再録『ねっとわーく京都』2012年12月号、福島第1・第2原発を廃炉にして廃棄物処理場を確保すべきだ〜東日本大震災1周年の東北3県を訪ねて(その7)〜(広原盛明の聞知見考、第23回)

原発事故直後の見取り図
 原発事故発生直後、国土・地域・都市計画にかかわる「国土開発ムラ」のドンがいかなる対応策を語っていたか、その紹介からはじめよう。原発災害を引き起こした張本人が、「原子力ムラ」といわれる政財官学メディア共同体であることはいまや誰一人知らない者はない。だがそれにも増して、国土・地域・都市計画の分野では政財官学を横断する巨大な「国土開発ムラ」が根を張っている。
その中核を構成するのが次の4大陣営、すなわち(1)ゼネコンといわれる巨大土木建設業や民間デベロッパーなどの不動産開発資本、(2)中央・地方の建設族(土建)議員、(3)国土交通省(旧建設省)及びそれに連なる地方の官僚群、(4)中央・地方の各種審議会を独占している土木学会・建築学会・都市計画学会などの学会重鎮たちだ。これら「国土開発ムラ」は、上は国の国土計画から下は自治体の開発計画に至るまで公共事業の立案や配分を一手に取り仕切り、戦後の「開発主義国家=土建国家」の中枢権力として絶大な影響力を誇ってきた。
 なかでも百近い肩書きを持ち「審議会のドン」と称される伊藤滋氏(東大名誉教授、都市工学)が、原発事故直後に国土計画協会の機関誌『人と国土21』(第37巻第1号、2011年5月15日発行)で語った巻頭言・「地域と国土計画的観点から原子力災害を考える」は注目に値する。国土計画協会(国土交通省の外郭団体)の会長でもある伊藤氏の発言は、政府の原発災害地域に対する考え方を事実上代弁したものであり、その後の国の復興構想に多大の影響を与える重要発言だったからである。少し長くなるが、要旨を抜粋して紹介したい。

原子力災害が国土計画のコンセプトを変えた
 「原子力災害がこれまでの地域計画、更には国土計画を根底から揺り動かしてしまった。危機管理を中心においた地域・国土計画を私達は考えなければならなくなった。全国土の沿岸部に50を超える原発基地が設置されている。これらの原発基地のいずれかに今回のような事故がおきれば、基地周辺の広範な地域は長い年月、人が住めなくなる可能性が明らかになった。この地域に居住してきた方々にどのようにして新しい居住と雇用を確保するのか。この課題は津波被災市域とは全く別の観点で考えなければならない。」
 「それではどうすればよいのか。答えは一つであると思う。新しい街と村を福島県の中か、その近傍の県のいずれかに造ることである。東北地方の山間地で既に人口が減少し農業経営が沈滞している地域が数多くある。これらの地域の中から産業生産性の潜在力が高い地域を選び出し、そこの休耕田や雑木林を新しい農業用地として再生する事業を国が率先して行い、被災者の方々の知恵と経営力を生かしながら新しい田園型街づくりと村づくりを早急に進めたらどうであろうか。」
 「被災地の残された土地はどうしたらよいのかも重要な課題になる。この土地は全面的に国が買い上げるべきである。それによって被災者は一時的に生活に必要な収入を得ることができる。(略)被災地内の宅地はもはや使えない。そのまま放置するか、あるいは時間をかけて解体してゆく。この地域の面影を残す幾つかの建物は保存することもあろう。その他の宅地は植林された林地に変わっていく。そして福島第一原発基地は廃炉となり、新しく植林された平林地のなかに取り残される。このようなこれまで全く想像できなかった地域の光景がこれから生まれてくるのであろう。」
 このなかの注目すべき内容は、次の3点にまとめられる。第1は、全国土の沿岸部に50を超える原発基地が設置されている日本では、原子力災害の危機管理が今後の国土計画の中心課題になったとの基本認識を示したことである。第2は、福島原発災害への対応策は津波被災地対策とは別個の視点で考えねばならず、その方策としては内陸部間部のニュータウン開発がコアになるとの方針提起をしたことだ。そして第3は、原発基地周辺一帯の土地を国が買い上げて計画的に無人化し、廃炉となる原発基地と併せて“広大な放棄地”にする他はないとの処方箋を示したことである。

スクラップ・アンド・ビルドの計画原理
 高度成長時代を通して確立されてきた日本国土の計画原理は「スクラップ・アンド・ビルド」だった。端的に言えば、国家(資本)にとって不要になった地域は廃棄(スクラップ)し、必要な地域は開発(ビルド)するというものだ。高度成長政策によって国土が過疎地域と過密地域に二分され、最近では都市部においても地方都市と大都市の格差が急速に拡大しているのは、国土レベルで「スクラップ・アンド・ビルド」の計画原理が強力に推進されてきた結果だと言える。
この計画原理はまた、限りある地球資源を浪費して環境を破壊する経済構造すなわち「大量生産・大量消費・大量廃棄」システムとも結びついていた。「消費革命」とのキャンペーンとともにあり余る新製品が開発(ビルド)され、かつ使用期限を待つこともなく容赦なく廃棄(スクラップ)された。高度成長を支える大量生産・消費システムは大量のエネルギーを必要とし、原発建設に拍車をかけた。「スクラップ・アンド・ビルド」の生産・流通システムと消費者ライフスタイルは廃棄物(ゴミ)の山を生み出して環境を破壊し、美しい国土・地域を棄損した。
だが高度成長政策が完全に行き詰まった現在、「スクラップ・アンド・ビルド」の計画原理は、国土の危機を救い、地域を持続的に発展させる“サステイナブル”な計画コンセプトに一刻も早く席を譲らなければならない。狭い国土に1億人以上もの人口が密集する日本列島は、世界のいかなる国にも増してサステイナブルな計画原理を必要とする国土なのである。だが、伊藤氏の問題提起は、国土(計画)の危機を強調しながらも、原発を廃止して国土をサステイナブルな状態に変えていくという「脱原発」の方向へは決して向かわない。事故を起こした福島原発周辺地域(だけ)はスクラップして放棄地とし、内陸部山間地にニュータウンをビルドして原発周辺地域の住民を移住させようというのである。これではまるで国土・地域の「切り張り」対策に他ならず、高度成長時代の国土計画の再現そのものではないか。

核のゴミ捨て場をつくる狙い
だが、伊藤氏の発言には実は「隠された意図」があった。それは、「福島第一原発基地は廃炉となり、新しく植林された平林地のなかに取り残される。このようなこれまで全く想像できなかった地域の光景がこれから生まれてくるのであろう」という一節のなかに隠されている。ここでいう「全く想像できなかった光景」とはなにか。有体に言えば、それは“核のゴミ捨て場”のことを指していると考えてよい。政府の内部情報に詳しい伊藤氏が、意識的か無意識的かは別にして、比較的目立たない「国土開発ムラ」の機関誌でさりげなく放射性廃棄物の処分場を確保するための観測気球を上げたのである。
政府が公式に発表しているわけではないが、原発周辺地域を計画的に無人化してそこに放射性廃棄物の“最終処分場”をつくるという発想は、すでに事故発生直後から政府部内で浮上していた考えだった。官僚目線からする原発災害危機管理の要諦は、被災者の避難・移住とセットになった廃炉放射性廃棄物処理対策を可能な限り迅速に具体化することにある。原発事故発生後1ヶ月の時点で菅首相が側近に漏らしたとされる「軽率な発言」に関しても、その意図が原発周辺地域の計画的無人化について国民世論を誘導しようとするものだったと疑う余地が十分にある。松本健一内閣官房参与が(当初)説明した首相発言は、そのことを如実に示している(朝日2011年4月15日)。
原発の周囲30キロまで避難、自主避難ということになってくると、周囲30キロ当たり、場合によっては飯舘村みたいな30キロ以上のところもあるわけだが、当面住めないだろうと。これが10年住めないのか、20年住めないのかということになってくると、そこに再び住み続けるということがちょっと不可能になってくる。」
この首相発言は、私が昨年5月の連休に福島県に行ったとき、県の復興構想委員会の責任者から直接聞いた話とも符合する。4月後半に環境省事務次官が内密で福島県知事を訪れ、原発周辺地域を「居住禁止区域」にして放射性廃棄物の最終処分場をつくりたいと申し入れたというのである。それから2カ月後、同事務次官はふたたび佐藤知事を公式訪問して、福島県内で出た瓦礫については原則県内だけで焼却・一時保管する方針を伝えた。だが、環境省が一時保管施設だけでなく最終処分場の設置を福島県内で検討していることを察知した佐藤知事は、この申し入れに不快感を示して拒否したという(朝日2011年6月24日)。

原発周辺地域を土地収用し、住民を強制移住させる民主党
 最終処分場の提案が通りそうもないことがわかった以降、業を煮やした民主党内では「原発事故影響対策プロジェクトチーム」(松原聡座長)が組織され、2011年8月に提言(案)がまとめられた。その内容たるや「国土開発ムラ」の助言もあったのか、使用済み核燃料の安全管理のためには原発周辺地域の土地を収用し、住民は強制移転させるという驚くべき強行路線だった(日経2011年8月3日)。
提言(案)の骨子は、「1万本以上の使用済み燃料を放置したうえで、近隣に人の居住を認めるなどあり得ない」と原発周辺地域の“居住禁止”を明言したうえで、(1)国が原発周辺地域の正確な放射線測量を実施して土地収用の基準をつくる、(2)土地収用を行い、住民に移住を促す、(3)移住に必要な支援策を講じるというものだった。ただし、提言(案)は「原発内に放置されたままの使用済み核燃料の中長期的な保管場所についても早急に検討すべきだ」とも言っているので、原発周辺地域をいま直ちに最終処分場にすると言っているわけではない。
もし「国土開発ムラ」の意を体した民主党安が政府方針としてそのまま打ち出されていたとするなら、福島県内はもとより日本国中は蜂の巣を叩いたような大騒ぎになり、菅政権が世論の袋叩きに遭っていたことはまず間違いない。というよりも、民主党政権そのものが崩壊の危機に瀕していたかもしれない。しかし退陣直前の菅政権にはもはや方針決定するだけの余力がなく、方針は最終処分場を「中間貯蔵施設」へと名前を変え、手法は土地収用の代わりに「土地買い上げ・借り上げ」とすることにその後変更された。これを受けて細野原発環境相は8月13日、福島県内市町村で放射能瓦礫や汚染土を一時保管してもらうという当面の方針を示した上で、「福島県を最終処分場にすべきではない、県外で行う」と語った(読売2011年 8月14日)。

中間貯蔵施設が最終処分場に転化する恐れ
野田政権への移行後、佐藤知事や原発周辺地域の双葉郡8町村長らと会談した細野原発環境相は、放射性物質に汚染された土壌などの廃棄物を保管する中間貯蔵施設を福島県双葉郡内につくる考えを初めて示した。細野氏はその理由を「廃棄物が大量発生する地域の近くに施設はつくるべきだ」と説明し、併せて「年間(換算の)放射線量が100ミリシーベルト以上の地域は除染によって放射線量を下げるのは困難で、国が土地を買い上げたり借り上げたりすることも視野に入れて中間貯蔵施設の場所としたい」と語った。
ここで明らかにされた中間貯蔵施設の構想は、敷地面積約3〜5平方キロメートル、その中に1500万〜2800万立方メートルの容量をもつ施設をつくるというものだ。2012年度中に設置場所を正式に決め、2015年から運用を開始する予定だという。また廃棄物は中間貯蔵施設で30年間貯蔵した後、福島県外で最終処分するとされている。このため、野田政権は2012年3月末をめどに現在の避難区域を見直して、年間放射線量が50ミリシーベルト以上の地域を「帰還困難区域」に指定し、この区域内で100ミリシーベルトの地域は居住を事実上禁止して、土地の買い上げなどによって用地を確保する考えだという(朝日2011年11月29日)。
この構想に対して佐藤知事は「非常に重く受け止める」と応じたというが、問題はそれが地元自治体だけでなく全国的にもどれだけ説得力ある提案かどうかということだろう。なぜなら「福島県を最終処分場にしない」というのであれば、福島県外のどこかの自治体が最終処分場を引き受けなければこの構想は実現しない。もし最終処分場を引き受ける自治体が出てこなければ(その公算は大だが)、中間貯蔵施設は30年後も依然として放射性廃棄物を貯蔵し続けることになる。まして民主党提言(案)がいうように、「使用済み核燃料を安全な場所に移管するまでに膨大な年月がかかる」のであれば、中間貯蔵施設が事実上の最終処分場へ転化していく可能性は否定できない。

なぜ、福島第1・第2原発を廃棄物処分場に転用しないのか
東京電力経産省のホームページによれば、福島第1原発基地の敷地面積は350万平方メートル(3.5平方キロ)、第二原発基地は147万平方メートル(1.5平方キロ)、合わせて497万平方メートル(5平方キロ)もの広さがある。中間貯蔵施設の想定敷地面積が3〜5平方キロだというから、もし2つの原発基地を廃止して中間貯蔵施設と最終処分場に転用すれば、原発周辺地域をわざわざ無人化して中間貯蔵施設を設置する必要もない。また両原発基地はいずれも海岸線に立地していて、当然のことだが周辺居住地域とは隔離されている。これらはいずれも中間貯蔵施設や最終処分場の立地条件に合致するものだ。
地元の世論状況からいっても、昨年9月福島県議会が原発全基廃炉の請願を採択して以降、福島県内の原発10基すべての廃炉を求める意見書や決議を可決した同県内市町村議会は、すでに59市町村のうち52市町村(88%)の圧倒的多数に上っている。可決していないのは双葉郡7町村、つまり原発立地自治体の双葉町大熊町富岡町楢葉町および隣接自治体の広野町川内村葛尾村(12月議会で論議)の5町2村だけだ(赤旗2012年10月16日)。
これら7町村が原発廃炉についての態度を保留しているのは、おそらく廃炉決議が原発交付金の削減や撤廃に連動することを懸念しているからであろうが、しかし、福島県自身が県内すべての原発廃炉を求めて、原発立地の見返りに配分される交付金を2012年度から申請しない方針を決めた以上(朝日2011年12月15日)、遠からず7町村も廃炉決議に加わらざるを得なくなることは十分あり得ることである。いわば福島両原発廃炉条件は整いつつあるのであり、原発跡地を廃棄物処分場に利用しても何らおかしくないといえよう。
 ところが不思議なことに、これまで私見のような福島第1・第2原発を廃止して中間貯蔵施設や最終処分場に転用するといった主張や提案は見たことがない。念のためこの1年半余りの膨大な新聞スクラップファイルを見直してみたが、残念ながらそれらしき記事は発見できなかった。また関係出版物にもほとんど目を通したが、現時点では寡聞にして見つかっていない(読者の方がご存じであれば教えてほしい)。その理由はつまびらかでないが、国や東電が福島原発全基を廃炉にするとなると、それが契機となって全国の原発再稼働反対・廃炉要求運動に波及し「原発ゼロ」になる可能性があるので、「原子力ムラ」「国土開発ムラ」などの圧力によってある種の報道管制が敷かれているのではないかと私は考えている。
原発周辺地域住民の強制移住は人道危機だ
 国際赤十字・赤新月社連盟(本部ジュネーブ)が2012年10月16日に発表した『世界災害報告書2012』によると、東京電力福島第1原発事故は「科学技術の事故によって(住民が)移住させられた人道危機だ」と位置づけられている。報告書のテーマは「強制移住と移動」というものであるが、福島の事故は、途上国の開発にともなう強制移住者1500万人などとともに、同様の“人道危機”だとみなされているのである(朝日2012年10月17日)。
 私はこの小さな囲み記事を見つけたとき、冒頭の「国土開発ムラ」のドン発言との彼我の差を痛感せざるを得なかった。住民が自分のふるさとに住み続けることが基本的権利である以上、それが開発であれ災害・事故であれ住民の意に反して強制的に移住・移動させられることは基本的人権の否定であり、まさに“人道危機”だと言わなければならない。
 ところが今回の福島原発事故に際して日本政府が取った態度は、原発周辺地域を計画的に無人化して被災住民を強制移住させるというものであり、またその代理人である「国土開発ムラ」の発想は、こともなげに被災住民のふるさとである原発周辺地域をスクラップして省みないというものだった。ここには高度成長時代の国土計画を通して国民の生活空間を意のままに支配してきた「国土開発ムラ」の冷酷な素顔があらわれている。
 原発周辺地域は“サステイナブル”な計画原理にもとづいて再生されなければならない。放射性物質半減期が数10年を要するのであれば、原発周辺地域はその間、東電と国の責任において「再生用地」として担保されなければならない。また被災住民が「仮の町」に住む条件も保障されなければならない。サステイナブルな計画原理とは、被災者たちに自分たちのふるさとに帰還できる権利を保障し、時間をかけてその条件を整えることなのである。

●補注:オバマ大統領との会談で「原発ゼロ」政策の見直しを約束した安倍首相の声明によって、行き場を失った「中間貯蔵施設」が最終処分場に変質する可能性は一段と高くなった。