜかくも、原発事故が大規模な国内外の「風評被害」を呼び起こすのか。それは「風評被害」にこそ、原発事故問題の“本質”が隠されているからだ。言い換えると、原発事故はそれほど拡がりが大きい重層的な災害問題であり、被害状況も直接的な被害から間接的な被害、さらにはそれらに起因する多様な心理的不安すなわち「不評被害」をもたらす地球規模の大災害だということなのだ。「安全」と「安心」というキーワードに即して言えば、原発事故に起因する「風評被害」は、人々と社会の生活基盤である「安全」はもとより、社会秩序と安定に不可欠な“安心”を根底から揺るがす地球大の社会的大災害のことなのである。
 私はブログ日記に、「東日本大震災は最終的に原発風評被害を解決しなければ収束しない」、「風評被害の根源には、東京電力をはじめとする日本企業に対する国内外の不信、それをコントロールできない企業国家日本に対する政治不信がある」と書いた。これまでの「風評被害」に対する見方が、加害者側の東電やこれに加担する政府に責任があるのではなく、被災者や国民側の過剰反応や科学的知識の欠如に主たる原因があるかのごとく思われてきたからだ。
 だが、「風評被害」は徹底した情報公開のもとでは拡がりにくいし、企業や政府に対する信頼感が存在する社会ではそれほど深刻化することもない。しかし福島第1原発事故の場合は、もともと東電の事故隠蔽やデータ改ざんなどの前歴に対する根強い国民の不信と疑惑があった上に、第1号機の原子炉内の「メルトダウン炉心溶融事故)」を単なる「燃料棒の損傷」に言い換えたことが、その後の国民の不信感を決定的なものにした。また建屋内の水素爆発にともなう放射能物質の放出に関しては、政府の放射能汚染分布予測(SPEEDI)に関する情報公開が、「国民や社会をパニックに陥れる危険があった」(原子力安全・保安院)との理由で見送られたことが、その後の深刻な「風評被害」を地球規模に拡大する一大要因になった。

原発安全神話の崩壊を恐れた電力業界と政府
 「国民や社会をパニックに陥れる危険」を回避しようとしたなどといわれると、いかにも政府が被災者や国民を案じているかのように思われるが、事実はそうではあるまい。パニックとは、通常は「群衆の混乱状態」のことだ。情報公開すれば、住民や国民が“混乱状態”に陥るなどといった政府の手前勝手な斟酌は、被災者や国民を政府や専門家の一段下に置いて「愚民視」「愚民扱い」していることを示すものだ。被災者や国民は情報を正確に理解できない「群衆」「大衆」であり、政府が情報管理しなければ「混乱」するなどというのは、彼らが被災者や国民を単なる「操作対象」と見なしているからに他ならない。
 しかし、真実は別のところにあったのではないか。政府のいう「パニック」とは、被災者や国民の“原発批判”が一挙に高まることを恐れたためだと私は思う。これまで「原発安全神話」を散々振りまいてきた電力業界や政府からすれば、今回の福島第1原発事故はあらゆる面で「安全神話」の虚構を暴露するものであっただけに、「国民や社会をパニックに陥れる危険」すなわち「原発批判世論の爆発的高まり」を回避する必要があったのだ。そのため東電はメルトダウンの可能性を隠蔽し、政府が事故発生直後の放射能汚染分布予測(SPEEDI)に関する情報を公開しなかったと解釈すると、全ては辻褄が合う。
 そういえば、事故発生直後からマスメディアの紙面や画面を踊った「日本人の冷静沈着な秩序正しい行動」に関する賞賛記事や報道も、「国民や社会をパニックに陥れる危険」を回避するための“一大キャンペーン”だったのではないかと思えてくる。外国人旅行者や報道関係者の目から見ると、日本では確かにニューオーリンズやハイチで起こったような災害時の略奪行為や犯罪行為もなければ、救援物資を争うようなこともなかった。このことは日本国民の高い倫理性を示すものとして誇ってよい。
 だが、そのことが「原発批判」や「政府批判」を抑えるための政府の意図的なキャンペーンに転化し、利用されているとなると、話は別だ。「風評被害」で生乳を出荷できなくなった酪農家が、涙をこらえて搾った牛乳を溝に捨てている光景があった(現在も続いている)。もしこれがヨーロッパだったら、農民たちは大挙して東電や政府に押しかけ、その前で抗議集会を開き、出荷できなくなった牛乳をぶちまけていただろう。しかし日本では、野菜農家や酪農家がいまだに「冷静沈着で秩序正しい行動」を強いられているのである。

風評被害原発事故による実害だ
 しかしこれで事態が収まらなかったところに、今回の原発事故の深刻さがある。それは国際世論の推移を見れば明らかだろう。最初は日本人の秩序正しい行動を賞賛していた海外メディアの論調がある日突然変化し、日本列島は悉く放射能汚染に覆われているかのような地球規模の「風評被害」が発生した。それとともに、日本政府や東電が原発事故の実態を隠しているのではないかとの疑惑が一挙に高まり、日本発の工業製品までが輸入規制の対象になり、同時に外国からの観光旅行客が激減した。経済活動が一挙に落ち込むなかで財界は大慌しはじめ、経団連会長が中国に出かけて釈明までしなければならないという醜態に陥った。
 また国内でも国民の消費不安・消費自粛が依然として回復せず、イベントや観光旅行にまで「風評被害」が広がった。東電や政府から正確な情報公開が得られない状況のもとでは、国民は自らの健康や生活をまもるために自衛せざるを得ない。信頼できない東電や政府からいくら「安全だ」といわれても、国民の「安心」は得られない。「風評被害」とは決して「根も葉もない噂」や「流言飛語」の類ではなく、危険可能性に対する国民の正当な自衛行動であり、社会不安に対する危機管理行動の結果なのである。
 福島第1原発事故にともなう農家への損害賠償をめぐり、JAグループの訴訟代理人となった弁護士は、「健全な消費者が健全に判断して買わない結果の被害は、風評被害ではない。(国の原子力損害賠償紛争)審査会は実害として認めるべきだ」、「遅い救済は救済でない。まず仮払いから始めなければ。失業保険もない農家に一定の支払いをするのは最低限の誠意。前例のない規模の企業不祥事なのに、地域独占の弊害で危機意識がない」と東電を厳しく批判している。(朝日新聞、5月15日)
私たちは「安全」の世界だけでは生きていけない。科学方程式や技術指針によっていくら「安全」が保証されても、それが広範な人々の「安心」につながらない場合には社会的信頼を獲得できない。とりわけ企業や政府への信頼が欠如している場合は、そこに深刻な「風評被害」が発生し、拡大することは避けられない。東電・財界や政府が原発事故の収束を図ろうとするのであれば、それはまず「国民の知る権利」を回復することから始めなければならないだろう。

●補注:東京電力の賠償は遅々として進んでいない。