「福島の再生なくして日本の再生はない」と言明した野田内閣の公約はいったいどこへ行ったのか、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その9)、震災1周年の東北地方を訪ねて(80)

いまから1年余り前の2011年9月2日、野田首相首相官邸で行った首相就任会見で次のような見解を披歴した(要旨)。
 「震災からの復旧・復興は、私どもの内閣については菅内閣に引き続き最優先の課題であると思っております。この震災の復旧・復興をこれまでも政権として全力で取り組んでまいりました。しかし、仮設住宅の建設であるとか瓦礫の撤去あるいは被災者の生活支援に一生懸命取り組んでおりますけれども、まだ不十分というご指摘もある。こうした声をしっかり踏まえながら復旧・復興の作業を加速化させていくということが私どもの最大の使命であると思っています」

 「加えてなによりも最優先で取り組まなければいけない課題は、原発事故の1日も早い収束でございます。福島原発の炉の安定を確実に実現していくということと原発周辺地域における放射性物質の除染が大きな課題でございます。大規模な除染を国が先頭に立って省庁の壁を乗り越えて実施していく必要があると考えています。また特にチルドレンファーストという観点から、妊婦そして子供の安心を確保するために全力を尽くしたいと考えております」

「代表選挙の時にも申し上げさしていただきましたけれども、福島の再生なくして日本の再生はございません。この再生を通じて日本を元気にするとともに、国際社会における改めて信頼をはかる意味からも全力で取り組んでいきたいと考えています」 
福島第1原発事故への拙劣な対応によって菅首相が退陣に追い込まれたことを意識してか、野田首相の就任会見は福島原発事故に始まり、原発災害の復興対策で終った。以降、「福島の再生なくして日本の再生なし」は野田政権のキーワードになったのである。

だが今回の衆院解散にともなう11月16日の記者会見では、野田首相の発言は「内閣の中で大きい命題として取り上げた震災からの復旧復興、原発事故との戦い、日本経済の再生はまだ道半ばだ」の一言で終わった。「福島の再生なくして日本の再生なし」のキーワードは、はやくも「福島再生のない日本経済の再生」へと変質したのである。

それはそうだろう。「災害復旧復興は野田内閣の最優先課題であり最大の使命」「原発事故の収束、放射能除染に全力で取り組む」との自らの言明にもかかわらず、この1年間に野田政権のやったことは、原子炉の冷温停止状態を以て「原発事故収束宣言」と僭称したこと(2011年12月)、国民の圧倒的世論を押し切って大飯原発の再稼働を強行したこと(2012年6月)、原発ゼロ政策の閣議決定アメリカと財界の圧力に屈して見送ったこと(同9月)、あまつさえ大間原発の工事再開を決定したことなど(同10月)、公約違反のオンパレードだからだ。また放射能汚染地域の本格的除染が漸く始まったのは、2012年8月からのことに過ぎない。

2012年総選挙の民主党マニフェストの目玉として登場するのは、東日本大震災復興政策や福島原発災害対策に代わって、財界と財務省が要求する「税と社会保障の一体改革」およびアメリカが圧力をかけている「TPP参加」になるだろう。野田首相民主党代表)はこの方針に従わない民主党候補は公認しないとの「踏み絵」を課し、目下、鳩山元首相をはじめ多くの離党者を切り捨てている。それはちょうど小泉首相が“郵政選挙”を仕掛けて「(古い)自民党をぶっ壊した」ように、野田首相もまた“税と社会保障の一体改革・TPP参加選挙”を踏み絵にして「(政権交代時の)民主党をぶっ壊す」ことに狙いを定めたのだ。

総選挙後の野田首相の行き着く先は、「自公民3党合意」にもとづく大連立政権の構築にあることはもはや明らかだ。もともと松下政経塾出身の野田首相にとっては、民主党自民党の垣根などまったくない。どちらの政党に所属すれば逸早く国会議員になれるかということだけが政党選択の基準であり、現に松下政経塾出身の国会議員は民主・自民両党にあまねく分布している。「親米・新自由主義」が彼らのなかに刷り込まれた政治信条である以上、現住所である民主・自民の保守2大政党はあくまでも「仮の宿」「途中下車駅」に過ぎないのであって、目的地はあくまでも“親米・新自由主義大連立政権”にあることは自明の理なのである。

総選挙の余波が消える頃、おそらく民主党マニフェストからは「脱原発依存」の言葉が消え、自民党と同じく原発再稼働を容認する方向へ面舵が切られることだろう。そのときにいったい原発周辺地域・自治体の運命はどうなるのか。私はこの事態を乗り切るのは地元自治体と住民の結束以外にないと考えているが、果たしてそれがどれほどの可能性を持っているのか、この11月に現地調査に出かけた。行き先は以前の場所に役場が戻った福島県双葉郡広野町川内村、そして当分帰れそうにない浪江町だ。(つづく)