「震災1周年の東北地方を訪ねて」の連載を(とりあえず)終えるに当たって、私の研究作法と調査手法(その2)、『ねっとわーく京都』(月刊雑誌)のコラム「広原盛明の聞知見考」のこと、震災1周年の東北地方を訪ねて(108)

 このブログと並行して書いているコラムに、『ねっとわーく京都』の「広原盛明の聞知見考」がある。コラムの執筆を始めたのは2011年2月号からのことで、最新号(2013年3月号)で26回目の連載になる。テーマはその時どきのトピックスを取り上げ、私なりの感想や意見を述べるという趣旨で、編集者が「聞知見考」という聞きなれない四字熟語を付けてくれた。四字熟語辞典にもないところをみると、どうやら編集者の造語らしい。

『ねっとわーく京都』は1988年創刊、1990年7月号から月刊誌となり、現在まで290号を数える伝統ある京都のローカル誌だ。「京都」の名前を付けた雑誌は少なくないが、いわゆる京都観光を売りにした編集ではなく、京都の政治・経済・社会・文化・教育などの諸問題を真正面から取り上げる硬派の雑誌だ(といっても、居酒屋訪問などの記事もある)。

そのなかの「コラム」という位置づけなので、編集者は通常のコラム(数百字から千字程度)よりも数倍も多い3千字の紙幅をくれた。頁数で言えば3頁分、論説に近い分量だ。ところがその枠でスタートしたものの、第4回目のコラムを書く時点になって東日本大震災が起こったのである。この瞬間、コラムの主軸を東日本大震災に据えるという方針を決めた。そして字数も(編集者には無断で)一挙に倍増することに決めた。しかも最近では3倍増に近づきつつあるので、編集者は多分頭を抱えているに違いない。

『ねっとわーく京都』のコラムのなかで東日本大震災に関するテーマを取り上げた各号を紹介すると、以下のように2011年は11回中6回、2012年以降は15回中8回が該当する。

 2011年5月号、「緊急提言、財界は国民と国際社会をおそれよ〜大企業は利益剰余金2百数十兆円の1割を復興資金に提供すべきだ〜」
 2011年6月号、「“創造的復興”は東日本大震災を救えるか〜私たちは阪神淡路大震災の歴史的教訓に学ばなくてはならない〜」
 2011年7月号、「原発事故の本質は“風評被害”のなかに隠されている」
 2011年8月号、「津波跡地に家を建ててはいけないのか〜人間にとって“住むこと”の意味(その1)〜」
 2011年9月号、「原発周辺地域に人は住めないのか〜人間にとって“住むこと”の意味(その2)〜」
 2011年10月号、「善意が失意に変わるとき〜京都五山送り火騒動が教えるもの〜」

 2012年6月号、「安全至上主義でなく、暮らしとなりわいを支えてこそ震災復興計画は生きる、東日本大震災1周年の東北3県を訪ねて(その1)〜岩手県の場合〜」
 2012年7月号、「復興の本旨は住み続けながら命を守ること、東日本大震災1周年の東北3県を訪ねて(その2)〜岩手県の場合〜」
 2012年8月号、「“日本版ショックドクトリン計画”が生まれた背景、東日本大震災1周年の東北3県を訪ねて(その3)〜宮城県の場合〜」
 2012年9月号、「関西広域連合は“東北再生共同体”のモデルになり得るか、東日本大震災1周年の東北3県を訪ねて(その4)〜宮城県の場合〜」
 2012年10月号、「大川小学校の悲劇はなぜ起こったのか、東日本大震災1周年の東北3県を訪ねて(その5)〜石巻市の場合〜」
 2012年11月号、「福島原発周辺地域はこれからどうなる〜東日本大震災1周年の東北3県を訪ねて(その6)〜
 2012年12月号、「福島第1・第2原発廃炉にして廃棄物処理場を確保すべきだ〜東日本大震災1周年の東北3県を訪ねて(その7)〜」
 2013年1月号、「野田首相が“民主党をぶっ壊す”総選挙〜福島の再生なくして日本の再生なし〜、東日本大震災1周年の東北3県を訪ねて(最終回)」

 ブログは余り長くなると読み辛いので、1回分の字数は2千字程度に抑えているが、コラムは8千字ほどあるからまとまった論考になる。そこでブログを先行させて書き、見落とした点や言い足りなかった点をコラムで補うという方法で連載を書き進めてきた。私にとってのブログとコラムはいわば双生児のようなもので、両方を読んでいただくと何とか理解していただけるのではないか思っている。

 しかしながら残念なことに、『ねっとわーく京都』はローカル誌なので全国の書店に並んでいない(購読契約をすれば郵送可)。東北地方にも首都圏にも読者はいるが数はそれほど多くない。またホームページが整備されていないので、バックナンバーの内容を検索することは難しい。そこでブログ連載を終えるに当たって、コラム14回分を「再録版」として私のブログに再掲しようと考えた。1回分のブログとしては異例の長さになるので心苦しいが、ご寛容いただければこれに勝る喜びはない。次回から順次「再録版」を掲載したい。(つづく)